第1話 日常
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「あなた、うちに来ない?」
鉄格子越しに差し伸べられた、小さな手。
その手を握り返した時から、私の運命は狂ってしまった。
――手を差し伸べたあの人は、邪悪な笑みを浮かべていたのに。
「おい、お前!」
吐き捨てられた言葉。ビリビリと撒き散らされた紙。
ハラハラ宙を舞うそれは、私の書いた文字が書き連ねられていたものだ。
「あたしをバカにしてるの?こんな内容、馬鹿げてるに決まってるでしょ?!学校に提出できるわけないだろ!もっと現実的なものを書きなさいよ!!!」
「ご、ごめんさい……」
「書き直せよ、役立たず!!誰のおかげで飢えないで済むと思ってんだよ!」
ゲシッとヒールのかかとで脛を蹴られた。鋭い痛みが走る。
「か、書き直します……」
「当然でしょ。明日までだからね」
「え」
「なに?」
私のボヤキに対してあからさまに嫌な顔をした彼女は、眉を潜めて苦々しげに吐き捨てた。
「あぁ、前は5日後って言ってたんだっけ」
「は、はい」
「へー」
「えっと……」
「だから?あたしが明日って言ってんだから、そうしなさいよ」
上から睨みつけられ、また暴力を振るわれるのかと思うと思考が固まった、
言いたい言葉を口にする勇気なんかとうに湧かなくなった。
「はい」
「あ。あと、屋敷の掃除と買い出しと中庭の手入れもやっておいてね。あたしの新しい制服も仕立て屋にあるから早く取りに行って。お前、途中で汚したりしたら容赦しないわよ」
「分かり、ました」
服従。
私が生きる道は、それしかないのだろう。
――10年前。
ボロ切れを身に纏った8歳の私は泣いていた。
「……もう出たい」
鉄格子のあっち側では、せわしなく大人達が動き回っている。
チャリンチャリンと小銭のぶつかる音。ご機嫌取りのために手をする音。
値踏みする視線。憐みの視線に好奇の視線。
油と汗の人間の匂い。土の噎せ返る匂い。
――何年も、私の世界は変わらない。
ここから逃げ出したい。逃げ出したいけれど、体が動かない。
頭が理解しているからだ。ここからは逃げられない。実際、逃げ出したいと思い始めて、もう何年も経っている。
「う、」
込み上げる涙を抑えなければならない。うるさいと痛い。
鉄格子の隙間から鉄の棒で小突かれるから。
知っている。うるさいと、静かになる。
正面にいた小さな子は夜中もずっと泣いていて、ある日突然静かになった。
後ろ向きに丸まったまま、じっと動かなくなった。いつの間にかいなくなっていた。
昔、鉄格子の中で出会った綺麗なあの男の子は、今何をしているのだろう。出会って数日足らずだけれど、私の孤独を紛らわせてくれた人。私に生きる希望をくれた人。私を唯一、笑わせてくれた人。
――でも、もはや、自分がどうなるかなんて考えることができない。
いつかきっと、毛むくじゃらの腕によって鉄格子から引きずり出されて、大人と一緒にここを出て行くしかない。
今まで、そうなってきた子を何人も見てきたのだから。
「これがいい!」
空間に、鈴の音が響き渡った。
聞き慣れない声だったため、思わずそちらを向いた。
「ミーシャ、走ってはダメだよ」
「はぁい。パパ」
ミーシャと呼ばれた同じくらいの女の子。
金髪のツインテールをポンポンと揺らし、こちらに駆け寄ってきた。
彼女はこちらにお構いないしに、ガチャン!と鉄格子を揺らした。
「へ~!!」
蒼い目がこちらを無遠慮に覗く。
パチパチと瞬きをした彼女は、無邪気に言った。
「お父様!あたし、これがいいの!」
「そうかそうか」
「お母さま、いいよね?」
「ミーシャが決めたなら、どれでもいいわよ。しっかりと教育してあげなさいね」
「うん!」
仲睦まじい3人によって、私はついに―――買われたのだ。
ミーシャに叱られた翌日。快晴。
私はミーシャに頼まれた魔法の論文を書き始める前に、言われた用事を済ませようと街に出てきていた。
そういえば、ミーシャは「学校」というものに通っているらしい。「学校」は、同じ年齢の子が集まって沢山喋り、議論したり、遊んだりする場なんだとか。……少しだけ、興味がある。
毎日、そこに通うミーシャが羨ましかったりする。
「あ、フォード家のお嬢ちゃん!」
両手にどっさりと荷物を抱えたまま街を歩いていると、本屋のおばさんが声を掛けてくれた。
「あ、あの。私、お嬢ちゃんじゃありません……。使用人、です」
「あぁ。そう言わなきゃ叱られちゃうんだったね。でも私からするとあの高飛車な子供より、アンタの方がよっぽどいいとこのお嬢様に見える。いいや、お嬢様ってよりお伽話の妖精様だね」
「あ、ありがとうございます」
「それにしてもアンタ、一体どこから来たんだい?アタシは最近ここに嫁いできた人間だけど、アンタのような人は見たことが無いよ」
「ごめんなさい。分からなくて」
「謝る必要はないからね。アタシもアンタを責めている訳じゃない。ただ疑問を口に出しただけ」
「……はい」
ペコリと頭を下げる。おばさんがため息をつく。
びくりと肩が震えた。
「ほぉ~。それにしても綺麗な髪だねぇ。太陽の光を七色に反射する髪なんて見たことが無いよ」
「あ!……ごめんなさい。いつも頭を隠せってミーシャに言われているのに……」
「あの娘も嫌な子だねぇ。アンタにそんなこと言ってるのかい!気にしなくていいんだ。あの子はアンタに嫉妬しているだけなんだから」
「そんなこと、ないです。……すみません、用事があるので」
このままおばさんと話していると、ミーシャに提出する論文が完成させられない。
私はそそくさとその場を去った。
「…ラ?…レラってば」
屋敷の広い通路に添えてある大きな色付きガラスを拭きあげ、私はガラス越しに太陽の光を浴びた。
あぁ全身に陽光が染み渡る。
私が頭を傾けると、床に七色の輪が広がった。小さくなったり、大きくなったり、左右に振ると色相が変化する。
「おーい。レラ?」
それが何だか面白くて。零れた笑みを誰かに聞かれてはいないかと辺りを見渡し――、
「1人で何してるのさ」
「う、うわぁ!?」
「ちょっと、大きな声を出さないで」
「ユージン!い、いるなら言ってよ」
彼はユージン。この屋敷の主、フォード家に雇われている司書だ。
本を肩に置きながら、彼は賢そうな笑みを浮かべる。
「僕はさっきからずっと君を呼んでいたよ」
「う、嘘だ」
「僕が君につけた名前。覚えてる?」
「?」
「あ、その顔。また忘れてるな。【レラ】。昔話に出てくるお姫様の名前だって言ったじゃないか。君と初めて会った時に貸した本に登場していただろ」
「だって、ユージン以外誰もそんな名前で呼んでいないもん。すぐに反応できないよ」
「……君が反応できるまで何度でも呼ぶさ」
ユージンは少し視線を外してぼそぼそと言っていた。
突然言いよどむものだから、うまく聞き取ることが出来なかった。
「え?」
「う、うるさいな。……僕が君を呼んだ理由は、君にいつものやつを渡すためだ。ミーシャが学校帰りの遊びから帰ってくる前にさっさと受け取って」
と、ユージンは懐から小さな巾着を取り出した。
ジャラ、と金貨の重厚な音が鼓膜を揺らす。懐に仕舞いながら、私は尋ねた。
「ねぇ。ユージンは学校、どうだった?」
「特に可もなく不可もなく。ミーシャは相変わらず魔術が苦手みたいだ」
ユージンはよくミーシャの事を話題に出している。私が聞いていないことも、勝手に話す。
おそらく、これは勝手な推測だけれどユージンはミーシャに気があるんじゃないかと思っている。
「そういえば。これ……ユージンがくれるお金。集めてどうするの?こんなにお金、要らないよ」
「僕と君で分け前は半分。そこはもう譲れないって初めに言ったはずだけど」
「うーん、いいや。全部ユージンにあげる。私はこんなにお金を持っていても使わないよ。洋服だって勝手に買ったらミーシャに怒られちゃう。本も文具もアクセサリーも。ご飯だって毎日スープとパンが出てくるから十分だし……。あ、たまにはマカロン?だっけ、あれが食べてみたいかも」
「君には欲しいものは無いのか?」
「……学校に行きたい」
「じゃあ、そのためだ。そのためにお金を貯めているって思いなよ」
「どういう事?私は学校に行けないよ。ミーシャに言われたもの。学校は貴族だけが通う、崇高な場所。私みたいな下民が足を踏み入れたらつまみだされちゃうんだって」
「……彼女は、君にそんなことを吹き込んでいるのか。……とにかく!会って困らないものだから、ちゃんと隠しておくこと。それで次は―――」
ユージンは言いかけた口をパッと閉じた。
柔らかな笑みをサッと消し、穏やかな笑みを浮かべて私の横を通り過ぎる。
突如、他人みたいに振る舞い始める彼の挙動は初めてじゃない。
――あぁ、彼女が帰って来たのだ。
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