12.マフラー
火曜日の、時刻が午後六時を半ばほど回った頃。委員会を終えた俺と貫森は、いつものように一緒に家路を歩いていた。
「おぉう、今日は一番会議が長引いたね……」
「……そうだな」
貫森の言葉通り、今日の委員会は準備期間中の注意や各クラスの出し物をやる場所の確認、文化祭当日の見回りシフトの決定など、様々な話し合いが行われた。特に見回りのシフトを決めるのがどうにも難航し、結局先ほどの会議では半分も決まらなかった。そのせいで完全に陽が沈んでも委員会は続けられたのだった。
「うぅ、寒い……」
不意に吹いた北風を身に受け、貫森は自分の肩を抱く。
「……ああ」
今日はこの冬一番の冷え込みらしいからな……と言おうと思ったが、俺の口から出たのはそっけない言葉だけだった。本当はもっと色んな言葉を返したいんだけど……なんというか。
(意識しすぎだろ、俺……)
昨日の沢村への相談を思い出す。自分の気持ちを口にした事で、本当にもうどうしようもないくらいに、貫森の事を好きな女の子として見てしまっていた。俺は軽く頭を振り、沢村の言葉を思い出す。
(浮き足だって独りよがりになるな……か)
距離の縮め方や告白するタイミングとか、そんなのはどうでもいい。付き合うってのは相手あっての事だから、常に好きな人の事を思いやれるように心がける事。……俺と貫森の現在状況を話したところ、沢村はそんなアドバイスをくれた。それは言葉としては簡単だ。しかし昨日は委員会もなく貫森と二人きりになる事はなかったが、実際にこうして彼女と向き合うと、それはものすごく難しいものだった。
「……くん? 前園君?」
「え?」
と、気付くと貫森が俺の顔を心配そうに覗きこんでいた。
「大丈夫? なんかすごいボーッとしてたけど……」
「あ、ああごめん、なんでもない。ちょっと疲れてるのかも」
言いつつ、しまったと思う。昨日の事を考え込んでしまって、早速独りよがりになってしまっていた。俺は眉間を軽く揉み、しっかりと貫森の顔を見返す。
「そっか。最近は忙しいもんね」
「ああ、本当にな」
考えすぎるのは悪い癖だった。深く考えるのは止めよう。そう思って俺は言葉を返す。
「でも他のクラスに比べたら、私たちのクラスは余裕あるよね」
「まぁな。昨日沢村にも言ったけど、ウチの実行委員は優秀だからな」
「お、自分で言うとは大きく出たね」
「ああ。……とは言っても、実際はほとんど貫森が引っ張ってくれたようなもんだけどさ」
「え、そうかな? むしろ私は前園君がどんどん話を纏めていってくれた気がするけど」
「ん、そうか? でも俺は最初、あんまりやる気じゃなかったし」
二人してキョトンとした表情で見つめ合う。……そういう表情も可愛いな。
「んー、じゃあ二人とも優秀だったって事で」
そんな事を考えてしまい、俺の顔が熱を帯びようかというところで、貫森はニコリと笑う。
「……ああ、そうだな」
その笑顔に胸が詰まる程の威力を感じたが、なんとか俺は声を出す。貫森が再び前を向いて俺から視線を外すと、今まで胸に詰まっていた感情の奔流が全身に押し出される。つまり、心臓がバクバクと暴れだし、外の寒さなど微塵も感じないほど体が熱くなったのだった。
「…………」
「…………」
しばらく言葉もなく歩みを進める。その間に全身の熱は引いてくれたが、今度はさめた頭が厄介な疑問を覚えてしまう。俺はこんなにも貫森の一つの挙動にドキマギしている。しかし彼女の方はどう思っているのだろうか、という、考えてもどうしようもない疑問だった。
チラリと横目で貫森の横顔を伺う。彼女は前方の暗い空を見上げている。夜空にポツポツと浮かぶ光の数を数えているのだろうか。道を照らす街灯の下を通ると、鼻の頭が赤くなっているのが見てとれた。
「ん? どったの前園君」
「いや……今日は本当に寒いなって」
視線に気付き、首を傾げる貫森。それに対して俺は考えてもいなかった事を口にする。
「ねー、寒いよね。確か今日はこの冬一番の冷え込みなんだっけ?」
「ああ、朝のテレビでそんなこと言ってたな。でもあれってどうやって決めてんだろうな」
「さぁ? 多分統計とかだと思うけど、『本当に寒いから気を付けてね』的な意味合いもあるんじゃないかな?」
「確かに。それ聞けばマフラーとか巻いていこうって思うもんな」
「でも前園君、マフラー巻いてないよね」
「ああ……」貫森の不思議そうな表情を受けて、俺は頷く。「マフラー、苦しそうだからしたくないんだ」
「苦しそうだからって……マフラーしたことないの?」
「うん、ない」
「ええ~、それは食わず嫌いだよ。私の貸すからちょっと巻いてみ?」
「え……」
その言葉に心臓が跳ね上がる。それはちょっと精神衛生上よろしくないというか、そんなマフラーをしたら全身から汗が止まらなくなるというか……いや、それよりも。
「貫森、それ外したら寒いだろ?」
「ん、大丈夫大丈夫。私の中には熱いハートがあるから」
俺の言葉をよく分からない理由で流し、貫森は手際よくマフラー――お祭りの時にしていた物ではなく、学校指定の地味な色をしたものだ――を外す。
「はい」
「ああ、えっと……ありがとう」
結局、その厚意を断る事は出来ず、おずおずとマフラーを受け取る。
(……早く巻いて、貫森に返した方がいいな)
俺はそう思い、マフラーを自分の首へ巻く。正しい巻き方というのを知らなかった為、貫森の見様見真似だ。
「…………」
不慣れな手つきでマフラーを巻き終えると、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。恐らくそれは貫森の香りだろう。それだけでもう危ないくらいに心臓が早鐘を打つ。しかし、さらに悪い事に、マフラーからは彼女の温かさまで感じてしまう。落ち着かないのだが、それでもずっとこうしていたいような、言葉で説明できない変な感情が心に芽生えてくる。
「どう? 温いっしょ?」
「……ああ、温かいな。首もあんまり苦しくないし」
「だしょ~」
貫森はニカッと笑ってみせる。確かに首は苦しくならなかったが、胸は苦しくなる一方だった。
俺はもっとこうしていたいという後ろ髪を引く誘惑を振り払い、マフラーを外して貫森に返す。
「ありがとう。なんていうか、新しい世界が拓けたよ」
「どういたしまして。これで今日から前園君もマフラーだね」
マヨラーのようなイントネーションで勝手な言葉を作る。なんていうか、本当に奔放だ。そんな事を考えつつ、何故か始まった貫森のマフラー講義を慎ましく拝聴していると、いつもの交差点にまでたどり着いた。
「っと、ここでお別れだね」
「ああ、そうだな」
一度立ち止まり、そんな言葉を交わしてから、俺たちはお互いの家路へと一歩踏み出す。
「……それじゃ、また明日な」
「うん。……あ、前園君」
「ん?」
「寒いから、風邪に気を付けてね。さっきも疲れてるって言ってたし」
「…………」その心配に、またしても何とも言えない苦しさが胸に去来する。「ああ、ありがとう。貫森も気を付けてな」
「うん。それじゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
今度こそ別れの挨拶を交わし、貫森は自宅の方へ、俺は駅への道を歩き出す。そして十歩くらい歩いたところで、なんとなく俺は振り返ってみた。しかし交差点には誰の姿もない。
「……何を期待してんだか」
自嘲めいた呟きを残し、俺は再び歩き出す。一人になるとどうにも大きさを増す、嫌な感じにはならない苦しさを胸に抱いて。




