3-4
カシーヤ南西部ではホワイトベル・ファミリーの構成員たちが武装した状態で、逃走したクローディアを捜索していた。駅を含めた施設の数々が彼らによって完全に封鎖されており、この調子では明日の列車運行に支障を来たしそうな有り様だ。
「クローディア=ホワイトベルは必ずこの都市にいる! 草の根を分けてでも探し出せ!!」
そう声を荒げるのは、驚くことにカシーヤ憲兵隊の人間だった。いや、彼らだけではない。クローディアを追い立てんと猛る者たちの中には、武器を手に自発的に捜索に加わった一般市民たちの姿もあった。
ホワイトベル内部の内紛と説明するには不可解な現象。
物々しい狂騒に包まれた都市の遥か下、そこには迷路の如き複雑な下水道網が広がっていた。生活排水の臭気に包まれ、溝鼠が徘徊する不衛生極まりないその場所に、渦中のクローディアはいた。
──弾ける雷鼠により光と音が部屋を覆い尽くした瞬間、術の発生源となった光の球体をそのままに、身を低くして走り出した。
逃走ルートは三つあった。
一つは、部屋のドアから廊下側に抜けるルート。もう一つは壁もしくは床を破壊して逃走するルート。最後は窓から建物の外へ逃げるルートだ。
この空間内で無傷で動けると予測される、アルバートとエルヴィスの二人は彼女よりもドア側に位置していた。
クローディアは三つの内、窓からそのまま外へ向かうルートを選択する。
視界を覆う光と、耳をつんざく音波、全身を打ちつける衝撃と熱は、彼女にも平等に襲い掛かるが、クローディアは構わず、全身を心意で強化しながら、窓を叩き割り、庇の上に飛び乗った。
光を伴った音波の一部が窓の外へ放出され、魔術の効果範囲から離れるにつれてゆっくりと消滅する。
その姿を見た、外部で待機していたと思われるホワイトベル・ファミリーの構成員が駆け寄ってくる。
彼女は庇から飛び降りて、裏庭の芝生に着地する。
「なっ!」
彼らが声を発するよりも速く、クローディアは駆け寄ってきた構成員たちの首筋に鞘を叩きつけて昏倒させた。一部は意識を失わせるまではいかなかったが、脳震盪によって前後不覚に陥り、瞬く間にその場にいた構成員たちが戦闘不能になる。
そこでクローディアは、自らが身に纏っている、ゆったりとした白い寝間着の、焼け焦げた裾を見た。弾ける雷鼠は見た目は派手だが、その殺傷能力は高くない。発する熱は、このように少し服を焦がす小火を起こすのが精々であり、途中の激しい動きで、その小火もすぐに鎮火していた。
彼女は焦げた裾を引き裂いて床に落とし、わざと足跡を残すように身を低くして邸宅の外へ向かって走り出す。邸宅の敷地は正面の門のみならず、反対側も道路に面している。
だが、クローディアはそのまま外に出ることなく、今度は足跡を残さないように邸宅側へ引き返した。
そして、一階の窓ガラスを叩き壊して内部へと侵入する。そこはアリスターの書斎だった。彼女は書棚の仕掛けを作動し、地下への扉を開く。
アリスターの蒐集部屋、そこには一つの仕掛けがあった。部屋の裏庭側の壁面にクローディアが手を触れた。特定の周波数を持った心意を流し込む。その心意に呼応して、壁が鈍い青光を発しながら、左右に動き、通路が露わになった。
緊急用の逃走ルート、この通路は地下水道へと繋がっている。
言うまでもないことだが、これは完全な違法建造物だ。
無許可での建造物の改築は建築基準法四条に違反し、公共物である地下水道に極秘の通路を設置するのは道路区画管理法二十二条、下水道法十九条に抵触する。無断で公共物に穴を空けているという観点で言えば器物損壊罪にも該当するだろうし、場合によっては威力業務妨害罪などのその他刑罰の対象ともなり得るだろう。
だが、それ故にこの場所は徹底的に秘匿されている。知っているのは、クローディアとアリスター、その他にはごく少数の、建造に関わった連合の工作員のみであり、クローディアの側近であるエルヴィスですらこの通路の存在は知らなかった。
床を鳴らす靴音が狭い空間内を反響する。
目を顰めるほどの汚水の臭いが鼻をつくが、クローディアはそんな様子をおくびにも出さず、小走りで移動する。そして、彼女はある場所で足を止めた。
そこはパッと見、ここまでの道中と変わらぬ何の変哲もない地下水道だったが、よく見れば天井に印が刻まれている。ともすれば落書きとも思えるほどの小さい、白い鐘を象った紋章だった。
クローディアはその真下の壁面に手を翳し、蒐集部屋と同様の方法で通路を開く。邸宅と同様の仕掛けを持った隠れ家の一つへ繋がる隠し通路だ。
「光球」
真っ暗な通路を魔術による明かりで照らし、進む。
邸宅を脱出し、隠れ家へ辿り着いたのはいいが、目下、最大の問題は、彼女が現在の状況を全く掴めていないことだった。
ファミリーの構成員たちが精神操作を受けている蓋然性が高いにしても、その術者の正体も、誰がその支配下にあるのかすら判然としないのだ。誰が敵で、誰が味方かわからない状態では、行動指針の立てようがない。
強引に脱出したのは早まった判断だったかと一瞬考えるが、クローディアはすぐに思い直した。あのまま捕まれば、生殺与奪の権を完全に握られてしまう。そうなっては逆転の芽はない。最善かはさておき、次善とは言える判断だった。
隠れ家の地下へ辿り着き、クローディアは深く息を吐いた。
ひとまずここまで来れば安全だろう。
この場所は登記上も一般の家屋として偽装されており、表向きはホワイトベル・ファミリーとの繋がりがない建物だ。
ここを拠点に情報を集め、状況を整理する必要がある。
クローディアは今後の行動について考えを巡らせながら一階へ上がり、魔導具のスイッチを押して、室内の明かりをつけた。
「……な」
そして、そこで彼女は予想外の人物を見つけ、目を瞠った。
「よっ、お嬢」
そこにいたのは、灰色の髪に、狼の耳と尻尾を備えた男だった。
カイ・グローマン。ホワイトベル・ファミリーに属する諜報部隊、灰犬部隊の隊長を務める男だ。
「なぜ貴方がここに……」
クローディアは油断なく、カイを見据えたまま、周囲を見渡す。
地下室から出てすぐの廊下、その床と壁面に筒状の器具が敷き詰められていた。
彼はクローディアの警戒を当然のものと受け止めていながら、まるで友人に接するような気安さで片手を挙げ、唇を釣り上げた。
「じゃあ死んでくれ」
カイが流し込んだ心意によって、設置された魔導具が全て起動する。生成されたガスと熱が、内部で膨張して、密閉された魔導具内部を急速に満たす。ほんの一瞬で発生した、容器の限界を超えた膨張の圧力が瞬時に解放され、爆発する。
轟音と爆炎が炸裂するよりわずかに早く、クローディアは咄嗟の判断で、頭部と首元を守りながら再び地下へ転がるように退避する。
「くっ」
爆弾内部に仕込まれた金属片が爆風によって飛散し、心意で強化した肉体を貫いた。階段を転がりながら、大量の煙に覆われた階段上を見上げる。
煙の中から飛んできた複数のナイフを後方へ跳んで躱し、追撃してくるカイと彼の配下である灰犬部隊を前に、クローディアは再び地下水道への退却を余儀なくされる。
下水道内部で剣戟の音が響く。
狼を思わせるしなやかな疾走、カイが壁を蹴って宙を舞い、繰り出した蹴りと同時に、クローディアの回避方向にナイフを投擲した。それをクローディアは剣で打ち払い、先に灰犬部隊を片付けようと試みるが、立ち塞がるようにカイが行く手を阻む。
「は、狙いが丸わかりだ。好きにさせると思うかよ」
彼らの敵意は明瞭だが、精神操作の可能性がある以上、軽々に切り捨てるにはいかない。だが、加減して打ち払えるほど、カイ率いる灰犬部隊の相手は容易ではなかった。
カイが矢面に立ってクローディアを抑え、隙を狙うように灰犬部隊が常に睨みを効かせ、彼らは統率された猟犬の如く、クローディアを追い立てる。
何よりもクローディアの胸中に重く圧し掛かっているのは、隠れ家に先回りされていたことだった。隠れ家を知っている人間が敵に回っているという事実もそうだが、逃走先となる拠点が潰されていることが痛い。次手を組み立てる前に、態勢を整えることすらできない。
クローディアは逃走を続けながら、思考する。
敵の狙いは推測がつく。クローディアの逃走先を潰しながら、逃げ回る彼女を波状攻撃にて削る。いっそ初めから全戦力で包囲した方が効率的にも思えるが、クローディアにとってはそちらの方がよっぽど与しやすいやり口だった。包囲を抜けることさえできれば、活路が開ける。だが、現状は一つの包囲を潜り抜けても、その先では別の包囲が待っているような状態だ。先の見えない消耗戦がもたらす精神的圧迫は計り知れないものがあった。
現状は完全に、未だその正体が定かではない、敵の術中に嵌まっている。
逃げ切るには、どうにか敵の裏をかく必要があった。
クローディアが振り返り、構築した魔術式を起動する。
殺気を感じたカイが足を止め叫ぶ。
「避けろッ!」
「星光!」
クローディアの剣先に収束された光が上空に向かって放たれる。
天井の瓦礫が灰犬部隊を呑み込むように崩落し、そこから夜の闇が覗いた。
クローディアは瓦礫を足場にして、一直線に道路に飛び出す。
そこで彼女を待ち構えていたのは、銃を手に持った市民たちだった。
彼らは崩れた道路を見て泡を食っているが、幸い、星光に巻き込まれた者はいないらしく、遠巻きに崩落を眺めている。
「一体、何が……」
クローディアはその光景に困惑する。
なぜ彼らは当然のように武装しているのかもそうだが、夜更けの時間帯にしては人の往来が多すぎる。
嫌な予感に、クローディアは自らの額に汗が滲むのを感じた。
市民たちが崩れる床から現れたクローディアの姿を認めた。
「クローディア=ホワイトベルだ!」
誰かがそう叫び、一斉に銃を構える。
その目は爛々とギラつき、殺意にも満たない稚拙な害意が宿っている。
「覚悟しろ! 絶対に捕まえてやる」
「ああ? 馬鹿を言うな! 捕まえるのは俺だ!」
彼らは競争するように、覚束ない指先で銃の引き金を引く。
「あのお方のために!」
熱に浮かされた言葉と共に、発砲音が鳴り響く。
クローディアは銃弾を躱しながら、逃走する。
彼女を狙うのは市民だけではなかった。巡回するホワイトベル・ファミリーの構成員は言うに及ばず、憲兵隊の姿すらその中にあった。誰も彼もが飢えた獣のような目でクローディアを狙っている。
異常事態、そう思っていた。しかし、その深刻さをあまりにも過小評価していた。
今、彼女に襲い掛かる群衆の様子は、十中八九、精神操作の類によるものだろうが、あまりにも掛けられた対象が多すぎる。
精神に作用する魔術は非常に高度なものであり、同時に一両日で成果が出るようなものではない。その機序は様々だが、効果は幻覚作用、一時的な記憶の健忘、感情の指向性の誘導程度のものであり、人を思うままに操れるといった性質のものでは決してない。時間も掛かれば、効果も限定的、その程度のものに過ぎない。
翻って現状はどうか。逃げた先にも、人、人、人。誰も彼もがクローディアの姿を見つければ狂奔する。効果の質は言うに及ばず、これほど広い対象が操作されているのは常軌を逸していた。
群衆全てが敵に回っている。少なくともクローディアの視界の範囲ではそうなっている。これは一体如何なる道理か。
とはいえ、特に訓練を受けていない市民たちの武器の扱いは、所詮、素人のそれだ。狙いを定め、弾丸を射出するまでの速度はお世辞にも速いとは言えない。手に持っている銃は、汎用型魔導銃のため、弾数の制約もある。回避することは容易い。
だが、彼らは素人故に、同士討ちとなってしまう場面でも、平気で引き金を引いてしまう場面が度々あった。そこらの暴漢ならいざ知らず、彼らは何らかの精神操作を受けたと思しき被害者であり、無辜の市民だ。妄りに傷つけるわけにはいかない。それ故、誤射が発生しないような立ち回りをした結果、クローディアが動ける範囲はどうしても狭まっていった。そして、ここに灰犬部隊が追いつけば、彼女がさらなる窮地に陥ることは間違いなかった。
クローディアは建物の壁を蹴って、その屋根へ飛び上がる。
「クソ、上へ逃げやがった!」
「降りてこい! ホワイトベル!」
彼女は投げかけられる罵倒を聞き流し、高所から都市を一望する。
すでに時刻は真夜中を過ぎている。にも関わらず、そこかしこに人の姿があった。彼らは一様に武装して、明かりを手に、何かを探すように周囲を警戒している。それはまるで、都市全てが一つの群体と化してしまったかのような薄気味悪い景色だった。
「……これは一体」
クローディアの口から漏れるのは、困惑と混乱、それら感情が綯い交ぜになった呻くような呟きだけだった。
「気に入っていただけたかな? “剣姫”クローディア=ホワイトベル」
そんな彼女に、背後から声が掛かった。
クローディアが振り返ると、そこには漆黒の鎧姿の男が立っていた。鎧の蟲の甲殻を思わせる形状と、合成音じみた不気味なノイズの混じった声色は、外装骨格のそれに酷似している。
その両手にはそれぞれ、三日月の形に緩やかに湾曲した片刃剣が握られており、彼は濃密な闇に溶け込むような、鋭い覇気を放っていた。
さらにその背後にはローブ姿の影が控えている。その数は軽く見ただけで十を超えている。彼らが纏ったローブには、風魔竜クラルクロクラムへの信仰を示す逆巻く風の紋章が描かれていた。
「……この騒ぎは貴方たち虚空の柩の仕業というわけですか」
漆黒の鎧甲冑が首肯する。
「ご覧の通り、この都市はすでに我らの手中にある。君たちの勝機は万に一つもない。……だが、私は君を高く評価しているのだよ、クローディア=ホワイトベル。君こそが唯一この状況を打開し得るジョーカーだとね」
しなやかな黒い肉食獣が一歩、クローディアに向かって歩を進める。
「故に、君にはこの名乗りを送ろう」
クローディアが鞘からロングソードを抜いた。ミスリルが月明かりを浴びて、銀に輝く。
「我ら自ら風であり、天にも属せず地にも属せず──執行者№Ⅲ漆黒双刃」




