表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家族の卵  作者: 風海 晴
19/22

君がいれば(裕紀Side)

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのように、ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」



 幼稚園児の頃だったか。

 その頃には常に突き放され、親に甘えると言う事をすでに諦めていた俺が、一度だけ冬子に手を握ってほしいとねだったことがある。

 夏祭りの夜。縁日の屋台が多く並ぶ通りであまりの人の多さに恐怖を覚えて、冬子の左手を恐る恐る握りしめたのだ。

 そんな俺に、立ち止まり驚き戸惑ったような表情を見せた冬子は、けれどやんわりと俺の手を振りほどき、右手に引いた美央美を連れて再び歩き始める。

 その時だったのだと思う。俺が今でも自分の中の根幹をなす『本質』を悟ったのは。

「自分は生まれてきてはいけなかったのだ」と

 先に生まれた美央美や美鈴は生まれたことを望まれている。そして後に生まれた自分は生まれることを望まれていない。自分は彼女等にとっていらないものなのだ、と。

 そして両親にすら見放されるような自分は、この世界には不必要な存在なのだと。

 美鈴を除いて、世界中のだれも自分を認めてはくれないのだと

 だってそうでなければ、美鈴や美央美、そして他の子供たちは皆親に手を繋いでもらい笑顔を浮かべているのに、なぜ自分はそれが許されないのか。

 その当時は、冬子達の俺に対する態度の本当の原因を知らなかったこともあったけれど、俺はその時そう確信したのだ。

 今思えば子どもゆえの思い込みから来るとんでもない論理の飛躍だが、それでも当時はその思い込みこそが自分にとっての事実でありそして真実だった。

 そしてそう思い込まなければ、自分があまりにも惨めだったのだと思う。

 この時の事を思い出すたび「もし」と思う。「ロマンはともかくとして、歴史にIfを語ることほど無意味な事はない」そんな言葉をよく聞くけれど。

 それでも「もし」と思う。

 もしこの時沙夜子が側にいれば、俺は今とは違っていたのだろうかと。

 この時沙夜子が側にいたならば、今ほど他人との関係に「無価値」を見出してはおらず、他人との関わりに意義を感じていたのだろうかと。

 けれど「もし」はもしでしかなく、実際に沙夜子と出会うのはこれよりずっと先の話しだ。

 そして冬子から手を振り払われたことで、その場に立ち尽くす俺から遠ざかっていくあの女の背中が人ごみに紛れて見えなくなっても、俺の目から涙は全く出なかった。

 人ごみに圧されて転び、掌と膝を擦りむいて血が出ても、それがジクジクと痛んでも、それでも涙は一滴も出てこなかった。

 これ以降、美鈴が俺の側からいなくなったあの時ですら、欠伸以外で俺の目から涙は一滴も出てこなくなったのだから、俺は人間として大事な何かをこの時無くしてしまったのではないだろうか。

 いや、もしかしたら今なお気づけていないだけで、俺は最初からそんな物持ち合わせていない、人間として『欠陥品』だったのかもしれない。

 そんな異質なものだからこそ俺はいらないものだったのだと、あの頃とは違い冬子達の態度の真実を知った今でも、ついそう考えてしまうのだ。



「そうやって迷子になった兄さんはどうやって帰ってきたの? 流石に冬さんが探しに来た?」

 自室のソファーに寝転がって本を読んでいた俺に、何故か急に朋子が昔話をせがんできたのは、沙夜子が昼食の準備をするために側を離れている時だった。

 俺の昔の話イコール沙夜子の逆鱗に触れる『かもしれない』話。アレの逆鱗がどこにあるのか俺ですらいまいちよくわからないのだから、朋子が万が一を考えて沙夜子を避けたのも仕方がないだろう。

「いや。あいつが俺を探しに来ると思うか?」

「イヤイヤ。冬さんだったら絶対探しに来るでしょ」

 アンタは何を言ってるんだと、朋子は頭と両腕を振りながら全身で俺の言葉を否定する。

「迷子になったのがお前達や美央美達ならな。けどその中に俺は含まれてない。実際あいつは俺がいない事に気づいても、探そうとしなかったらしいからな」

「なんでそれがわかるの?」

「美央美談。あいつが俺がいなくなったことを冬子に知らせたら、『そうね』だけだったらしい。……と言うか、流石に探しに来た? って疑問形の段階でお前だってその可能性は頭にあったんだろ?」

 たしかあの時は、美鈴が入院していて家にいなかったため、家に帰る理由が特になかった俺は公園の遊具の下で一晩過ごし、犬の散歩をしていた大人の通報により警察に保護され家に帰されたのだ(一応、流石に警察に捜索願は出していたらしい)。

 その時の冬子と晴紀の「心配をしていた」なんて白々しい言葉を、無感動に聞き流した記憶がある。

 ああ、そうか。あの時から本格的に冬子達に何も期待しなくなったのだ。俺は。

「ああ、まぁ、うん」

 今はともかく、昔の俺たちの関係を少しは知っている朋子は曖昧に、けれど隠し切れないと知っているからかしぶしぶのように首肯する。

「大体なんでこんな昔の事を気にする?」

「兄さんの冬さん達に対する態度が確実に変ったのは、祭りで迷子になった後からだって。美央美姉さんが……」

 朋子は言いにくそうに、後ろめたそうに、少し俯きながらボソボソと答える。

「なんでそんな事を美央美に聞いた?」

 もう二十年以上昔の話だ。いまさらそんな昔の事を気にして何の意味があるのか。

 大体コイツが噂話の類を収集してそれを俺に聞かせるのは、本家の離れに住まうための大家である俺に対する対価としてだ。要するに家賃の代わり。

 俺の過去の話を俺自身に売りつけることなど出来ないのだから、コイツにとってこんな話気にするだけ時間の無駄のはず。

「冬さんから頼まれて……」

 ああ、何が原因かは知らないがまた罪悪感が許容量を超えたのか。そうやってあの女はまた自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、自身を慰めるのだろう。

 と言うか……

「それをお前に頼むって言うのも、なかなか容赦ないな。それで俺が気分を害してお前をココから追い出したらどうするつもりだったんだろな、アイツは」

「それはありえないでしょ。そこは私も冬さんも兄さんを信用してるっていうか」

「フン……なら冬子にはこう伝えろ。『物心ついた時からお前らの事は何とも思ってない。だから俺の事は気にせず、安心して自分を慰めて自己満足していろ。逆に気にされてると思うと反吐が出そうだ』とな」

「兄さんの方が容赦がないでしょ!自分の子供からそんな事言われたらさすがに冬さん泣くんじゃないかなぁ」

 冬さんを泣かせたくはないよ? 私。

 両親の代わりに自分を育ててくれた冬子達に、恩と肉親の情を感じているからか、そんなふうに言外に主張してくる朋子に対し、俺は視線を朋子が来るまで読んでいた本に戻して、要件がそれだけならとっとと消えろと無言で手を振って追い払う。

「もぅ。そんな風に雑に追い払われる私もだけど、昔を反省して歩み寄ろうとしてる冬さん達も可哀想だよ」

「ならお前は、今更反省してきたならお前の両親に歩み寄れるのか?」

 えらそうな口を叩いて説教ぶってはいるが、お前だって所詮は同じ穴のムジナだろうと先程のコイツと同じく言外に匂わせてやれば

「それは確かに今更だけど……でも、冬さんと晴さんはあの人達とは違うよ」

「お前にとっては違っても、俺にとっては同じだ。お前、いい加減鬱陶しいぞ」

 これ以上コイツとの会話をもう続ける気が無かった俺は、もう一度手を振りながら声にわずかながらの怒気をのせて朋子を追い払う。

「……はい。ゴメンナサイ、兄さん」

 そんな俺に、僅かに不貞腐れながらも謝って申し訳程度にちょこんと頭を下げて出ていく朋子を、本を盾に横目で一瞥して朋子には聞こえないよう注意しながら小さなため息をつく。

 お前にあたるような態度で悪いけどな、でもこんな事、本当に今更なんだよ朋子。

 こんな物は良いとか悪いとかの善悪でもなく、好きか嫌いかの感情でもなく、ましてや感傷や未練でもなく、ただ過去にそういう事実があった昔話と言うだけだ。

「むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんがいました」

 昔あるところにお爺さんとお婆さんがいたという事実(話)があった。そんな昔話の冒頭と何ら変わりはしない。

 これは物語以前の話しだ。

 だからそんな事にいつまでも必要のない罪悪感を感じる冬子達を馬鹿だと思うし、自分自身を重ねて見ているお前もいい加減鬱陶しいとも思うんだよ。

『それに』

 そして朋子とは別に、こんな昔話を気にしそうなもう一人の姿を思い浮かべる。

 いや、実際あいつは自分が俺と冬子達との関係を気にしている事を度々匂わせてくる。

『もぅ、こんな事本当に今更なんだよ。沙夜子』

 だから今この場にいない。もしこの場にいて、朋子が恐れていたように俺の考えている事に感付けば間違いなく怒り始める相方に、声なき言葉を届ける。

 この寂しさも虚しさもお前は理解する必要はないし、もし理解できたとしても、それを悲しんだり憤ったりする必要は全くない。

 お前は全く悪くはないのだし、関係もないのだから。

 そして悪くもなく、関係もないのに。両親や『彼女』ですら常には誰も寄り添ってはくれなかった、そんな俺の側にいてくれるお前に俺が出来る事なんて一つしかなくて。

 だから俺は切に願うよ。

 お前が俺のように、生涯拭い去ることが出来ないだろうこの深淵のような虚無感に囚われることなく、お前がただ微笑んでいてくれる事を。

 普段は神とか仏とか、そんなものに対する信心なんて一切もってはいないけれど。

 お前が幸せに笑っていられる。それを適えてくれるのなら。ああ、神様。

「どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことの『彼女』の幸のために私のからだをおつかいください」

 おそらく宮沢賢治が理想として描いたであろうあの美しいサソリのように。けれどあの心根の美しいサソリのように『みんな』の為ではなく、心が醜悪な俺は『彼女』の為に。

 ただ『彼女だけ』の為に。



「教師と言う立場からしてみると、お前みたいな人間が一番厄介だと思ってたけどな」

 高校時代の事だ。担任教師が突然俺にそう言った。

 本来立ち入り禁止の屋上で、俺の喫煙を知らない沙夜子が友人達との付き合いで側を離れた隙に、一人で煙草の煙をくゆらせながら俺がぼんやり空を眺めていた時姿を現したその男は、俺の煙草を一瞥した後自分も煙草を取り出し火をつける。

 紫煙を吐きながらのその言葉に俺は内心首を傾げた。生徒の喫煙を現行犯で捕まえたのだから『厄介』などと言わず問答無用でしょっ引けばいいのに、と。

 いくら校則が緩々なこの学校でも、喫煙の現行犯ならほぼ間違いなく停学になる。現行犯なのだから証拠もなにも必要ない。

 ほら『簡単』だ。

 まぁ確かに、担任教師を目の前にしながらも焦って煙草を消すでもなく、まるでそれが当然であるかのように悪びれもせず、煙草を吸い続ける生徒などやりにくかろうとは思う。

 その上祖母がこの学校の理事に名を連ねている事を考えれば教師としてはこの上なく厄介かもしれないが、それでも現行犯なら理事の身内なんて立場もあまり意味はない。

 そもそもあのババァは体面だとかそんな事一切気にせず、逆に身内だから遠慮する必要はないとばかりに、理事としては俺に一般生徒より重い罰を与え、そして身内としては俺の頭に拳骨の一つでも落として、それで終わりだ。

 何より、俺にとってはババァよりも沙夜子の方がよほど怖い。

 そんな、けれどその後の言葉からすればまったく的外れな事を考えていたらしい俺を無視して、教師は言葉をつづける。

「自分が『寂しい』って事を自覚してない奴はそんなに厄介じゃないんだ。それを自覚させてやれば、後は迷ったり止まったりすることはあっても大体は自分で努力して何とかする。でも、お前みたいに自分が『寂しい』ってことを自覚してるやつはそうじゃない。自覚したうえで『寂しい』ままなんだからな」

 一口煙草を吸って吐いて「それに」と続ける。

「孤独は簡単に人を狂気に堕とす。それが分かっていても教師としてはずっと側にいてやれるわけじゃないから、例えそれがお互い憎みあう最悪の関係であったとしても一緒にいてくれる、「山椒魚」の「蛙」みたいなやつが現れるのを祈ってやることしかできない。……まぁ、お前には佐藤がいるから様子を見ていたけど、あいつは何だかお前に遠慮があるみたいだからな」

 その教師は訝しげに自分の顔を見ている俺を見て、ククッと笑って急に俺の煙草を取り上げた。

「でもこの煙草を見てちょっと安心したよ。お前も甘えるってことを知ってはいるんだな」

「とりあえず今回、『オ・レ・ハ』見逃してやるよ」と、俺の煙草を消した後、吸いきってもいない自分の煙草ももみ消して屋上を出ていく教師の背中を眺めながら、俺は再び内心首を傾げて煙草を取り出し火をつける。

 俺がこれまでの人生で「甘えた」ことがあったのは『彼女』だけで。彼女がいなくなってからは今までの時間、俺はただ寝て食べて呼吸をしてというだけの無為な日々を送ってきただけだ。

 沙夜子を含め誰かに甘えた事など一度もなかったはず。

 だけどこの時の俺は知らなかった。

「怒って」もらう。

 それも

「甘える」ことの一つなのだと。

 そしてそれは、『彼女』と二人だけの世界では決して気づくことが出来ないものだったのだと言う事を。

 風のない空に、煙草の煙が一本すぅーっとまっすぐ登って行く様をボンヤリ平和に眺めていた俺は、北島(担任教師)から俺の喫煙の話を聞き激怒した沙夜子の説教という地獄が間もなくはじまる事も知らなかったのだ。

 それまでも幾度も沙夜子の説教は受けていたけれど、北島が言うようにどこか遠慮している様子を見せていた沙夜子がこの時ほど俺に怒ったことはなくて。

 『彼女』以外にも、俺に怒るほど本気で向き合ってくれる人間がいるのだと。

 『彼女』以外にも、俺の存在を認めてくれる人間がいるのだと。

 正座を強要された俺は、腰に手を当て滾々と俺に説教する沙夜子の姿を見上げながら幸せを、そしてその幸せの正体が沙夜子が俺を本気で怒ってくれるくらい、甘えさせてくれているものなのだと、この時そう感じていたのだ。



『ああ。願わくば神様。

 どうか、どうか。

 どうか沙夜子の中から俺のような欠陥品の記憶を消して、あいつを自由にしてください。

 このままでは、山椒魚と供に逝ったであろうあの蛙のように、沙夜子はずっと俺の側にいるでしょう。

 優しいあいつにあの蛙のようなそんな未来を歩ませたくはないのです。沙夜子なら、俺の側から離れることが出来たなら、いくらでも幸せになることが出来るはずなのですから。

 だから神様、俺の体は百ぺんでも千ぺんでも灼いてくださって構いません。それで沙夜子が俺の事を忘れてくれるのならば』

 神や仏など居もしないものが願いなど聞き届けてくれるわけもないのだし、願いなんてものは自分でどうにかしなければいけないものだ。だからこんな願いは、自分以外の何者かに願うだけ無意味であるのは重々承知している。

 けれど願ってしまうのだ。それが本当に叶うなら、それは確かに幸せな事だと。

 あの愚かしいほどに優しい沙夜子が幸せになってくれるのなら、俺はそれをこそ幸せだと思うだろう



 けれど本当の願いはずっとずっと胸の奥。

 俺の中にある拭いきれない深淵のさらにその奥。ひっそりと願う俺の本当の願い。

 この体と引き換えに沙夜子が俺を忘れてくれるなら。

 俺と一緒にいることが、何よりの『幸せ』だと言ってくれた『彼女』と。

 自分の側から離すためにと、そんな自己満足で俺を置いて行った『彼女』と。

 オレハ『彼女』ト、コンドコソ『二人』キリニナレルカモシレナイ。

『彼女』ト、ドコマデモドコマデモ『一緒』ニイコウ。

 嗚呼、神様。

 願ワクバ。

 願わくば。

 ジョバンニとカムパネルラには、叶えることが出来なかった結末のように。



引用・参考 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

      井伏鱒二「山椒魚」

裕紀は、喫煙が沙夜子にばれないように、喫煙後はファ○リーズしていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ