16 公爵邸への訪問
イリスの乗る伯爵家の馬車は、エクスデーロ公爵邸の門をくぐった。
この二週間は結婚式の準備に明け暮れていたので、イリスにとっては久しぶりの外出だ。
結婚式は領地で親しい人だけを招いての簡素なものを予定しているが、それなりの準備は必要になる。
特に、招待客の選別や当日着るドレスの手配などは、イリスにしかできない。
イリスとしては、会場に飾る花だけ選べればそれでよかったのだけれど、それを言ったらメイド長に怒られてしまった。
最低限のこと、と言って押し付けられた準備が山のようにあって、この二週間、邸ではげっそりしながらそれらを片づける日々を送っていた。
そんなわけで今日は久しぶりの外出なのだが、残念ながら晴れ晴れとした気持ちで、というわけにはいかない。
公爵家を訪れるのは、あの日、リズの姿でカリストに「あなたの子どもじゃない」と言って逃げ出して以来なのだ。
(大丈夫、大丈夫よ。今の私は、あの時のリズじゃないの。誰も気づかないわ)
そう自己暗示をかけるが、気まずい思いはなくならない。
馬車が止まったのにも気づかず、悶々と悩み続けていると、馬車の外から声がかかった。
「イリス嬢?」
「は、はい‼」
カリストの声だ。
馬車の扉が開くと、青いジュストコールに身を包んだカリストが、手を差し出していた。
金の巻き毛が日差しを受けて輝いており、イリスはそのまぶしさに思わずよろめきそうになる。
「体調がお悪いのですか?」
「いえ、少しまぶしかっただけです」
そばにいたメイドに日傘をとりに行かせることになってしまった。
……申し訳ない。
イリスが通されたのは、本館の応接室に連なるテラスだった。
「義姉上、イリス嬢をお連れしました」
「いらっしゃいませ。アルベニス魔法伯。私は、アイダ=エクスデーロ。この公爵家の女主人で、カリストの義姉です。不在の主人に代わり、歓迎いたしますわ」
アイダは、記憶にある通り、華やかなドレスを身にまとった迫力のある美女だ。
目元の泣きぼくろが、艶っぽい。
席に案内しお茶を注いでくれたメイドも、イリスの世話をしてくれていたセーラだと気づく。
(挨拶もせずに出てきてしまって、申し訳なかったわ)
これから、精一杯恩返ししよう。
そう思って、出されたお茶に手を付ける。
「おいしいです」
「妊婦の体によいというお茶なの。私も飲んでいたのよ」
ほんのりと黄色いお茶はいつかと同じ、あたたかい味がした。
「公爵様は、外交で隣国へいらっしゃっているのですか?」
「ええ。後日紹介いたしますわ。それに、今日は不在ですが、学院へ通っている息子二人に娘もおりますの。アルベニス伯にお会いするのを皆楽しみにしています。落ち着いたら、ぜひ会ってやってくださいな」
「もちろんです。楽しみにしています」
和やかに談笑は進んだ頃、アイダはふと笑みをしまい込む。
「アルベニス伯」
「イリスとお呼びください」
「では、イリス様。私、あなたにお伝えしておくことがありますの」
「なんでしょう?」
「義姉上、俺から話すから」
それまで、イリスとアイダ二人の会話にあまり口を挟まなかったカリストが、アイダの言葉を遮った。
「イリス嬢。すまない。義姉には、あなたのおなかの子どもが俺の子でないことを、知ってもらっている」
「それ……は……」
「カリスト。こういうことは真実をきちんと伝えないと、信頼関係に響くのよ? ──イリス様、カリストは自分から話したわけではなくて、私が矛盾を追及して、白状せざるを得なくなってしまっただけよ。義弟を悪く思わないでね」
「……義姉上には、隠せなかった。すまない」
イリスは、首を振った。
「むしろ、事実を知っていただいていることを心強く思います。カリスト様には、多大なご迷惑をおかけしてしまって、どれだけお礼を申し上げても足りません。それに、私からその事実をお話ししなければならなかったのに、……申し訳ありません」
(これから精一杯恩返ししようと思ったのに。私は何をやっているのかしら)
イリスは、膝の上で、ドレスをぎゅっと握りしめて下を向く。
その手を、白くて華奢な温かい手が、包みこんだ。
「イリス様、違うのよ。黙っていた貴方を責めるつもりはないの。そうではなくて、あなたに、安心してほしくて言ったのよ。事実を知っているということは、愚痴も言えるし、相談にも乗れるということよ。今後も、公爵家と愚弟を頼って頂戴。もちろん私も力になるわ」
「ありがとう、ございます」
胸が熱くなる。
ぽろぽろと涙がこぼれて、アイダとイリス、二人の手を濡らす。
その涙は、アイダに対してずっと感じていた心苦しさを、洗い流してくれるような気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、邸の女主人、アイダ=エクスデーロは、部屋にメイドのセーラを呼びつけた。
セーラは公爵夫人の前に立つと、深々とお辞儀をする。
「ねえセーラ。イリス様のことだけれど」
「はい、雰囲気が非常に似てらっしゃいました」
「そうよねえ。所作がそっくりなのよねえ」
そっくりというか、同一人物ではないだろうか、と疑ってしまうレベルだ。
「ねえ、もしかして……」
「奥様、全部ないと思います」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「奥様のことですから、アルベニス魔法伯と、リズ様が同一人物だと言い出すんでしょう? 魔法で姿を変えているとかなんとか言って」
「……」
「お坊ちゃまやお嬢様の年齢ならともかく、おいくつですか?」
「セーラ、もう下がっていいわ」
辛辣なメイドの発言に、ごほん、と咳払いをして、アイダは話を切り上げた。
アイダは、一人になると天井を見上げてつぶやく。
「それよりも私は、イリス様のおなかの子どものお父様が、いったいどなたなのかが気になるのよね。魔女の夫は詮索してはいけない、というのが暗黙のルールだけれど」
それに、とアイダはランプを消すと、窓越しにぼんやりと浮かび上がる王城のシルエットを見つめた。
「王弟殿下は、イリス様を、これであきらめてくれるのかしら?」
公爵夫人の独り言は、誰にも聞こえることがなく、闇に飲まれていった。




