1-1.黒/White
大地の奥底に赤黒い大河が流れている。
“竜血”──地中深くに眠る非常に安定した高濃度“素竜子”の流体相。
この大地の血潮は、世界に大いなる発展と鉄血の動乱を齎した。
竜血をエネルギー源とする魔導技術の発見と一連の技術発展、この人類史の転換点を“魔導革命”と呼ぶ。
クライシュ帝国領北部に位置する都市、カシーヤ。
北方のアヴェスタ連山を背に扇状に広がるその町は、世界最大の竜血埋蔵量を有する自治都市だった。
カシーヤには採掘の権利を有する商会と、それらを管理する商工会がある。
そして、その本部会館の受付ロビーは剣呑な雰囲気に包まれていた。
「おい、テメェ今なんつった?」
そう声を荒げたのは着流し姿の男たちだった。腰には刀を佩いており、頬に傷のあるような、いかにも堅気とは思えぬ風体の荒々しい集団。
そんな彼らに対峙する集団は実に対照的な出で立ちをしていた。白のスーツを着用し、ネクタイをきつく締める様からは、規律正しさを感じさせる。腰にはロングソードを差しており、荒事にはなれているのか、強面の男たちの凄みにも怯む様子はない。
その中の一人がふんと鼻で笑う。
「下品な奴らめ。周囲を威嚇せねば気が済まんのか?」
「んだと、ゴラァ!?」
周囲に座っていたそれぞれの仲間たちも立ち上がり、一触即発の雰囲気が漂う。
それを見守る商工会の職員たちは冷や汗を滲ませ、固唾を飲んでいた。それは単にここで暴力沙汰が起こるが故ではない。
「クソ、厄介なことになったぞ。誰だ、黒鉄とホワイトベルをダブルブッキングさせたバカは……」
職員の一人が周囲に聞こえぬ程度の声で毒づく。
カシーヤには多くの商会が存在しているが、その中でも最大勢力と目される組織が二つある。
着流しの男たちが所属する黒鉄会。
白スーツの男たちが所属するホワイトベル・ファミリー。
共に、中立の自治都市たるカシーヤで、二つの国家勢力が表立って活動するために発足させた商会だ。
黒鉄の背後にあるのは、大陸東部に広大な版図を有する旭花帝国。
ホワイトベルの背後にあるのは、帝国に対抗するため大陸西部の諸国が寄り集まった西方諸国連合。
両者はこの都市どころか、世界を二分する大勢力だった。
それぞれの国家勢力からバックアップを受けた二つの商会は強大であり、瞬く間にこのカシーヤの表の商業活動から裏社会まで支配するに至った。
規模はほぼ拮抗しており、それ故に都市の勢力図は逆説的に均衡している。
しかし、その均衡は所詮仮初のものに過ぎない。
共に覇権国家を狙う勢力のフロント企業であり、いつ互いを追い落とそうかと相争い合うその関係性は、安定とは程遠いものだった。
小国の軍隊にも等しい武力を保有する二つの組織。その均衡が崩れ去った時の被害は計り知れないものとなるだろう。
その惨事を避けるため、商工会のみならず、都市の有力者はあの手この手でこの二つがぶつかり合わぬよう苦心していた。
そんな最中、二つの商会がほぼ同時刻に訪れた時の職員たちの心境はいかほどのものか。そして、恐々とする彼らのもとにさらなる凶報が届く。
「おい、何してる」
緊迫感に満ちた場に声を掛ける男が一人。
黒い髪に切れ長の目の、目鼻立ちのはっきりとした精悍な顔立ち。
袴姿の上には見るからに上質な羽織物。真っ直ぐな立ち姿は、背骨に一本の鋼が入ったかのようだった。
彼の姿を認めた黒鉄の男たちの空気がピンと張り詰める。一斉に中腰になって、頭を下げた。
「わ、若! お疲れ様です」
「おう」
黒鉄斬雄。本国において“剣鬼”の異名で呼ばれる剣の達人であり、齢二十代半ばにして黒鉄会若頭を任せられている。
蛮勇で鳴らす黒鉄の男たちでさえ、彼の前では怖気づかざるを得ない程の風格。
それはただそこに立つだけで抜身の刃を思わせるほどの鋭さだった。
「ふぅ、騒がしいですね」
そして、少し遅れて反対側から一人の女が現れる。
毛先が緩くウェーブした、腰まで伸びたプラチナブロンドの髪に、エメラルドの瞳。
見るからに仕立ての良い白の高級スーツに、ファーがついたコートを羽織り、その隙間から腰に佩いた二本のロングソードの柄が覗く。
クローディア=ホワイトベル。
カシーヤにおいて黒鉄会と双璧を為すホワイトベル・ファミリーの首領の姪孫。
しかし、ただの令嬢と侮るなかれ。彼女もまた連合において“剣姫”の異名で名高き剣士であり、その武勇は黒鉄会の若頭にも引けを取ることはない。
その佇まいは一部の隙も伺わせない程に洗練されていた。
「お嬢様……!」
斬雄に気圧されていた白スーツの男たちの緊張が緩和される。それは彼らの、このうら若き女性に対する強い信頼の証だった。
二人の視線が交差する。
「ホワイトベルか」
「黒鉄の若頭……」
たったそれだけのやり取りで、場はさらなる緊張に包まれる。
カシーヤにてこの二つの組織の対立構造が生まれて以来、細かい衝突はいくつもあった。だが、幹部級の人間がぶつかり合ったことはかつてない。
剣鬼と剣姫。
ただ睨み合う彼らから発せられる気迫が、そこにいる者たちに、底冷えするような感覚を抱かせた。
ほんのわずかな亀裂。それがもたらす武力衝突の可能性。戦争規模の大抗争。それら最悪のケースが脳裏をよぎってなお、誰一人にじりとも動くことはできず、その光景を戦々恐々と眺めることしかできないでいた。
しかし、その最悪の想定は、斬雄がふと視線を逸らしたことであっさりと避けられる。
「で、なにがあった?」
彼はこの場にある緊迫もどこ吹く風といった顔で、最初に声を荒げた着流しの男に問う。
「へ、へぇっ、それが……」
男は慌てて斬雄に説明する。
事の経緯はこうだった。
応接室にて斬雄たちが商談をしている間、男たちはとある書類を窓口に提出していたが、その書類に誤りがあった為、再提出を求められた。しかし、それが些細なものであったこともあり、自分たちのミスを糊塗するため、何とかならないかと彼らがゴネた。
それをホワイトベルの者たちが見咎めたのだ。
そして、冒頭のくだりに繋がる。
それを聞いた斬雄は嘆息して、男の頭に拳骨を落とす。
「あてっ」
「馬鹿たれ、お前が悪いんじゃねぇか」
「い、いや、ですが、若。こんなの向こうでちょちょっと直せばいいだけの話なんすよ、大したことじゃ……」
「大したことじゃねぇならこっちでやりゃいいだけの話だろうが……」
斬雄はケチをつけられていた職員の男の方を向く。
「おい、兄さん」
「は、はいっ!」
「迷惑かけて悪かったな。それで、不備ってのはどれのことだ?」
「は、はい、ここのですね……」
職員の説明を聞いて斬雄は頷く。そして、相好を崩した。
「ああ、なるほどな。わかった、じゃあ修正して、今日中に使いを出す。ありがとよ、兄さん」
「い、いえ! お手数をおかけします!」
職員の男は緊張のあまり鯱張った返事をする。声が少し裏返っていた。
「じゃあお前ら帰るぞ、用事は終わった」
斬雄はそう言って、部下を引き連れて商工会を後にする。その間、彼がホワイトベルの方を改めて向くことはなかった。
黒鉄会の者たちが立ち去ると、場は安堵に包まれた。安心したあまり腰を抜かして立てなくなった者までいる。
「申し訳ありません、お嬢様」
白スーツの男たちが揃ってクローディアに頭を下げた。
「経緯はわかりました。貴方たちの行いは正しいものだということも。ですが、それは軽率の誹りを免れるものではありません、わかっていますね?」
「はい……」
やりようはいくらでもあった。黒鉄がこの都市で如何ほどの大勢力を誇っていようとも、都市全てを敵に回すようなことは早々できるものではない。そこが表立った場所であるなら猶更だ。ホワイトベルの人間が口を挟むことで却って事態は悪化しかねなかった。
クローディアの指摘を男たちは理解しているが故に、感情に身を任せた自らを恥じた。
「理解しているのならこの件は不問とします」
「はっ、ありがとうございます」
ふとクローディアが黒鉄の者たちが去っていった扉の方に視線をやった。その横顔は静かで、彼女の感情を伺うことはできない。
「どうかされましたか、お嬢様?」
配下の男の言葉に彼女は首を横に振った。
「いいえ、何でもありません。私たちも用事は済みました。帰るとしましょう」
「はっ」
そして、クローディアもまた配下を引き連れて商工会の建物を後にした。




