75.天然の人たらし
大型木造戦の船の甲板で二人の子供がはしゃいでいる。
ルチアとジルドだ。
「うわー、すごーい!! 海だー!」
楽しそうにはしゃぐ子供たちの声を聞きながらクルスは目の前の大海を眺めていた。
昨日ポーラ達と水夫によって鐘の動作確認を終えた後、漁村ニルスにて陸地での最後の休息をとったクルス達。
そして本日、満を持して出航と相成った。
空は透き通るような快晴で絶好の航海日和である。
真っ青な空の下、気持ち良くクルスが潮風に当たっているとハルがどんよりとした表情で話しかけてきた。
「うぅ……なんだか落ち着かないです。マスター」
「どうした、ハル?」
「いや、なんか錆びついてしまいそうで……」
そう言って合成樹脂の肌で覆われた機械の体をさするハル。
「気にしすぎだ。合成樹脂を剥がさなければ問題ないだろう」
「で、でも……」
「それでも心配なら、船室でおとなしくしてるんだな」
「わかりました……。そうします」
世界の終わりでも垣間見たかのような表情でハルが甲板を後にする。
そのハルの姿を遠目から見ていたのか、ナゼールが話しかけてきた。
「クルスさん。ハルさんは一体どうしたんだ? 具合が悪そうだったけどよ」
「ああ、酔ったんだとさ」
適当に答えるクルス。
「もうかよ……。まだ船旅は始まったばっかなのに」
「まったくだ。ハルにとっては苦しい一ヶ月になりそうだな」
この船旅はおよそ一ヶ月かかる見込みだ。
途中で難破したとは言え、一応の渡航経験のあるプレアデス勢の三名の体感だと、そのくらいの期間であったらしい。
クルスも対外的にはマリネリス大陸の外から来た事になっているのであるが、ニホン列島からマリネリスまでどのくらいかかったかは覚えていない、と人には答えていた。
その時、唐突に話しかけられる。
「あ、クルス居た」
見ると、声の主は小さな魔術師のコリン少年だった。
「どうしたコリン先輩、何か用か?」
「特に用は無いんだけど、とにかく暇なんだよねぇ……」
そう言うなりふわぁ、と退屈そうに欠伸をするコリン。
「相棒は?」
「ああ、レジーナは酔ってるよ。船酔いじゃなくて二日酔いだけど」
「またか……。先輩も気苦労が多そうだな」
「まぁ慣れっこだけどね」
そんな二人の会話を聞いていたナゼールが尋ねてくる。
「前から気になってたんだけどよ。なんでクルスさんは、このチビの事を先輩って呼んでるんだ?」
クルスも一度ならず助けられた魔術師コリンを、チビ呼ばわりするナゼール。
折角の機会なので、クルスは説明する事にした。
「いや、そりゃ実際に冒険者の先輩だし。俺がまだソロだった時に一緒に依頼こなして大物を仕留めた事もあるしな。なぁ先輩?」
「そうだね。……っていうかチビって言うなよ、ナゼール……だっけ? とにかく、僕はこれでも“金”の冒険者様だぞ! 凄いんだからな!」
タグを指差しながら語気を強めて言い放つコリン。
その言葉に僅かにたじろいだナゼールは
「そ、そうか。凄いんだな」
と、返す。
マリネリスの文化に疎い彼は金級の価値がいまいちわからないようだ。
たじろぐナゼールをよそにクルスはコリンに問いかける。
「それにしてもしばらく見ぬ間に先輩は随分と貢献点を稼いでたんだな。大変だっただろう」
「うーん、何ていうか……。レジーナと組んでるとさ。死にさえしなければ、どこまでも昇格できそうな気もするんだよね。だから、苦労して貢献点を稼いだって実感はそんなに無いんだよ」
「そんなもんかねぇ、先輩」
「そんなもんだよ、後輩」
などと話しているといつの間にか、クルスたちの近くにルチアとジルドが来ていた。
こうして見ると見た目上の歳格好はコリンと大差ない。
「すごーい! 子供の冒険者だ! ねぇ、私たちと遊ぼ!」
ルチアがコリンの腕を引っ張る。
だが、コリンは嫌そうだ。
「なんで僕がお前らみたいなガキと……嫌だよ」
おいおい、コリン先輩。
その二人は両方とも実年齢八十越えだぞ。
という台詞を腹の中にしまうクルス。
コリンの返事を聞いたルチアは、ますます強い力でコリンを引っ張った。
「あなただって子供でしょー! いいから遊ぶのー!!」
「うわ、ちょっと待てよ。おいクルス! 助けろ! これは拉致だよ!」
助けを求められたクルスだったが、子供同士の争いに介入する気はなかった。
「“金”の冒険者様が女の子に力負けしてんじゃねーよ。おとなしく拉致されて遊んで来い」
そうしてコリンはジルドとルチアに拉致されていった。
向こうで追いかけっこに興じている。
子供っぽい遊びとは無縁なコリンの刺激になるといいのだが。
その様子をナゼールと二人で談笑しながら眺めていると、フィオレンティーナが話しかけて来る。
「クルスさん。そろそろ鐘が鳴り出すそうですよ」
「ついにか。ということはもう“奴”が出る水深だって事か」
『レヴィアタン』は大型の魔物なので水深の浅い海域では活動できないらしい。
その為、漁師たちは浅い海域などで漁をしているそうだが、今回クルス達はその一線を越えるのだ。
「ええ、ここからはポーラさんにとっては大変ですね。ずっと鐘が鳴り続けるわけですから」
そう、スナネコの耳を持つ獣人族のポーラにだけ聞こえる鐘が鳴り続けるのだ。
夜も眠れない日々が続くだろう。
だが、対策は考えてあった。
「そうだ、これをポーラに渡してこないとな」
そう言ってクルスはあるものを生成する。
耳栓である。
「何だ、それ?」
クルスの生成した耳栓をナゼールが珍しそうに覗き込む。
プレアデスの民はプライバシーなどという概念に無縁なのか、耳栓に馴染みが無いようだ。
一方のフィオレンティーナはすぐに用途を察したようである。
「あっ、耳栓ですね。なるほど、これを耳に詰めればポーラさんもぐっすり寝られそう」
「だろ? ちょっと渡してくる」
そう言ってクルスは歩き出した。
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「ふうん。これからずっと、この鐘が鳴り続けるわけか」
チェルソは船に取り付けられた鐘を見上げる。
鐘の傍らには水夫がスタンバイしており、これから交代で鳴らし続けるのだ。
そしてチェルソの隣にはこの鐘を作ったポーラが居る。
ポーラは大きく息を吐くと水夫に告げる。
「鳴らしてください」
それを聞いた水夫が木槌で鐘を勢い良く叩く。
一定のリズムを保ちつつ、継続的に叩いている。
そして、その様子を見ていたレリアが隣を航行する二隻目の船に呪術の炎で合図を出した。
これで向こうの船でも鐘が鳴り始めることだろう。
万が一どちらかの船の鐘が破損しても、もう片方の音が正常な限り『レヴィアタン』は寄ってこない筈だ。
レリアがポーラに問いかける。
「ポーラ、どう? 鳴ってるかしら?」
「うん。鳴ってるよ、ばっちり」
「良かった」
その会話を不審に思ったチェルソ。
「あれ、レリアさんには、この“ゴーン”って重低音は聞こえないのかい?」
思わず尋ねてしまったが、それを聞いた二人は驚いた表情をしている。
「え? チェルソさんは、この音が聞こえるのかしら?」
「え、う、うん……。聞こえるけど」
どういうことだ。
普通は聞こえないのか。
などとチェルソが困惑しているとポーラが説明してくれた。
「この音は普通の人には聞こえなくて、私みたいな獣人族にしか聞こえないんですよ。でもこの音が聞こえるってことは、チェルソさんは耳がいいんですね」
「う、うん。そうかな?」
なるほど、“普通は”聞こえない音らしい。
思えば鐘の詳細な仕様はクルスから聞いてなかった。
図らずも自分が“普通じゃない”と暴露してしまったが、どうやら疑われずに済んだようだ。
ほっと胸を撫で下ろすチェルソ。
そこへ、クルスがやってきた。
「おっ、鐘を鳴らし始めてるのか。相変わらず俺には聞こえないが」
やはり、聞こえないのか。
そういう重要な事は最初に言って欲しかった。
「大丈夫ですよ。クルスさん、ちゃんと鳴ってます」
ポーラが自信たっぷりに告げる。
そんなポーラにクルスは何かを手渡した。
「安心したよ。それとポーラ、耳栓だ。眠れない時はこれを耳に詰めるといい」
受け取ったポーラは嬉しそうな表情を浮かべる。
「わあ、便利ですね。ありがたく使わせてもらいます!」
「ああ、ポーラにとっては苦しい旅だろうからな。これが助けになれば幸いだよ」
まるで聖人のような言葉を吐くクルス。
この男はこうやって人望を得ていくのだ。
まさに天然の人たらしである。
折角なのでチェルソも誑される事にした。
「クルス君。僕にもそれ、くれないか?」
「え? 何でだ、チェルソさん?」
「いや、僕にも鐘の音が聞こえるみたいなんだよ……」
「ふうん……」
そしてクルスは黙って“三人分”の耳栓を黙って寄越した。
それは感覚器官がヒトより優れた“吸血鬼”であるチェルソ、ルチア、ジルドの三人分だ。
チェルソが何も言わずとも察して三人分を寄越してくる辺り、やはりこの男は人たらしである。
「ありがとう、クルス君。感謝するよ」
「ああ、その代わりプレアデス諸島では……」
「わかってるよ。宝石の鑑定だろ?」
「しっかり頼むぞ。でないと、またエセルバードの野郎に嫌味を言われる……」
そう呟いて顔をしかめるクルス。
どうやら、人たらしも彼なりに苦労しているようだった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 9月2日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 9月 1日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月14日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




