第9話「カッパフェスティバル」
秋晴れの空の下、田主丸の町は朝から熱気に包まれていた。
町最大のイベント——「カッパフェスティバル」の日。
商店街には屋台が並び、川沿いの特設ステージでは音響や照明が調整されている。観光客が列を作り、テレビ局のカメラまで入っていた。
町の人々は口々に「こんなに人が来たのは初めてやね!」と笑顔を交わしている。
その賑わいを、颯太は少し離れた場所から見つめていた。
——この日が来るのを、どこかで怖れていた。
蓮をカッパとして表舞台に立たせる。それは、彼の人生を再び人前へと押し出すことになる。もし失敗すれば、再び傷を負わせてしまうかもしれない。
だが振り返ると、控室でメイクを施された蓮が立っていた。
緑の肌に輝く鱗模様。だが何よりも、彼の瞳にはもう影はなかった。
「準備はいいか?」
颯太が問うと、蓮はゆっくり頷いた。
「お前が描いた俺なら……大丈夫だ」
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フェスティバルの幕が上がった。
カッパ姿の参加者たちがステージに現れると、観客から大きな歓声が上がった。子どもも大人も踊り、笑い、川辺を走り回る。
その中で、一際存在感を放つカッパがいた。
——蓮。
彼は踊りの輪に加わり、子どもたちと肩を並べて跳ね、観客に手を振った。走る姿はしなやかで力強く、動作ひとつひとつに役者としての気迫が宿っていた。
観客の誰かが叫んだ。
「まるで本物の俳優みたいや!」
笑いと拍手が広がる。
颯太は胸が熱くなった。かつて自分のせいで光を失った男が、今また人前で輝いている。
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フェスのクライマックス。
ステージ中央に立った蓮は、大きく息を吸い込み、観客に向けて深々と頭を下げた。
その姿はただの「カッパ」ではなく、一人の表現者の復活を告げているように見えた。
観客からは大きな拍手と歓声。
その光景に、颯太の目頭が熱くなった。
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イベントが終わった後。
喧騒の消えた舞台裏で、二人は並んで座っていた。
沈黙が続いた後、颯太が口を開いた。
「俺が……あなたを壊したんだ」
絞り出すような声だった。
蓮はしばらく黙っていた。だがやがて、ゆっくりと首を振った。
「違う。お前がいたから、俺はまた立てたんだ」
「でも——」
「颯太」
名前を呼ばれ、颯太は息を呑んだ。
蓮の目は真っ直ぐに彼を見つめていた。
「お前の手は、確かに俺を傷つけた。けどな、それ以上に……今日、あの舞台で俺を救った」
颯太の視界がにじんだ。
堪えていた涙が、頬を伝って落ちた。
「俺は……」
言葉にならない嗚咽を押し殺す。
だが蓮は静かに笑った。
「お前が描く化粧台の上で、俺はまた生き直せる。だから——もう自分を責めるな」
その言葉は、長い年月の呪縛を解くように、颯太の胸に染み込んでいった。
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外ではまだ、祭りの余韻が続いていた。
川沿いを走る子どもたちの笑い声、屋台の片付けをしながら談笑する大人たち。
蓮と颯太は並んでその光景を眺めた。
「なあ颯太」
「……はい」
「俺たち、もう一度一緒に舞台を作ろうぜ」
その提案に、颯太は涙に濡れた目で蓮を見た。
そして、ゆっくりと力強く頷いた。
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カッパフェスティバルの夜空に、花火が咲いた。
光の下で、二人の影は並んで揺れていた。