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アマルコルド -私は忘れない-  作者: 利府 利九
最終章 You Can Revolt
307/327

307.白き鯨



 ハロルドは自身の進化の為にクルスの“恐怖の象徴”である『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』の出没する海域にやってきた。

 目的の海域が近づいてくるとハロルドは覚悟を決めた顔つきで準備にとりかかる。


 気休めの救命胴衣を着用した後、音で助けを呼ぶためのホイッスルを首から提げる。

 そして『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』を引き寄せる音波を放つ“ボール”を手に握り締めた。


 そうした諸々の準備を完了させたハロルドにカレンが問いかけてくる。


「ねえ……ハロルド。本当にやるの?」


 悲痛な面持ちでハロルドに確認するカレン。

 ハロルドはそんな彼女に心配させじと明るく振舞う。


「そんな悲しそうな顔すんなってカレン。大丈夫だよ。さっきも言ったとおりイザとなればあんな鯨如き一ひねりさ」


 ハロルドがそっと手をカレンに差し伸べると、カレンはそれを握り返して頷く。


「……うん」


 そこへアルバレスが声をかけてくる。


「ハロルド様」

「ん、どうしたんだい中尉?」

「これをお持ちください」


 そう言って小型のトランシーバーのようなものを渡してくるアルバレス。


「中尉、これは?」

「これは遭難者捜索用の電波を発するビーコンです。このクルーザーに積まれていました。もしハロルド様の行方を我々がロストした際にはこれで探します」

「そうか、わかったよ。ありがとう中尉」

「いえ、ご武運を」


 そう言って綺麗な動作で敬礼をするアルバレス。

 ハロルドはそんな彼を頼もしく思いながら、彼の肩をポンと叩いた。


「カレンを頼むよ、中尉」

「ええ、お任せください」


 ハロルドは頷くと二人に向かって宣言する。


「よし、行って来る。僕は非常用ボートでもう少し進んでから“ボール”を作動させるから二人はクルーザーで距離を取ってくれ」


 二人にこれからの行程を説明したハロルドはクルーザー後部に格納されていた非常用の小型ボートに乗船する。

 そしてボート後部船外機のスターターロープを思い切り引っ張ってエンジンを回した。


 海に白い航跡を残しながらハロルドの乗るモーターボートは目的の海域へと進んでいく。

 それを暫し見守っていたクルーザーだったが、やがてハロルドとは反対方向に転進した。


 広い大海原で一人モーターボートを進めるハロルドの胸に言い知れぬ孤独感が去来する。

 こんな感情はハロルドが『バルトロメウス線虫』の一個体であった時には持ちえぬ感情だった。


 クルスの脳内に寄生して思考能力を借り受けている内に、ハロルドはいつの間にか人間的感情までも手にしてしまったようだった。

 それが自分にとって良い事なのかハロルドは量りかねていたが、今はそれについて考えるべき時では無い。


 ハロルドは手に持っていた“ボール”と呼称される小型のスピーカーを作動させる。

 これは海洋を研究していたルサールカの物好きが『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』の生態を研究しているうちに閃いた代物である。


 ハロルドが“ボール”の電源を入れると微かに空気が振動しているのが手から伝わってくる。

 空気が振動していると言う事はハロルドには聞こえていないが、問題なく音は出ているようだ。


 その状態でハロルドは暫く待った。

 曇り空の下でじっと海中から白い鯨が浮上してくるのを待つハロルド。


 ところが海上の様子はとても穏やかで、海中から怪物が上がってくるどころか波も天気も穏やかで荒れる気配もない。

 どのくらい時間が経過しただろうか。


 空虚な時間の暇つぶしとして、現在の状況を分析していたハロルドは一つの推論にたどり着いた。

 いくらこのボールが白鯨を引き寄せるといっても、この広大な海では奴も音波を拾えないこともあるのだろう。

 ここが『白き鯨レヴィアタン=メルヴィレイ』の目撃証言の多いサルガッソだとしても、常時そうではないという事だ。


 そこまで思考を進めたハロルドは決断する。


「今日はここには、いないみたいだな」


 そう独り言を呟き、小型ボートを回頭させてクルーザーの方向を目指す。

 先ほど高らかに宣言した手前いそいそと引き返すのに多少の気恥ずかしさはあるものの、目的の鯨が来ないのだから仕方が無い。


 深くため息を吐きながらボートを進めるハロルドだったが、その時急に体に悪寒が走った。

 まるで自分の心の臓を誰かに素手で握られているような、そんなえも言われぬ不快感である。


「……何だ?」


 生物的本能が一斉に危険信号を発し始め、ハロルドの心を揺さぶってくる。

 その時、海面に巨大な黒い影が見えた。


 次の瞬間。


「うわぁ!!!」


 巨大な質量を誇る鯨が海中深くからハロルドの居る海面に浮上して来たのだ。

 その衝撃で危うくボートから投げ出されそうになるハロルド。


 しっかりしなければならない。

 そう自分に気合を入れるハロルド。

 もしあの鯨に飲み込まれる前に死んでしまったらここに来た意味がないのだ。


 浮上した白い鯨は四十メートル近い体躯を海面に晒した後、体から生えている無数の大蛇の首を動かす。

 本体から伸びた数多の蛇たちが首を動かしまわりの様子を探っている。


 そしてその内の一体がハロルドの事を発見した。

 途端にハロルドの全身から冷や汗が噴出し動悸が激しくなる。


 ギロリと嘗め回すようにハロルドを見つめた白い大蛇。

 そしてその情報を共有したのか、本体の鯨部分の頭部が波飛沫を立てながらゆっくりとハロルドの方を向く。


 その時ハロルドは初めて白い鯨の顔をまじまじと眺めた。

 プランクトンや小魚を食べることの多い現代の鯨と違い、この古代の鯨は肉食獣じみた強靭な顎と歯を有していた。


 そして眼球は周りの大蛇と同様に血のように赤い色をしており、その真っ赤な双眸からは尋常ではない圧力をハロルドは感じ取った。

 その視線に射抜かれて足が震えて、その場にへたり込みそうになるハロルド。


 だが彼は歯を食いしばり鯨の目を睨み返すと自分を鼓舞するように両手で自分の太ももを叩く。

 そして雄たけびをあげた。


「うおおおおおおおおお!!!」


 口から魂が飛び出んばかりの声量で叫んだ彼は、激情に身を任せて海へ飛び込む。

 すると白い鯨はまるでハロルドを迎え入れるかのように大口を開けた。


 その口の中には触手のような無数の手が蠢いており、ハロルドの体に掴みかかってくる。

 無数の手に捕獲されて完全に体の自由を奪われたハロルドはそのまま鯨の口内へと運ばれていった。


 口を閉じた鯨の体内は当然ながら真っ暗でハロルドは自分がどこに居るか分からない。

 その時、無数の手のうちの一本がハロルドの喉元を圧迫した。


「んぐっ……かはっ……」


 完全に気道を塞がれハロルドの肺から酸素が失われていく。

 死に物狂いでもがくハロルドだったが、抵抗空しく彼は意識を失ったのだった。




 どのくらい時が経っただろうか。

 ハロルドは暗闇の中で目が覚める。


 自分の手さえ見えないような暗闇の中でまわりの様子を探るハロルド。

 彼が今いるのは鯨の体内のどこかだ。


 どこもかしこも鯨の体液でぬるぬるとしていて、おまけに鯨が気まぐれに体を動かすものだから歩くのも一苦労だ。

 ハロルドが辺りを手探りで探しながら脱出できないかどうかを検分していると、目の前にぼうっと白い光が浮かび上がった。


 急に現れた光に目を細めながらハロルドはそれを注視した。

 それはうっすらと光る、小さな白い大蛇だ。


 幼少のクルスの前に姿をみせた個体だろうか。

 ハロルドが息を呑んで蛇を見つめていると、白い蛇が口を開いた。


「やぁ、よく来たね。私と“よく似た者”よ」




お読み頂きありがとうございます。


次話更新は  1月27日(日) の予定です。


ご期待ください。



※ 1月27日  後書きに次話更新日を追加

※ 9月27日  一部文章を修正

物語展開に影響はありません。


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