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ホワイトベル・ファミリーの邸宅にある来客用の一室で、寝間着姿のクローディアは窓から夜空を眺めている。彼女の私室は、簒奪者との一件で穴だらけになっており、一時的にこの部屋に移っていた。私室と比べるといくらか手狭な部屋だが、クローディアは特に気にしていない。
「はぁ」
夕方のアルバートとのやり取りを思い出して、クローディアは溜息を一つ吐いた。
アルバートが有する軍権と、商会での権限には隔たりがあることは彼女が指摘した通りだが、それは実質的に命令系統が二つに分かれてしまう危険性を内包していた。
それはホワイトベル・ファミリーが、表立っては白い商会として振る舞い、その裏の活動は真っ黒な、グレーゾーンの中にあることが大きい。
それ故に、一般的な軍事作戦と異なり、その境界は常に曖昧になり得る。
表面上の平和が保たれている内はいい。だが、鉄道運賃改定に向けた政治的動向によって、水面下の緊張感が高まりつつある現状が続けば、難しい舵取りが迫られる瞬間は必ず訪れるだろう。何より、この先、教団と対峙するにあたっての致命的な隙になりかねない。
どうにかする必要はあったが、二人のやり取りからも明らかなように、クローディアとアルバートは水と油だ。単なる表面的な対立ではなく、根本的な部分で相容れない節があった。
とはいえ、これ以上悩んで問題が解決するものではない。
クローディアは気を取り直して、就寝しようとしたときだった。
部屋の外からかすかな足音をクローディアの耳が捉えた。
一人ではなく、複数。慌ただしくはあるが、可能な限り音を殺した動き。それが部屋の前で止まる。
クローディアは立てかけられていた、鞘に納まったロングソードを手に取った。
ガタンと扉が乱暴に開けられる。雪崩れるように部屋へ押し入った者たちを見て、クローディアは驚き、すぐにその表情を不審へと変えた。
入ってきたのは一様に白いスーツを身に付けた者たちだった。
彼らの顔はクローディアもよく知っている。
ホワイトベル・ファミリーの構成員たちが、厳しい表情でクローディアを睨みつけている。
緊急事態の報告にしては剣呑とした雰囲気。クローディアが口を開く前に、先頭にいた男が紙を前に掲げた。
「クローディア=ホワイトベル、貴方には背任の容疑が掛かっています。ご同行願います」
「……背任?」
心当たりはある。今の彼女と黒鉄斬雄との関係は、彼らにとってみれば背任以外の何物でもないだろう。だが、そんな様子はおくびも見せず、クローディアは首を傾げた。
「具体的には、どういった容疑ですか?」
「連合の機密情報の持ち出しと、ファミリー内部への内通者の手引きです」
反対に、こちらに心当たりはなかった。斬雄に渡した情報の中に機密と呼べるレベルのものはない。
「……辞令を出したのは?」
「私ですよ」
構成員たちの背後から一人の男が歩み出てくる。
「アルバート卿、正気ですか?」
アルバートの姿を認め、クローディアは眉を顰めた。
「ええ、残念ですよ。まさか貴方が旭花帝国と内通しているとは……」
「何か誤解があるようですね。それとも、証拠でも?」
「それはお答えできません」
「……では漏洩したという機密の内容は?」
「それもお答えできません」
アルバートの態度は押し問答で、そのまま両者は睨み合う。
「この件は大叔父様もご存じなのですか?」
「……ええ、勿論」
クローディアはアルバートの言葉に訝しんだ。あまりにも乱雑かつ性急な事の進め方だ。これでは周囲からも何かあったと勘繰られてしまう。このようなやり方をアリスターが認めるとも思えない。
そもそもアルバートは何を以てクローディアを疑うに至ったのか。彼が指揮系統の上位にあると言っても、何をしてもいいわけではない。嫌疑不十分での恣意的な拘束は、当然、行って良い限度を超えている。ここまで強引な動きは、何かしらの強い根拠に根差したものだろう。だが、それをアルバートはどこで得たのか。
何より気になるのは他の構成員たちの迷いのなさだ。何も彼らがその心の全てを自身に預けてくれているなどとクローディアは自惚れているわけではない。しかし、この地に着任したばかりのアルバートに、彼らがここまですんなりと従うのは少し違和感があった。特に本国で彼と政治的関係性の深い間柄が集められているという風でもない。
様々な可能性がクローディアの脳裏を駆け巡る。
この盤面に至った以上、それが捏造であれ誤解であれ、アルバートはクローディアを正当な理由を以て拘束し続ける自信があるということだろう。あるいは短期間クローディアの動きを留め置ければいいということか。
どちらにせよ、状況が掴めないまま、拘束されれば、次の手の打ちようがない。それを看過するのは悪手に思えた。
「先に大叔父様とお話しても?」
「申し訳ありませんが、このまま地下牢へ連行します。その後であれば、面会の機会は設けましょう」
「……そうですか」
クローディアがふっと力を抜く。
相手は連合最強の“円卓の騎士”だ。それを見た構成員たちは、さすがのクローディアとて観念したのだろうと安堵し、剣を納めた。
「では強引に押し通ることにしましょう」
「は?」
クローディアが虚を突くように床を蹴った。
心意による身体強化、流れるような動きで、アルバートの前に立っていたファミリーの男の一人を、剣の鞘で殴打し、昏倒させる。
「……正気ですか? その行動は軍規違反に該当しますよ?」
アルバートがわずかに狼狽する。その隙を突いて彼女はアルバートの横を抜けた。慌てて後続の構成員が剣を抜くが、彼らの驚きが形になるより速く、剣の柄が鳩尾に叩き込まれる。
「ごっ」
壁にすらならない。崩れた陣形の隙間をさらにこじ開け、廊下へ出る。
その時、一陣の暴風が吹き荒れた。
「風精霊の羽衣」
クローディアは心意による構造強化によって肉体の強度を高め、指向性を持った風による一撃から身を守りながら、再び部屋に戻されるようにして、弾き飛ばされた。
飛ばされた先の壁を蹴って、床に着地する。
「……エルヴィス」
そこには自身の護衛騎士であるエルヴィスの姿があった。
彼がその刃をクローディアに向けている状況を見て、彼女はこれが単なる連合の内部抗争ではない、異常事態であるとはっきり認識する。
トリテレイアリーフはエルフの氏族の一つだ。代々アルビオン公家に仕え、数多くの近衛騎士を輩出した一族。彼は連合軍に属しているのではなく、クローディア個人に仕える存在だった。
仮に連合内の正当な手続きを以てクローディアが拘留されるとしても、彼だけは彼女に相対することはない。
そのはずだった。
「どういうことか説明してもらえますか、エルヴィス?」
「……裏切り者の貴女に説明の必要が? 私はただお嬢様に仇なす者と戦うのみです」
“お嬢様”、その言葉の違和感が、現状に対する最大の警鐘を鳴らした。
エルヴィス=トリテレイアリーフがお嬢様と呼ぶ人間はただ一人のみだ。自らが仕えるべき主。本来の呼び方ではないが、互いの妥協の結果生まれた呼称。
それをクローディアに相対しながら口にする異常。
──精神操作。
その可能性をクローディアは強く意識した。ならば邸宅内はすでに掌握されていると見るべきか。思考を回しながらも、彼女は油断なく敵となったホワイトベル・ファミリーの構成員たちを観察する。
アルバートが扉を塞ぐように前に出た。その表情には先ほどの動揺はない。
一切の隙なく、身の丈ほどの巨大な盾を斜めに構え、冷徹にクローディアを見据えている。
聖鎧盾イージス。
その大盾は、純白を基調とし、華やかな装飾でありながら、どこかとげとげしさのある見た目をしていた。
室内に圧迫感が満ちる。
「──」
誰かが息を吐いた次の瞬間、金属同士がぶつかり合う音が響く。
クローディアの振り抜いた刃とアルバートの盾が激突する。刹那の拮抗、その隙を突くように、上空からエルヴィスがその手の刃を振るう。纏った風は鋼鉄すら引き裂く力で、クローディアの首を狙っていた。
クローディアはアルバートの盾を足場に後方へ跳ぶ。
追撃のためアルバートが突進する。盾は見た目に違わぬ重量を有しているはずだが、アルバートの動きはその重さを全く感じさせないものだった。着地の瞬間を狙い澄ましたような一撃。それに対抗するようにクローディアの魔術式が完成する。
「白光!」
刃の先端から迸る光が盾と激突し、盾は傷一つ付くことなく、その衝撃でクローディアのロングソードが砕け散った。
「がはっ」
クローディアの腹部に衝撃が走る。彼女は吐血しながら、壁に叩きつけられた。
さらに容赦なく、エルヴィスとアルバートは起き上がろうとする彼女に追撃を加える。
それを転がるように回避したクローディアへ、ホワイトベル構成員の魔術が襲い掛かる。
撹乱しようにも逃げ場は少なく、聖鎧盾イージスと正面から打ち合うのは自殺行為に等しい。クローディアは閉所での戦闘の不利を悟った。
それは相対する者たちも同様だった。
クローディアは立てかけられていたもう一本の剣を手に取り、どうにか部屋の外へ脱しようと試みるが、アルバートたちは巧みに、獣を囲むように、彼女を追い立てていく。
だが、クローディアの目に諦めの色はなかった。
「鋸の尾 黄の矮躯 拡散して群れを成す」
「……! 唱えさせるな!」
魔術の詠唱。その祝詞から、彼女が何を唱えようとしているかを察したアルバートが叫ぶ。
クローディアは刃が頬を掠めようとも、構わずに術式の構築を継続する。
「弾く 軽く 強く 眩く 踊り子たちが行進する」
詠唱が完了する。彼女の空いた手のひらに構成された魔術が顕現する。
「風精術式・弾ける雷鼠」
稲妻のような光が花火のように弾け飛ぶ。
それに合わせて、チリチリと鼠が鳴くような破裂音が部屋中に響き渡る。
「くっ」
光条は壁に吸い込まれることなく、硬質な音を立てて跳ね返る。
弾ける雷鼠の本質は、目に見えている雷ではない。
その正体は跳ね回る音の衝撃波。それらが壁を、天井を、床を蹴って、空気を引き裂いた軌跡が、一瞬だけ激しく光り輝いているに過ぎない。
回避不能の爆ぜる空気の衝撃がアルバートたちを全方位から襲う。
衝撃波がホワイトベル・ファミリーの構成員たちの衣服を切り裂き、その身を殴打する。
反響する雷鼠は、味方を巻き込む恐れを除けば、閉所でこそ、その真価を発揮する。
しかし、クローディアがこの魔術を使った目的は攻撃ではなかった。
「これは……!」
彼女の狙いに気づき、アルバートが呻くように声を絞り出した。
乱反射を繰り返す光が視界を覆い尽くしていく。
聴覚もまた鼠の鳴き声で塗りつぶされる。
その中で風精霊の羽衣に守られたエルヴィスが叫ぶ。
「彼女は、どこに!」
彼の力で弾き飛ばそうにも、同じ風元素に連なる力だ。雷鼠の群れは弾き飛ばされるどころか、その勢いをなお増すことになってしまうだろう。それ故にエルヴィスは当てずっぽうで廊下側へと出た。
しかし、そこも雷鼠の群れが広がっている。
やがて魔術の効果が切れ、光が晴れる。
そこには満身創痍の様子のホワイトベル・ファミリーの姿があった。
クローディアの姿は影も形もなくなっていた。
アルバートが急いで窓を開ける。不思議と、その身には摩擦による焼け跡どころか、わずかな傷一つすら残っていなかった。
彼は階下を見て、そこに焼け焦げた布切れを一つ見つける。それはクローディアが身に付けていた衣類の一部だった。
「クローディア=ホワイトベルは外へ逃げた! 私に付いて来い!!」
アルバートはそう言って窓から外へ飛び降りた。




