思い思われて
3月も下旬に差し掛かったがまだまだ寒い日は続いていた。
真春は地元の駅にそわそわしながら立っていた。
6時15分。
辺りが少しずつ明るくなり始めている。
真春は雲ひとつないクリーム色と水色が混ざった透き通った空を見上げた。
最低気温が0度を下回ったこの日は異常なほど寒く、指先が痛いくらいにかじかんでいる。
モッズコートにニット帽、マフラーをぐるぐる巻きにして、顔のパーツは目がかろうじて見えているのみだ。
「真春さーん!」
声のする方を向くと、ベージュのダッフルコートに白いマフラーを巻いた香枝が白い息を吐きながら手を振っていた。
「おはよ。寒いねー!」
「まじやばーい。寒すぎです」
切符を買って駅のホームに向かいながら、他愛のない会話をする。
まだ出勤ラッシュとまではいかないが、スーツ姿の人がちらほら電車を待っている。
「真春さんと電車乗るの初めてですね」
香枝はニコニコ笑って次の駅から乗車してくる未央と約束している3両目の乗り場まで歩きながら言った。
「だね。未央、ちゃんと電車乗ってくるかなー?」
「乗ってこなかったら、そのまま置いていきましょー!」
電車が到着する音楽が鳴る。
真春と香枝は4両編成の電車に乗り込み、空いている席に腰掛けた。
久しぶりに早起きしたせいで眠い。
車内の温かさに、自然と瞼が重くなった。
電車が走り始めると、その揺れすら心地よくて真春は睡魔に負けてしまった。
それからどれくらい経っただろうか。
騒がしい声で真春は目を覚ました。
「あ、真春さん起きたー!気づいたら寝てるからびっくりしましたよ。お疲れですか?」
「おはようございまーす」
未央が香枝の隣からひょっこりと顔を出した。
「あ、ごめん。おはよ。未央、寝坊してなくてよかった」
「失礼な!あたし寝坊とかしたことないですよー。真春さんのが寝坊しそうですよね。こんなんだし」
早朝とは思えないほど完璧な顔面で未央は笑った。
「そうそう、どこから行きます?全然プラン決めてないっすよね」
「行き先と泊まる所だけ決めて何も決めてなかったね」
香枝は苦笑いして「ズボラだー」と言った。
「でもみんなこんな感じだから楽ですよね」
「あはは、確かに。のんびり行こう。あ、これ持ってきたからみんなで見よ」
真春は真ん中に座っている香枝に「はい」と旅行雑誌を手渡した。
未央の家で色々決めた後購入して少し目を通していたのだ。
「えー!真春さん準備いいっすね!」
「さすが真春さん!こういうところだよねー」
「ホント、ホントー。脱ズボラのはずが…。やっぱ根が違うんだろうね」
未央と香枝はズボラな自分達についてああでもないこうでもないと罵った。
「真春さんどこか気になる所ありました?」
「うーん。チラッとしか見てないけど、湖のクルージングとかいいなーって思った」
真春は香枝が開いた雑誌のページをめくった。
自然と距離が近くなり、胸がトクンと鳴る。
雑誌を見たりバイトの話や近況報告をしているうちにあっという間に1時間半が経ち、乗り換えの駅に着いた。
電車を降りた頃には、外はすっかり太陽が昇っていた。
日差しは暖かいが冷たい風が吹くこの冬の晴天が、真春は好きだった。
3人は駅構内を歩き、登山鉄道に乗り換えた。
「こういうのテンション上がる!」
急な坂道を登る電車の先頭に立ち、窓からの景色を眺めながら真春は言った。
「真春さん子供みたーい」
「香枝に言われたくないし」
「あたし子供じゃないもん」
香枝は下唇を出すと、さりげなく真春の隣に来てぴったりとくっついた。
ぎょっとした顔を2人に悟られないように、真春は横の窓を見た。
その瞬間、トンネルに入り、未央とバッチリ目が合ってしまった。
驚きのあまりまた変な顔をしてしてしまい、未央は何を悟ったのか、含み笑いをして右手で口元を覆った。
やってしまった…と思うと同時に頬の外側が熱くなるのが分かった。
ゆっくりと進む登山鉄道で20分のところにある目的の駅に着くまで、香枝は真春にぴったりとくっついたままで、さりげなく接触してくる香枝に真春は終始ドキドキしっぱなしだった。
駅を出ると、周囲には舗装されていない道路や古い建物が多く見られ、一昔前にタイムスリップしたような気分になった。
「写真撮ろ!」
香枝が携帯を取り出してインカメラにするが、上手く全員が入らない。
「未央もっとこっち!…あ、しゃがんで!もうちょい!」
「え?こんな感じ?いや、全然写ってないし」
真春も上手いこと入ろうとするが、全員変な風に切れてしまっている。
「てかあたしが撮ればいいんじゃない?」
未央は思いついた!というように香枝から携帯を受け取った。
「確かに!未央腕長いもんね」
未央が腕を伸ばすと、驚くほどベストポジションに全員が収まったが未央は「真春さんもっと左!」と言い、香枝の方に真春を寄せさせた。
悪意を感じたが、この際…と思い、真春は香枝に頬をくっつけてポーズをとった。
「あは!いいね、いいね!はい、チーズ!」
シャッター音がして3人で写真を確認する。
「香枝、後で送ってね」
未央が携帯を渡すと、香枝は「うん。あー、なんか暑い」と言って手で顔を扇ぐ仕草をした。
暑いのはこっちだって一緒だ。
その後も写真を撮り続けながら歩いた。
カメラマンの未央はここぞとばかりに「撮るよー!もっとくっついて!」とか「はい、ちょっと手繋いでみて!」とかためらうような要求をしてきて、真春は息が止まりそうだった。
さすがに手を繋ぐことを要求された時は香枝が「えっ?!恥ずかしい…」と漏らしたので、こちらも更に恥ずかしくなってしまった。
「はいはい、ちょっとでいいから。早く!」
未央は楽しそうに言うと、しゃがんで携帯のカメラを構えた。
真春は恥ずかしさに耐えながら香枝の右手を握って引っ張った。
すると、バランスを崩した香枝が真春にぶつかり、少し鼻と鼻が触れ合ってしまった。
「ちょ…ご、ごめん!大丈夫?!」
「だ、大丈夫です!」
香枝は左手で顔を覆いながら「びっくりした」と笑った。
「未央、撮れた?」
「バッチリですー!…って、いつまで手繋いでるんすか!」
「あっ!」
ニタニタする未央に言われるまで真春は香枝の手を握りっぱなしだったことに気付かなかった。
また頬が赤らむのが分かった。
「真春さん力強すぎ」
「えっ…あはは、ごめん」
未央を見ると、してやったり顔でこちらを見ていたので、真春は目で「やめろ」と訴えた。
暑さの半分は未央による演出のせいであったが、山の中で坂道が多く、歩いていると本格的に暑くなってきた。
坂を登り切る頃には3人ともコートを脱いで、腕まくりまでしていた。
「あ、あのお店何だろ?」
真春は50メートル程先にあるエメラルドグリーンの新しそうな建物を指差した。
近付いて行くと、そこはパン屋さんだった。
「あ、ここ有名なとこですよね?」
未央が目を輝かせる。
「そうなの?」
「この間テレビで見ました!カレーパンが有名らしいですよ」
「ちょっとお腹空いたし、行ってみよっか!」
樫の木で出来た扉を開けて中に入ると、優しいパンの香りがふわっと鼻をくすぐった。
色々な種類のパンが置いてあり、どれも美味しそうだが真春は有名だというカレーパンを買うことにした。
未央はカレーパンが有名だと言っておきながら、チョコクロワッサンを買い、香枝は2番目に有名だというベーコンポテトパイを選んでいた。
「みんな違うやつ買って食べ比べしましょ!」
「みんなでカレーパン買うのかと思ってた」
「せっかくだから、違うのがいいじゃないっすか」
お店の外のベンチに腰掛けてまずはひと口、各々が選んだパンを頬張る。
「おいしー!」
3人同時に同じことを言ったので、一斉に笑いが起こった。
揚げたてのカレーパンはまだ熱いので、真春は息を吹きかけながらゆっくりと食べた。
今度はパンを回しながらひと口ずつ食べると思いきや、未央が「真春さんどうぞ」と言って手に持ったクロワッサンを差し出してきて、未央に食べさせてもらう形になった。
クロワッサンを咀嚼する間、香枝も未央のクロワッサンを食べて「クロワッサンも美味しい!」と口元に手を当てて微笑んだ。
と、いうことは、そういうことだ。
今度は香枝が未央にサンドイッチを差し出し、次に真春にも「どうぞ」と言った。
「ありがと…」
2人でジェラートを食べに行った日のことを思い出した。
あの時よりも遥かに何億倍もドキドキしている。
香枝の顔を見れない。
かじったサンドイッチの味もしなかった。
真春は耐え切れなくて、カレーパンを香枝に渡した。
写真を撮った時は大丈夫だったのに、一緒にいればいるほどドキドキしてどうしていいのか分からない。
「真春さんが言ってたクルージングの方向かいますか!」
パンを食べ終えて少し休憩した後、未央が提案した。
「うん、そうしよ」
真春は立ち上がって雑誌を開いて肝心なことに気付いた。
地図が苦手で方向音痴なのだ。
開いてみたはいいものの、どの向きで立っているのかが分からない。
「未央」
「なんですか?」
「ごめん、あたし地図全然ダメなの」
「えー!そうなんすか?真春さんって、意外とポンコツですよね」
未央が笑いながら「あたしに任せなさい」と言った。
「ポンコツとかひどくなーい?」
「この間もバイトから帰る時ハンディ持って帰ろうとしてたじゃないですか。…はい、こっちです」
真春と香枝は未央に従い、坂道を歩き始めた。
真春は否定できず、「まぁ…」としか言えなかった。
「大丈夫ですよ、真春さん。人はそういうギャップに弱いんですから」
何が大丈夫なのか、未央はなんのフォローにもなってない言葉をかけてくれた。
香枝が「ギャップ萌えってやつだね」と未央に同調する。
「どんなイメージなのあたし。てか香枝も地図読めなさそうじゃん」
「確かにー。無理そう」
「ひどーい!バカにしてるでしょ!読めないけど」
「あはは、やっぱり」
真春が香枝をイジると、香枝は真春の腕を叩いて「もうっ」と頬を膨らませた。
3人で歩く山道はとても楽しくて、終始笑いっぱなしで、こんな楽しい時間がいつまでも続けばいいのに、と真春は心の奥底から思った。
香枝とも、ずっとこういう風に仲良くしていられたらいいのに。
普通でいいのに…。
でも、その"普通"がもう無理なのだ。
何もかも意識してしまう。
香枝が近くに寄ってくるだけで、楽しそうにはしゃいでいる姿を見るだけで、息ができなくなりそうなほど胸が苦しくなる。
未央を先頭にして歩いた30分、真春の頭の中は香枝のことでいっぱいだった。
「あ!」
未央の声で頭が正常に戻った。
遥か先に大きな船が停まっているのが見えてきた。
雑誌にも大きく取り上げられていたので、有名な観光スポットのようだ。
近くまで来ると、たくさんの人で賑わっていた。
「すごーい!やっと着いたねー」
船の方へ向かい、チケットを購入した後船に乗り込むと、中の座席はもう満員で3人で座れる席は空いていなかった。
「せっかくだし、外出ようよ」という香枝の提案で、外でクルージングを楽しむことにした。
ずっと歩きっぱなしだったのと快晴という天候のおかげで身体はポカポカしていたので、外の冷たい空気に晒されていると気持ちがいい。
船の先端付近に行き、手すりに掴まって水平線を眺める。
そしてまた、色々と考えてしまう。
どうしよう、これから。
どうすればいいのだろう。
「真春さーん」
未央の声にはっとなる。
「ぼーっとしてますよ。疲れました?」
「え!全然!いい景色だなーと思って見惚れてた」
真春はあはっと笑った。
「あれ?香枝は?」
「トイレ行きましたよ」
「そっか」
真春はまた遠くの景色を眺めた。
「あれから」
未央が口を開いた。
「香枝と何かありました?」
心臓がドゴンと鳴る。
「いや…なんもないよ」
自分の声が上ずりそうになったのが自分でもよく分かった。
真春の焦りをよそに、未央は意地悪そうな顔をしてさらに続けた。
「本当ですか?もう冷めちゃったんですか?」
キスしたなんて言えるわけがない。
未央の顔が見れない。
何もかも悟られてしまいそうだ。
「本当に何もないって。何かおかしかった?」
真春はバクバクする心臓のせいで声が震えないようにするのに必死だった。
あの夜はただ、気分が高揚していただけだ。
もう、あんなことはしちゃいけないし、きっともうすることもないだろう。
しかしそう思う一方で、こんなに香枝を意識して触れたいと思ってしまう自分がいる。
自分で自分がよく分からなくなる。
未央にはこれ以上相談しても、迷惑でしかないだろうな。
応援してくれると言っていたが、やっぱりこんな感情はいけないことだと真春の心は中途半端なところで揺らいでいた。
「香枝と全然話してないと思ったら普通に戻ってるし。むしろ前よりも仲良さげだし。だから何かあったのかなーと思って」
「気のせいじゃない?まぁ…好きは好きだけど、友達としてね」
「でも香枝、半分本気っぽいですよね」
「え」
真春は耳を疑った。
香枝が自分とキスをしたと未央に言ってしまったのだろうか。
「そんなわけないでしょ」
未央は「そうですか」と心なしか余裕のあるような笑顔で真春に笑いかけた。
真春は、下手くそな引きつった笑い声を返すので精一杯だった。
「ただいまー!」
香枝が戻ってきた。
複雑な気分になる。
出航を告げるベルが鳴り、ゆっくりゆっくり船が動き出した。
冷たい風と太陽の日差しが絶妙だ。
風を感じながら、船から見える景色を眺める。
「すごーい!山がくっきり見えるー!」
香枝が眩しそうな顔をしてこちらを向いた。
風に靡いた栗色の髪の毛が顔を覆っている。
てっぺんに昇りつめた太陽が、子供のようにキャッキャとはしゃぐ香枝の顔を照らす。
スピーカーから景色を説明する声が流れていたが、真春の耳にはこれっぽっちも入って来なかった。
未央に言われたことが、頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
どういうことなのだろう。
そんなことばかりを考えているうちにクルージングが終わり、船を降りると足元がやけにぐらついていることに気付いた。
途端に猛烈な吐き気に襲われ、真春はおぼつかない足取りで俯いた。
「えっ?真春さん大丈夫ですか?!」
真春の異変に気付いた香枝が肩に腕を回して身体を支えた。
「気持ち悪い…」
「大丈夫ですか?船酔い?」
「ごめん…」
「未央、水持ってる?」
「持ってない!買ってくる!」
未央はバタバタと走って自動販売機を探しに向かった。
「もー、船酔いするなんて。大丈夫ですかー?」
香枝は困ったように笑いながら真春の背中をさすった。
自分で湖のクルージングが楽しそうだと提案しておいて、情けない。
「ほんとごめんね。まさか船酔いするとは思わなかった…」
香枝にさすられてことで、真春の心臓はまたバクバクし、同時に吐き気も増強した。
「お水買ってきましたよー!真春さん、飲んで」
未央がペットボトルの蓋を開けて真春に水を差し出す。
「ありがと」
ペットボトルを受け取り、水を一口飲んで深呼吸すると、いくらか楽になった。
ぼーっとしたり船酔いしたり、自分は何をやっているんだ、と真春は心の中でため息をついた。
しばらくして真春の体調が落ち着いた頃、再び未央を先頭に歩き出した。
山道のハイキングコースのような所があったので、景色を楽しみながらそのコースを歩くことにした。
「真春さん、大丈夫ですか?」
「うん、もう全然大丈夫!超元気!」
真春はそう言って山道の所々に残っている雪を丸めて未央に投げた。
そこから雪合戦が始まり、歩きながら雪を投げ合い、気付いた頃には服が半分濡れてしまっていた。
時間も忘れて止まらない女子トークを繰り広げながらハイキングコースを歩いていると、辺りはやや薄暗くなってきており「お腹すいたー」という香枝の一言で、 朝、パン屋さんでパンを食べたっきり、何も口にしてないことに気付いた。
「暗くなってきたし、そろそろ旅館に向かおっか」
地図によると、大分ハイキングコースを歩いて来てしまったために、旅館に向かうバスのバス停から遠ざかってしまったようだった。
「とりあえず道路に出ますか」
未央の意見に従い、道路に出て20分ほど歩く。
なんだか急に疲れがどっと押し寄せてきた。
3人とも空腹と疲労で終始無言だった。
やっと着いたバス停の時刻表を見ると、1時間に1本というなかなかシビアな時刻表だったが、奇跡的に10分後のバスに乗ることができた。
バスに揺られること15分、目的のバス停に着き、降りて2分ほど歩いたところに今夜泊まる旅館を発見した。
チェックインを済ませて部屋に入ると、3人は同時に畳に倒れ込んだ。
「畳のいいにおい!てか疲れたー」
「お腹すいたよー」
真春の隣に寝そべった香枝がため息混じりに言った。
「夕飯までまだ時間あるんで、先にお風呂入りますか?」
未央が天井を見ながら言った。
「そうするかー」
真春はそう言いながらゴロンと寝返りをうった。
「やる気ないじゃないですか真春さん」
起き上がった未央は「じゃんけんで順番決めましょ」と真春の腕を引っ張った。
疲労困憊の気怠い身体を起こし、お風呂じゃんけんをする。
「一番風呂いただきー!」
じゃんけんに勝った真春は着替えを持って脱衣所に入った。
服を脱いで脱衣所の扉を開けると、ひんやりとした空気の中に漂う温泉の匂いと熱気に包み込まれた。
一通り洗った後、熱い温泉の中に体を沈めた。
今日の疲れが癒される。
宿泊先をこの旅館にしたのは、部屋に露天風呂があるからだった。
なかなかリーズナブルなお値段だったのにここまでとは、正直驚きだった。
顔は外気で冷たく、身体はお湯の温度が高くて熱いその差が気持ち良くて、ついウトウトしてしまう。
何分くらい浸かっていたのだろうか。
熱過ぎて頭がグラグラする。
真春はよろめきながら、脱衣所まで戻って浴衣に着替えた。
鏡で見た自分の顔は、今までにないくらい真っ赤で茹でダコのようだった。
「お待たせー。長くなっちゃってごめ…」
目の前が真っ暗になり、頭に鈍痛が走る。
「おーい!真春さーん!」
香枝の声が遠くで聞こえたような気がした。
頭が上手く回らない。
「大丈夫ですかー?」
今度はペチペチと頬を叩かれた。
ゆっくりと目を開けると目の前に香枝の顔があり、真春はびっくりして飛び起きた。
「あっ…ごめん」
「今日の真春さん、弱っちいですね」
香枝はケラケラ笑った。
「温泉に浸かりすぎて倒れるって何事ですか」
香枝は「まだ横になってた方がいいんじゃないですか?」と真春を優しく寝かせ、額に冷たいタオルを乗せた。
「頭ぶつけてたけど、大丈夫ですか?」
「言われてみれば、なんか痛いかも」
真春は額の上の方をさすりながら言った。
すると、何の前触れもなく香枝のひんやりとした両手が真春の頬を包んだ。
「顔真っ赤。寝ちゃったんですか?」
「うん、ちょっと…」
香枝の顔がすぐ近くにあり、冷静さを失いそうになる。
しばらく香枝は真春を見つめ、恥ずかしそうに、そしてどことなく寂しそうにはにかむと「すみません」と一言言って手を離した。
未央の「香枝、半分本気っぽいですよね」という言葉が頭の中でこだました。
「なんで謝るの?」
「なんでもないです。…すみません」
今度はちゃんとした笑顔を向ける香枝。
「そう…。あ、未央は?お風呂行った?」
「はい。もうそろそろ出てくると思いますよ」
そう言った矢先、脱衣所の扉が開いて未央がタオルで頭を拭きながら出てきた。
「あ!真春さん大丈夫でしたー?もうビックリしましたよ」
未央は顔面の筋肉をこれでもかというように崩した笑顔を見せた。
「ほんとごめん。湯船でウトウトしちゃって」
「最初は焦りましたけどね!でも、なんともなくてよかったよかった。あ、香枝。お風呂どうぞー」
「はーい!いってきまーす!楽しみー」
香枝は嬉しそうに脱衣所の扉を開けて入って行った。
しばらくしてから、ガチャッと外へ繋がる扉が閉まる音がした。
「さっきの続きですけど」
濡れた髪をタオルで拭きながら未央は言った。
「続き?」
真春の頭はぼーっとしていたが、平然を装った声を振り絞った。
「香枝のことですよ。しつこいかもしれないですけど」
「だからもういいって」
「じゃあ言わせてもらってもいいですか?」
「なに…」
「さっき、半分本気って言ったけど、あれ、嘘です」
「嘘?なに?どういうこと?」
真春は起き上がって、大声を出してしまったので両手で口を覆った。
嘘ということは、香枝の気持ちは自分には向いていないということなのだろうか。
だとしたら、あのスキンシップは何なのだろうか。
訳がわからない。
「香枝も真春さんのこと、ちゃんと好きってことですよ」
「え。え、なに…どういうこと?」
ますます混乱する。
何故未央がそんなこと言うのかよく分からなかった。
ただの勝手な予想なのか。
「香枝本人から聞いたんですよ」
真春がポカンと口を開けて言葉を失っているのを見て、未央はニヤニヤしながら続けた。
「実はずっと、相談されてました」
未央にそんなこと言っていたなんて思いもしなかった。
何も知らないんだと、ずっと思っていた。
もしかして香枝のことはもう友達としか思ってないなんて嘘も香枝は知っているのだろうか。
「…へ?いつの話?」
驚きの余り、声が掠れてしまった。
「んー。真春さんに言われるよりも前ですよ。11月の半ばくらいですかね」
11月半ばといったら、ちょうど優菜とのゴタゴタがあった時期だ。
未央曰く、香枝とラストが一緒になったとき、なんの前触れもなく突然言われたとのこと。
その後に真春が香枝のことが好きだと未央に相談したので、ひどく動揺したとか。
香枝が健気でひたむきに真春を思い続けている姿を見て応援したくなったと未央は楽しそうに話した。
「両想いじゃないですか!」
「いや、でも…付き合うとか、そんなんじゃないって思うの。ただ好きなだけというか…」
ずっとずっとそんなことばかり思っていた。
好きだからなんなの。
一体何がしたいの。
キスできればそれでいいの?
両想いだからって、何すればいいの?
何かしてもしなくても、結局自分は香枝をいつか傷付けてしまうのではないだろうか。
香枝を傷付けたくない。
悲しい顔も見たくない。
でも、そのためには何をしたらいいの?
全然分からない。
香枝は何を望んでるの?
「香枝と、あとでゆっくり話してみたらどうですか?」
未央は優しく言った。
「きっと香枝も同じ気持ちです。でもまだ何もできてないってとこなんですかね」
その言葉を聞いて、律とのことや、キスをした日のことは言っていないのだと悟った。
言えるわけないか。
「ま、それだけ考えるってことは、真春さんも香枝のこと思ってるってことですよね!まだ、ちゃんと好きでしょ?」
未央はニヤニヤした。
真春は好きと言うのが恥ずかしくて、コクリと頷いて未央の質問に答えた。
「やっと認めてくれましたねー。大丈夫ですよ、ファイト!」
両肩をポンポンと叩かれる。
やっと冷めてきた茹でダコのような顔が再び熱を帯びた気がした。
真春の熱が冷めた頃、仲居さんがやって来て食事の準備をし始めた。
今夜は懐石料理だ。
見たことないたくさんの種類の料理が小皿に少しずつ盛り付けられている。
食べ方を一通り聞いて仲居さんが去った後、3人は大はしゃぎで料理を見つめた。
「お酒、飲む?」
真春は立ち上がって、備え付けの小さな冷蔵庫の扉を開けて瓶ビールを取り出した。
「いいっすね!飲みましょ飲みましょー!」
席まで戻り、まず目の前にいた未央に瓶を差し出す。
「入れてあげる。グラスちょうだい」
「あ、かたじけない」
未央はそう言ってグラスを差し出した。
「真春殿もおひとつ」
「かたじけない」
真春と未央は笑いながらビールを注ぎ合った。
隣にいた香枝にも「ほら、グラス」と言って差し出すように促した。
「ありがとうございます」
3人は大いに飲み、大いに喋り、食事を楽しんだ。
瓶ビールは2本しか入っていなかったが、疲れた身体には十分な量で、真春の目の前はすこしぼやけていた。
食事が終わった後、仲居さんが布団を敷いてくれて、もう寝る準備は万端だったが、真春達は布団に寝転びながらずっと話していた。
一日中ずっと話していたのに話が尽きない。
今まで何を話したか全然覚えていないけど、まだまだ話し足りないのだ。
疲れているはずなのに、寝る時間も惜しいと思ってしまうほど楽しい。
窓側から未央、香枝、真春の順に布団に横たわり、どれくらい話したかも分からなくなった時、未央が大きな欠伸をした。
「あー…もうだめだー!眠ーい」
「そろそろ寝る?明日も早いし」
「寝ますか」
未央はそう言うと、布団に潜って「おやすみなさーい」とこちらに背を向けた。
「早っ。…電気消すね」
真春は立ち上がって入り口にある電気のスイッチを切った。
布団に入ると、数秒で眠れるほど疲れていることに気付いた。
未央はよほど疲れていたのか、もういびきをかいて寝ている。
夢の中に片足を突っ込んでいた時、左手の指先を握られて真春は夢の中から引き戻された。
香枝が手を握っていたのだ。
「えっ…あ…」
真春は何を言ったらいいのか分からなくて、固まってしまった。
その時、未央に、香枝と話したらどうかと言われたことを思い出した。
「真春さん」
「ん?」
「少し…散歩に行きませんか?」
布団で見えない香枝が、未央に聞こえないように小さな声で囁いた。
真春は「行こっか」と言い、ゆっくりと布団から出て立ち上がった。
浴衣の上から厚手のモカブラウンのニットカーディガンを羽織って、鍵を持って部屋を出る。
未央に気付かれないようにそっとドアを閉めると、香枝に手を握られた。
考えてみたら、今朝の未央の演出は抜きとして、香枝と手を繋いで歩くなんて初めてだ。
ドキドキする。
キスしたのに手を繋ぐのが初めてだなんて、それはそれでなんだかおかしい。
真春と香枝はロビーにあるソファーに腰掛けるまで、一言も言葉を交わさなかった。
なんなんだこのシチュエーションは、と思いながらも真春は香枝と2人でいられるこの状況を少し恥ずかしいけど嬉しく思っていた。
「真春さん」
やっと言葉を発した香枝は、小さな声で俯きながら真春の名前を呼んだ。
「なーに」
「なんでもないです」
「なにそれ」
真春はふふっと笑った。
何度聞いても、香枝の優しくてやわらかい声に名前を呼ばれると胸が締め付けられる。
手を繋いだまま、沈黙が訪れる。
今、この時が香枝としっかり話すチャンスだ。
答えは見つからなくても、せめて香枝の気持ちを聞き出さなくては…。
「未央に聞いたんだけどさ」
真春は言葉を選ぶように慎重に言った。
手を繋いでから、吐きそうなほどに心臓がのたうち回っている。
未央の名前を出すと、俯いていた香枝が顔を上げた。
「香枝が、あたしのこと未央に相談してるって」
泣きそうな顔をしているのは何故だろう。
香枝のそんな顔を見ていたら、抱きしめてキスしたくなってしまう。
「真春さんの事が好き。ただ、そう言いました。未央は、黙って聞いてくれてたんです」
香枝は俯いて話し始めた。
「あたし、真春さんのこと好きかもしれない。でも、女の子同士だし、こんなの変だよねって言ったんです」
自分と同じ気持ちだったんだ、と嬉しいようなそうでないような、真春はなんだか複雑な気持ちになった。
「そしたら未央は、好きならそれでいいじゃんって言ってくれたんです。でも、自分の気持ちがなんなのか分からなくて…憧れなのか、それとも本当の恋なのか。…何がしたいのかも分からなかったんです」
真春は黙って聞いていた。
「よく考えたら、やっぱりこんなのおかしいって思って、気にしないようにしようと思ったんです。でも、そうしようとすればするほど苦しくなって…。何でもなかった時はふざけて抱きついたりしてもなんとも思ってなかったけど、真春さんのこと好きかもしれないって思ってからは、嫌われたら嫌だと思ってできなくなって…バイトで真春さんに会うたびにどんどん好きになって、そのうち、好きって気持ち抑えるので精一杯になってました」
だんだん涙声になる香枝。
「一緒にジェラート食べに行った時、優菜とクリスマスに出掛けること真春さんの前で言われたけど、本当は言って欲しくなかった。真春さん、彼氏いるからそんなのダメだと思うけど、本当はクリスマスだって一緒に過ごしたかった」
香枝は「それに…」と深呼吸をした。
「律さんと真春さんがキスしてるとこ見ちゃった日、あんなにショック受けると思わなかった。冷静になろうって思って真春さんと普通に接しようと思ってたのにすごくショック受けてる自分がいて…。その時、やっぱりあたしは真春さんのことが大好きなんだって思ったんです」
そう言うと香枝は繋いでいる手に力を込めた。
小さな嗚咽が聞こえる。
「そっか…」
何て言えばいいんだろう。
ありがとう?…違うか。
「ずっとずっと好きでした。でもどうすればいいのか分からなくて…この間の事も、真春さんをただ困らせてるだけなんじゃないかってずっと思ってました」
「そんなことないよ」
ただ同性ってだけで、なぜこんなに悩まなきゃいけないんだろう。
好きなら好きでいいじゃん、とふにゃっと笑った未央の優しい顔が浮かんできた。
「ほんと…?」
香枝が真春を見上げた時、潤んだ瞳から涙が一筋零れ落ちた。
ずっと、香枝と同じ気持ちだったんだ。
それが分かっただけで、心に残る冷たい塊が少し溶けたような気がした。
「あたしもね、この前のことがあってから香枝を困らせてるんじゃないかって思ってた。それに、もしかしたら夢かもしれないしとか考えちゃってさ」
「夢って」
香枝は泣きながら笑った。
「だって信じられなかったんだもん。ありえないと思ってたから。あたしもずっと香枝と同じこと考えてたよ。でもね、思ったの…あたしは、香枝のことが好き。香枝もあたしのことを好きって思ってくれてる。それでいいんじゃないかなって」
「え?」
「付き合うとかそういう形的なものじゃなくて、なんていうか…お互いに好きなら、それでいいのかなって」
真春はそこまで言って、着地点が分からなくなってしまった。
その先が重要なのに、それが分からない。
香枝は黙ったままだった。
「ごめん、こんなことしか言えなくて…。なんていうか、その…」
真春はもう一度「ごめん」と呟いた。
「なんで…謝るんですか?」
香枝は真春の手を握って、小さく鼻をすすった。
「分かんない」
真春がへへっと笑うと、香枝も笑った。
「香枝の気持ちに応えられないとかじゃなくて…えっと…。あ、フラれたとか思わないでね?ちゃんと、その……す、好きだから」
真春は何が言いたいのかさっぱり分からなくなってしまった。
しどろもどろになった真春を見て、香枝は「真春さん」と言って潤んだ目で真春の顔を覗き込んだ。
「えっ?」
「今のもう1回言って」
「今のって…?」
「最後の言葉」
香枝はたまに積極的で強気になることがある。
この前のキスの時だってそうだ。
穏やかで、優しい香枝からは全く想像できない。
きっとこんな香枝を知っているのは自分だけかもしれない。
「…好き」
真春は香枝の顔が見れなくて、目を逸らして小さな声で呟いた。
「だめ、もっかい。こっち見て」
恥ずかしそうに笑う香枝につられて、真春の顔は綻んだ。
香枝の頬を両手で包み、しっかり目を見る。
綺麗な形の良い鼻は少し赤くなっている。
そしてまた、香枝の可愛らしい目から涙がポロポロと零れた。
「泣かないで」
「…無理っ」
そう言いながらくしゃっと笑った香枝の全てが愛おしくて、何もかもがどうでもよくなってしまった。
どうしてこんなに可愛いんだろう。
「香枝…」
真春はもう自分の気持ちを抑えることが出来なかった。
どうしようもないくらい香枝が好きで、好きで好きでたまらない。
「大好きだよ」
真春は優しく微笑んで、香枝の唇にキスをした。
この間とは違うキスの味がする。
香枝は真春の背中に手を回して優しく抱き締めた。
真春もそれに応える。
唇が離れると、香枝はそのまま真春にしがみついてわんわん泣いた。
なんの涙なのかは分からない。
胸がいっぱいで苦しくて、何も考えられない。
香枝も同じなのかな。
夢ではなかった。
翌朝、真春は布団の中で香枝の柔らかい唇の感触を思い出して、自分の唇に指を当てた。
一気に恥ずかしい気分になった。
あれから目が冴えてしまってほとんど眠れなかった。
起き上がってペットボトルの水を少しだけ喉に流し込むと、胃に冷たい感覚が走った。
窓の外を見ようとしたが、結露で何も見えなかった。
今日も寒そうだ。
香枝と未央が起きたのは8時を少し回った頃。
ぼやんとした頭で朝食バイキングを済ませて10時にチェックアウトする。
準備をする間、真春は夜のことを思い出して1人でずっとドキドキしていた。
最近ドキドキすることが多過ぎて、早死にするんじゃないかと思う。
旅館を出ると予想通り、外は寒かった。
少し風が吹いただけでも、寒いを通り越してもはや痛い。
凍てつく寒さとは、こういうことを言うのだろうか。
バスに乗って登山鉄道の始発駅まで向かうとものの30分で到着し、こんなに近かったのかと思うと同時に昨日歩いた距離を考えるとめまいがしそうだった。
どうりで身体が怠いし重いわけだ。
登山鉄道の始発駅の周辺はお土産屋さんで賑わっていて、食べ歩きや観光スポットとしても有名な場所で日本人だけではなく外国人もたくさん訪れる場所だ。
サングラスを掛け、首からカメラを下げて歩く外国人カップルを見ると、様になってるよなぁと思う。
「どうします?先にお土産見ますか?それとも食べ歩き?」
「お土産見がてら食べ歩きにする?」
「そうしますか!」
駅から一番遠い場所にある気になるお店を、駅の方向に向かって片っ端から攻めていくことにした。
3人はまたキャッキャと話しながら歩き出した。
香枝が「ね?」と満面の笑みで相槌を求めてくる度に真春の心はどんどん締め付けられていった。
この前、1ヶ月振りに話して流れでキスしてしまった時より、昨日の事の方がなんだか特別で、真春の心をざわつかせている。
それはきっと、お互いの気持ちを話したからなのだと思っている。
でも、自分はやっぱり最低だと真春は思った。
真春には、恭介がいる。
いくら相手が女の子だからって、感情のこもったキスなんて許されないんじゃないだろうか。
単にキスしただけじゃなくて、相手を好きという感情もある中でのそんな行為。
浮気うんぬんの前に人としてどうなのよ、って。
そんな声がどこからか聞こえてくる。
「真春さーん」
「あ!えっ?」
「どうしたんすか、ぼーっとして」
「大丈夫、大丈夫。あ、そこのお店入りたい」
真春は終始うわの空だった。
考え出したら切りがない。
帰ってから考えたい。
そう思うが、気付いたら考えてしまっている。
今まで知らないフリをしてきた問題が、昨日の出来事によって重くなり、真春にのしかかった。
だめだ、今考えちゃ。
最後まで楽しい旅行にしないと…。
旅行を楽しむことを半ば義務的にしている自分に嫌気がさして、真春は自己嫌悪に陥った。
心から楽しめたはずの旅行なのにこんなテンションで、自分は2人に嫌な思いをさせているかもしれない。
そう思えば思うほどイライラしてきた。
全ては自分がいけないんだ。
香枝を好きになってしまった自分が。
もしかしたら、思わせぶりな態度をとったからなのかもしれない。
飲み会でキスしたり、近付いたり、優しくしたり、みんなみんな自分がいけないのかもしれない。
「具合でも悪いんですか?さっきからずーっとそのフクロウの置物見てますけど…。買うんですか?」
未央に半笑いで問われる。
「え?全然。布団合わなくてあんま寝れなかったからぼーっとしちゃってんのかな。あはは。フクロウは、可愛いけど買わない」
真春は自分の眼中にあるものもちゃんと認識できていなかった。
今だけは、普通にしよう。
強く自分に言い聞かせる。
「お土産どうしよっかなー。家に何買って帰ろっかな」
香枝はお店に入る度にお土産を見て、「これの遊び方知ってますかー?」「わー!これ見たことある!」と終始楽しそうだった。
そんな姿を見ていたら、胸がきゅぅっとなって、なんとも言えない気持ちになった。
どうしてこんなにも彼女を意識してしまうのだろうか。
これからずっとこんな気持ちを抱きながら過ごしていかなきゃいけないのだろうか。
このまま、何もかも中途半端なままなのだろうか。
恭介のことも、香枝のことも好き。
恭介は恋人として。
じゃあ、香枝は…?
友達?
キスしたのに?
両想いで何度も好きと言ってキスまでしといて、友達止まり?
でも香枝は女の子。
もう頭がパンクしそうだ。
「あたしこれにする!」
香枝は名物のおせんべいの箱を手に取ってレジに向かった。
「あたしはこれにしよーっと」
真春は何も考えずに近くにあった焼き菓子を手に取った。
未央はいつの間にか買い終わっていたようだ。
「お土産も買ったことだし、どっかで座ってお茶でもしますか?」と真春と香枝がお土産を買い終えた後、未央が言った。
「そうだね。駅前に行けば喫茶店くらいあるよね」
500メートルもあるお土産の商店街を駅まで戻り、3人はチェーン店の喫茶店に入った。
メニューを眺めた後それぞれレジへ向かい、好きなものを頼んだ。
未央はミルクティー、香枝はカフェオレ、真春はホットコーヒーを持って空いている席に座った。
昨日今日の旅行の話で盛り上がり、コーヒーが冷めても3人の話は止まることはなかった。
長いようで短いような、短いようで長いような旅行が終わりを告げようとしている。
未央のお陰で香枝と急接近できたは良いものの、いつかは…と恐れていた厳しい現実が突きつけられた。
コーヒーカップの底がカピカピに乾燥した頃「そろそろ帰ろっか」と真春が言ったのをきっかけに、3人は駅へ向かった。
「もう帰るのかー」
「1泊2日って早いね。次はもっと長く旅行したいね!」
「そうしましょ、そうしましょ!学生のうちに遊んどきましょうよ!」
話しながら駅のホームに降りると、丁度よく電車が到着した。
電車に乗り込み真春を真ん中にして座席に座った途端、車内の温かい空気が心地良くて自然と瞼が重くなってきた。
ウトウトしてると左肩にコツンと香枝の頭が乗っかった。
隣では未央がバッグを枕にして、前に突っ伏して眠っている。
真春は香枝の温もりを感じながら、香枝に告白された夜から今日までのことを考えた。
お互いが思い合っていたということは分かったが、結局何も解決しないままだ。
ダメだと抑え込もうとすればするほど、香枝への気持ちは大きくなっていく。
このままでは恭介にも申し訳ない。
しかし真春の心は恭介より香枝に向いてしまっている。
今までに感じたことのない、刺激的で心揺さぶられる感情になるなんて…こんな自分が、そんな風になるなんて思わなかった。
しかも同性に対して。
いつかはこの問題に決着をつけなければならないが、今はまだ目を背けてしまう。
自分という人間はとことんずるい。
誰も傷付けたくないと思いながら、一番恐れているのは自分が傷付くことだ。
でも、傷付いてでも考えなくてはいけないのだ。
窓の外から低い太陽が景色に見え隠れして、真春の顔を照らした。
ゆっくりと瞼を閉じると、急速に夢の中へと誘われていった。