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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
最終章 You Can Revolt
327/327

End.『アマルコルド -私は忘れない-』.txt



 その時ふと、目が覚めた。

 来栖は首を横に動かして周りの様子を確認する。


 彼の口には呼吸器とチューブが当てられており、腕には高濃度ブドウ糖と思しき液体が輸液されていた。

 そして何やら胴体や首筋に多数の医療機器をつけられて、心拍や体温等がモニターに映し出される。


 来栖は上体を起こそうと腹筋に力を入れるが、まるで重りでも体に乗せられているかのように体が重い。

 仕方なく再び首を動かして周囲の様子を確認した。


 そこは小さな病室だった。

 だが現在は来栖の他に人はいない。


 そこへ小さな声で鳴くねこの声が聞こえてくる。

 『みんと』だ。

 どうやら彼も来栖と同じタイミングで目覚めたらしい。


 その時来栖達が居る病室に女性の看護師が入って来た。

 定期健診に来たのだろうか、彼女は鼻歌を歌いながらミントの方に歩み寄る。


 すると彼女に反応したミントが、か細い鳴き声を発した。


「にゃー……」

「あら! ねこちゃん、起きたの? 大変だわ。先生に連絡しないと……」


 予想外の事にうろたえる看護師の女性。

 そんな彼女に来栖も話しかけようとする。


 だがノドがガラガラでろくに喋れそうに無い。

 それでも彼女に呼びかけてみる。


「ひゅー……ぁ、あの……」


 囁き声のようなか細い声で看護師に呼びかける。

 しかし案の定彼女はそれに気付く気配がない。

 言葉は忘れていなくとも体がしゃべり方を忘れてしまっているような、そんなもどかしい感覚を来栖は味わった。


 その時何かの気配に気付いたのか、看護師が急に振り返る。

 そして来栖と目が合った。

 彼女は飛び上がらんばかりに驚いて来栖に話しかけて来る。


「来栖さん、起きられましたか! 私の言葉がわかりますか?」


 返事をしようとして声が出なかった来栖は首を縦に振る。


「良かった……。ちょっと待っててくださいね来栖さん。いま主治医を呼んできます」




-----------------------------





 勤務先の大学病院で医師・葛城は、病棟の廊下を慌しく走っていた。

 先ほど定期健診に赴いていた看護師から連絡があり、担当患者である男性とその飼い猫が目を覚ましたというのだ。


 息を切らせながら葛城が病室に入ると、その患者は看護師に貰った水を大事そうに飲んで口を潤していた。

 葛城は彼に話しかける。


「初めまして来栖さん。私はあなたの担当医の葛城と申します」


 葛城が自己紹介をすると来栖は頭を下げて礼を述べてくる。


「この度は本当にお世話になりました。葛城先生、ありがとうございます」

「いえいえ、私も長い間あなたを診てきましたが今こうしてお話できるのが嬉しいです」

「そうですね、二年以上も私の事を診ていただいて……。本当になんとお礼を言ったらいいか……」

「来栖さん、お気になさらず。それが私の仕事です」


 そう言いながら葛城の頭には一つの疑問点が浮かんでいた。

 なぜこの患者は自分が寝たきりだった期間を知っているのだ。


 葛城がその疑問について考えを巡らせていると来栖が問いかけてきた。


「あの、先生。一つお聞きしてもよろしいですか?」

「ええ、お答えしますよ。何でしょう」


 そしてその患者は驚くべき台詞を吐いた。


「本当に私の頭の中から『バルトロメウス線虫』は居なくなったのですか?」


 この問いには葛城も、そして同席していた看護師も驚きを隠せなかった。

 葛城は来栖に問いかける。


「何故、あなたがそれを知っているのですか?」


 それに対して来栖は少し逡巡した後に口を開く。


「これは……何と言いますか。ちょっと……突拍子も無い話なんですが、それでも聞いていただけますか?」

「ええ、聞きましょう。私も興味があります」

「わかりました。お話します。笑わないで聞いて下さいね。私は『バルトロメウス症候群』で倒れた後、ずっと自分の頭の中を旅していたんです」


 そうして彼は自分の物語を話し始めた。




----------------------------





 来栖が目覚めてから半年が経過した。

 長く苦しいリハビリの末に来栖と『みんと』は退院を許可され、実家に帰省する。


 その時の両親の喜びようは尋常ではなく、来栖の姿を見るたびに涙を流すという状態が暫く続いた。

 やがてそれも落ち着くと来栖も今後の身の振り方を考えなければならなくなる。


 来栖が倒れる前に勤務していた物流会社は倒産していた。

 何でも悪質な粉飾決算をやらかしたそうで、それを社会に追求された社長はあっさりと会社を畳んでしまったようである。


 これで来栖も晴れてプー太郎の仲間入りである。

 とりあえず失業保険を申請した後、今後の事をぼんやりと考える来栖。


 『バルトロメウス症候群』から回復した患者の事はすぐにニュースになり、暫くは来栖の周りにも記者らしき人物がうろついていた。

 しかし『ミントプラズマ』のおかげで他の患者も目を覚まし出すと、世間の興味はそちらに移り来栖にも平穏が戻ってくる。



 その時来栖のスマートフォンが鳴りメールの受信を知らせてきた。

 見ると差出人は葛城医師で、用件は飲みの誘いである。


 彼は来栖の事を何かと気にかけてくれていた。

 来栖はメールに返信すると出かける準備をした。



 葛城医師の勤務先の大学病院近くのバーに来栖が到着すると、先に店に入っていた葛城が赤ら顔で手招きしてくる。

 彼の座るカウンター席に向かう来栖。


「先生、どうも」


 来栖が声をかけると葛城は上機嫌そうに返事した。


「急な連絡ですいませんね、来栖さん」

「いえいえ」


 来栖がそう言いながら着席するとバーテンが来栖の前にグラスを置いてくる。

 当然ながら来栖は何も注文していない。


「あの、これは?」

「サービスです」

「はあ、どうも……」


 そのグラスを観察する来栖。

 中には淡い緑色をしたリキュールが注がれていた。


 そこへ葛城医師が来栖に告げる。


「来栖さん、それおいしいですよ。飲みやすくて」


 だが来栖はその酒を知っていた。

 昔二十歳に成り立ての頃、女性の前でかっこつけて頼んで失敗した事のある“悪魔の酒”だ。


「いや、これぺルノーでしょ。めっちゃキツい味の」

「何だ、知ってたんですね。じゃあ尚更飲みましょう。私のおごりです」

「俺に拒否権は無いんですか。困ったなぁ」


 などと話しながら酒を酌み交わす来栖と葛城。

 やがて話題が移って、来栖の今後についての話になる。


「そういえば来栖さんはこれからどうするんですか? 勤め先なくなっちゃったでしょ」

「それなんですよねぇ……まだ何にも決まってなくて。両親は“焦らなくていい”とは言ってくれてますけど」

「ふうむ。どうせならこの機にやりたい事に挑戦してみるのも悪くないかもしれませんよ」

「やりたい事……う~ん……」


 困り顔で唸るクルスだったが、そんな彼に葛城の口から朗報が語られる。


「そういえば実はいくつかのNPO法人から来栖さんに支援の申し出があるんです。『バルトロメウス症候群』から目覚めた患者さんの社会復帰を助けたいそうで」

「えっ! 本当ですか。それは無条件で受けられるんですか?」

「ええと、全くの無条件ではなかったと思います。まだ『バルトロメウス症候群』から目覚めてない患者さんのご家族に会いに行ったりとか、そういう活動が支援の条件ですね」


 『ミントプラズマ』の発見により『バルトロメウス症候群』はもう不治の病ではなくなった。

 しかしながら、全ての患者が目を覚ましているわけではない。

 そんな患者の家族を励ましに行く役目の人間も確かに必要かもしれない。


 そう考えた来栖は葛城に頼む。


「そのNPOに連絡をとってもらっても良いですか?」

「わかりました。先方に伝えておきます。ところで……来栖さん」

「何です?」

「小説、書いてます?」


 にやにやと笑みを浮かべながら葛城が聞いてくる。

 来栖が目覚めた直後に彼に語った空想世界の話を彼は大変気に入っていた。


 愉快そうな笑顔を浮かべる葛城の問いに来栖は答える。


「実はもうほぼ書き終えてます。後は最後にちょっとチェックするくらいです」

「おお、遂にですか!!」

「ええ、明日公開します。楽しみにしていて下さい」



 そして葛城との飲みの翌日。


 来栖はPCの前に座っていた。

 目覚めて以来、リハビリやら検診の合間に暇を見つけては一心不乱に書いていた小説を何度も自分で読み直す。


 彼にとってその作品は、噛みすぎてもう味がしなくなったガムのようなものだ。

 ゆえに自分ではもはや味がわからない。


 そのせいか来栖はその作品を公開するのが怖かった。


 今まで書いていた三作品はただ自分の脳内の設定を披露できればそれでよかったが、今回は違う。

 あの空想世界で来栖を助けてくれた“彼ら”の生きた証なのだ。


 どうにも決心がつかずマウスを持つ手が止まる。

 深くため息を吐く来栖。


 その時彼の足に柔らかい何かが触れる。


「ごろろにゃあ」

「『みんと』。お前、やっと起きたのか。こっちに帰って来てから寝てばっかだぞ」

「にゃーあ」


 みんとはぴょんと跳躍すると来栖の膝の上に乗る。

 そしてマウスを持つ彼の右手に前足を乗せてきた。


「にゃあ、ごろろろ」

「ふふ、“いいからさっさと小説を公開しろ”ってか? やれやれ、ねこに急かされるとはな」


 来栖はもう一度深く息を吐き、心を落ち着ける。

 そんな彼の耳に、昨日の葛城の言葉が聞こえてきた。


「どうせならこの機にやりたい事に挑戦してみるのも悪くないかもしれませんよ」


 来栖はハッとする。

 そしてモニターに改めて目を向けた。



 小説家になろう



 そこにはそう書いてあった。

 来栖が小説を投稿しようとしているサイトの名前だ。


 決意を秘めた眼差しで来栖はその文字列を見つめると、マウスを動かして“新規小説作成”にカーソルを合わせる。

 本文欄にあらかじめテキストエディタに入力していた本文を貼り付けて、タイトルの欄にカーソルを持って行く。

 長らく(仮題)としていた小説のタイトルだったがここで来栖はそれを確定させる。


 イタリアのリミニ地方の古い言葉で“私は覚えている”という意味の言葉。

 それに“助けてくれた彼らの事を忘れない”という自分の意思をくっつけた。


 やや重複気味のタイトルだが、これが来栖には一番しっくりきたのだった。




 『アマルコルド -私は忘れない-』




 たった今、あなたが読み終えた小説がそれである。




(了)







【あとがき】


最後まで拙作を読んでいただき誠にありがとうございます。


先ずはお礼の言葉を言わせてください。

本作をブックマークしてくれた方、評価してくださった方、感想を書いてくださった方、誤字報告してくださった方、レビューを書いてくださった方、そして本作を最後まで読んでくれた全ての皆様、本当にありがとうございます。


何度も心が折れかけた私でしたが、皆様のアクションひとつひとつに救われました。

本作が完結して来栖と『みんと』が無事に現実世界に帰還できたのも皆様のおかげです。

この場をお借りして厚く御礼申し上げます。


さて今後の話ですが、しばらくはこの小説を推敲して(←今からかよ!)直す作業にかかりきりになるかと思われます。

自分で読み返しても酷いと思う部分が結構ありますので大幅に書き直す部分もひょっとしたらあるかもしれません。


そしてそれと並行して次作の構想を練りたいと思います。

それがいつになるかはわかりませんが、その時にまた皆様とお会いできれば幸いです。




※10月17日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。


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