第10話「緑の化粧台から」
カッパフェスティバルから一週間。
田主丸の町はまだその余韻に包まれていた。新聞やテレビが「小さな町の奇跡」と報じ、観光客も少しずつ増えてきた。
商店街のおばちゃんが言った。
「テレビに出たから、東京にいる孫が『田主丸久しぶりに行きたい』って言いよったとよ!」
ぶどう農家の青年は照れくさそうに笑った。
「いやあ、うちのぶどうまで映っとったんやもん。ありがたいこった」
人々の笑顔を見ていると、颯太の胸はじんわりと熱くなった。
——この町で、自分はようやく居場所を見つけられたのかもしれない。
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その日の夕方。
川沿いのベンチで、颯太と蓮は並んで座っていた。
夕陽が川面に映り、金色に揺れている。
蓮は長い沈黙の後、ふっと笑った。
「なあ、颯太。……俺、決めたよ」
「何をですか?」
「役者に戻る。もう一度、舞台に立ちたい」
颯太は驚きと同時に、胸が締め付けられるのを感じた。
「でも……」
「もちろん怖いさ。顔の傷も、心の傷も消えやしない。だけど、この町でカッパになって走った時、初めて思えたんだ。俺はまだ……人前に立てるって」
その瞳は真っ直ぐだった。
「それに、颯太。俺はまたお前と一緒に舞台を作りたいんだ」
颯太の胸にこみ上げるものがあった。
あの日からずっと背負ってきた罪が、今ようやく「未来」へと変わっていく。
「……俺でいいんですか」
「お前じゃなきゃ駄目なんだ」
その言葉に、颯太は深く頷いた。
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後日、商工会館で小さな打ち上げが開かれた。
おじさん達は酔っ払いながら「次はカッパマラソンやな!」と騒ぎ、女子高生たちは「カッパダンス第二弾やろ!」と動画撮影を企てていた。
笑いの渦の中で、颯太はふと思った。
——この町の人々は、欠けたものや傷ついたものを、笑いと優しさで包んでくれる。だから自分も、もう過去に縛られずに生きていけるのだと。
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その夜。
颯太はアトリエに一人で立っていた。
机の上には、彼が町に来てからずっと使い続けている「化粧台」。
鏡に映る自分の姿を見つめ、静かに筆を手に取る。
緑の絵の具を溶き、キャンバス代わりに小さな仮面に色をのせていく。
カッパの面。けれどその表情は、どこか希望に満ちていた。
「——俺は、もう逃げない」
呟きながら、筆を走らせた。
その瞬間、背後から子どもたちの笑い声が聞こえた気がした。
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翌日。川辺では子どもたちがカッパ姿で遊んでいた。
きゅうりを手に「カッパだぞー!」と叫び、川に石を投げては大笑いしている。
その光景を見つめる颯太の隣に、蓮が立った。
「いい町だな」
「はい。ここは、人を笑顔にする力があります」
二人はしばし黙って、川を眺めた。
やがて蓮が小さく笑った。
「じゃあ次は……舞台の上で、俺たちが笑わせようか」
「ええ。必ず」
未来への約束が、静かに交わされた。
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川辺で遊ぶ子どもたちの笑い声が風に乗って響く。
颯太はもう一度化粧台に向かい、新しい未来へと筆を走らせた。
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——化粧台から、再び物語が始まる。




