17 魔獣襲来
イリスとカリストの結婚式は、アルベニス領で行われることになっている。
式の準備のために、イリスは三週間前から自領に戻っていた。
カリストは、エクスデーロ公爵夫妻と甥、姪たちと共に、結婚式の三日前である今日、アルベニス領にやってくる。
結婚式後、公爵夫妻はすぐに帰るが、カリストは一週間ほどはアルベニス領で過ごす予定だ。
騎士団の要職についている彼が長い休暇をとるには、いろいろと調整が必要だったに違いない。
申し訳ない気持ちになりながらも、イリスは、夕方に予定されているカリストの到着をそわそわしながら待っていた。
(部屋の準備は万全だわ。晩餐の支度も整っているし、湯あみの準備もできているし)
アルベニス領は王都の隣にあり、カリストの邸からだと馬車で一日もあればつく距離だ。
もう、そろそろつくかもしれない。
(早く来てくれたら、邸の中庭を案内する時間はあるかしら。いえ、疲れてるわよね。晩餐まで休んでもらった方がいいわ)
ふわふわとそんなことを考えていると、にわかに玄関ホールが騒がしくなる。
カリストが到着したに違いない。
けれど、そんなイリスの浮ついた気持ちは、部屋に駆け込んできたメイドの一言で、吹き飛んでしまった。
玄関ホールは、──戦場のようだった。
「包帯を! 薬を準備してっ」
「けががひどい者には担架を! 客室に運べ!」
メイドたちの声や、ビダルの指示を飛ばす声が響く。
血と泥にまみれた護衛騎士たちが、次々に運び込まれる。
そんな中、緋色のジュストコールに身を包んだ男性を、傍らで支えながら邸の中へ入ってきたのは、公爵夫人であるアイダだ。
そばには、十歳前後の少年と少女がいる。
一様に青ざめた顔に心が痛むが、今は領主としての責務の方が優先だ。
「アイダ様! いったい何が」
「街道で魔獣に襲われたのです。主人も馬車を襲った魔獣に応戦しようとして……」
イリスは息をのむ。
そういえば、カリストの姿が見えない。
嫌な予感がぬぐえない。
アイダに支えられた青ざめた顔をした男性が続ける。
「正式な挨拶は省略さえてもらうよ。カリストの兄ロレンソだ。現場には、カリストが残って私たちを逃がしてくれた。すぐに応援を向かわせてくれないか?」
「はい、もちろんです」
イリスは、邸に常駐する護衛騎士たちと、アルベニス領のハンターギルドへ、人をやって出動要請を行った。
自身も飛び出そうとして、ビダルやメイドたちに止められる。
「おなかの子どもを流すおつもりですか」と言われて、やっと飛び出さずに踏みとどまった。
(カリスト、無事でいて)
きっと、領境に常駐している街道警ら隊も、動いてくれているはずだ。
イリスは、両手を組み合わせて、カリストの無事を祈った。
何もできずに待つだけの時間が、たまらなくつらい。
その時、再び玄関ホールが騒がしくなる。
駆け込んできたのは、公爵邸で見かけたこともある、護衛騎士の制服を着た者たちだった。
そして、彼らが運ぶ担架の上にいたのは、──カリストだった。
「カリスト様!」
右手で左胸の衣服を握りしめ、担架の上で体をよじらせている彼は、痛みにもだえ苦しんでいた。
そばに近づいたイリスにさえ気が付かない。
汗でべっとりと濡れた金の巻き毛は額に張り付いており、襟で隠れているが、首のあたりまで青黒く染まっているのがわかる。
腕に、わずかに衣服が引き裂かれた跡があり、そこから見える皮膚は黒ずんでいる。
それ以外に外傷はない。
(毒だわ)
「カリスト様は、何の毒を受けたの⁉ 魔獣の種類は?」
「魔獣ではありません!」
そばにいた従者らしき青年が、悔しげに語る。
「カリスト様は、魔獣などには遅れをとりません。魔獣をほとんど倒しかけた時、逆の方向から吹き矢が飛んできたのです。魔獣ではありません。人間の仕業です」
(魔獣じゃなくて、人の作った毒。毒の種類がわからない……)
「ぐっ……っ!」
苦しむカリストの姿に、イリスは、覚悟を決める。
「カリスト様を三階の寝室へ」
ベッドの上に降ろされたカリストは、脂汗を流し苦しんでいる。
皮膚を覆う青黒い色は、先ほどより、さらに顔近くまで広がっていた。
ついてこようとする医者と従者をとどめて、イリスは、無理やり人払いをした。
イリスがこれからやろうとしていることは、間違っている。
代々続いたアルベニス家を危険にさらしかねない行為だ。
でも、今のイリスがすべきことは、それしか思い浮かばなかった。
「カリスト、私が、あなたを助けるわ」
イリスは、ナイフを両手で握りしめた。
◇◇◇◇◇◇◇
カリストの顔色は、だいぶ良くなった。
傷から入り込み、首まで真っ青に変色させていた毒がきれいに浄化されたからだ。
「よかった」
イリスは肩で息をつくと部屋を出て、外で待っていたカリストの侍従を中に入れた。
半泣きで部屋に飛び込んでいった彼が、後はうまくやってくれるだろう。
イリスは誰にも見られないうちに、寝室に戻って「自分の方の」傷をどうにかしなければならない。
けれど、途中イリスを探しに来たビダルに見つかってしまった。
「イリス様、まさかっ」
逃げるように部屋に入ろうとしたのに、ビダルに腕をとられてしまう。
「っっ痛っ」
隠し持っていたナイフが絨毯の上に落ちる。
そのナイフに血がついているのを見て、ビダルは顔を歪める。
「あなたはっ……! いえ、それより傷の手当てが先です」
部屋に入ると、ビダルはイリスを座らせ、右腕にできた裂傷に薬を塗り丁寧に包帯を巻いてくれた。
痛いのはイリスのはずなのに、ビダルの方がよっぽど痛そうな顔をしている。
「ありがとう、ビダル」
「いいえ……私が、申し上げたいことはおわかりですね。あなたは、あの血塗られた歴史を繰り返すおつもりなのですか」
「そんなつもりはない。頭ではわかっているの。でも、これ以外、思いつかなかった」
──魔女の血肉は、万病に効く。
その血肉を食めば、不老不死を得ることができる。
それは、この王国中のあらゆる書物から削除された一節だった。
その文脈を削除することは、アルベニス家がこの国に仕えるにあたり王家と交わした密約だ。
遠い大陸で、不老不死を求める者たちに狩られ、逃げ出したイリスの祖先は、これによりこの王国で安住の地を手に入れた。
けれど、ビダルが言う血塗られた歴史とは、そのことではない。
「これで『二度目』です。エクスデーロ卿が、魔女の血肉に触れたのは……次は、ありませんよ」
「わかっているわ。さあ、当主がいつまでも、裏にいるわけにはいかないわ。戻った騎士たちをねぎらわなければ」
イリスは、ビダルの前でほほ笑んで見せた。
ビダルも肩の力を抜いて、イリスの前で息をついた。
「はい。報告が遅れましたが、魔獣は全て、アルベニスの国境騎士団で撃退できたそうです。街道付近にはハンターたちを派遣して、森に異変がないか引き続き調査をさせています」
「ありがとう。そういえば、カリストの従者がこんなことを言っていたの──カリストが受けた毒は、人間の吹き矢によるものだと」
「それは……」
「森に潜んでいた人間の痕跡がないかも、ハンターたちに調べさせてくれる?」
ことがことだけに、おいそれと口に出すことはできない内容だった。
ただの物取りの仕業ならいい。
けれど、これが、カリストだけを狙ったものだとすれば、目的は……。
イリスの脳裏に、銀の髪のある人物の姿がよぎる。
(公爵家の人間には手を出さないだろうと、勝手に過信していた)
イリスは、自分の甘さを痛感するのだった。




