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家族の卵  作者: 風海 晴
17/22

寂しいアヒル9(瑞香Side)

「葉子と黒川。お前の両親が結婚したのは、葉子が二十歳、黒川が三二歳の時だ」

 お父さんから渡された白い封筒の中に入っていた、ママからの言葉が綴られた手紙に一通り目を通した私がその便箋から視線を外すと、それを待っていたかのようにお父さんが静かに語りだした。

「二人は・・・そうだな、よく言えば見合い、悪く言えば政略結婚。そんな結婚だった。瀬川本家・・・つまり前当主の意向でな。黒川の家はもともとうちの分家で、黒川の父親はジジイの側近で親友だったらしいから、そのころすでに両親を亡くしていた葉子の後見人があのジジイだった事もあって、葉子には「嫌」とは言えなかったんだろう。そんなふうに半ば葉子の意思など関係なしに黒川との結婚話は進んでいって。無理やり結婚させられたためか最初の一年は最悪で、葉子は当時俺たちが暮らしていた離れに入り浸っていたし、黒川もそんな葉子に文句の一つも言わなかった。まぁ一年ちょっとで冬子に諭されて黒川の家に帰るようにはなったけど、互いを無視しあうような関係はそれから二年ぐらい続いていたらしい。そんな関係が変わったのは結婚後三年近くで黒川の父親・・・お前の父方の祖父が亡くなってからだ。あの二人にどんな経緯があったのか俺は知らないし、冬子達も知らないという。それでもそれを契機にはたから見ていて二人の関係が日に日に夫婦らしくなっていったのは間違いない」

 私が生まれる前のパパとママが一時とはいえ不仲だったなんて私は知らなかった。

 パパのロケットを見て、ママからの手紙を読んで、ほんのわずかだけど思い出したパパとママの匂い、そして記憶。その中で二人はいつだって幸せそうで。

 病院にママのお見舞いにパパと二人で行けば、ママはいつだってパパと優しく微笑みあって、私の頭を撫でてくれて。ママと会えた事で上機嫌なパパはお見舞いの帰りに必ずといっていいほど、近くの喫茶店で「ママには内緒だぞ」ってケーキを食べさせてくれた。

 自宅療養という形でママが仮退院してくると、二人はいつだって一緒で。ママが入院していた時間を取り戻そうとするかのように二人はいつだって一緒で。

 子供の私が二人に嫉妬するぐらい、いつだって幸せそうで。

 だからお父さんが話してくれた「不仲な二人」というのは、私にはにわかには信じられなかった。

 必ずしも笑顔がその家族が幸せかどうかを示すものではないと思うけど、でもロケットの中でパパとママが浮かべていた笑顔の理由。そして私が感じていたものは紛れもなく『幸せ』だったんだと思うから。

「本格的に二人が変わったのは、葉子の中にお前がいることがわかってからだな。お前が生まれてからの二人は側で見ている俺たちのほうが恥ずかしくなるくらい、本当に幸せそうだった。それはお前も覚えているんだろ? 葉子は生来体が弱くて、お前を生む時も命の保障はできないといわれていたが、それでもお前を生んだのは、あいつはその頃には黒川のことを本当に愛していたからなんだろう。そうでなければ、父親と生まれてくる子供のことを本当に愛してなければ『子供に罪はない』なんて綺麗事を言ったところで、命の危険を犯してまで産めはしないさ」

 それまでピンと背筋を伸ばして座っていたお父さんは、わずかに姿勢を崩して私の頭を横から抱きかかえた。

 ゆっくりと自分の肩へと私を引き寄せ、私の耳元で囁くように再び言葉を紡ぎだす。

「今ここに瑞香がいること。それこそあの二人が愛し合って、そして二人からお前が愛されていたという証だ。これ以上の証がどこにある? そうだろ? そしてそれは俺と沙夜子にも言えることだ。自慢じゃないが俺は嫌いな人間と一緒に暮らせるほど出来た人間じゃない」

 私の髪を優しく撫でながらそう囁くお父さん。

 そのお父さんの言葉を聴いた私は目の前が微かに霞んで。

 ポタッポタッと、紙に水滴がこぼれるような音がして。

 ママの手紙の字が滲んで。

 それを見て私は始めて自分が泣いているのだという事に気づいた。

 気づいてしまえば、お父さんに頭に優しく抱きかかえられて安心した私は、溢れ出す涙をとどめることが出来なくて、私はお父さんの服を握り締めてお父さんの腕の中で泣いた。

 思い切り泣いた。

 家族というものに絶対の幻想を抱いていた私にとって、多少受け入れがたいこともあるかもしれないと思っていても、きっかけがどうであれ私にパパとママのことを話してくれたお父さんと、『関係ないのに何で私まで』って顔をしながらも、パパとママの話を聞くことにちょっと躊躇してしまった私の背中を押して、そして黙って付き合ってくれた江里子ちゃん。

 今ここで素直に泣いて、そんな姿を見せることが二人に対しての私なりの感謝の表現だったから。

 たとえ無様でも、格好悪くても構わないと思った。

 お父さんは相変わらず桜の樹に視線を向けたまま、私の頭をグリグリと撫でまわし、江里子ちゃんはそっぽを向いて私が泣いていることに、これだけ盛大に泣いているのだから絶対そんなわけないのに、それでも気づかない振りをしていて。

 とってる行動はそれぞれ違うけど、二人が私のためにそうしてくれているのがわかるから、些細なこととはいえ嬉しくて。でも照れくさかったから二人の耳に届くか届かないかの小さな声で「ありがとう」とだけ、小さく呟いた。

「俺が葉子から預かってるのはそれだけだ。その二つと、今話してやったことからお前が何を思うかはわからないけど。俺と沙夜子より葉子と黒川のほうがいいと思うかもしれないけど」

 お父さんは少し寂しそうな笑みを浮かべて、間をおいて言葉を続ける。

「それでも俺達はお前を愛してる」

 そのときお父さんが浮かべていた表情がちょっと気にはなったけど、私は無言で何度も何度も頷いた。

 だって本当に。本当に嬉しかったから。



 その日の夜、パパとママの夢を見た。

 今日みたいな事でもない限り、いつだって二人の事を思い出すのは夢の中だ。

 パパが笑ってた。ママも笑ってた。私もそんな二人を見て笑った。

 私の記憶の中の二人はいつだって笑ってた。

 庭でママが作ってくれたお弁当を広げて。花壇の花に止まった蝶々を追いかけて転んだ私を、パパは「大丈夫か?」って抱き起こしてくれた。ママは私についた泥を優しく払い落としてくれた。

 このときは確か久しぶりにママが病院を仮退院した次の日で、遠出はママの体が心配だけど気分だけでも味わおうとパパが言って、そして庭先でお弁当を広げたんだと思う。

『ああ。あの写真はこの時撮ったんだ』

 パパが肌身離さず持っていたというロケットの中の写真。お父さんからそれを受け取った時にはわからなかったけど、今見ている夢で思い出した。

 そう、あれは確かにあの時撮った写真だ。

 それなら写真の中の私達があんなに幸せそうに微笑んでいるのも、当然だと思う

 なぜならあの日はパパもママも私も、久しぶりに家族全員が揃った事が本当に嬉しくて、とても浮かれていたんだから。

『ああそうか。だからなのか』

 夕方、お父さんの浮かべた寂しそうな笑顔の理由。あの時はわからなかったけど。

『俺が葉子から預かってるのはそれだけだ。その二つと、今話してやったことからお前が何を思うかはわからないけど。俺と沙夜子より葉子と黒川のほうがいいと思うかもしれないけど・・・それでも俺達はお前を愛してる』

 ・・・あのね、お父さん。

 確かにパパとママには生きていて欲しかった。幸せじゃなくてもいいから生きていて欲しかった。それが私の偽らざる気持ち。

 でもね。

 パパとママと、お父さんとお母さんと。四人を比べることなんて出来ないんだよ?

 だって四人とも私の家族だから。

 私の世界を象る『家族』だから。

 今だって私は幸せだから。

 だから・・・本当にありがとう。



「ああ。それで昨日電話先の沙夜ちゃんの様子がちょっとおかしかったんだ。彼女にしてはなんだかソワソワしてるっていうか、そんな感じだったわね」

 昼休み。

 中学に入学してわずか一ヶ月で保健室の常連になってしまった私に、いつものようにお茶とお煎餅を差し出しながら、養護教諭の小雪先生は小首を傾げるように答えた。

 お父さんたちの高校時代の同級生で、私がここに入学する前から顔見知りだったことや、校長先生ですら特別視する私の、『瀬川家の娘』なんて立場にも臆することのない彼女のいるこの保健室が、(お茶とお菓子も含めて)私にとっては学校の中で唯一の癒しの場となっている。

「あの二人、いつ結婚してもおかしくないのにそんな素振りぜんぜん見せないじゃない? それでこの前聞いてみたの。『あなた達いつ結婚するの?』って。そしたらあの二人、口を揃えてなんて答えたと思う?」

 答えがわからず首を横に振った私に微笑んで、彼女は言葉を続けた。

「『子供なら瑞香がいるし』だって。微妙に質問の答えになってない気もしたけど、でもあの二人にとって・・・特に沙夜ちゃんにとって瑞香ちゃんは自分がお腹を痛めて産んだ子供も同然なのよ。だから昔、あなたが本当の両親の話をせがむ度に、あの子は『家には瑞香がいるからこんな姿を見せられない』って学校で沈んでた。『私じゃ、まだまだ母親にはなれないんだなぁ』って」

「お母さん。そんなこと考えてたんだ」

 わりと物心ついた頃からお母さんは私にとってお母さんで。でもそんな素振り私に見せた事がなかったから、私は全然気づかなかったけど。

 でも考えてみれば、お母さんが私の『お母さん』になったのは高校三年生の時の事で。

 五年後の自分が果たしてどんな人間になってるか私には想像もつかないけど、例えば江里子ちゃんから(こんな想像は彼女には迷惑だろうけど、パッと浮かんだ顔が彼女だったのだから仕方ない)「一緒にこの子を育てて欲しい」って言われても、きっと私には何をすればいいのかさっぱりわかんないだろうから。

 だからお母さんのことを素直に凄いと思えるし、なにより悩んだり落ち込んだりするぐらい私の事を真剣に育ててくれたと言うことが有難くて。

 ほんの少しとはいえ『もしかしたら私は愛されていないんじゃないか』なんて思ってしまった事が、恥ずかしくなった。

「私達が友情だとか恋愛だとか将来だとか勉強とか、そんな事で悩んで頭がパンクしそうなその横で、沙夜ちゃんはそれプラス瑞香ちゃんのことを真剣に考えてて。その姿を見てね『あ、きっとこの娘には何をしたって敵わないだろうな』って思った。実際沙夜ちゃんに何かで勝った試しがないしね」

「そんなわけだから、沙夜ちゃんが瑞香ちゃんの事愛してないなんてありえないよ」って小雪先生は微笑んで、一口お茶を啜ってから人差し指を口許にあてて「こんなこと私が話したって沙夜ちゃんには内緒よ」って付け足した。

 口止めされなくても、お母さんが私に隠したがっている事に関しては、私が知ってるなんてわざわざ言いはしないけど。

 でも、お母さんを好きって言ってくれる人がいる事が、私には自分の事のように嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて。

『小雪先生がお母さんの事大好きだって』

 それだけはお母さんに話してあげようと思った。

 だって。

 誰かから『好き』って、『愛してる』って言ってもらえるのは、凄く嬉しい事でしょ? 小雪先生。

 だから、先生がお母さんに一番内緒にしたかった事、お母さんに話してあげるの。

 そうすればお母さんは今よりも小雪先生の事好きになって。そしてそんなお母さんを小雪先生も今よりもっと好きになって・・・。

 そんなふうにしていつの日か。家族とか他人とか、敵とか味方とか関係なく。

 世界中が『好き』とか『愛してる』って言葉で埋め尽くされますように。

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