38話 ターゼンでの休暇(2)
ケイト達が到着した2日後、ターゼン邸でマルとクラウディオの結婚を祝う宴が開かれた。
ターゼンの伝統に従って、屋敷は朝から日が暮れるまで門が開放され、庭には祝福に来た人々をもてなす料理が並べられた。
町の人達は、お祝いの花輪を持って次々に訪れ、マルとクラウディオは終始花輪に埋もれていた。
「こういうの、初めてだけど、素敵ねえ。」
ソアラは町の人達に囲まれているマルとクラウディオを見ながらヒューゴにそう言った。
「そうだね、ターゼンは侯爵家だけど、領地の規模はすごく小さいから、領民との距離が近いんだね。」
「ルーツが一緒っていうのもあるのかしら?マルが言うには、この辺りの人は多かれ少なかれ精霊の血が入ってるって言ってたけど。」
「そうかもね、一部族的な感じなのかなあ。」
「髪と目の色も、ほとんどの人がマルと同じね。」
祝宴は日暮れまで続いた。
***
祝宴の次の日は、マルとクラウディオ、ケイト、ヒューゴ、ソアラの5人で遠乗りに出かけた。ソアラは1人で馬には乗れないので、行きはケイトの前に乗せてもらい出掛けたのだが、昼食後の帰りで問題が起こる。
普段全く乗馬をしないソアラの足の筋肉は限界を迎えていて、休憩の後は鞍にまたがることができなくなっていた。
ソアラは帰り道の半分はケイトに、残りの半分はクラウディオに抱えてもらって帰ってくることになり、ものすごく恥ずかしい思いをすることになってしまった。
その夜、夫婦の部屋で寝支度をしながら、マルは日中のソアラの様子を思い出して、ふふふ、と笑った。
「何で笑ったの?」
クラウディオが後ろからマルを抱きしめて、その髪に顔をうずめながら聞いてくる。
「今日の帰り道のソアラ、可愛かったなあ、と思って。」
とマルは言った。
「ああ。ふふ、そうだね。」
「お姫様みたいだった。」
「マルもしてほしかった?」
「いやいや、私は自分で乗る方がいいです。ソアラも、ものすごく恥ずかしそうだったし、きっと今頃、帰ったら乗馬を練習する気だと思う。」
「あはは、きっとそうだね。でも、すごく可愛かったけどね、僕の顔なんか見れないみたいだった。あんなソアラ嬢は初めて見たよ。」
「、、、今のは少し妬けます。」
マルが振り返ってそう言うと、クラウディオはにっこりした。
あ、今のわざと言ったな、とマルは思った。
「そういえば、気になってたんだけど、」
今なら聞けそうな気がしてマルは切り出した。
「前に、父とローレンス公とラウとで釣りに行ってたでしょう?どうだった?」
ケイト達がターゼンに着いた日、その3人で釣りに出掛けていたのだが、その釣りはマルの父であるロレンツォが、気を回して誘っていたようなので、余計なおせっかいになってはしないかとマルは心配だったのだ。
「どうだった、とは?」
「あー、えーと、話とかできたかなあ、と。そのローレンス公と。父が変に気を回したみたいだったし、、、。」
マルを後ろから抱き締める腕にぎゅうと力が入った。
「僕と父とのこと、気にしてたの?」
「うん。少し。」
「ヒューゴから何か聞いた?」
「何かっていうほどじゃないけど。」
「そっか。マルが気にかけてくれてたのは嬉しいよ。もちろん、ターゼン侯のそれも嬉しい。」
「そう?」
「うん。釣りの時に関して言えば、何年ぶりかで父とあんなに話したよ。あんなにって言ってもほとんど話してないけど。」
「ふふ、どっちか分かんないよ。」
「僕達にしては、しゃべった方だったよ。」
「なら、良かった。」
マルは前に回されているクラウディオの腕をぎゅうと抱きしめた。
***
マルとクラウディオがゆったりと夫婦の時間を過ごしていた時、ソアラはマルの言った通り部屋で1人、帰ったら姉に乗馬を教えてもらおう、と心に決めていた。
ケイトはともかく、クラウディオの膝に乗せられ、その腕の中に居るしかなかったのは本当に恥ずかしかった。
落ちないように、ソアラもクラウディオにしがみつくしかなくて、本当に本当にいたたまれなかったのだ。
今、思い出しても顔から火が出そうだ。
せめてヒューゴならまだましだったかしら。
でも、ヒューゴの体格ではきっと無理だっただろう。ケイトでも、少し疲れが出ていたのだ。
マルはどう思ったかしら。
気にしてなさそうだったけど。
「乗馬、習っておくんだったなぁ。」
ソアラはぽつんと呟いた。
それからベッドに入ったものの、普段は使わない筋肉を使ったせいで体のいろんな所が筋肉痛で熱いし、痛いしで、全然眠れない。
しばらくまんじりと時を過ごした後、ソアラはショールを羽織って部屋を出た。
今夜は満月で外は明るい。
玄関ポーチで夜風に当たるつもりだった。
そっと階下へ降りて、音を立てないように扉を開けて、ポーチに出ると、ポーチの階段には先客が居た。
ソアラにはすぐに誰か分かった。
座っているのはイアンだった。
わっ。
ソアラはびっくりして、迷った。
寝巻だし、引き返すべきかしら?
でも、お話できるチャンスかしら?
迷ってる内にイアンはソアラの気配に気付いて振り返り、ソアラを認めた。
イアンは、こんな夜更けに、寝巻にショールで出歩いているソアラの様子に、小さい頃のマルを思い出した。
夜中に寝巻姿のソアラに対して気安くなってしまったのは、マルを重ねたせいだった。
「こんばんは、ソアラ嬢。眠れないの?」
イアンはにっこり微笑んでそう言った。
月明かりの下、満月の魔力が全部降りてきたような笑顔だった。
とろける笑顔でイアンに名前を呼ばれて、ソアラはものすごくドキドキした。
どうしてこんなに親しげなのかしら?
ソアラはそう思い、戸惑ったが、嬉しさの方が大きい。
通常なら、ほとんど言葉を交わしたこともない男性からこんな風に親しげにされるのはソアラの最も嫌いなことで、軽蔑するのだが、今は全然嫌ではなかった。
浮かれるソアラに対して、イアンは、はっとして続けた。
「失礼、妹に対するような態度になってしまいました。」
声が硬くなり、慌てて立ち上がって居ずまいをただそうとする。
ソアラは浮わつきながらも、妹枠で扱ってもらうか、レディとして扱ってもらうか、どちらが今の自分にとって得策なのかを一瞬で考えた。
レディとして扱われたら、イアンは立ち上がって挨拶をした後、すぐに自室に引き揚げてしまうだろう。
それは嫌だわ。
ソアラは入り口は、妹枠でいくことを決めた。
寝巻だし、ちょうどいい。
「立ち上がらなくて大丈夫です。イアン様。私、兄のような姉がいますの。そのような扱いの方が気楽です。」
ソアラはできるだけ無邪気に、にこにこしながらそう言った。
イアンはぽかんとした顔になったが、すぐに笑って言った。
「レイピア卿のことだね。」
「姉を知っているんですか?」
ソアラはわざとしゃがんでそう聞く。
「直接は知りません。でも、マルからの手紙によく登場してたから何となくの人となりは。マルは月の妖精とか、雪の女王と言っていたけど。」
「氷の騎士です。」
ソアラがそう言うと、イアンはもう一度笑ってから、お隣へどうぞ、と言ってくれてソアラは適度な距離をとって自分も階段に腰かけた。
完全に妹扱いだけれど、それでもいいと思った。
ターゼン邸に来てからのイアンの様子だと、レディとしてでは絶対に親しくなれない。
皆で食事の時は顔を合わすが、儀礼的な会話や挨拶を交わすだけで、他の時間はイアンはほとんど自室か執務室に居る。
ヒューゴやケイト、クラウディオは部屋へ顔を出したり、チェスのお招きを受けているが、招待もないのにソアラが加わる訳にもいかなかった。
イアンはレディとはきちんと一線を引くタイプで、会話や挨拶はいつも形だけのものだったし、笑顔もいつだって表面的だった。
ソアラは少し自分が警戒されているような気もしていた。
こんな形で近づきになれるのは嬉しい。
ソアラは、ターゼンの兄も妹も姉のレイピアの話で釣れたな、と思い、今回は特に姉に感謝した。
「ところで、眠れないの?」
またイアンが優しく聞いてくれる。
ソアラは昼間の遠乗りの話をした。帰り道の抱っこがとても恥ずかしかったことを力説すると、イアンは可笑しそうに笑った。
「帰ったら、絶対に乗馬を練習しようと思ってます。」
ソアラがそう言うと、イアンは眩しそうに目を細めて、いいねと言い、ソアラは、しまったと思った。
「あっ、ごめんなさい。」
「え?」
「あの、そのう、」
ソアラはちらりとイアンの右足を見た。
イアンはすぐにピンときた。
「ああ、気にしないで。確かに、いいなあとは思ったけど、それだけだよ。」
「でも、」
「大丈夫、まあ、乗馬ってなると僕も抱き抱えてもらうことになるけどね。」
イアンがいたずらっぽく笑う。
「ものすごく、恥ずかしいですよ。」
「あはは、そうみたいだね。だから乗馬はやめておくよ。他はそんなに不自由でもないんだよ。」
「そうなんですね。あれ?ここへはどうやって?」
ソアラはイアンが歩いている様子を見たことなかった。
食堂には皆が来る前には着席していて、席を離れるのは最後だったから、何らかの介助を受けているのだと思っていた。
でもこんな夜中に誰かに助けてもらったとは思えないし、ここへは1人で来ているはずだ。
「ステッキがあれば歩けるよ。階段も降りられる。」
「知らなかったです。あんまり部屋から出歩かないですよね。」
「うーん、カツカツと音もするし、優雅に歩ける訳ではないから、見苦しいかな、と思って。今はお客様も多いし。」
「気にする方はいませんよ。」
「そうだね。ちょっと仲良くなってきてそれは分かるよ。」
「でも、どうやって歩くんですか?右足も使うんですか?」
ソアラは少し身を乗り出して、イアンの右足を見た。ズボンで隠れているのでどんな様子なのかは分からない。先端は金属のような気がした。
「先は、金属になってるんです?」
たたみかけて聞くと、イアンが少し面食らった。
「あっ、すいません。ぐいぐいと。」
「いや、マルから押しが強いっていうのは聞いてたけど、本当だね。」
「えっ。」
「ふふ、でも遠慮されるよりは、楽だな。どうなってるか見る?」
イアンはそう言うと、ズボンの裾を少し上げて右足を見せてくれた。
通常の足よりも一回り細い、外見は完全に木のような足の先端はさらに細くなっていて、金属のかぶせがしてある。
「先端のキャップは町の鍛冶屋で、特注で作ってくれてるものだよ。これなしで歩くとすり減ってしまって長さが合わなくなっちゃうからね。」
「なるほど。痛みとかはないんですか?」
「木化してる部分は感覚もないんだ。義肢に似ているかな。」
「その説明だとイメージがわきますね。歩くのも想像できます。」
「ね。なんなら踊れるしね。」
「そうなの?」
「うん。あ、いわゆるダンスじゃないよ。ステップみたいな、この地域の踊り。」
ソアラは見たいな、と思った。
でも、踊りを所望するのはさすがに失礼だと思い、遠慮した。
「踊って見せようか?」
イアンが察して、優しく提案してくれる。
「いいんですか?」
「いいよ。」
イアンはそう言うと、さっと立ち上がった。
ステッキを持って、ポーチの段差を降りるとソアラを向いて一礼する。
「深夜の可愛いお客さんに。」
そう言うと、ステッキを置いて、軽快なステップを踏んだ。右足の金属のかぶせが石畳をカツカツ鳴らすので、タップダンスみたいな音が出る。
ソアラには馴染みのないリズムと体の使い方だった。
夜会で踊るような優雅なダンスとは全然違って、何とも言えない妖しい感じにソアラはドキドキした。
右足が獣の足のようにも見えて、人ではないみたいだ、とソアラは思った。
ドリアードはこんな風に誘惑してくるのかしら。
「こんな感じかな。」
2ステップ程披露してからイアンは言った。
ソアラは小さく拍手した。
「不思議なリズムで、素敵な躍りですね。とても、あの、良かったです。」
「ありがとう。マルも踊れるよ。」
「今度、マルにも見せてもらいます。」
「うん。そろそろ戻ろうかな、と思うけど、ソアラ嬢はどうする?」
「私も戻ります。あの、こっちにいる間に、チェスのお相手をしてくれませんか?マルからお強いって聞いて、私、アカデミーではチェス倶楽部だったんです。ヒューゴよりは強いです。」
「いいよ。マルと一緒においで。」
イアンはにっこりしてそう言った。
やった!
とソアラは思った。
明日にでも、マルを誘わなくちゃ。そう、決意する。
「夜更けだし、部屋まで送るのは控えるね。お休み。」
「お休みなさい。」
ソアラはイアンと玄関ホールで別れて、自室に戻り幸せな眠りについた。
翌日から、少しずつイアンは部屋から出歩くようになった。
ソアラはもちろん、イアンに何度かチェスのお相手をしてもらうことに成功した。




