3.隣国の王子の場合
マリーメアのレヴァード公爵家の事情は側近から聞いていたから、隣国から帰国後すぐに両親に話をした。彼女を妻に迎えたいと。
だけど、僕の婚約者候補はもう何人もいて、その中から決めるようにと諭された。わざわざ、隣国から妻をもらう必要はないだろうと。それも、王女ならまだ考える余地もあっただろうが、ただの公爵令嬢なのかと。
もしあちらが納得するなら、側妃ならよいと。
―――側妃なんていらない!欲しいのは、彼女だけなのに!
一応、婚約者候補達には会った。だけど、彼女より魅力的な子はいなかった。皆、王子として僕を見る。視察に行く前は何とも思わなかったけれど、自分を王子としてみない、あの瞳を、あの笑顔を、どうしても、どうしても、僕は欲しい。
二年粘ったが、両親も重鎮達の考えも、あまり変わらなかった。レヴァード公爵にも手紙を書いた。
―――彼女を娶りたい意志があると。
最初は冗談だと流された。仕方のないことだと思う。レヴァード公爵にも僕の婚約事情は調べればすぐわかるのだから。だけど、諦めきれなくて、両親を説得する傍ら、何度も手紙を書いていたら。
あるとき公爵からいつもと違う文面の手紙が届いた。
―――彼女には、想い人がいると。
何度も何度も、その一文を読み返した。
少し笑ってしまった。そうだ、仕方のないことなのかもしれない。
数年前にあっただけの僕よりは、側にいる素敵な男性に目がいくだろう。
しかたのないこと。
しかたのないこと。
どうしようもないこと。
「・・・殿下。」
長年仕えてくれている側近のカミルが、そっと肩を叩く。
「泣きそうな顔されてますよ。しょうがないですね、―――どうした?」
二人きりの時だけ、時折昔のように接してくれるカミルの暖かい手に、唇を噛みしめてしまう。
何も言えずに、レヴァード公爵からの手紙を差し出した。
「マリィ様、想い人が出来たのか。そりゃ、また・・・。お前が泣くのも無理はないな。」
少し笑いを含んだ声に、感情が抑えられなくなる。叫ぼうとした僕に、ポンポンと頭を叩き、カミルはにやりと笑う。
「落ち着けよ。良く見ろ。公爵様は”想い人”って書いてあるだろう?婚約者が出来たとは書いていない。」
思わず、手紙とカミルを交互に見てしまった。カミルの笑い顔から察するに、よっぽど間抜けな顔をしていたのだろうが、僕はそれどころじゃなかった。
確かに公爵が書いているのは「想い人」だ。婚約者とは書いていない。彼女の想い人に何か問題があるのか?
「落ち着いたようだな。少し調べてやるから、大人しくしていろよ。」
「わかった。すまない、頼む。」
「かしこまりました。殿下。」
―――『想い人』まだ、僕にもチャンスはあるのか?
数日しか経っていないのに、カミルは彼女の想い人を調べてきた。方法は聞いてはいけないのだろうな。
彼女の想い人は、彼女の国の第二王子だそうだ。確か、何度かあったことがあるが、病弱だということで公式の場にも数えるほどしかいなかったと記憶している。しかし、自分と同じ立場の王子だとは。
だが、なぜだ?たとえ病弱だろうとも、王子なら彼女の家と釣り合うのだから、すぐに婚約話が出ても不思議ではない。
「その王子様が、彼女のことを友達としか思っていないらしいのです。しかし、王子が望めばすぐに婚約者になるでしょう。」
「・・・。」
「公爵様にしても、・・・こう言っては失礼ですが病弱な未来の希望が少ない王子では、愛娘を嫁がせるには値しないので、ほおっておかれているのでは?王家から打診があれば、お受けするでしょうが。」
隣国の第二王子の婚約者候補は、婿入り可能な貴族令嬢だそうだ。病弱な第二王子は臣下になることを周りから望まれていると。
マリィには優秀な兄がいる。なので、王子が望まない限りは彼女は婚約者にはなれない。王子が望めば、適当な領地と共に、王子は侯爵となり、彼女はその妻になることが出来るだろう。
「・・・まだ、間に合うか。」
「ええ、間に合いますね。殿下さえ、動けば。」
「カミル。」
「はい、殿下。」
「手伝ってくれ。」
「仰せのままに。」
決意後、レヴァード公爵に手紙を出した。両親を必ず説得して、彼女を迎えに行くと。まだ足掻いて二年しかたっていない。まだやり残したことがたくさんある。
―――彼女に僕の気持ちさえ、伝えていない!
それにレヴァード公爵は、彼女の気持ちを僕に教える必要なんてなかったはずなのに、あえて僕に伝えてきた。
試されていたのだと思う。
それでも、娘を諦められませんか?と。
次の公爵からの手紙には、僕が彼女の婚約者の第一候補だと書かれていた。まだ「候補」なのかと笑ったが、公爵には認められた。あとは―――
僕の事を忘れているだろう彼女に思い出してもらうことから、そして、この気持ちを伝えることから始めよう。
彼女が王子を振り向かせるのが先か、
ボク・・・、俺が彼女を振り向かせるのが先か。
想い人なんて、必ず忘れさせてやる!
レヴァード公爵の許可を得て、彼女に手紙を書いた。真面目な彼女のことだから、返事をくれないということはないだろうが、それでも好きな子に手紙を書くのは大変だった。
後ろで見ていたカミルが何度も笑ってる雰囲気なのにも、集中力がなくなるぐらい。それがさらに笑わせる結果になっているとはわかっている。
彼女には俺が婚約者だと伝えたと公爵からの手紙には書いてあった。それがさらに心臓に悪い負担をかけている気がする。
―――返事はすぐに来た。
手紙から感じる彼女に、にやけた顔が元に戻らないぐらいには、一日しまりがない顔をしていたと、夜に部屋に戻ってからカミルから教えられた。
もっと早く言ってくれ!!
だけど、それが良い効果になったと教えられた。なんのことかわからなかったが、翌日姉上からお茶の誘いがあった。
「本日はお招き下さり、ありがとうございます。姉上。」
「今日は、普通のお顔ですのね、マティアス。」
くすくすと笑う姉上を、姉上の婚約者であるデルトア殿が優しい目で見つめている。
「なんのことでしょうか、わかりませんが。デルトア殿お久しぶりでございます。」
「マティアス殿もお元気そうで。最近、色々と頑張ってらっしゃるとか。」
「ええ、デルトア殿にもまた剣の方を見てもらいたいです。」
「しばらくは、王宮に滞在さえて頂きますので、私でよければ、いつでもお誘い下さい。楽しみにしております。」
穏やかなデルトア殿は、お転婆な姉上にはもったいないぐらい素敵な男性だ。
「マティアス、何か言いたそうね?」
「デルトア殿が兄上になるのが楽しみだというだけです。」
「姉上、お話とはなんですか?」
「せっかちね。貴方の婚約者のことよ。」
とうとうばれたか。めちゃくちゃにされそうだったから、姉上には知られたくなかったが。
でも、いい機会かもしれない。姉上にも協力していただかなくてはと思っていたところだ。
「面白くて見ていたけど、」
前から知っていたのか。俺の反応を楽しんでいただけなんだな。やはり姉上は意地悪だ。
「昨日の貴方が可愛かったから、手伝ってあげる。」
「・・・ご協力感謝致します。」
昨日のあれを見られていたとは!不覚!当分はそれで遊ばれるじゃないか!!
「マティアス殿、私も微力ながらお力になりたいと思っております。」
「ありがとうございます!デルトア殿!」
「・・・マティアス、私との対応の差がありすぎない?」
「姉上にも、感謝しておりますよ?」
「もう、可愛くないんだから!」
怒っている振りをしているが、顔はとても嬉しそうな姉上にも、感謝しているんですよ。素直に言えないだけで。
両親や重鎮達にも信頼され、発言力の強いデルトア殿の協力はとても助かる。ありがたい。やはり、姉上が女王になり、デルトア殿が王配として支える態勢が一番理想だと思う。俺もそんな二人の力になりたい。
一部の者がまだ俺を王にしようと企んでいるのはわかっている。その現れが、俺の婚約者候補の多さだろうが。
姉上達の子供の為にも、力が有る貴族の令嬢よりも、マリィを迎えて二人で姉上達をお助けできればと思う。隣国の上位貴族に繋がりが持てるのも魅力的だ。
―――マリィを純粋に欲しいと思う気持ちと、政治的な視点からマリィを選ぶ自分と。もし、マリィが伴侶になってくれたなら、隠さずに気持ちを伝えたいと思う。
「リファラ様、デルトア様、こちらマティアス様からでございます。」
三人の会話が落ち着いたころに、カミルがそっとテーブルに美味しそうなケーキを並べる。姉上のお好きな甘いラルクスの実を使ったものだ。
俺は菓子の指示はしていないので、このお茶会での話を予想して、先にお礼の品を用意していてくれたのだろう。目線で感謝を伝えると、姉上達にはわからないだろうが、カミルから笑いの雰囲気が伝わった。
―――さすが、俺の側近は頼りになる。もしかしたら、今日の姉上のお茶会自体、カミルの計らいかもしれない。
後で、何かカミルにもお礼しないとな。
三年目、カミルの協力と、姉上達のお力添えで、俺の婚約者候補はマリーメアを入れて、三人にまで減った。あとの二人もこの調子だとなんとかなりそうだ。
「マティアス様、今年の視察の件ですが。」
「どうかしたのか?」
「リファラ様のご用件を先にすませれば、隣国への視察に替える案もございますが。」
くっ、カミルの笑い顔が癪に障る!わかっている!わかっているさ!また俺の顔が大変なことになっているんだろう!
何度も、彼女の件で遊ばれているのはわかっているが、治らないんだから、しょうがないじゃないか!
「・・・姉上の件の説明を頼む。」
「はい、殿下。」
笑い顔のカミルの提示した姉上の用件は結構無茶だったが、マリーメアという餌につられた俺は、頑張ってしまうのだろう。
まだ、彼女には『想い人』がいる。
マリーメアの中で、俺は少しでも友達以上になっているだろうか。
手紙から伝わる楽しそうな彼女の様子だけでは、不安でしょうがないんだ。逢いたい。
彼女が婚約したとは、まだ公爵からの連絡はない。それだけが、それだけが、支えなんだ。
少しでいい、少しでいいから。俺にも希望があってほしい。
姉上にからかわれながら、隣国へと出発した。
「殿下。昨日の夜、遅かったでしょう。少しお休み下さい。」
「すまない。そうさせてもらう。」
最後の書類が深夜までかかってしまったが、なんとか終わらせることができた。
やっと彼女に逢える。伝えたいことがたくさんある。
滞在できる期間は、思っているよりも少ないだろう。
俺はもう一度、彼女から来た一番新しい手紙を読み返した。
―――想い人にきっちり振られました。こんな私でもよければ、マティアス様の妻にして欲しいです。
すぐに返事を書いたが、ふとした瞬間に夢じゃないのかと思ってしまって、この手紙だけはずっと持ち歩いている。
彼女が俺を見てくれるのは嬉しいが、自暴自棄になって俺を選んだだけという可能性もある。我がままな話だが、彼女に好きになってもらいたい。
無理をして視察を彼女の国に変更してよかった。彼女を迎える前に、一度でも逢うことは重要だと思うから。
「殿下、そろそろ着きますよ。」
「わかった。」
頭では色々と考えてしまうが、心臓の方は正直だな。周りに聞こえるんじゃないかと思うほど、音が大きい。少し、手に汗も掻いてしまっている。
---ふぅ。落ち着け。落ち着け。大丈夫だ。きちんと視察もこなさなければ、姉上に迷惑をかけてしまう。色々と協力して下さったのだ、期待に応えなければ。
「では、城下の視察もされたいでしょうから、滞在中は我が公爵家にお泊りになられるとよいでしょう。」
「・・・!」
彼女の家に泊まれるのか?聞いてないんだが・・・。てっきり、王宮の貴賓室だとばかり。
「マティアス様、それでよろしいですかな?」
「えぇ、レヴァード公爵。お気遣いありがとうございます。」
少しいじわるそうな公爵の顔が、とても怖い。これは、あれか。彼女と一緒にいる時間が長くなり嬉しい反面。舅殿の厳しい監視がつくわけだな。
だが、彼女に少しでも接する時間を与えて下さったことには感謝だ。舅殿にも認めてもらわないといけないしな。
今日の夜には彼女に逢える。やっと。
「お久しぶりですわ、マティアス様。」
ふわりと優雅に礼を取る彼女に見とれてしまった。
「マリーメア殿、お久しぶりです。」
しばし無言で見つめ合ってしまっていたらしく、公爵のコホンという咳払いで、二人して笑いあった。再会は、穏やかに始まった。
城下の視察には、彼女も何度か付いてきてくれた。彼女の癖なのか、疲れた時に少し唇からため息がもれる。本当に微かだけども。
最初はただ色々と回ったので、疲れていないかと彼女を見ていて、気づいた癖だった。それからは、少し時間が経てば、彼女のその癖が出ていないか、見守った。気づけば、休憩を取るようにしたのだが、彼女はいつも不思議そうにしている。その顔が、とても可愛いことが最近の俺の密かな楽しみだ。
滞在も無事に半分過ぎた頃、珍しく彼女が体調を崩した。侍女にそっと教えられたが、夜に寝れていないそうだ。
―――悩み事か。
聞き出したい気持ちもあるが。もし、彼女の想い人の事だったら?もし、俺のことだったら?いや、他の事かもしれない。
相談して欲しいが、まだそこまで彼女の深いところに俺は入れていないかもしれない。どんなに気になっても、ここは我慢だろうな。
―――コンコン。
「マリィ、よければ少し夜更かしに付き合っていただけませんか?」
―――ちゃんと公爵の許可は取ったから問題ない。大丈夫だ。断られる心配もあるが、その時はまた別の方法を考えよう。
「マティアス様。大丈夫ですわ。お付き合い致します。どうぞ?」
「大変残念ですが、公爵に部屋に入る許可は頂いてないのです。よければ、庭に出ませんか?この時期なら、寒くもなく、今日は星が綺麗ですよ。」
「まぁ。くすくす。喜んでまいりますわ。」
少し軽めの部屋着で、彼女は庭に付いてきてくれた。カミルも、彼女の侍女も控えているので、二人きりというわけではないが、ゆっくりと彼女と話ができそうで、嬉しい。
「眠れない夜に、いつも飲んでいる物ですが、マリィも飲んでみて下さい。」
こくり。彼女の喉が動く仕草に目を奪われる。
「・・・美味しい。」
「良かった。」
眠れない彼女の為に、弱い酒を香り付け程度に入れた物を出してくれるように頼んであった。
姉上のこと。弟のこと。姉上の婚約者のこと。
彼女は兄のことを、最近読んだ本の事を。
のんびりとお茶を飲みつつ、星を眺めてお互いに話す。
彼女が少し眠そうな気配がしたので、横を向いてみると、目をこすっていた。
―――公爵にはあとでお叱りを受けよう。
そっと、彼女を抱え上げる。
「ま、マティアス様?!」
「大丈夫です。そのまま、寝て下さい。・・・落としたりしませんから。」
冗談っぽい口調で言えば、腕の中から微かに笑う気配があり、彼女の重さが増した気がした。気を許してくれたのだろうか。彼女の部屋へ着く前に、腕の中から健やかな寝息が聞こえてきた。
―――今日は夢を見ずに、君が穏やかに眠れますように。
つい、ベッドに下ろした彼女の額に口づけてしまったが、彼女付きの侍女は、微笑んで見ない振りをしてくれた。
うちのカミルはしっかり見て、からかうような、良かったなというような、俺にしか見せない幼馴染の顔をしていた。
マリィが寝てくれたことにほっとして、部屋を後にした。
「マリィ様、寝れて良かったな。」
「あぁ。カミルも遅くまですまない。ありがとう。」
「いや、俺も役得だったから問題ない。」
「ん?」
「マリィ様付きのさっきの侍女の子な、」
「あぁ。彼女がどうかしたのか?」
「やっと口説き落とせたんだ。」
「・・・はぁ!?」
思わず、後ろを付いてきているだろう側近の幼馴染を振り返った。
「マリィ様と早く結婚してくれ。」
「お、お前・・・。」
「俺の協力に礼がしたいって言ってただろう。させてやるから、頑張ってくれ。」
通りで、凄く協力的なわけだ。呆れると共に、思わず笑ってしまった。俺の為というよりは、女の為に頑張っていたという方が、カミルにはしっくりくる。
「あぁ、頑張るさ!」
それから、彼女が寝られるようになってからも、星が綺麗な夜は深夜のお茶会が開催された。
主人達をほっておいて、時々、うちの側近と彼女の侍女が見えなくなるのにも、仕方がないなと、目をつぶるわけだ。
視察が終わって帰る日に、彼女が照れたような笑顔でこっそり言った台詞が忘れられない。
―――寂しくなりますが、またすぐに逢えますよね?
思わず、頷くことしかできなかった自分が情けない。それにしても、滞在中はよく頬に熱が集まったものだ。
だけど、マリィの赤くなって照れた顔も沢山見られたから、良しとするか。
来年、彼女が俺の国に来る。それまでに、まだまだやらないといけないことがたくさんある。頑張らないとな!
しかし、横でこれまで一度も見たことがない、しまりのない顔をしている俺の側近が国に着くまでに元に戻るのだろうか。
―――とりあえず、去り際のマリィが俺の手を握って「あの台詞」を囁いた時のレヴァード公爵の恐ろしい顔を忘れる方法を、使い物にならない側近の代わりに誰か教えて欲しい。
読んで頂いたことに感謝を。