313.あの野郎
宗教都市ノアキスから北上したところにある平地。
そこはちょうど宗教都市ノアキスとザルカ帝国領の中間地点である。
その赤茶けた荒地を大規模な軍勢が進軍している。
彼らは王都サイドニアより出立した各国混成の連合軍だ。
連合軍の歩兵部隊が敵地に向かって歩いて進軍しているのを、クルスは小高い丘陵地帯から眺めていた。
彼はルサールカのヴェスパー社子飼いの部隊“掃除屋”に同行して今回の戦闘に参加する成り行きとなった。
当初はこの戦闘には参加せず後々甘い汁を啜ろうとしていたクルスだったが、それを聞いたミントに“それって卑怯じゃん。おにいちゃん、そんなんでいいの?”と一喝されたのを機に戦闘への参加を決意する。
クルスは仲間を伴って“掃除屋”の装甲車両の一つに乗り込み、即応部隊として後方で待機している。
前線で何か問題が起きた場合にそれに迅速に対処するのがクルス達即応部隊に課せられた役目であり、現在は有事に備えて待機中だ。
即応部隊の内訳はクルス、ハル、フユ、ミント、ヘルガそしてオスカーマイクの二人だ。
比較的自由な立場かつ、個々の戦闘能力の高い面子であり、即応部隊には適任であった。
とはいってもクルスの見立てでは即応部隊の出番はおそらく来ない。
停車中の車両から一旦降りたクルスはルーフに昇って前方に目を向けるハルに問いかけた。
「ハル! 何か変わった動きは?」
「いえ、何も」
「そうか、両軍がぶつかるのはいつぐらいだ?」
「もうすぐですよ。マスターもこっちに昇って見届けたらどうですか?」
ハルの提案を受けてクルスは自分もルーフに登って双眼鏡を覗く。
真っ直ぐ前方にはサイドニアの歩兵部隊がずらりと並び、彼らの少し後方には乗馬した騎兵がいる。
一見すると中世ヨーロッパあたりの戦争の開戦直前の情景に見えるが、それと違うのは兵士達の武装だ。
彼らは皆、鉱山都市ボレアレ製の銃器を携えていた。
先鋒を務める歩兵部隊は銃剣を装着したヘルガ式ボルトアクションライフルで武装し、対して高機動による一撃離脱が信条の騎兵たちは散弾銃を装備している。
そしてその脇を固めるはプレアデス諸島からの援軍たちだ。
ナゼール達に率いられた彼らは非常に士気が高く、オーベイ族の呪術師や身体能力に秀でた獣人族も混じった編成は意外とバランスが良い。
プレアデス勢とは反対側に展開しているのがギルド所属の冒険者達だ。
こちらは愛国心よりも金銭の為に動いているフシが強いが、それでも優秀な戦力には違いない。
一見すると軍団としては纏まりの無い連中に見えるものの、“赤い竜”の英雄レジーナ・カルヴァートの名の下に統率が取れていた。
彼女の補佐にはヴェスパー社製の義手をつけたコリンとイェルド、そしてマルシアルが務める。
最強の“白金”級冒険者パーティの再結成も冒険者達の士気向上に一役買っていた。
冒険者の集まりから少し離れたところにはルサールカ・ヴェスパー社から派遣されてきた“掃除屋”の車両が居る。
今回、テオドール、リリー、フォルトナは掃除屋の部隊に参加する。
前線の兵士よりも質の良い銃器で武装した彼らは遠距離からの高精度射撃による援護を期待されているようだ。
また“掃除屋”保有の戦闘ヘリ《クレーエ》が格納されたトラックも控えており、航空支援も行える磐石の布陣である。
そして彼らの後方には精鋭部隊である近衛兵に守護されたサイドニア国王ウィリアム・エドガーが控える。
もしザルカ兵が彼の首など狙おうものなら、先述の兵どもを全て退ける必要がある。
だが今のザルカにそんな骨のある奴が残っているとも思えなかった。
この軍を指揮しているエドガーはさぞいい気分だろう、などとクルスが思っていると隣にミントが登ってくる。
「どう? おにいちゃん。こっちの軍は勝てそう?」
「順当に行けば勝利できるだろうが、油断は禁物だな」
実際には連合軍側の大勝を信じて疑わないクルスだったが、先日レジーナに“フラグには気をつけろ”という忠告を貰ってからは軽率な発言は控えていた。
だがその事を見透かしたミントは呆れたように告げる。
「えー? この前は“楽勝だ”とか言ってたじゃん。今更謙虚な事言っても遅いんじゃない?」
「な、何を言ってるんだミント。縁起でもない。“フラグ”に見つかったらどうするんだ!」
「フラグ? 破片手榴弾のこと?」
「違う。そっちのフラグじゃない。いや、そっちも怖いんだが俺が言ってるのは旗の事だ」
などとクルスが弁明しているとハルがクルスの肩を小突く。
「マスター、そろそろ始まりますよ」
「ああ、どれどれ」
ハルに呼びかけられて前に注意を向けたクルスは、敵軍の事も観察する。
精強極まりない連合軍に対しザルカ帝国・ジュノー社の同盟はかなり見劣る軍勢だ。
見たところ連合側に比べて半分にも満たない規模であるし、装備している武装の質も“掃除屋”に劣る。
数的にも質的にも劣勢であり彼らの勝ち筋がクルスには全く見えない。
その時、唐突に戦端が開かれる。
銃声と鬨の声が入り混じり両軍がぶつかり合う。
しかしやはり彼我の戦力差は如何ともし難く、連合側の優勢は動きそうにない。
この分だとクルス達即応部隊の出番はやはり来なさそうである。
クルスは密かに胸を撫で下ろしつつ前線の様子を監視していると、不意にミントが騒ぎ出した。
「うわ! 何!? この音!!」
突如騒ぎ出したミントに驚きつつもクルスは耳を澄ませた。
ところが特に変わった音は聞こえない。
クルスはミントに問いかける。
「急にどうしたミント?」
「だって変な音が響いてるじゃん!! おにいちゃんには聞こえないの?」
「いいや全然……」
そこまで言いかけてクルスは既視感を覚える。
似たような出来事が昔もあったような気がしたのだ。
はて、あれはどこだっただろうか。
クルスが考えていると、足元からドワーフ女ヘルガの声がした。
彼女は装甲車両のルーフに登っているクルス達を見上げながらこちらに告げる。
「そういえば昔“鐘”を作ってた時もポーラが似た様な事を言ってたよね。クルスさん覚えてる?」
その一言でクルスは思い出した。
クルスの髪がまだ黒かった頃、ノアキスのオットー工房でたしかにそんな出来事があったのだ。
彼はヘルガに答える。
「ああ、たしかにそうだな。あれはレヴィアタン避けの鐘で……」
クルスはその時、言いようの無い大きな不安を覚える。
自分の全く気付かぬ内に喉元にナイフを突きつけられているような、そんなどうしようもない不安感だ。
そして鐘の件に付随して、彼はもう一つの出来事を思い出す。
こちらはクルスがレヴィアタンに飲み込まれる直前の記憶だ。
ルサールカ・ジュノー社の船団の襲撃を受けた大型木造船にボール状の物体が投げ込まれたすぐ後に、白鯨が恐ろしい勢いで突っ込んできたのである。
その時もボール状の物体からはクルスの可聴域外の音が発生していた。
「ま、まさか……その“音”っていうのは……」
クルスが掠れ声でそう言った時、震度八はあろうかというくらいの大きな地響きが聞こえてくる。
彼が恐る恐るその方向を見やると信じられない光景が目に入った。
『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』だ。
かつてクルスを飲み込んだ忌まわしい怪物がこちらに向かって“歩いて”くるのだ。
白鯨は体中から伸びた無数の白い蛇を束ねて足代わりに動かして四速歩行で歩いてくる。
それを見たクルスは直感する。
ハロルドの仕業だ、と。
追い詰められて後が無くなった彼はハイリスクハイリターンな作戦でクルスの首を取りに来たのだ。
宿敵の意図に気付いたクルスは歯噛みして呟いた。
「あの野郎……」
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 2月 2日(土) の予定です。
ご期待ください。
※ 2月 2日 後書きに次話更新日を追加
※10月 3日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




