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家族の卵  作者: 風海 晴
16/22

寂しいアヒル8(瑞香Side)

 私の悪いところは、一つの事に気をとられると周りがまったく見えなくなるところだと、前に高志兄様に言われた事がある。

 今思えば、それは私の「家族観」に関しての忠告も含まれていたのかもしれないけど、その時の私は「そうなんだ。気をつけなきゃいけないな」と、簡単にそう思っただけだった。

 だけど朝食の席でのお父さんの言葉を聞いて、高志兄様のその言葉を思い出すと同時に私は激しく自己嫌悪する事になる。我ながらいくらなんでも、それはないんじゃない? って。

 そう、私は昨日の江里子ちゃんの一件で、すっかり忘れていたのだ。

 ママが遺してくれたという物をお父さんに見せてもらえるよう、美咲さんにお願いしていた事を・・・。

 


 学校までの道程。普段よりちょっと早めに家を出て、私と江里子ちゃんは並んで自転車を走らせている。

 家を出る時、私と一緒という事を江里子ちゃんは嫌がるかと思ったけど、「どうせ目的地は一緒だしね。私はどうでもいいよ」なんて言って特に嫌がっているような素振りは見せなかった。

 それが彼女の強がりなのか、本当にどうでもいいと思っているかはわからないけど、今まで望む事すら諦めていた『誰かと一緒に登校する』と言う場面が、案外簡単に叶ってしまった事に私はちょっと感動していたのに。

 それなのに朝食の席での私とお父さんのやり取りを黙って聞いていた彼女は、通学途中一緒に自転車を走らせている私にこう言ったのだ。

「度し難いお人好しだとは思ってたけど、それに馬鹿も加わるとあんた最悪だよ」

 大体、普通そんなに楽しみにしていたら忘れられないんじゃない? と言うのが江里子ちゃんの言い分で。それは至極真っ当な意見なんだろうけど、でもお人好しはともかく、馬鹿はあんまりじゃないかと思う。

 私の事が本当に大嫌いなんだろうかと思うとちょっと悲しくて、でもそこまで言われる筋合いはないはずだと、ちょっと怒りが湧いてきて、子供っぽい仕草だとは思うけど頬を思い切り膨らませた。

「頬袋一杯に食べ物詰め込んだリスみたいな間抜け面」とか、彼女なら私の表情を見て言うんじゃないかなぁ。なんて、なんとなく予想して身構えたのだけど、隣で私の表情を横目に見ている江里子ちゃんの顔は、冬子おば様の 「仕方がないなぁ」って思ってる時の眼差しにとても良く似ていて、私は思わず見惚れてしまった。

 こう言うと江里子ちゃんには失礼かもしれないけど、彼女にあのフワフワとした雰囲気を持つ冬子おば様と同じような眼差しが出来るなんて思ってもなかったし、それがもし出来たとしても、私達が初めて出会った時のように悠華ちゃんや悠紀君ならともかく、それが私に向けられるとは思ってもいなかったから。

 そしてそれに関しては、私だけの意見じゃなかったから、おかしな言い方かもしれないが結構自信があったのだ。

「これはあくまで私の第一印象ですが、彼女は自分を取り巻く外の世界が怖いから拒絶して、そして傷ついて、寂しくて、警戒して。それで牙を剥いているのではないかと思います。・・・絶対に自分を傷つけることの出来ない存在以外には、なかなか心を開いてくれないと思いますよ?」

 昨日の夜、これからお風呂に入るという江里子ちゃんと縁側で一時的に別れた後、お茶を貰おうと食堂へ向かった時聞こえてきた美咲さんの言葉。

 きっと彼女の向かいに座っていたお父さんとお母さんが、江里子ちゃんについて美咲さんの意見を求めたんだと思う。

 それをたまたま食堂に入ろうとした私が聞いただけなんだけど、その美咲さんの意見に私は納得してしまった。

 彼女にとってきっとこの世界には敵か味方、その二種類の人間しかないように思う。

 その点に関して言えば、彼女は私とよく似ているのかもしれない。世界には『敵』か『味方』か、『家族』か『他人』か。二種類の人間しかいない、私達の狭い世界。

 今のところ彼女は私の事を「敵(もしくはそれに類似する物)」と認識しているようだから。だから「仕方がないなあ」というような、優しげなその表情に色んな意味で驚いて目を離すことが出来ずにいた私は、地面に転がっていたちょっと大きな石に気付かず、自転車で乗り上げて思い切り転んでしまった。

 幸い土手の草むらに倒れこんだから怪我は無かったけど、その様子を口をポカンと開いて見ていた江里子ちゃんは慌てて自転車を止めて駆け寄ってきて。でも私にたいした怪我がないと知ると大笑いして。

 私はひっくり返った瞬間自分の身に何が起こったのか分からなくて、状況を理解した瞬間に聞こえた江里子ちゃんの大笑いに再び頬を膨らませる。

 頬を膨らませながらも、ただ江里子ちゃんがそうやって笑ってくれる事がちょっと嬉しくて、だけどそれを表情に出すと天邪鬼な彼女はまた顔を顰めるだろうから。

 だから私は笑い続ける彼女の顔を少しでも長く見たくて、わざとちょっと睨みつけながら、まだカラカラと空回りしているタイヤを止めて自転車を起こす。

 そんな私達の様子を、私達と同様に登校していた数人の子達が奇異と好奇心に満ちた眼差しで眺めているなんて、まだ今の私には関係なかったけど。これから彼等の前で度々行なわれる私達のそんなあれこれが、私と江里子ちゃんの世界を少しづつ変えて行くきっかけのようなものになるのは、遠からず近からずちょっと先の話。

 


 黒川宏史、黒川葉子(旧姓 瀬川)。

 それが私の両親、パパとママの名前。

 パパは飛び出してきた子供を避けようとして車で電柱に衝突し、搬送された病院で亡くなり、ママは生来から私以上に体の弱かった人で、ただでさえ私を生んだ事で入院しがちになっていたところに、パパの事故の報せにショックを受けたのか、事故後、目に見えて日に日に衰弱していったのだという。

 それは私が四歳の時。

 そしてそれが、それまで私が聞かされていたパパとママの話。

 後はお父さん達の会話の中で時折ママの事が出てくるぐらいで、きちんとパパやママの事を聞かされたことは、それまで一度もなかった。

 だから私は、私が覚えているわずかな記憶とそんな話を、まるで継接ぎやジグソーパズルのように、張り合わせ、繋ぎ合わせて想像することしか出来なかったのだ。

 


「裕紀様が裏の縁台で、瑞香お嬢様と江里子ちゃんをお待ちですよ」

 学校から帰ってきた私達が、そう良子さんに言われて着替えもせずに裏庭に面した縁側へと向かうと、葉桜となってしまった桜の木を一人でボンヤリと眺めているお父さんの姿があった。

 春でも夏でも秋でも冬でも。季節は関係なく、お父さんは時々そんなふうにその木を眺めていることがある。

 そんな時は決まって、大体いつもはお父さんの側にいるお母さんの姿はなくて。他の人達もお父さんに近づこうとはしない。

 私も子供の頃からそんな光景を見ていたし、お父さんの周りの雰囲気が他人を排除しているように感じていたから、この縁側に一人で座っているお父さんには近づいた事がない。

 そんなお父さんの姿を見て思わず躊躇している私に気付いたのか、お父さんは桜の木から視線を逸らさず、来い来いと手招きした後、すぐ隣と少し離れた場所をポンポン・ポンポンと二回ずつ叩いた。

「私達に来いって言ってるみたいよ?」

 江里子ちゃんもお父さんの醸し出す雰囲気を感じてるんだろう。私の耳に顔を寄せてそう囁く。でも、今から始まる話が何なのか知っているから、その顔にはありありと『なんで私まで?』って書いてあった。

 とりあえずお父さんが来いと言っているのだから近付いても大丈夫なのだろうと、江里子ちゃんの言葉に頷いて、それでもこれから始まる話がなになのか知っているからこそ、私は一瞬足が止まってしまう。

 私にパパとママの記憶はほとんどない。愛されてたと言う確信はあるけど。それでもパパとママは、私にとって未知の世界なのだ。

 だからいざとなると怖くなってしまったらしい。

 けれど私の背中を江里子ちゃんがポンと押す。

「『大丈夫』なんでしょ」

 昨日の私の真似をした後、さぁ行けとばかりにもう一度私の背を押す江里子ちゃん。

 頷いて。深呼吸して。

 そして私が指定されたお父さんの隣に正座すると、江里子ちゃんもため息をつきながら私と少し距離をとって、縁側から足を投げ出して座る。

 そんな私達の姿に一瞬だけ視線を移して、お父さんはいかにも「やれやれ」と言うように苦笑いを浮かべ、上着のポケットから少し古ぼけた白い封筒と、鈍い銀色のロケットを取り出した。

「これが、葉子から預かった物だ」

 そう言って私にそれらを手渡したお父さんの顔は相変わらず私のほうを向いていなくて、かといって今は桜を眺めているわけでも無さそうで。よく言うように、その桜の向こうに色んな記憶を見ているんだろうかと思うような、遠い視線。

「瑞香が中学を卒業したら渡そうと思ってたんだがな。ったく・・・美咲の馬鹿が」

 お父さんにしては珍しくブツブツと美咲さんに悪態をついてるけど、でもどんなに美咲さんにやり込められようと今の私に必要ではないとお父さんが判断したら、今このロケットと白い封筒は私の手の中に無かっただろうから。きっかけはどうあれ、結局のところお父さんもこの二つを私に渡す事が必要だと判断したんだと思う。

 まず私はロケットをそっと開けてみた。

 今の今まで『なんで私まで?』って顔をしていた江里子ちゃんも、ちょっとは興味があったのか隣から覗き込んでくる。

 中には一枚の写真。二人の男女と、その真ん中で二人に抱かれて笑ってる小さな女の子。

 これが誰なのか、聞くまでもなかった。

 パパとママと私。

 どこでどんな場面を撮ったものなのかは分からなかったけど、三人は本当に幸せそうな笑顔をカメラに向けていた。

「黒川・・・瑞香の父親がずっと身に着けていた物だと、これを預かる時葉子から聞いた。俺も詳しくは知らないが、事故を起こした時にも身に着けていたらしい」

 お父さんの言葉を聞きながら、特にこれと言った特徴も装飾も無いロケットをそっと撫でてみる。

 パパがずっと身に着けていたものかと思うと、なんだか不思議な感じだった。温かいような、恥ずかしいような、くすぐったいような、そんな感覚。

 ああ、これが家族の『匂い』なんだなと、唐突に思った。

 勿論お父さんやお母さん、この家で暮らす人達は皆私の家族なんだけど。でもそれとは違う、血の繋がりから来るだろう根本的な絆のような、そんな表現しづらい感覚。

 そんなふうにちょっとボーっとしながらパパのロケットばかり触っていたからだろうか、お父さんがなぜか今度は「ハハッ」って声に出して小さく笑った。

「封筒の方は葉子がお前に宛てた手紙らしい。俺も中身は読んでいないから、どんな内容なのかは知らないけどな」

 そのお父さんの言葉に私は我に返って、そして今度は封筒に目を移す。

 そこにはあまり力の入っていない、流れるようなとても綺麗な文字で「瑞香へ」と書かれていた。

 封を開けると中には便箋四枚にびっしりと書かれた、ママの文字。私はそれにゆっくりと目を通す。

 


 瑞香へ

 この手紙をあなたが読んでいるということは、私はもうあなたの側で、あなたを守ってあげる事は出来ないのでしょう。

 そしてあなたが自分自身の力で、この手紙の意味を理解できるぐらい成長してくれているのだと思います。

 ごめんね。

 あなたを産んで四年。私はあなたに母親らしい事を何一つとして、してあげる事は出来なかった。

 お弁当を作って海や山で一緒になって遊んだり、遊園地で一緒にはしゃいだり、親子としてそんな当たり前のような事をあなたと一緒にしたかった。

 でも、あなたを産んでその後のほとんどを病院で過ごした私には、そんな当たり前のような事をしてあげる事が出来ませんでした。

 ・・・したかったなぁ。

 朝早く起きてお弁当を作って、親子三人で山や海や遊園地や、そんな楽しいところへ行って、一日中あなたと遊びたかった。

 そんな事が出来たら、どんなに幸せだったでしょう。

 でも実際は、宏史さんと一緒にお見舞いに来てくれたあなたの頭を撫でてあげたり、たまの仮退院に、ポカポカと日の当たる暖かい部屋で手を繋いで一緒にお昼寝したり、青くて高い空の下、近所を一緒にゆっくりとお散歩したり、そんな事しかしてあげる事は出来なかった。

 でもそれはそれで、とても幸せだったの。

 繋いだあなたの手は小さくて、柔らかくて、暖かくて。はにかむ様にして笑うあなたの笑顔はとても可愛くて。

 存在そのものが愛しくて。存在してくれる事が嬉しくて。

 あなたを産んで本当に良かったと思える、その一瞬一瞬が本当に幸せで。

 あなたが私を幸せにしてくれたように、私もあなたを幸せにしたかった。

 だけど本当にごめんなさい。結局私はあなたに何もしてあげる事は出来ないみたいです。

 あなたのお父さん。宏史さんと私の生活は決して幸せな物ばかりではなかったけれど、でも、「子はかすがい」という言葉の通り、あなたが生まれてからの私達は本当に幸せでした。

 だから言わせてください。

 あなたを置いていく私達に、こんな言葉を言う資格はないかもしれないけれど。

 あなたは怒るかもしれないけれど。

 だけど言わせてください。

 瑞香。生まれてくれて本当にありがとう。お父さんもお母さんも、あなたの事を本当に愛していました。

 私達を幸せにしてくれて、本当にありがとう。

 私達に愛させてくれて、本当にありがとう。

 あなたの成長を見守ることが出来ないのが唯一の心残りだけど、それを除けば振り返って見て悔いの無い人生でした。

 あなたもいつか振り返って、悔いが無かったと思える人生を歩んでください。

 あなたに母親らしい事をしてあげられなかったけど、私がたった一つあなたに願う事です。ごめんね、わがままなママで。

 ・・・そして最後に。

 大好きだよ。瑞香。

                                          黒川 葉子

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