13.最後の帰り道
「よし、今日やる事は全部終わったな」
十二月十五日、木曜日の夕方。飾り物や看板の材料が転がる教室で、俺はクラスメート達の前に立って声を出す。
「それじゃあ明日の集合時間なんだけど……八時くらいでいいかな?」
同じくみんなの前に立つ貫森がそんな言葉を発する。というのも、文化祭前日となる明日は完全に自由登校日となっていて、一日中準備に時間を当てられる日なのだ。その為、ほとんどのクラスがするように、俺たちも時間を決めて集まって準備の追い込みをやるのだった。
「了解」「まぁ俺は七時に来るけどな」「随分早いね」「でも多少の遅刻は許されるよね」……そんな声がクラスメート達の間で上がる。どうやら異議はないようだ。
「じゃあ明日の八時くらいにここ集合って事で、今日は解散。俺と貫森は委員会に行ってくるわ」
「あ、そっか、もうそんな時間か」
にわかに騒がしくなる教室で、貫森が思い出したように言う。
「ああ。遅れると教頭がグチグチうるさいからな、早く行こう」
「そだね」
俺は貫森と頷き合う。そして教室を出ようとしたところで、沢村に声をかけられた。
「お前も遅くまで大変だな、拓郎」
「ま、大変っちゃ大変だけど、楽しいからな。それに役得もあるし」
「役得? ……ああ」
俺の言わんとする事が伝わったのか、沢村はニヤリと笑ってサムズアップした拳を突きだしてくる。俺もそれに同じ事を返した。
「前園君? どうかしたの?」
「ああ、悪い。今行くよ」
先に教室を出ていた貫森が、ドアから顔を覗かせる。俺は沢村に手を振ってから教室を出て、貫森の隣に並んだ。
「ちょっと沢村と話しててな」
「文化祭の事?」
「いや、男同士の内緒話」
「おお、青春の友情ですな。若いっていいのう」
なんて年寄りじみた事を呟く貫森には絶対言えない、委員会の役得。貫森と……つまり好きな人と二人きりで帰れるという、俺だけが得する役得だ。
そんな役得のある委員会だが、それも今日で最後となる。もう明後日には文化祭本番なのだ。いつも委員会を行う教室にたどり着き、いつも俺が座る席に腰を降ろすと、変な寂しさを感じた。
今日で最後の委員会。そう思うと、いつもウザったく感じる教頭の仰々しい言葉にもありがたみが感じられるから不思議だ。貫森はどう思ってるのかな、と、隣に座る彼女の様子を伺ってみる。すると貫森にも何か感じ入るものがあるのか、少し寂しそうな横顔が見てとれた。
(貫森は二年の時も委員をやってたって聞いたしな……)
それだけ感慨も深いのだろう。俺も俺で、文化祭が終わってしまったら貫森とはただのクラスメートに戻ってしまいそうで、その事が少し寂しく思えた。
そんな事を考えている間にも委員会は滞りなく進んでいく。俺たちに関係のある話は、当日ガスを使うクラスへのガスの引き渡し場所、その取り扱いの注意事項、それから揉めた文化祭の見回りシフトの最終確認だけだった。それ以外の話を聞き流しているうちに、最後の委員会は終わりを告げた。時刻は午後五時を少しすぎた頃。今日は普通に帰れるな、なんて思うあたり、俺もすっかり実行委員に慣れきってる感じがした。……まぁ、実行委員も日曜日までなのだが。
「今日はいつも通りな時間に終わったね」
俺がまた変なノスタルジーに浸っていると、荷物を纏めた貫森が、俺が考えていたような事を話す。
「ああ、なんか普通だったな」
「うん、普通だったね。ここで教頭先生が感謝の言葉でもくれたら熱かったけど」
「感謝って……」教頭が「君たちはよく頑張った。私の誇りだ、ありがとう」なんて言う姿を想像する。「……ないなぁ。全然イメージにそぐわない」
「うん、自分で言っておいてアレだけど、私も全然イメージできないや」
なんてどうでもいい話をしながら、いつも通りに学校を出る。外の景色はやっぱり暗くて、街灯もポツポツと灯り始めている。空の八割以上はもう黒く、申し訳程度の星の光が瞬いていた。……そんな帰り道を、今日も貫森と歩く。
「うーん、今日も寒いね」
「……ああ、そうだな。そういや、今日もまたこの冬一番の冷え込みらしいな」
「あー、テレビで言ってたね。……マフラー、いる?」
「いや、流石にもう大丈夫」
そして今日もまたそんな会話を交わす。こうやって色んな事を話したな、なんていうちょっとした感傷に浸ってしまう。
「いやぁ、それにしてもさ」
「ん?」
「早いよね、時間が流れるのって」
「ああ確かに。元々、文化祭までの期間が短いっていうのもあったけどな」
実行委員に無理矢理選出されたのが、つい最近のように思える。それだけ毎日が充実していたという事だろうか。
「うーん、それでもやっぱりあっという間だったなぁ……」
貫森は空を見上げて目を細める。俺もそれに倣って空を見上げてみる。黒い空にはやっぱり星が少なく、辛うじてオリオン座が確認できるくらいだった。
「ああ、そう言えばだけどさ、貫森の言う通りだった」
「え、何が?」
なんとなく空へ視線を向けたまま、俺は言葉を続ける。
「ちょっとくらい忙しい方が本当に楽しかった。それに、山ほどあった問題も、一つずつこなしていったらいつの間にか無くなってたし」
その言葉をかけられてから、まだ一月も経っていない。だけどこの文化祭の準備に費やした時間はそれ以上の密度を持っているように思えた。
「……前園君、意外とマメな事を憶えてるね」
言われた貫森は何の事か分からなかったようだが、すぐに合点がいったようだ。
「私がそれ言ったのって、確か最初の委員会の帰り道だったよね」
「ああ、そうだな。ちょうどこのくらいの時間で、やる事や決める事が大量にあった」
「あー、なんだか変な風に懐かしいね」
……それからしばらく、二人でこれまであった事を思い出しながら歩く。お祭りに行くと決めた事、もはやブラックな秘密を持った事、オレンジジュースは子供っぽいという事とそれに対する反論、クレープ屋をやるとみんなに話した時の事、それから文化祭の準備に奔走した事。強く印象に残ってる事や、あまり憶えていない些細な事。貫森とそれを共有していて、こうやって話せる事をものすごく嬉しく感じた。
「ん、もうここか……」
尽きない会話のキャッチボールをしていると、本当にあっという間にいつもの交差点に着いてしまった。
「あー、なんだか今日は一段と早く感じたねぇ……」
貫森の呟きを耳にしつつ、そういえば全ての始まりはこの交差点だった事を思い出す。懐かしいけど恥ずかしいからもうしたくない体験だったな、と思いつつ貫森へ視線を向けると、なんだかひどく寂しそうな表情が目に映った。
「貫森?」
「……え?」
「大丈夫か? なんか暗い感じだったけど……」
俺の心配そうな表情を見て、彼女は照れたような笑顔を浮かべる。
「あーうん、大丈夫だよ。ただ、ちょっと寂しいなって思って」
「寂しい?」
別れ道の真ん中に立ったまま、俺はオウム返しに疑問を返す。
「うん。もう委員会もないでしょ? だから、今日で最後なのかなぁーって」
貫森は笑顔を浮かべる。やっぱりそれはどこか寂しそうだった。
「私、こうやって歩くの、結構好きだったからさ」
彼女は空に白い息を吐き出す。それはすぐに夜の空気に溶けていって見えなくなった。
「……ああ、俺も嫌いじゃないな」
それを眺めながら、しみじみと、この一瞬を噛みしめるように俺は言葉を発する。
「本当、最初は帰りが遅くなるのが嫌だったけどさ」
とは言っても、心の底から嫌だった訳じゃない。むしろ嬉しかったのを、そうやって誤魔化していたのかもしれない。俺は変に意地っ張りだし。だから、貫森とこうしていれる嬉しさを、好きな人と一緒にいれる嬉しさを、照れくさいから誤魔化していたのかもしれない。
「俺、貫森の事、好きだし」
感極まった、とでも言うのだろうか。コップに注ぎ続けた水が溢れるように、あまりにも自然に、当然のように、サラリと俺の本心が零れて夜の空気を震わせる。
「……えっ……」
「……あっ」
貫森の驚いたような声。そして俺は我に返り、とんでもない事を口走ってるのに気が付いた。感情というか感傷に流された結果というかなんというか本当にアレだけど、とにかく、顔がどんどん熱を持っていくのが自覚できて、貫森は貫森でびっくりした表情のまま固まってるしで、本当にもう、本当にいっぱいいっぱいにテンパって、
「ま、また明日!」
俺はそんな捨て台詞を残して駅までの道をダッシュした。……ヘタレだって? ああそうだよ、自分でも今知ったさそんな事! なんて、誰に対してだか分からない悪態を心の中でつきつつ、俺の体はこの冬一番の冷え込みなど微塵も感じないほど熱を帯びるのだった。




