9.ヒトはそれをフラグと呼ぶ。
広大な神殿の敷地から、やがて魔獣となり得る淀みを見つけて祓え、とのコーリング女史の課題。
途方もないような気もしたが、よく考えたら心当たりはあった。
ゲーム中、《森を探索》では解呪アイテムの材料を採取するが、時おり魔獣とエンカウントする。
この《森》とは、女神の神殿を囲む奥の森と、聖都を取り囲む四つの森を指す。
聖都の周囲の森は、単純に東西南北に分かれていて、最初は北の森にしか行けないが、イベントの進行度で他の森にも行けるようになる。それぞれ採取できる材料が変わり、出てくる魔獣も強くなっていく。北、西、南、東、そして奥の森という順だ。
あるいは、ギルドで請け負ったクエストで魔獣討伐する場合、場所の指定がある。わりと早い段階から難易度の低いクエストで魔獣討伐があったし、攻略対象分ゲームを周回しているのでおおまかなクエスト内容は把握済みだ。イベント込みのクエストならまるまる覚えている。
ただし、イベント込みのクエストは難易度が高くなってくるうえ、そのほとんどが神殿の敷地内では起こらない。
神殿内で唯一起こる魔獣討伐イベントは、ラスボス戦ともいえる難易度の魔獣戦だった。
(いきなりラスボス戦は無理だし、そもそもラスボスの魔獣が出てくるのはゲームの終盤。かと言って、北の森ですら神殿の敷地とはちょっと言えないんだよね……)
自室の机の上に、北の主神殿の見取り図と、聖都周辺の地図を両方開き、ツラツラと可能性を考えてみる。
魔獣クエストの覚えのあるところに丸印をつけてみるが、やはり神殿の敷地の外が大半だ。
(神殿から出ないで行ける森は奥の森に限られる、と……。まあでも、奥の森に魔獣が現れるようになるのは世界の綻びも最高潮って感じの頃だから今はまだその時じゃないだろうし)
頭を抱えたくなるが、ぼんやりと地図を眺めていたって仕方ない。
「とりあえず、見て回りましょう!」
案ずるより産むが易し、悩むことに早々に飽きたわたしは、部屋から外に出て、奥の森に向かうことにした。
(そもそも淀みってどんな感じのものよ)
ゲーム中ではすでに魔獣になっているものを浄化していたから、その前段階となるものは知識にはない。
あまりに曖昧としている。
淀み。
言葉のイメージどおりなら、どんよりして、暗く凝ったような感じだろうか。
そんなものが発生するとしたら、ヒトがあまり近づかないような寂しい場所だ。
ジロジロと、神殿の裏手の壁の染みを見つめているとそんなような気もしてくるが、寝しなに天井の染みが顔に見えてくるのと変わらない心理だ。
神殿は、その広い敷地のどこに居ても、清浄な空気に満ちている。
強い精霊の力が、花の香りや樹々の影、短く刈りそろえられた芝の地面から湧き上がっている。
そういうものを鮮明に感じられるのも聖女の資質だが、これを反転させたものが魔獣になるものだとしたら。
澱のようなものがカップの底に沈殿するように、神殿の敷地にも現れるのだろうか。
イメージを持って、集中して気配を探ってみる。
アレクシアや他の騎士たちは、邪魔をしないよう距離をとって護衛をしてくれている。
それでも感じられるのは、力強い精霊の息吹だ。
光輝く、生命力そのもの、あっという間に淀みのイメージはそれに打ち負けてしまう。
(今はこんなに精霊の力は強いのに、徐々にその力が弱くなって、代わりにラスボスが強くなるのか)
聖女王ルートに欠かせない、ラスボスイベント。
禍々しい獣の姿は、森を覆うほど大きく、エンディングを迎えるメイン攻略キャラと協力して倒さなくてはいけない。
今回はノーマルエンドでアレクシアエンドなので出番はないはず。そのはず。発生条件ってなんだっけ?基本的に聖女王に足るステータスと攻略キャラとの親密度だったはずだけど、それは、現実に適用されるのでしょうか??
また不安要素が顔を出し、自然と奥の森に向かう足が早まる。
そこにラスボスのカケラでもないことが判れば、少しは安心できるかもしれない。
ラスボスの発生場所は、奥の森、女神の神殿に近い隠された祠だ。
代々の聖女の聖廟とは違い、誰にも見向きもされていなかった古い祠堂は、いつから、何のためにそこにあるのか誰も知らない。
もしかしたら裏設定があるのかもしれないが、生憎とその点は詳細が明かされていなかった。
ヒロインの出身神殿にそれがあるのも何かの布石なのだろうが、今となってはその意図を知る術はない。
隠されていたし、そもそも見つからないかもしれない。
そう思っていたが、予感とはあるもので。
まだ多くを知らない奥の森を、迷うことなく、胸に兆した不安感を辿るように歩くと、その祠は、静かにそこに佇んでいた。