表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

第11話 空へ帰すために


 赤潮は去っていた。


 空は、何事もなかったように青白く戻っている。


 だが、街は戻らない。


 崩れた壁、裂けた魂魄(こんぱく)管、折れた看板、焼けた屋台。

 石畳にはまだ黒い水が()まり、そこに魂魄灯の光が(ゆが)んで映っていた。


 遠くから、誰かの泣き声が聞こえる。

 助けを呼ぶ声もある。


 瓦礫(がれき)の間では、まだ火が(くすぶ)っていた。


 レイは、その中で立っていた。


 リサを地面に横たえたまま、足が動かなかった。


 髪を整え、(ほお)についた泥を親指で拭った。


 それで何かが変わるわけではない。


 分かっている。


 それでも、拭わずにはいられなかった。


 リサは目を閉じていた。


 いつもなら、勝手に触るなとか、顔が暗いとか、また何か言ってくるはずだった。


 何も言わない。


 それが、いちばんおかしかった。



「……行くんじゃなかったのか」



 アビスの声がした。


 レイは振り向かなかった。



「置いていけるわけないだろ」


「ああ」


「急げって言わないのか」


「言えば、お前は怒る」


「分かってるじゃねぇか」


「リサと約束したからな」



 レイは唇を()んだ。


 喧嘩(けんか)しないで。


 最後の声が、まだ耳の奥に残っている。


 喧嘩したかった。

 怒鳴りたかった。

 全部お前のせいだと、言ってしまいたかった。


 だが、その言葉を吐いたら、リサの最後の願いを踏みにじることになる。


 レイは、歯を食いしばるしかなかった。



「……そうだな」



 アビスは、少し離れた場所に立っていた。


 黒い魔導機は、その背後で膝をつくように傾いている。右肩の装甲は焼け焦げ、脚部からは細い煙が上がっていた。胸部の王家紋章にも傷が入り、青黒い光が装甲の隙間で弱く脈打っている。


 下層街の人間たちは、遠巻きにそれを見ていた。


 近づく者はいない。


 黒い魔導機は、それだけで王宮そのものだった。


 そして、その黒い影を目印にして、瓦礫の向こうから二人が走ってきた。



「レイ!」



 マルシアだった。


 その後ろに、工具袋を肩にかけたパーズがいる。


 パーズは息を切らしていた。普段なら、走るなど年寄りのすることではないと文句を言うはずの男が、顔色を変えて瓦礫を乗り越えてくる。


 最初に目に入ったのは、黒い魔導機だったらしい。


 パーズは壊れた機体を見上げ、反射のように舌打ちした。



「右肩、焼けてやがる。脚部の反動吸収もずれてる。胸部の炉圧逃がしまで……」


 そこで、言葉が止まった。


 視線が、機体から地面へ落ちる。


 リサがいた。


 パーズの手から工具袋が落ちた。


 金属の重い音が、瓦礫の広場に響く。



「……リサ?」



 返事はない。


 パーズは一歩近づいた。


 もう一歩。


 膝をつく。


 伸ばした手が、リサの肩に触れる前で止まった。



「おい」



 パーズの声は、怒鳴り声ではなかった。


 かすれていた。



「返事しろ」



 リサは答えない。



「いつもみてぇに、余計なこと言えよ」



 マルシアが口元を押さえた。


 レイは、何も言えなかった。


 パーズはリサの前でしばらく動かなかった。怒るでもなく、泣くでもなく、ただそこにいた。


 やがて、低く息を吐いた。



「……何があった」



 レイは唇を開いた。


 声が出ない。


 代わりに、アビスが答えた。



「赤潮だ」



 パーズはアビスを見た。


 目が鋭くなる。


 だが、怒鳴らなかった。



「それは見りゃ分かる」



 アビスは一度目を伏せた。



「リサの魂が、大魂魄炉へ引かれている」



 パーズの顔から、別の色が消えた。


 マルシアも息を()む。



「レイ」



 マルシアが近づいてくる。



「あなた、怪我は」


「大丈夫」


「大丈夫な顔じゃないわ」


「……平気だよ」



 マルシアは、レイの頬に手を伸ばしかけた。


 だが、途中で止めた。


 その顔を見たのだろう。


 レイが、もう決めている顔をしていたから。



「どこへ行く気?」



 レイはリサを見た。


 それから、王宮の方角を見る。



「大魂魄炉へ行く」


「何を言ってるの」


「リサは、まだ空に帰れてない」



 マルシアの肩が震えた。



「大魂魄炉に引かれてる。このままだと、リサの魂が燃料にされる」


「レイ」


「行かなきゃ」



 マルシアは首を横に振りかけた。


 けれど、言葉は出なかった。


 レイがそう言う時、止まらないことを知っている。


 消えかけた小魚を見つけた時も。


 倒れた子供を見つけた時も。


 自分が危ないと分かっていても、レイは手を伸ばす。


 それがリサなら、なおさらだった。


 パーズが、ゆっくり顔を上げる。



「見たのか」


「ああ」


「魂の海を?」


「見た」



 パーズは舌打ちした。


 今度の舌打ちは、機械に向けたものではなかった。


 自分自身を噛むような音だった。



「……最悪だな」



 レイは眉を寄せた。



「パーズさん?」


「勢いで王宮に突っ込むな。死ぬだけだ」


「じゃあ、どうしろってんだよ」


「死なねぇように突っ込む準備をするんだよ、馬鹿」



 いつもの調子に近い声だった。


 だが、リサを見ないようにしている。


 それが、かえって痛かった。


 アビスが一歩前へ出た。



「王宮へは、私が通す」


「第一王子だからか」


「今は、それを使うしかない」


「王宮が素直に通すと思ってんのか」


「途中までは通せる。大魂魄炉管理区の内側は、分からない」


「最奥は王族だけじゃ無理だ。王命認証か、技官長認証が要る」



 アビスがパーズを見る。



「なぜ知っている」



 パーズは、瓦礫の上に落ちた工具袋を拾い上げた。


 中身の何本かが曲がっている。


 それを乱暴に戻しながら言った。



「俺が基礎を組んだからだ」



 レイが顔を上げる。



「基礎って」


「大魂魄炉の基礎理論だ」



 マルシアも、パーズを見た。


 風が吹いた。


 壊れた看板が、ぎい、と鳴る。


 パーズは鼻で笑おうとして、失敗したような顔をした。



「黒い魔導機も、あの炉の基礎理論も、最初の図面は俺が引いた」


「聞いていない」



 アビスの声が低くなる。



「王宮が言うわけねぇだろ。追い出した技師の名前なんざ」



 パーズは黒い魔導機へ目をやった。


 それは、壊れかけた獣のように瓦礫の中で沈黙している。



「魂魄炉をでかくすれば、街ひとつ動かせる。そう考えた。若かった。面白かったんだよ。理屈が組み上がっていくのが」



 レイは何も言わなかった。


 パーズの声は淡々としていた。


 だからこそ、奥にあるものが見えた。



「だが途中で気づいた。あれは炉じゃねぇ。海に穴を開ける装置だ」



 パーズは、王宮の方を見た。



「止めた。図面も閉じた。危ねぇから使うなと言った」


「王宮は」


「やれと言った」



 短い答えだった。



「断ったら、俺の机はなくなった。あとは別の技官どもが引き継いだ。理屈だけ持っていきやがった」


「パーズさんのせいじゃない」



 レイは言った。


 言わずにはいられなかった。


 パーズは、リサを見た。



「そう言ってくれるのはありがてぇがな」



 その声は静かだった。



「それで、こいつが帰ってくるわけじゃねぇ」



 誰も何も言えなかった。


 パーズは立ち上がって、顔を手の甲でこする。


 油と(すす)が頬に伸びた。



「いいか。炉は殴れば止まるもんじゃねぇ。止め方を間違えりゃ、下層街ごと吹っ飛ぶ」


「吹っ飛ぶ?」


「魂魄圧が一気に逆流する。圧縮された魂魄が逃げ場をなくして、管を裂く。大通りの魂魄管が全部破裂すりゃ、火どころじゃ済まねぇ」



 アビスが(うなず)く。



「制御区画があるはずだな」


「ああ。外殻、調圧、炉心前。三つ抜けなきゃ本炉には届かねぇ。外殻までは王族権限でいける。調圧から先は技官長か王命認証だ」


「壊せば」


「壊すなら順番を間違えるな。お前の力は便利だが、何でもかんでも粉にすりゃいいってもんじゃねぇ」



 アビスは言い返さなかった。


 今の彼は、壊すことを怖れているのではない。


 壊すべきものを、間違えないようにしている。


 パーズは工具袋を開いた。



「機体は動くか」


「動く」


「嘘つけ。右脚の反動吸収が死にかけてる。乗ったら揺れるぞ」


「問題ない」


「問題あるから言ってんだよ」



 パーズは黒い魔導機へ歩いた。


 装甲の隙間へ工具を突っ込み、焼けた外部魂魄管を引き抜く。青黒い火花が散った。



「レイ、そこの箱を開けろ。赤い封印紙のあるやつだ」


「これか」


「そうだ。触るなよ。中身は防護布だ。素手で触ると指先が(しび)れる」


「触るなって言うの遅い!」


「まだ触ってねぇだろ」


「触りかけたんだよ」


「だから遅くねぇ」



 レイは手袋を着け、箱を開けた。


 中には、黒灰色の布が畳まれていた。布というより、細い金属糸と魂魄繊維を編み込んだ外套(がいとう)だった。


 パーズが振り返る。



「お前が着ろ」


「俺?」


「大魂魄炉の近くは魂魄圧が高い。普通の服で近づいたら、立ってるだけで中身を引っ張られる」


「中身って」


「魂だよ」



 レイは言葉を失った。


 パーズは外套を(つか)み、レイへ押し付けた。



「似合う似合わねぇは知らん。死ににくくなる」


「……ありがと」


「礼は帰ってから言え」



 パーズは次にアビスへ向いた。



「お前は機体を使うな」


「なぜだ」


「目立ちすぎる。今の王宮へ黒い魔導機で戻ったら、それだけで警戒態勢が跳ね上がる。車両で戻れ」


「機体は」


「俺が応急で固める。あとで運ばせろ。炉心前で使う必要が出る」


「それまでに間に合うか」


「俺を誰だと思ってる」



 いつもなら、そこに少しだけ笑いが混じる。


 だが、誰も笑わなかった。



「だが……ちょっと手伝え。ここを押さえてろ」


「わかった」



 アビスは焼けた魂魄管を押さえた。


 パーズが眉を寄せる。



「強く握るなよ。割れる」


「分かった」


「分かったじゃねぇ。指先に力が入ってる」


「……こうか」


「そうだ。今は壊す場面じゃねぇ」



 アビスは黙って頷いた。


 煤と血で汚れた手袋の指先が、細い魂魄管を支える。


 その横顔を、マルシアは見ていた。


 王宮の王子ではない。


 黒い魔導機の操縦者でもない。


 壊さないように、力を殺している少年だった。


 その横顔に、別の男が重なった。


 古い鍋の取っ手を直そうとして、力を入れすぎ、余計に曲げてしまった男。


 赤子に触れるのを怖がって、


 壊しそうで怖え。


 そう言った男。


 黒い髪。茶色の瞳。


 マルシアの呼吸が止まった。


 アビスが、少しだけ顔を上げる。


 その角度。


 眉の寄せ方。


 何かを怖がりながら、それでも手を離さない顔。



「あなた……」



 声が漏れた。


 アビスは作業の手を止めた。



「はい」



 マルシアは一歩近づいた。


 けれど、それ以上は近づけなかった。



「もしかして」



 アビスは、困ったような顔をした。


 驚きはしなかった。


 ただ、どう答えればいいのか分からない顔だった。



「ええ」



 短い返事。


 それから、少し間を置いて続けた。



「そのようです」


「……そう」


「魂が、教えてくれました」



 マルシアは、両手を握り込んだ。


 聞きたいことはあった。


 どこで育ったのか。


 痛い思いをしなかったか。


 ちゃんと抱いてもらえていたのか。


 泣いた時、誰かが来てくれたのか。


 名前を呼んでくれる人はいたのか。


 それとも、ずっと一人だったのか。


 どれも聞けなかった。


 今、聞いてしまえば、きっと止めてしまう。


 抱きしめてしまう。


 行かないでと言ってしまう。


 だから、マルシアは息を吸った。


 無理に、笑った。



「そう」



 もう一度、同じ言葉を言う。


 それから、アビスの目を見た。



「なら、あなたも無事に帰ってらっしゃい」



 アビスの顔が、わずかに揺れた。


 王宮で彼に向けられた言葉は、いつも命令だった。


 行け。

 壊せ。

 守れ。

 やれ。

 迷うな。


 帰ってこい、とは言われなかった。


 アビスは背筋を伸ばした。



「はい」



 それだけだった。


 マルシアは頷いた。


 そして、すぐにレイを見る。



「レイ。あなたもよ」


「分かってる」


「分かってない顔」



 レイは息を詰めた。


 その言い方を、リサがよくしていた。


 分かってない顔。


 危ないことをする顔。


 面倒を拾う顔。


 何度も言われた。


 もう、言われない。


 レイは小さく頷いた。



「……約束する」


「リサちゃんだけじゃない。あなたも帰ってくるの」


「うん」


「うんじゃない。約束しなさい」


「約束する」



 マルシアは、ようやくレイの頬に触れた。


 泥と煤に汚れている。


 少し擦り傷もある。


 生きている。


 それだけで、手が震えそうになった。



「破ったら許さないから」


「うん」


「また、うんって言った」


「……約束する」



 マルシアは手を離した。


 離したくなかった。


 だが、離した。


 パーズが工具をしまう音がした。



「よし。車両を呼べ。王宮の通信器、持ってんだろ」



 アビスは懐から小型の通信器を出した。


 王宮の紋章が刻まれている。


 煤けた広場の中では、それだけが妙に白く見えた。



「第一王子アビサリウスだ。王宮車両を一台、現在地へ回せ。護衛は最小限でいい」



 通信器の向こうで、慌てた声がした。


 アビスは聞かずに続ける。



「命令だ」



 通信が切れる。


 レイは受け取った外套を羽織った。


 重い。


 肩に沈むような重さがある。


 リサに似合わないと笑われそうだと思った。


 そう思った瞬間、胸が痛んだ。


 パーズはリサの前にしゃがんだ。


 レイが動く。



「俺が」



 パーズは振り返らずに言った。



「俺が連れて帰る」


「でも」


「お前は魂を連れて帰ってこい」



 レイは動けなくなった。



「レイ。それ、よこせ」


「……これ?」


「リサをいつまでこのままにしとくつもりだ」



 レイは着ていた方の外套をパーズに投げた。


 煤けて、土埃(つちぼこり)にまみれた古い外套。


 パーズは(ほこり)を軽く払うと、リサの遺体を丁寧にくるんだ。

 すぐに外套に血がにじむ。


 パーズがまた顔をこすると、さらに頬の油と煤が伸びた。


 そして、ゆっくりとリサを抱き上げた。

 壊れ物を扱うように。

 けれど、力なく崩れないように、しっかりと。



「こいつの体は、俺が見る」



 レイは頷いた。


 喉が詰まって声が出なかった。


 パーズはリサの顔を見下ろす。



「まったく」



 低く言う。



「最後まで、手の掛かる娘だ」



 その声は震えていなかった。


 震えないようにしているだけだった。


 やがて、王宮車両の低い駆動音が近づいてきた。


 黒塗りの車体が、瓦礫を避けながら広場へ入ってくる。護衛車両も一台だけついていた。兵士たちは降りるなり、アビスの姿を見て一斉に頭を下げる。



「殿下、ご無事で――」


「説明は後だ」



 アビスは遮った。



「この者を同乗させる」



 兵士の視線がレイへ向く。


 下層街の少年。


 煤と血に汚れ、防護外套を羽織っている。


 王宮車両に乗せるには、あまりにも場違いだった。



「しかし」


「命令だ」


「はっ」



 兵士はそれ以上言わなかった。


 レイは車両へ向かう前に、もう一度振り返った。


 パーズがリサを抱いている。


 マルシアがその隣に立っている。


 壊れた下層街の空を、小さな魚たちが泳いでいる。


 その中に、リサはいない。


 まだ、帰れていない。



「待ってろ」



 レイは(つぶや)いた。



「絶対、帰すから」



 車両に乗り込む。


 アビスも隣に座った。


 扉が閉まる。


 外の音が少し遠くなった。


 車両が動き出す。


 窓の外で、マルシアが小さく手を握っていた。


 パーズはリサを抱いたまま、こちらを見ている。


 レイは拳を握った。


 アビスは、王宮の方角を見ていた。



「戻れば、私は王宮の者として扱われる」


「知ってる」


「お前は、下層街の不審者として扱われる」


「それも知ってる」


「それでも来るのか」



 レイは窓の外を見た。


 壊れた街。

 青白い空。


 リサのいない場所。



「リサと約束したからな」



 アビスは少しだけ目を伏せた。



「なら、私も行く」


「お前の王宮だろ」


「違う」



 短い沈黙。


 車両は、下層街の坂を上っていく。


 白い王宮の塔が、遠くに見え始めた。


 アビスは静かに言った。



「今からは、敵地だ」



 レイは、その塔を(にら)んだ。


 空では、小さな魚の群れが王宮の方へ引かれていた。


 二人を乗せた車両は、青白い夜の中を進んでいった。



評価やご意見いただけますとありがたいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ