第6話 とある主婦の独り言
私は今、幸せだ。
優しい主人と可愛い娘。
お姑さんはちょっと怖いけど、概ね上手くいっている自負はある。
近所との付き合いも良好だ。
家事もそこそこにテレビの芸能人に適度に熱を上げ、たまに遊びに来る友人とお喋りをする。
そんなありふれた、それでいて掛け替えのない日々の暮らしの中で、ふと一滴落ちたインクのように、心に消えない染みがあるのを自覚する。
彼女は、虐められるような性格の娘じゃなかった。
むしろ、ターゲットにされていた私のような大人しい子にも、屈託なく声をかけてくれていた。
強いて言えば、それが面白くないと思われていたのだろう。
どれだけ酷い事をされても、彼女は何事もなかったようにけろりとして、こっちが心配しても「大丈夫大丈夫」と平気そうに笑っていた。
だから、見誤ったのだ。
虐めっ子も虐められっ子も教師も親も。
どのあたりが彼女の限界だったのかを。
気付いた時は何もかも手遅れで、でも彼女は誰を恨むでもなく、ただ消えた。
残された私は、何もできなかった後悔とターゲットにされる事への恐怖から逃げた自分への嫌悪感に苛まれ続けた。
あの時、勇気を出して声を上げていたら、と。
それでも時は残酷なまでに過去を押し流していく。
皆は彼女がいない日常に慣れ、何事もなく進学しそれぞれの道を歩んでいった。
ただ明確に影響が出たのは、学校側だった。
今では附属中学はなくなり、共学になったと聞く。
やはりあの事件を完全になかった事にするなど、不可能なんだろう。
そして、私も…
今では私の娘も、あの頃の私たちと同じぐらいに成長した。
その姿を見ていると、感慨深くなると同時に胸のざわつきを押さえられない。
母親の中学時代など、娘には関係ないと分かっているのだが―――
「面白いよねー、スドウレイちゃん」
「え…?」
夕食の準備をしている最中、リビングから聞こえるスマホをする娘の声に、つい手に持っていたおたまを落としてしまう。
今、なんて…?
動揺する私を他所に、娘は楽しそうに友達と電話を続けている。
ドクドクと動悸がして、首筋に汗が流れる感覚がした。
しばらくして無言になったので、電話は終わったのだろう。
恐る恐るリビングに顔を出すと、娘は相変わらずスマホを弄っていた。
「ねえ、今の電話って…」
「うん、ユキちゃんにかけてた」
相手はやはり娘の友人だったが、問題はそこじゃない。
「さっき『スドイレイ』ちゃんがどうって言ってなかった?」
「お母さん、知ってるの?今流行りのユーチューバー…いや、Vtuberだよ」
よく分からない単語が娘の口から飛び出す。
ユーチューバーなら知っているが、Vtuberって?
娘によれば、実写ではなくキャラクターを使ったユーチューバーの事らしい。
そして『スドウレイ』はその内の一人だとか。
(偶然だったのね……)
ほっと息を吐く。
当然だ、彼女のはずがない。
だってもう……
「あっほら、この子が『祟堂レイ』ちゃんだよ」
娘がそう言って向けてきたスマホの画面を見た瞬間、間違いなく私の息は止まっていた。
そこに映っていたのは、ただのイラスト。
けれどデフォルメされつつも彼女の特徴を如実に表したそのデザイン。
何本にも分けて括られたおさげ髪にカチューシャ。
そして今はない中学校の制服―――
紛れもない私の旧友、朱童鈴衣がそこにいた。