後編
それからの間、わたしとカイは先生の監督の下、送還の儀式を取り仕切った。
送還を希望する人は様々だった。祖母のように病苦に耐えかねた人。孤独な余生に耐えかねた人。生きることに飽いた人。自らの人生に満足した人。私は彼らを送還して、心を病むと言われていた理由がよく解った。送還をする時に、彼らの感情が私の中に流れ込んでくるのだ。辛い、苦しい、寂しい。一瞬のことだけれど、自分のことのように感じられてしまい、わたしは儀式が終わるたびに泣いた。それでも折れなかったのは、送還された彼らの顔が安らぎを浮かべていたからだ。わたしたちは必要とされている。正しいことをしているんだ、と思えた。この時までは。
「彷徨える者たちよ、ルカの手を取り安住の地に身を委ねよ。さすれば汝ら大地の懐にて安息を得るだろう」
鎮魂の唱和が終わる。しばらくすると、辺りの澱んだ色が徐々に薄れていくのが目に見えてはっきりとわかった。これでこの土地は穢れが祓われ、人々に害をなすこともなくなるだろう。
「これにて今回の魂鎮め《たましずめ》は無事終了しました。皆さん、お疲れ様でした」
師長さまの挨拶により、儀式は終了となった。わたしがこれを見るのは三度目。そして儀式に参加すること自体は初めてのことだった。
見習い期間が半年を過ぎた送還師は、迷い子の送還を体験することが義務付けられている。
迷い子とは、恨みや無念を残して死んだ者の魂のことだ。生前の念に引き摺られ、大地に還ることを良しとせず、行き場を失ってしまうのだ。それを誘導し、送還するのも私達の役目だった。
迷い子は放っておくと、無念や怨念を引き摺り、澱み、そして穢れとなる。そういった魂は惹かれ合うらしく、一定の場所に溜まりやすい。集まりすぎた穢れは、その土地に悪影響を及ぼす。作物の不作や事故の誘発、そこに住む者に至っては、気が澱み、心が荒んでしまうのだ。それを祓う儀式が、魂鎮め、と言われている。つまりは、迷い子送還の大掛り版である。
私達が今居る地域は、十五年前にノルディアに組み込まれたばかりの土地だ。内乱が多く、餓死者も多く出た地域だったらしい。そのような所だから、当然穢れた場所は多くなる。しかし魂鎮めは五人以上でしか行えない。送還師の数は少なく、皆忙しい。だから年月を掛けて儀式を行うしかなかった。
とにもかくにも、これで今日の儀式は終了である。わたしはほっと胸を撫で下ろした。これで送還師としてやらなければならないことは全て体験したのだ。あとは数をこなすだけ。そして見習い期間終了まで、後一ヶ月と少し。わたしの目指すものはすぐそこに来ていた。
片づけが終われば、宿に戻って夕食だ。食堂に入ると、儀式中の張り詰めた雰囲気とは打って変わって、和やかな雰囲気が辺りを満たしていた。大掛りな仕事を終え、皆ほっとしているのだろう。暖かい食事のおかげで、顔まで緩む。そんな中で、カイだけは思案気な顔つきをしていた。食事もあまり進んでいないようだ。もちろん、そんな彼に問い掛けるようなことはしない。下手に聞くと、うるさいと言われるか、睨まれるかのどちらかだろうし。それに今はとにかくお腹が減っている。話すよりもお腹を満たしたかった私は、黙々と食べ続けた。
静かな食事を続けるわたしたちの前に、先生がようやく腰を下ろす。師長さまと何やら話しこんでいたけれど、それも終わったようだ。先生にしては珍しく量の多い食事をトレイに乗せていた。
「二人とも、お疲れ様でした」
カイがその声に驚いたように顔を上げた。よほど物思いに沈み込んでいたらしい。先生が目の前に座った時も気付いていないようだった。
「あ、はい……」
流石に先生に話しかけられれば、カイも無視することはしない。私のときもこうあってほしいものだけど……。
「先生も、お疲れ様でした」
「初めての魂鎮めはどうでした?」
「疲れました」
なんとも簡単な返事だったけれど、カイの気持ちは理解できた。普通の送還と違い、とてつもない神経を使うのだ。迷い子たちの想いに引き摺られないように、魅入られないようにしなければならない。あの暗い澱みは恐ろしく、しかし抗い難い蠱惑的な引力があった。あれに捕らわれてしまうと、数日のうちに心身が食い荒らされ、死に至るのだ。わたしは思わずその場面を思い浮かべてしまい、身を震わせた。
「力があると、土地の澱みがあんな風にみえるんですね。私は身がすくみそうになりました……」
カイは生まれついての力があるばかりに、幼い頃からあんなものが見えていたのだ。どれほど恐ろしかっただろうか。もしかしたら彼の刺々しい雰囲気はそこから起因するのかもしれない。
「そうですね。私も初めてあれを見た時は恐ろしくて仕方ありませんでした。場数を踏んで慣れるしかないでしょう。ですが慣れてきても、気は抜かないように。それと、心身が健やかでないと、こちらも取り込まれてしまいますからね。沢山食べて、元気をつけましょう」
そう言うと、先生はパンを二つに割って、カイと私の前に置いてくれた。量の多さはそういうことだったのか。私は体重が気になるので、夜はあまり食べないようにしている。でも先生の心遣いが嬉しかったので、節制を忘れて遠慮なく頂いた。
「そうそう、明日からのことなんですけど、私はちょっと用が入ってしまったので、先に二人でサロに行ってくださいね。私も後から行きますから」
「はい」
「はい……」
幸せな気分は一瞬で終わった。何もなければ先生をお待ちします、と言いたいところだけど、生憎予定があるのだ。五日後にサロで送還式の予約が入ってた。
カイと二人きりか……。きっと気まずい沈黙が待っているんだろうな。明日の道程を思うと、憂鬱にならずにはいられなかった。
そして翌日。案の定、私達の間に会話はない。車内には馬の蹄の音と、馬車のガタガタ動く音だけが響く。どうしようもなく暇だし、沈黙が辛かった。
話しかけたら無視されるだろうか。そんなのやだな。延々と同じ事を考えていると、ガタリと馬車が止まった。そのまま動く気配もない。不審に思った私は、さっきの逡巡など忘れてカイに話しかけた。
「動かないね。どうしたのかな」
「聞いてみる」
言葉少なにそう言うと、カイが扉を開けて御者に尋ねた。
「どうしたんですか? あ……」
私もカイの傍から顔を覗かせたが、目の前の惨状を見て納得した。
山から崩れた土砂が、道を覆って塞いでいたのだ。これではこの道は使えない。
「いや、見ての通りですよ。昨日の大雨のせいかな。こりゃあ迂回せにゃあかんな。お客さん、すみませんが、進路を変えてラウマ村に行きますよ」
「はい。わかりました」
この辺りには初めて来たので、土地勘のない私は否応もなく頷いた。しかしカイには思うところがあるらしく、待ったが掛けられる。
「いや、待ってください。……他の道はないんですか?」
「残念ながらないですねえ……」
「そうですか。わかりました……」
不承不承という感じでカイが頷く。彼の顔には暗い影が落ちていた。ラウマ村というところに、何かあるんだろうか。もしかしたらカイはそこの出身?
「じゃあ今日はラウマってとこに泊まるんだね。どんなとこかな」
「朝になったらすぐ出よう」
「うん……」
さりげなく聞いてみたものの、会話にならなかった。でも無視されないだけマシである。反応が返ってきたことで、調子付いた私はカイとの会話を試みることにした。
「あの、見習い期間もうすぐ終わるね。あっという間だったね」
「……そうだな」
「先生、どのくらい遅れてくると思う? 二日くらいかな?」
「さあ……」
「お腹、すかない?」
「別に」
駄目だ、まるで続かない。カイもどこか上の空だし、私は諦めて目を瞑った。馬車の中で眠れるとは思えないが、目を瞑るだけでも疲れが取れるという話を先生から聞いたのだ。そうしてしばらく経った頃、不意にカイの呟く声が聞こえた。
「お前は途中で投げ出すって思ってた」
何のことだろう。閉じていた目を開け、カイを見返す。彼はこちらを見ずに、外をぼんやり眺めていた。
「え、何を?」
「送還師になること」
「ああ……。私は泣き虫だから?」
笑い含みに言うと、カイは驚いたように私を見た。彼の表情に私の笑みが深まる。七年もの付き合いになれば、こういう物言いもできるのだ。彼には散々泣き虫と言われていたし、これは私のちょっとした意趣返しでもあった。
「うん、まあな……」
カイはそう言って、気まずげに視線を逸らす。してやったりという気分だった。私はいい気になって話しを続けた。
「迷い子の送還はいまだに怖いし、お年寄りの送還は辛いなって思ったことは何度もあったよ。でも送った人たちの安らいだ顔を見てね、頑張ろうって思ったんだ」
「苦しんでいる者を救うことができるから?」
「うん、そうなの! 必要とされてるって思うでしょ?」
言おうと思っていた言葉を返され、私は興奮して頷いた。てっきりカイも私と同じ気持ちだと思ったからだ。
「お前って本当に能天気な奴だよな」
しかし彼は馬鹿にしたような声音で呟き、思い切り私を睨んだのだ。
まただ。何故睨まれるのかわからない。流石に悲しみよりも、怒りがこみ上げる。長年の我慢がとうとう決壊した瞬間だった。
「いつもいつも…………そうやって何も言わずに睨むのはやめて!」
突然激昂した私に対して、カイが狼狽え呟く。
「言ったじゃないか、能天気って……」
「能天気だから睨むって言うの!? そんなことで!? 本当は違うんでしょ! 何故怒るのか理由を言って! 私は州公のように、触れればなんでも解る力を持ってるわけじゃないの! はっきり言ってくれなければ、何があなたの気に障ったのかもわからないわ!」
一息に言い切ると、私の目からぼろぼろと涙がこぼれ始める。それでも私の口は止まらない。
「それとも昔言ったみたいに、まだ私がイラつくって言うの……!? 私、昔ほど泣き虫じゃなくなったのに……!」
泣きながら言っても説得力に欠ける台詞だった。それでも言わずにはいられなかった。人間性のことだけで嫌われるのは辛い。だから私は努力したつもりだ。儀式を取り仕切るようになって、大人としての自覚を得た私は、上がることもなくなったし、おどおどしてもいないはず。それに、カイとのやりとりでも泣くことはなくなったのだ。今はその限りではなかったけれど。
言いたいことを言い終えた私は、ひたすら悲しくなって、ただ泣いた。車内には私の泣き声だけが聞こえる。蹄の音と馬車の振動音は、いつの間にかなくなっていた。
「あのー、お客さん方、着きましたよ」
扉が開かれ、御者が遠慮がちに顔を覗かせる。私が騒いでいる間に、どうやらとっくに着いていたらしい。ひどい顔はそのままに、私は御者に礼をし、馬車を降りた。
「おい、待てよ……」
疲れた。今すぐ宿に行って、眠りたい。それから朝を迎えて、早く先生に会いたい。
「待てったら! 宿はこっちじゃない」
強引に腕をとられて、私の歩みは止まった。今はカイの声も聞きたくないし、顔も見たくなかった。私は顔も上げずにつっけんどんに言い放つ。
「じゃあどこ」
「あっち、だけど……。その前に、これ……顔、拭けよ」
俯く私の目の前に、おずおずとハンカチが差し出された。謝罪のつもりなのだろうか。もしそうなら言葉で言うべきだ。いつもならありがたいと思うであろう気遣いも、このときばかりは私の神経を逆撫でするだけだった。
「私、あなたとは同僚だし仲良くしたいって思ってた。でも合わない人ってどうしてもいるんだよね。仕方ないよね」
私はそう吐き捨てて、カイを置き去りに宿へと向かった。ハンカチは受け取らなかった。
一瞬垣間見たカイの顔は、とても辛そうな顔をしていた。けれど荒れ狂う私の心には、何の痛痒(つうよう)も及ぼさない。今の私には自分のことだけしか考える余裕がなかったのだ。
宿を取り、一目散に寝台へと横になる。旅疲れと泣き疲れのおかげで、眠りはすぐにやってきた。うつらうつらとしながら願う。次に目覚めた時には、嫌なことを忘れているようにと。
朝鳴く鳥の声に混じって、人々の騒がしい声がする。外からの喧騒と嫌な予感で、私は目を覚ました。窓の外を覗くと、山の方角目指して、血相を変えた人たちが走っている。確かあの方角には炭鉱があると聞いていた。事故でもあったのだろうか。だとしたら大変だ。私は取るものも取り敢えず、外に飛び出した。
騒ぎの原因は、懸念した通り炭鉱の事故だった。坑道が崩落したのだ。緊急連絡を受けた精霊師と移動師たちによって、死者や怪我人が次々と運び出される。そして呻き、泣き叫ぶ声や怒号がその場を埋め尽くす。現場は惨憺たる有様だった。
あまりの凄惨さに、体の震えが止まらなかった。なんて恐ろしいんだろう。現場の惨状はもちろんだが、それ以上に恐ろしかったのは、この辺り一帯を覆う穢れだった。炭鉱の入口から、おぞましい程の澱みがあふれ出ているのだ。
私は怪我人にさっと目を走らせた。四肢が青黒く変色している者がちらほらと見える。穢れに侵食されてしまったのだ。中には進行が早く、全身が穢れに染まってしまった者もいた。ああなってしまってはもう助からない。せめて、助かりそうな人くらいは助けないと。でも誰から……。
「誰か! さっさとこいつを診てくれよ! こんなに苦しんで、死んじまうよ……!」
悲痛な叫びに、私は気を取り直した。迷ってる場合ではないのだ。一刻も早く処置しなければ。
私は青年にすがる中年男性のもとに駆け寄った。
「落ち着いてください。今お助けします!」
「ああ……、助かるよ」
幸いにもこの青年は進行が遅い。これなら助けられる。私は彼の手を取り、精神を集中させた。
「あんた、何してんだよ! さっさと治療してくれよ!」
しかし焦れた男性によって私はがくがくと揺すられた。これでは祓うものも払えない。
「静かにしてください! 今穢れを祓いますから!」
「穢れ……? 何言ってんだ、あんた医者じゃないのか!?」
私は焦った。送還師を知らないのだろうか。辺境の村ともなれば、その可能性はなきにしもあらずだが。穢れは力をもっていないと見えないのだ。それを一から説明しなければいけないのか。でもそんな悠長なことをしている暇はない。
「送還師です。とにかく落ち着いて……」
「送還師だと……!? こいつに触るんじゃねえ! 人殺し!」
激昂した男性によって、私は突き飛ばされてしまった。
人殺し……。そんな風に言われたのは初めてだった。あまりにショックで、私はつい反論してしまった。そんな場合ではないというのに。
「そ、送還師は人殺しではありません……。苦しむ魂を導く尊い職です……」
「うるせえ! いっくら本人が望んだからってなあ、お前らのやってることは人殺しと変わらねえんだよ! そんなやつらに俺の息子を殺されてたまるか!」
男性が私に向かって鑿《のみ》を振り上げる。あまりの剣幕に身がすくんでしまった私は、動くことができなかった。
「ぐっ……」
苦悶の声を上げたのは、カイだった。私の前に彼が立ちはだかっていたのだ。どうしてカイが……。茫然自失とする私と同様に、男性も驚きに目を瞠っていた。
「ベンヤミン……? いや、お前、カイか!?」
突如、男性の顔が醜悪に歪む。そしてカイの呻き声が深くなる。カイの背に庇われてるので見えないが、きっと彼にはあの鑿が刺さっているはずだ。私は慌ててカイの前から飛び出した。
「てめえ、性懲りもなく戻ってきやがって……」
「ぐああああああ!!」
予想通り、鑿がカイの腹部に深々と突き立っていた。それを更にねじり込んでいるのだ。最悪なことに、そこから穢れがじわじわと広がっている。私は半狂乱になって、男性の腕にかじりついた。
「やめて下さい! お願い、もうやめて! カイが死んじゃう!」
「うるせえ!」
私は思い切り吹き飛ばされた。容赦のない拳をまともに受けてしまい、目の前がちかちかする。
「疫病神め! てめえがいるとろくなことがねえ! おまけに人殺しの仲間を連れてくるなんてな!」
男性の罵倒する声、カイのうめき声、そして殴打音。何とかしてやめさせたかったけど、まともに立ち上がれない。暴力の限りを目の当たりにしながら、私は弱弱しい声をあげることしか出来なかった。
「お願い、誰かたすけて……! やめさせて!」
あたりの喧騒にまぎれて、こちらに気付く者は中々居ない。男性が取り押さえられたのは、カイにとり憑く穢れが施しようもなくなった頃だった。
カイの全身は青黒く変色し、苦悶に顔を歪めている。私はカイに取りすがって泣き、何度も詫びた。
「ごめんなさい、ごめんね……」
「お前って本当に馬鹿……。こういうときは先生を呼ばなきゃ。俺達はまだ見習いなんだぞ……」
「うん……」
「……送還してくれ」
「無理だよ、ルカがないもの……」
「押し花、持ってるんだろ……」
知っていたのか……。二年前、あのひしゃげてしまった花を、私は押し花にしていた。淡い薄紫色の台紙に押されたそれは、とてもいい出来栄えで、カイにも見せびらかしたことがある。そしてお守りとして、肌身離さず身に付けていたのだ。
私は何も言えずに泣く事しかできなかった。
生ある者の送還には例外がある。死の床にある者がそれを望めば、五十歳以下でも送還を受けられるのだ。でもこんな形でお別れなんてしたくない。私たちはもうすぐ一人前になるところだったというのに。こんなのってない、あんまりだ……。
「迷い子になりたくないんだ……頼むよ、こんな所にとどまりたくない……」
「できないよ……。死なないで、お願い……」
「愚図、やっぱり、おまえは、送還師なんてなれっこない……苦しんでる者を、救うんじゃなかったのかよ、くそったれ」
カイの目から涙が零れる。はじめて見る彼の涙だった。
私は彼の手を恐る恐る握り、押し花を胸元に置いた。弱弱しい光を感じる。彼の命が消えかかっている証拠だった。
「……汝、送還を希望する者か」
「はい……。私、カイ・トゥオマリアは……送還を、希望します……」
宣言が終わると同時に、カイの感情が私の中に流れ込んでくる。
畜生。先生、ごめん。悔しい。どうして俺が。ソフィーヤなんか大嫌いだ。あんな奴ら、みんな死んじまえ。羨ましい。愚図で泣き虫。欲しい。ごめん。いつも、ごめん……
激しい感情の奔流に飲まれてしまいそうだった。今すぐにでも泣き叫びたい衝動に駆られる。しかし送還がすむまでは余計な事は出来ない。私は震える手を大地に添えた。
「カイ・トゥオマリアの願いにより、彼《か》の者の魂を大地に送還する。これより汝はひと時の眠りに身を委ね、後に新たな生を得ることだろう……汝の行く末に幸いあれ」
カイの魂が私の中から大地へと還って行く。彼の胸に抱かれたルカが土塊に還り、送還が終わった。カイはもうここにはいないのだ……。
私は再びカイの抜け殻に取りすがって泣き喚いた。
「カイ、カイ……!」
決して仲良くは無かったけど、七年も一緒に過ごしてきた仲間だった。悲しくないわけがなかった。しかも彼は私のせいで死んだも同然なのだ。使命感に駆られて、独断で動き、連絡を怠った。そのせいで彼は……。
「ソフィーヤ、カイは……」
背後からの声に振り向くと、呆然とした先生が立っていた。先生のそんな表情を見るのは初めてだった。私は余計悲しくなった。涙が後から後から溢れて止まらない。
「先、生……カイは、私が送還、しました……」
カイの亡骸を土に還してもらった後、私と先生は故郷への帰路に就いていた。サロでの送還式は、先生の知己である方に代役をお願いしたらしい。
馬車の中で、先生はカイの生い立ちを語ってくれた。
カイはラウマ村で生まれた。父子家庭だった彼は、五歳にして父親に死なれ、伯母夫婦に引き取られたらしい。彼が引き取られてすぐ、伯母が病に掛かった。そして死の床にいる伯母が死を願った時、カイは彼女を送還してしまったのだ。それを目の前で見ていた彼女の夫は怒り、その日からカイは虐待されるようになった。以前より彼を気味悪がっていた村人達も、それに便乗してカイを嬲って遊んでいたのだという。
ノルディアに併合されたばかりで、送還の知識も法律も根付いていない頃なのだから無理もない……と言うにはひどすぎる話だった。
「あの人はどうなったんですか……?」
「彼は捕らえられました。そのうち、しかるべき処罰が下るでしょう」
カイを刺したのは、伯母の夫だった。私が彼らを引き合わせてしまったのだ。私が、あの時彼らの元に行かなければ、あの現場にいかなければ……。後悔ばかりが私の胸に押し寄せ、涙がとめどなくあふれ出た。
「ソフィーヤ……」
「私、カイに申し訳なくて……。だって、私のせいでカイが……」
「そうやって自分をいじめるのはやめなさい……といっても悲しみの淵に居る今は無理でしょうね」
先生はため息をついて、壁に背を預けた。窓の外を見上げる先生の眼窩は、落ち窪んでいる。そしてここ数日、先生は笑顔を見せていない。カイの喪失が、先生の心にも深い傷を与えているのだと痛烈に感じられた。
外を見上げたまま、ポツリと先生が呟く。
「送還師になるのが嫌になりましたか?」
「わかりません、わからないんです……」
それは私がずっと考えていたことだった。
「私はずっと自分が正しいことをしているんだって思っていました……。でも、人殺しって言われて、解らなくなりました……。私は、死にたい人を殺している人殺しなんでしょうか……」
「人殺しではありませんよ。法律で決められてますから」
「そんな……」
熱の無い答えに、私は愕然とした。先生からそんな言葉が出てくるなんて。
先生は視線を私に据え、表情の無い顔で語り出した。
「私も貴女と同じように悩んだことがあります。そんな私にある方がこう言ったのです。君は望まれたことをしただけだ。望んだ人はそれで救われた。それでいいじゃないか。何より法律で合法とされているのだから、とね。私は根が単純なので、それで納得しました。もちろん見方は人それぞれでしょうね。人殺しと捉えるか、救いと捉えるか。……あなたはどうしますか?」
言外に、送還師になるか、ならないか、と問いかけられているのは明白だった。
カイならどう思っただろう。カイは何を思って送還師になりたかったんだろう。カイの最後の顔はどうだっただろうか……。思い浮かぶのは何故かカイのことばかりだった。彼に言われた言葉、表情、色々なものが頭の中を去来する。
「私は、救いだと思いたいです……」
安らいだ顔で眠りについたカイ。あれでカイは苦しみから救われたんだと思いたかった。
ぐずぐずと泣き続ける私の頭に、軽く手が置かれる。顔を上げると、先生が潤んだ瞳で私を見詰めていた。そして先生はいつもの笑顔で微笑む。目尻から雫がぽろりと零れ落ちた。
今日もルカの花が綺麗に咲いている。水をやり、雑草を抜き、いつものお世話をしていると、その中で一際目を引くルカを見つけた。薄青いルカの中に、薄紫のルカが咲いていたのだ。その色は、押し花をした台紙の色と同じ。
「もしかしてカイ?」
応えるはずの無い花に、私は思わず問いかける。きっとカイだ。私は根拠の無い確信を持ってそう思った。
もう出てきて大丈夫なの? 十分休めた? 私は目を細めて、花を突付いた。
「送還師なんてなれっこないって言ってたよね。でも私はなるよ。それから、先生に告白だってするんだから……!」
あれから一ヵ月が経っていた。晴れて見習い期間を終えた私は、今日から先生と共に州都へと向かう。この花のお世話が終わったら、先生を呼びに行くことになっていた。でも行く前に、先生にもこの花を見てもらいたい。
嬉しくて嬉しくて、目頭が熱くなる。ルカの花は役目を終えたら、また新たな生命に生まれ変わると言われている。今度は何になるんだろう。何にせよ、彼には明るい未来が待っていることを願いたい。私はルカのもう一つの花言葉を呟いた。
「カイ、希望ある未来を」




