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二日おき六時に更新
「榊原さん。こないだの学力テストどうだった?」
と、そう尋ねたのは進路指導の先生です。わたしは身を硬くして俯いたまま、ぼそりと「390ポイントでした」と言いました。
そうはいってもその手の基本的なデータはすべてプリント化されているはずで、わたしの口から言う必要はないように思われます。教師とか上司とか先輩とかがたまにする、分かりきったことを相手に反復させるやり方がわたしはあまり好きではありませんでした。
二年生になって行われるのは二度目となる学力テストですが。一年生の時の事件を乗り越えて精神的にも安定してきたというのもあり、わたしにしてはそこそこ調子の良かった390です。
「390ね。B高校なら『ふつうに受かりそう』ってくらいよね。決して『楽勝』とか『安心』って数字じゃないわ。特進は絶対に目指さないでね。あなた文系が得意なようだけど、B高校に行くなら理数系の方が大事よ? あなたは問題行動があるから、もうちょっとがんばった方がいいわ」
校内暴力および、警報装置に対する悪戯。これらの行為は、決して少なくないダメージをわたしの内向書に与えるはずです。
「中間期末は九割近く、取るようだけど……。下手に良いところを受けて落ちられても、進路指導担当としては困る訳よね。はっきり言って、今は一つランクを落としておいた方が、指導しやすいの」
それを聞いて、わたしは口をあけて顔を上げました。
「……そうなんですか?」
「もちろん。成績がよくなるとか、あなたの素行が改善されるようなことがあれば、これまでの志望通りB高校も十分に狙えるの。月並みな言葉だけど、最終的に決めるのはあなただから。だけど先生としての意見は……あなたにはC高校あたりが安牌かなぁって」
わたしに通えそうな範囲に、進学校と呼べそうなのは以下のとおりです。
まずは私立A高校。これはいわゆる本当に才能のある人や、志の高い人が通うところ。雲の上なのでここははじめから勘定に入れていません。雄介くらい成績がよければ或いは、というところ。
次に公立B高校。これは中堅上位の公立進学校で、学力テストのポイントは最低ラインでも350。これに、部活動での功績、内向点などが加味されます。わたしの場合は後者にやや不安あり、と進路指導の先生に懸念されているようでした。
もう一つ落としてC高校。A高校やB高校ほどじゃありませんが、良質な大学への進学を目指します。要領良く趣味と勉学を両立させ、上位から中位あたりの成績をキープできる人なら、入学はそう難しくないでしょう。
次にD高校ですが、部活動も盛んで評判も高く、そこそこ進学率が良い割には案外誰にでも入れるとのこと。わたしたちの中学でも、上位から下位まで幅広い進学先として人気があります。
「榊原さんは成績はまずまずなんだけど、部活にも目立った委員にも属してないのがね。それだけならまだしも、ちょっと色々やらかしちゃってるのが、致命的にまずいの」
「……はぁ」
「B高校を目指すなら、もう一つってところかな? まだ二年生だし……今からでも何かしてみる? とにかく、もうちょっとがんばってくれた方が先生としては安心できるかなぁなんて……。もう時間ね、じゃ、そろそろ次の人」
割と批判的な意見をもらったようで。わたしはとぼとぼと進路指導室を去りました。
わたしと入れ替わりで、出席番号の前後する生徒が進路指導室に入っていきます。本日の午後の授業は期末テストの自習を行いながら、出席番号の順番で生徒指導ということになっていました。
教室に入ると……教師がいないのをいい事に、自習もせず三々五々にしゃべくっていた生徒たちの視線が、わたしの方に向きました。警報機の一件があって以来、わたしに注がれる視線は三割増し程になっていたのですが、本日のそれはいつもと少し違いました。
……なんというか。好奇心や嘲笑ではなく、もうちょっと強いベクトルの悪意なんですね。バカにされているのとも違う、恨みとか憎悪とか、そういったものさえ感じる嫌な視線……。
唐突に、わたしの頭に紙のつぶてが投げつけられました。
それなりに硬い紙によって作られているのか、或いは中に何かが入っているのか。それを喰らったわたしは思わずたじろいで、頭を押さえました。見ると、既に進路指導を終えた出席番号の若い女子生徒を中心とした数人が、束になってわたしの方を睨んでいました。
「……あんたの所為で。あたしらの進学まで厳しくなるんだってさ」
と、その中では中心格らしい女子生徒がわたしに向かって言いました。確かワイのグループの二番手くらいの人だったと記憶しています。Yに次ぐものとして仮にZ、ゼータと呼びます。
ゼータは立ち尽くすわたしにもう一発紙のつぶてを投げつけてきました。それをかわすほどの反射神経を持たないわたしは、相手の狙いどおり左目にそれを受けてしまいます。
「先生から聞いたわよ。去年は学校に警察を呼ぶような事態が起こったから、その所為で推薦が受けにくくなるんだってさ。聞いてる? あんた一人の為にあたしらの進路まで被害をこうむるの? 分かってる」
「申し訳ない」
わたしはなるだけ媚びないような口調でそういいました。
「謝って済む問題じゃないでしょ? このチビ。っていうかあんたなに、暗いのよね? こないだも良いところでやって来て警報機鳴らすし、アタマおかしいんじゃないの?」
わたしは黙って身を翻しました。それから自分の席に戻ろうとすると、机に落書きがされていることに気付きます。『キチガイ。チビ。学校くんな』わたしは意を決して、ゼータの方を向き直りました。
「あれ? 怒った? 迷惑ばっかりかけるキチガイの癖に一丁前に怒った? へぇ? じゃ、これからも色々嫌がらせしてあげるから。あたし志望校一つ落とせって言われちゃったの。まだ二年生なのに。本気で許さないんだから……っていうかあんた後でトイレに」
「チビで悪かったですね」
わたしは両手で自分の机の両端を掴んで……力一杯持ち上げました。
ゼータの後ろで見物していたワイが、息を呑んだのが分かります。彼女はわたしがこういうのをやらかすことを、知っていますからね。
「ちょっとあんた……チビの癖に喧嘩売って……」
「確かにわたし、チビです。力だってそんなにありません」
と、わたしは机を掲げたままゼータににじり寄ります。
「でも机の重さにそんなの関係ありません」
言って、わたしはゼータの足元に自分の学習机を放り投げました。
ゼータは膝にわたしの机を喰らって、大げさにその場に転がりました。それから恐怖したような表情で、わたしの方をじっと見詰めています。蜘蛛の巣を散らすように周囲の取巻きたちが場を離れていきました。わたしがもう一度机を持ち上げると、中からばらばらとテキストがこぼれ、わたしとゼータの足元に降り注ぎます。
恐怖に塗れたゼータの頭の天辺に、それを力いっぱい叩きつけてやろうとしたその時
「やめてっ」
凶器を持っておそらくは結構怖い顔をしていたわたしに、命知らずな女生徒が飛び込んできました。
「やめて硝子ちゃん……。もう十分だよ、これ以上暴れたって意味ないよっ!」
わたしの胸にすがり付き、静止を促すのはアイでした。わたしは全身の力が抜けて、机を取り落とします。すごい音がして地面に机が転がり、周囲の生徒が後退ります。
ゼータがびくびくとした様子でその場を立ち去ったのを見届けて……わたしは安心してその場に膝を付きました。アイはわたしの様子を察してか、同じ目線まで来て肩を抱き、アタマに手を当ててくれます。
「怖かった……」
なるだけクラスメイトの前で弱みを見せてはいけないとは思うのですが……わたしは嗚咽を漏らすようにそういいました。アイは「大丈夫、もう大丈夫だから……」とわたしに声を掛けてくれます。
またいじめの標的にされるのかと思った。わたしはいつだって怯えています。びくびくと回りの顔色を伺って、自分に降りかかる火の粉は多少無茶なことをしてでも払っておきたい。ああいう風に明確な悪意を向けられて、冷静ではいられなくなっていたのでしょう。……荒事は得意じゃないのです。
「なに……すごい音がしたけど」
教室の出入り口から、担任の先生が顔を出して言いました。机に座って自習をする姿勢の学級委員さんが、涼しい顔をして言いました。
「榊原さんです」
クラスメイトたちが一斉にうなずきます。アイは戸惑ったようにわたしと先生の間で視線を泳がせますが、わたしはすぐにその場を立ち上がりました。
「またあなたかしら。もう勘弁して……。今すぐ職員室に来なさい、お話がありますから」
「……はい」
わたしは黙って俯いて、担任の先生の後ろをとぼとぼと歩いていきました。
どうも完全に問題児童として認識されてしまったらしく、先生のお説教は放課後をまたいで行われました。
わたしの唯々諾々とひたすら頷いている態度も良くなかったようです。はっきりしないとか、聞き流しているとか、そういう印象を与えてしまうようでした。
「手ごたえがないのよね、あなた」
先生はこめかみに手を当てて言いました。
「馬耳東風というか……。自分が何したか分かってる? さっき葦原さんが来て話を聞かせてくれましたが……それにしても、ねぇ? もうちょっと穏便にできないのっていうか……そこまでキレるのはおかしいわ」
「もっともです」
「あなた自制心とかそういうのってないの? 子供じゃないんだから、何事にも節度を持って。癇癪を起こせば良いってものじゃないの。それができなければ、これからもずっと鼻摘みものよ?」
「そのとおりだと思います」
「だったらきちんと考えてから行動しなさい。……今日はもう帰っていいわ。くれぐれも今後は問題を起こさないでね」
わたしは立ち上がって、首だけで挨拶をしてその場を立ち去りました。職員室の空気はあまり好きではありません。仕事をしている人の喧騒というか、ぴりぴりした感じがなんとも。
教室を出ると……そこには葦原アイがわたしのことを待っていてくれました。何やらぽっちゃりとしたお友達を連れて。
「あの栄えあるT大学の入学テストで、こんな問題が出たらしいんだ。是非とも、葦原さんにこれを考えて見てもらいたい」
そうアイに仰々しく口にしているのは、こないだの『ユウ』こと花畑家雄介でした。今までのものより少しだけ明るくなった表情で、自分より背の高いアイに向かって興奮したように話しかけています。
「ふふん。サルバシオ魔法大学で数学を専攻したわたしに、解けない問題はないわ」
魔法大学なのに数学専攻しちゃったんですか。あなた。
「博士号も持ってるわ」
「ははは、そりゃ頼もしいな。で、問題はこうだ……円周率が3以上であることを証明せよ……どうだい? エレガントだろう、キミならどう考える?」
何が『えれがんと』なのかはよく分かりませんが……できる訳ないでしょうそんなもん。
そもそも円周率というのが、どのようにして計算されたものなのかを知る必要があります。数学の苦手なわたしじゃなくても、そんなもん知ってる訳がありません。
「……うーん。わたしだったら、いったん、円を短い直線が集まってできた、正多角形だと考えてみるかな」
……へ?
「例えば正六角形なんかは、正三角形が六つ重なってできてるから分かりやすいね。正六角形を構成する正三角形の一片の値がr。正六角形の外周はこのrが六つ分だから6r。そして、本来の半径rの円の円周の長さは2πr。ところで正六角形の外周6rは、同じ直径の円の円周2πrよりも小さいはずだよね? 円の中に正多角形はすっぽり納まっちゃうから。よって、2πr=6r以上、円周率πの値は3よりも大きい。どうかな?」
……な。なんか納得できちゃいましたよ? アイの口から為になることが聞けるなんて、思いもしませんでした。
「うぃひひっ。完璧な答えだよ葦原さん」
……なんですか今の笑い方。
「いやぁ葦原さんはすごいなぁ。うぃひひっ。さすがだよ。僕はね、難しいと言っても複雑なだけの問題よりも、こういう見ただけでティンと来るような、一見して解きたくなっちゃうような問題の方が好きなんだよね」
「それ分かるなぁ。考えるよりも、思いついて解きたいよね。こういう思いついてすっきりするような問題? 用紙に計算式一杯書いたら解けるようなのはね。手間を書ければ解けるなら、解いても嬉しくないし」
「うぃひひっ。気があうじゃない、僕ら」
そう言って嬉しそうに笑いあうお二人。……アタマよさそうな会話しやがってからに、仲良いですね。
アイと話して、雄介くんはそのふくよかな顔を嬉しそうに歪ませています。アイは美人でスタイルも良いですから、男の子としては一緒に話せると楽しいのかもしれません。乳がでかくてツラがよく、アタマが軽く人を信じやすい、懐きやすい女……うっわ理想的。メンヘラですが。
とりあえずなんとなく思ったことがあったので、わたしは二人の間におずおずと入っていき、雄介に向かって言いました。
「人の話し方や笑い方に難癖をつけるのはよくないですが、客観的に見てあまりその笑い方は『えれがんと』じゃないです」
「うぃひっ?」
雄介はショックを受けたようでした。
「というか美人の葦原さんに鼻の下伸ばしてるように見えますよ。あなたに他意はないでしょうし、お話しながら笑っているだけなんでしょうけど……。それ、キモいとまでは言いませんが、キモいです」
「……女の子にそう言われるのはしょっちゅうだが、これは堪えるな……」
雄介は大ダメージを負ったようにうなだれました……やっべやらかしました。わたしは口汚いんだから、アイ以外にはもっと慎重に喋らないと……。
「ちょっと硝子ちゃん……それは酷いっていくらなんでも。雄介くんは硝子ちゃんが……」
「もう名前呼びですか。仲睦まじいですね。ところで葦原さんにはちょっとお願いが……」
こないだのあの一件があってから、アイと雄介は知人と呼べる関係になったようでした。雄介の方はあれだけの酷い姿をアイに対して見せてしまっていますし、アイの立場からしても顔を合わせにくいものがあったでしょう。本来ならばかなり気まずい関係になってもおかしくないのですが……そこはアイの無邪気さがカバーしたようです。
もっとも。雄介に恩を感じていたアイと、その恩に答えて助けにはいったアイですからね。お互いのことを尊重し、気遣い合うくらいのことはできたのかもしれません。
例の一件の後も、雄介に対するいじめ行為はやや下火になったとは言え続いていますが……雄介の顔が少しだけ元気になったように見えるのは、アイと仲良くなったお陰でしょうか。
……なんだか。こんなんでも友達を取られたみたいで、気に入らないところがなくもありません。
「こ。こんにちは、榊原さん。その……こないだは、どうも」
雄介がどもりながら言うので、わたしはつい目をそらして、突っぱねるように言いました。
「勘違いしないでください」
「へ?」
「別にあなたを助けようとした訳ではないんですから。あそこにたまたま警報装置があったから押しただけですし、押していじめっ子たちに効果がなければそのまま逃げてます。あくまで見捨てたら夢見が悪いって思ったから押しただけで、あんなのはただの自己満足です。それを何かの親切だと勘違いされたら困ります」
わたしがそこまで捲し立てると、雄介は「ツ……ツンデレっ?」とつぶやいてから、アイの方を見ます。
「硝子ちゃんこういう子だからね……。でもかわいいでしょ?」
アイが笑顔でそういうと、雄介は「うぃひっ」と頷いてから
「そうだね……。ちっちゃいのに勇気があって、すごい」
と、何やら変な視線をこちらに向けました。
意図が読めず……わたしは混乱してしまいます。
「……とにかく。葦原さん、花畑家君もですよっ。あなたたちに頼みがあるんです」
「なに? いいよいいよ、何でも言って。ふふ、硝子ちゃんに頼まれちゃった」
「ぼ、僕に頼み? いいよ、な……なんでもは無理だけど……」
いちいち大喜びする奴といちいち緊張してどもる奴……。られっこの第一条件って、やっぱりコミュニケーションのやり方ですよね。無口で無愛想なわたしに言えることではありませんが。
「勉強を教えて欲しいんです」
「……勉強?」
「ええ。今日はもう遅いのでまた今度でいいです。学年主席と次席のあなたたちになら、できるでしょう?」
「いいけど……硝子ちゃんふつうに成績良くなかった?」
……だから自分より下のものを褒めても嫌味なだけだとあれほど……わたしは咳払いして
「例の警報装置の一件で先生に目を付けられてしまいました。よって内向書に大きく響くんです。このことはあなた方にも無関係ではありませんから、拒否権はありません。おとなしくわたしの勉強を見なさい、そして成績をあげなさい」
「もっと素直に頼めないのかな……」
雄介が下を向いてぼそりと言いました。……分かってますよ。
「それなら僕も……最近成績が下がって親に殺されかけたから、やるよ。葦原さんと、勉強会しようって話になってたんだ。だからその席で、榊原さんにも教えてあげられると思う。もちろん、できる範囲で」
「それはありがたいのですが……。成績下がった? あなたこないだの学力テストなら、点数的には全然いつもどおりというか。英語なんて全国的にも高得点だったって噂じゃないですか。アイより上でしたし……それがどうして?」
雄介は軽く、本当にかるーくアイのほうを一瞥してから、少しだけ遠い目をして言いました。
「……総合点で学年トップじゃないと納得してくれないんだ。親が」
さいですか……。
わたしが彼女の方を見ると、アイは「ほえ?」と視線を向けられた理由が分からないとばかりに首を傾げました。今の一連の流れで自分の所為だと気付けないものですかね……栓のない話なんですが。
「じゃあ明日は昼までで終わりだし……その後にでもどうかな?」
以外とリーダーシップのある雄介がそう取りまとめました。
「いーねっ! べんきょーかい、楽しそうっ! わたし何もってこようかな? 雄介くん、ポケクリはやるの?」
「葦原さんはあまり騒がないでくださいね。……あと持ってくるって、わたしの家にでも来るつもりですか? まぁいいですけど……」
こうして。翌日は雄介とアイと三人でたいそう盛り上がりました。
それが柄の間の休息だったことは……わたしたちの置かれている立場を考えれば、もちろん当たり前のことだったんですけどね。
学校生活は表面的にはそれなりに平和に、特にこれといって大きな事件がないままに進みました。
アイに対する陰口は、わたしたち二人に対してのものにもなっていましたが、しかし正面切って嫌がらせをしてくるような輩は減っていました。代わりのように机の落書き、上履きへの悪戯などが増えましたが、そういうのは気にしなければなんとかなるものです。
「いったぁっ。硝子ちゃん気をつけて、画鋲っ、画鋲入ってるっ! あたし吸血鬼だから無傷だけど、硝子ちゃん危ないっ!」
「とっくに取り除きましたよ……。というか、んな古典的トラップに三回も引っかからないでください。わたしはそういうの、二回ずつチェックしてから履くようにしてますから、まだ足の裏には一箇所しかケガをしていませんよ。えっへん」
「硝子ちゃん、それ胸を張るところじゃないっ!」
なんてまぁ適度に茶化しながら、実態の見えない敵からの嫌がらせを乗り切っていました。わたし一人ならもうとっくに参ってしまっていてもおかしくはありません。こうなってくると、共に戦う友達がいることは、本当にありがたいことなのだと実感しました。
どうやらわたしは本気で一部の生徒から睨まれているらしく、いつ取り囲まれてフクロにされないか、びくびくしながらの毎日となります。敵が見えないというのは本当に厄介です。もっとも、敵の首謀者が誰なのか、それが分かったところでわたしに何ができるかという話なのですが。また苦手な荒事をしなくてはならないことを思うと、しばしば泣きたい気持ちになるのでした。
そして気になるのはユウこと雄介の動向……彼に対するいじめはわたしたち女子の陰湿なものとは違う、もっともっと乱暴で危険なもののはずです。それを雄介が乗り切れているのか、たまには心配してやりたい気持ちにもなるのでした。
「うぃひひっ。大丈夫大丈夫。榊原さんのお陰か知らないけど……随分マシになったから。それに、こっちにされる言われはないんだから、堂々としてれば良いんだよ」
雄介はそう言ってからからと……いえ、うぃひひと笑いました。
「へぇ。強がりにしても……根性あるんですね。でもなければ、あんな環境であの好成績を維持はできないってものですか」
「いや。僕の場合は勉強に逃避してるみたいなもんなんだ。小さい頃からそればかりさせられたから、呼吸してるようなもんでね。うぃひひ、結構落ち着くんだよ」
「うらやましい感覚ですね……」
そんな会話を二人でしていると、「やっほー」とアタマの悪い声で挨拶をしながらアイが現れました。
「遅いですよ。その豊満なものが重いから、遅れるんだっていつも言ってるでしょ。Eですか? Fですか? わたしがもいであげますから、そこでじっとしててください」
「だから何をもがれるのあたし?」
そんな会話を聞いて、雄介がうぃひひと笑いました。
三人で一緒にいると、雄介とアイが二人でオタクっぽい漫画やアニメの話をし始めてしまうので、わたしは少し退屈になり、ちょっといじけたりします。アイから半ば押し付けられた本やDVDのお陰で、ある程度付いていけるようにはなったのですが……今はそういう話をする気分じゃないので、わたしは先手で切り出しました。
「そう言えば。花畑家くんと葦原さんは、どちらの高校に行かれるんですか?」
すると、アイはにこにことした表情で、当然のように答えました。
「硝子ちゃんと一緒のとこっ!」
「ふざけるのは止しなさいこの昼行灯。わたしはそういう、おおよそ守られない約束がなされるのを教室で聞いて、寂しい気持ちになるんです。わたしと葦原さんじゃ成績が全然違うでしょうが」
「いやいや。それがあながち、空約束じゃないみたいなんだよ」
と、雄介が含みありげに言いました。
「僕はA高校を目指すんだろうけど……はっきり言って今の成績じゃキツいからね。B高校で妥協しても良いと思ってる」
「え……。花畑家くんがですか?」
「そう。A高は本当に厳しいんだ。親はそこでも前期で受かって、一番の成績を取れっていうんだろうけど……。無茶は無茶だ。きっとB高校に行って、学業賞でも狙うことになると思う。僕はがり勉だけど凡人だから、それも厳しいが」
「でも、葦原さんなら……」
「うんっ。あたしはA高は無理っ!」
「どうして?」
「私立は高いっ!」
アイはからからと笑いました。
「葦原さんは才能はあるけれど……お家はそんなに裕福じゃないらしいんだ。前に私立中学に通っていた時も、親にだいぶ無理を言ったらしくてね。それが一年で中退しちゃっただろ? 高校からは公立にしろって言われてるんだ」
「どうしてその話を先にあなたが知ってるんですか?」
「え……あ。いや」
わたしが訪ねると、雄介はあからさまに目をそらしました。アイはどこか楽しそうに
「こないだ一緒に映画見に行ったのだ。魔法少女エクス・マキナのっ!」
「ああ。あなたたちの大好きなアレですか。金髪の子の首から上があーなるシーンしか、印象にありませんけど……」
っていうかわたしハブられてません? どうして誘ってくれないんでしょうか……いや付いていったか分かりませんけど。ぐす、オタトークに加われないわたしに用はありませんか……そうですか。
「ち。違うんだよ榊原さんっ。僕も彼女も公開初日に見にいったものだから、映画館でたまたま居合わせてさ。それで一緒に見たってだけで……」
「カノジョですか。それはまたまぁ、シャレオツな言い方で……」
「ええっ。そんな、えっと、そういう意味じゃ……」
「それで……。葦原さんはどこの高校を受けると?」
「今から決めてる。B高校っ! 硝子ちゃんと一緒のトコねっ」
「あなたが入ることで花畑家くんの学業賞が実現困難になるんですがね……。っていうかわたし、まだB高校を受けられると決まった訳じゃありませんよ」
先生からはランクを落とせと言われていますし。これからおとなしく過ごすことができたとしても、この時期に起きた汚点は消せません。両親はどこに入ってもかまわないと言ってくれますし……わたしの成績じゃぁ、C高校あたりでやっていくのがちょうど良いのかもと、最近少し思い始めて……。
「先生の言うことなんて気にしちゃだめだよっ。決めるのは硝子ちゃんなんだからっ!」
アイはそう言ってわたしの頭を撫でました。
「確かに。先生方は自分の担当の生徒が受験に失敗されると困るからって……石橋を叩くようなところばかり押すからね。まぁそれに、まだまだ中学生活は長いから、今のうちにたるまないよう脅かしておくっていうのも、あるんだと思う。キミの成績ならB高校も十分射程圏内じゃないかな。それに……」
キミに来てもらえると、僕も嬉しい……という雄介の言葉にかぶせて、わたしは言いました。
「分かりましたよ……じゃあ今日も試験勉強しましょう。期末テスト来週ですしね」
「うんっ。そうしよっ、わたしたち三人でトップスリー取っちゃお!」
「期末なら三位はきっとうちのクラス委員さんですよ……。あの人先生の話なら本当に良く聞いてますからね、中間期末は強いです。美術やら技術家庭で取れないあなたたちと違って」
「じゃあ、僕も参加させてもらっていい? 今度葦原さんに負けたら夕飯のおかずが海苔の佃煮だけになるんだ。場所はどうする? 図書館にでもいく? ちょっと遠いか?」
「自転車で行けばすぐだよ。魔族的にはたいした距離じゃないって」
「なんですか魔族的にって……。わたし自転車乗れないですってば」
「じゃああたしの後ろ乗ってく?」
「以前二人乗りした時、わたしがあなたの運転でどれだけ恐怖したと思ってますか? ……学校の図書室でいいでしょう。放課後なら、人も来ませんし」
今にして考えると、わたしのわがままでそう決めさせたことは、大きな過ちだったと思います。
「あら。葦原さん……三人でどこに行くの?」
三人連れ立って図書室に向かって歩いていると、クラス委員の樋口さんとすれ違い、声をかけられました。
「こんにちはひでこちゃん。あたしたち、図書室で勉強」
「へーぇ。成績の良いお二人が一緒に勉強かしら。私もあやかりたいものね」
「一緒に来る?」
「ありがとう。でも、図書室には後で行くかもしれないけど、お勉強の予定はないわ」
「そうなんだ」
「ええ。それじゃあね」
そう言って樋口さんはそっとその場から立ち去っていきました。
わたしがいぶかしいものを感じながらそれを見送っていると、雄介が樋口さんの後ろ姿を見ながら言いました。
「今の人がキミたちのクラス委員さん?」
「そうだよ」
アイが請け負います。
「雄介くんのクラスは、誰なの?」
「僕だよ。面倒ごとだって、押し付けられたんだ」
うっわぁ。実によくある。そういやわたしも中一の文化祭の時、実行委員にされましたね。他にも演劇の大道具と小道具と演出と衣装と、主役とは名ばかりのさらし者の役をやりましたか。断ったのに見に来た両親に対して、すごく気まずかったのを覚えています。
わたしたちは揃って図書室に入りました。図書室と言っても司書さんがいて、返却ボックスがあって……というちゃんとしたところではなく。本が無造作に突っ込まれた、背が高く禄に固定もしていないような危険な本棚が並んでいて、そこから本が溢れかえっているだけといった体たらくでした。禄に管理されていないそこを、わたしは『図書室の廃墟』と心の中で呼んでいます。
それから思い思いにテキストを開きます。最近分かったことなのですが、この三人で勉強をするとペースとやり方が違いすぎて、教えあうことなんてできないんですよね。だから特に何の益もないのに何故か寄り合ってシャープペンを動かすと言う、非常に良く分からないことをしています。
雄介は得意の英語を。単語帳を開いて神経質な眼差しで、ひたすらノートに写しています。彼はなんでも長時間かけて何度も書き写して覚えます。ちなみにこれ、ちょっとでも邪魔するとすごく怒られます。
アイはというと、参考書を開いて無駄話をするだけ……という有様です。それで勉強になっているのかと思いますが、彼女の場合さらっとテキストの文字を目で追うだけで覚えてしまうようなので、問題はなかったりします。腹の立つことに。
わたしはと言えば、堅実に授業の予習と復習をなるだけ丁寧にこなし、届いた教材を解いて行くという具合です。テストのたびに『シンケンゼミに出てたとおりだっ!』と驚喜している訳ではありませんが、決まった量の教材が届くのは勉強がやりやすいので好きです。
そうやってしばらくアイをかまったり勉強したりしていると、図書室の扉が開いて樋口さんが入ってきました。
「ひでこちゃん?」
アイが尋ねると、樋口さんは綺麗に笑って。
「先生から本棚の状態のチェックを頼まれたの。留め金の状態とかね。ほとんど取り除いちゃったらしいんだけど、もし残ってたら先に外すんだって。夏休みに図書室の新装の時、揺れの対策と一緒に並び替えもするらしいから。まぁ、気にしないで勉強してて」
樋口さんがそう言って、わたしたちの方を一瞥してから自分の仕事に入りました。わたしたちは彼女のいうとおり、すぐに自分達の勉強に戻ります。アイのおしゃべりも再開です。
しばらくそうしていて……わたしはなんとなく居心地が悪くなりました。樋口さんの方を見ますと……まだもう少しかかりそうです。
「ちょっと。トイレに行ってきます」
と、わたしはその場で席を立ちました。
「そうなの? じゃ、わたしも行くっ!」
「トイレとかそういうパーソナルなことをする時くらい、一人にさせてくださいよ……。最近はただでさえいつもあなたがべったりなんですから。時には孤独が恋しくなるというものです」
「……心にもないことを言うね」
雄介が少しだけ、おもしろがるように言いました。それからぼそっと、
「そういうところが、魅力的なんだけど」
「何かいいましたか?」
聞こえませんでした。わたしは首を傾げて
「それでは行って来ます。葦原さん、花畑家くんを邪魔しちゃダメですよ」
「うんっ」
アイは元気良く頷きました。
「それでね雄介くん……こないだあのアニメが……」
聞いちゃいねぇ。
わたしが傍を通るときに、樋口さんが何か含みありげな表情でこちらを見ます。
視線を投げ返すと、樋口さんはその後も何事もなかったかのように、自分の仕事に戻りました。
わたしは図書室の外にでました。
一応本当にお手洗いに言って、手を洗ってから鏡の前で自分の姿を確認しました。
前と比べると……少しだけ明るい顔になれたような気がします。いえ、自分のことなので本当はよく分かりませんが。両親からは特に、「かわいくなったじゃないか」とか、今まではかわいくなかったみたいなことを言われますが……それもこれも、アイや雄介のお陰なのでしょう。
られっこ同士集まって、一緒になってびくびくおどおどと過ごしている。それは傷の舐めあいに見えるかもしれないし、実際、しばしば陰気な話をすることもあります。
しかしわたしたちにとってそれは、本当にかけがいのない時間で、大切なつながりになっていました。一生手放したくないと思える程の、生きていく中でもっとも大切な財産に。
二人組みを決める時にあぶれない為とか、裏切りあう準備のできたただの馴れ合いだとか……捻くれたことを行っていたわたしを、アイは大切な友達だと言ってくれました。わたしはそんなアイだから、彼女の為にらしくないことをし、負わなくて良い傷を負い、それでも後悔せず……今は、彼女なしでは生きていけないような気分ですらありました。
この友情を……わたしは誰にも壊されたくないし、それを守るならわたしはなんでもするでしょう。わたしは認めてしまいました。孤独ではないことを、冷徹で合理的なプレイヤーでいられなくなったことを。
それはわたしにとって、進化だったのか退化だったのか。
結論を出せず、出す気もないままにわたしは時間を見計らって図書室に戻ろうとしました。
ふと見ると、図書室の扉が開いているのが目に付きました。わたしは閉めたはずですから、樋口さんが出て行く時に閉め忘れたのでしょうか? 几帳面な彼女が? わたしはいぶかしく思い、こっそり中を覗きこみます。
そこにはこれまで何度も見かけた、何人のいじめっ子男女がアイと雄介を取り囲んでいました。
わたしは目を見開きました。それから、図書室の中に飛びこんで、本棚の影からさらに中を覗きこみます。……羽交い絞めにされて服を脱がされる雄介と、同じような目にあうアイ。
何が始まるのか。明らかにわたしたちがいることを知っての布陣は、これから何をするのか。
「聞いてたのと違うな。榊原の奴はいないのか」
そう言ったのは、雄介をいじめる主犯格たる男子でした。ティーとしましょう。
「殺されかけた江楠のお礼でもしとこうかと思ったんだが……」
「いいよ。あいつはもう……気持ち悪いし。ほっとけば?」
彼と親しいらしいエックスが、苦虫を噛み潰した顔で言います。
「あいつ窮鼠猫を噛むタイプだから……本人を追い詰めちゃ危険なのよ。とびっきりね。まぁ、お友達には手を出すけど?」
こいつ……この悪魔。やはり腹の中に一物抱えてやがったか。わたしは歯噛みします。
「こっちの吸血鬼ちゃんは結構かわいこちゃんだからな……。はは、楽しみだ」
ティーが露悪的にそう言って、アイに向かって舌なめずりをしました。
「こいつがぁ……まぁわかんなくもないけどね。でもクソビッチじゃん? 成績良いのってさ、ねぇ誰に体売って見せてもらってんの? アタシにも紹介しない?」
「はぁ? おまえが売りすんの?」
「違うわよ。こいつとのことネタにして、答案とお金でももらおうと思ってさ。きゃははは」
「……なに?」
羽交い絞めにされ、罵声を浴びせかけられながら、アイは恐怖したように言いました。
「何が始まるの……。やめてよ、そんなこと……わたしは高貴な……」
「吸血鬼ちゃんだっけ? ねぇねぇそれっていつから言ってんの? サムいのよっ、バーカ。何が始まるのってね……あんたはこれから、こっちの子豚と……」
「やめてくれっ!」
雄介が大声で叫びました。
「彼女は関係ないだろうっ。おまえらが用があるのは、僕だけのはずだっ」
「黙ってろっ」
冷たく言って……ティーが雄介の顔に蹴りを入れます。
雄介の顔の形が歪んで、鼻から血を流し始めました。それを見て、数人の男女が声をそろえて笑います。
わたしはその様子を……呆然と本棚の裏に隠れて見ていました。自然、本棚のふちに当てた手の力が強まり、鉄板を組み合わせただけの本棚はぎしぎしと妙な音を立てます。
……どうすれば?
あの時のように……警報装置でも鳴らしてしまうか? しかしこの図書室には警報装置は一つしかなく、それはアイと雄介を取り囲む集団にマークされる場所にありました。外に出て離れた廊下のものを鳴らしても……効果があるかどうかは微妙なところです。万が一アイと雄介を抱えてこの場を離脱されたら、もうどうにもならなくなる。
先生を呼べば……これを止められる人なんているのか? ここから職員室は遠い……それまでに致命的なことになったら? こいつらのしようとしていることは、絶対にさせてはならない辱めの一つです。万が一間に合わないようなことはあってはならない。
「どうすれば……」
わたしは泣きたいくらいの気持ちで顔に手を当てて、下を向きました。へこたれていても仕方がない状況なのに、わたしはただ泣いて騒いで、神様にでも助けを求めたい気持ちでいました。アイたちを助けてくれるのならば、何を犠牲にしたって……。
「見捨てちゃえば?」
……本当は……一つ確実な方法を、わたしは思いついていたのです。
「こっそり抜け出せばいいのよ。それで、現場の写真でも携帯電話で取って。後で警察に提出するとか。そうすればこれからの長期的ないじめも防げるわ。あなたの身も守れて完璧、それが正解行動だって分からない?」
どこかから、囁くような声がします。
それは確実にわたしに向けられていて……わたしの心を揺さぶりました。わたしの本質的な利己と保身の在り方が、声に従うべきだと警告します。この状況で何をしたところで……それは破滅にしか繋がらないと。
……背を向けて、逃げ去って。それでもアイと雄介は変わらず友情を約束してくれるでしょう。わたしにはなんとなくそんな気がしました。
この場は逃げ出しても、わたしはそこからできる範囲で彼女らを助ける行動をします。いったん卑怯に逃げたところで、もっとも確実で唯一迅速なその手段を採用しなかったところで……誰がわたしをとがめるというのでしょう。
わたしは本棚のふちから手を離し、そっと出入り口のほうに視線をやりました。
「……そう。じゃあ、逃げるのね」
その時……わたしの間近、息がかかるような声が響きました。
わたしはその声に……聞き覚えがありました。二度と忘れることのできない、忘れてはならないその声は……わたしのことをあざけるように、とがめるように、そして懇願するようにそういいました。
「じゃああなたは……また友達を見捨てるんだっ!」
声は泣き叫ぶようにそう言ってから、わたしの傍を離れていきました。思わず振り返る暇もなく、いじめっ子たちの驚喜と嘲りの笑い声が響きます。
「助けて……」
それに混じって……羽交い絞めにされ制服を破かれるアイの悲鳴が耳朶を揺らしました。わたしはいたたまれなくなって、本棚の脇からアイを見詰めます。そこにはなぶられてぼろぼろになったアイの姿がありました。
「……助けて、お願い。助けて硝子ちゃんっ!」
これまで、彼女がわたしに助けを求めたことがあったでしょうか?
いいえ……わたしが散々釘を刺しましたから。わたしは自分勝手に……頼るな、巻き込むなと、何度も何度もそういいましたから。本当に彼女は、何があっても自分からはわたしに頼りませんでした。
「あっはっは。来ない来ない」
エックスが笑います。
「あいつは結局……自分のことがかわいいのよっ! エーコもそういってたわっ! あんたのお友達は……今頃図書室をちょっと覗いてすぐに逃げるとかしてるっ! 安全なところに一人でいるに違いないわっ」
「違うもんっ!」
アイは、強がるように……しかし信頼と確信を持った声で言いました。
「硝子ちゃんは強いもん……吸血鬼のあたしなんかより……あんたみたいな一人じゃ何もできない腐った奴なんかより、ずっと強いもんっ! そんなあんたみたいな連中から……硝子ちゃんは絶対に逃げたりしないっ!」
だって……とアイは絶叫しました。
「硝子ちゃんは……あたしの友達なんだもんっ!」
その時……わたしのアタマの中で何かが強く共鳴し、繋がりました。
全身が浮くような高揚感と、今まで自分を縛っていたものから解き放たれる開放感。それは過去にわたしがエックスを殺そうとした時に似ていて……まったく比なるものでした。
わたしは冷静に勘定します。ここからアイや雄介が犠牲になるようなことは……ありませんね。少なくとも雄介は絶対に大丈夫。アイが暴れて足を突き出せば、それが少し危ないといった程度。
逆にもっとも被害が出る相手は……これはちょっと、厄介ですね。
わたしはそばにおいてあった本をとるための台を引っ張ってきて、本棚の傍におきました。そして、軽く助走をつけて台に飛び乗りつつ、本棚に向かって体当たりします。
緩みきってほとんどが取り外された本棚の留め金は、まったく用を成しません。高いところを大きく突いた為、テコの原理も働いたでしょう。わたしの全力の突進は直立した本棚を緩慢に突き倒し……アイの真正面で腕を組んでことの見物に当たっていたエックスの背中に向かっていきます。
「へ……?」
ティーが、呆けたような顔で本棚を見詰め、それから本能で飛び退ります。疑問に思ったらしいエックスが、ティーの指差す方を体ごと振り向きました。
激しい音がして、エックスの悲鳴がそれにかき消されました。ばらばらと中の本があふれ出して、アイやユウ、いじめっ子連中に降り注ぎます。エックスは体の半分を本棚の下敷きにし、苦悶の表情で体を起こそうとしました。
辛うじて首だけを起こしたエックスと、体当たりの拍子に一緒に倒れて、本棚ごしにエックスの上にかぶさったわたしの目が合いました。
「……さ。ささ……さかきばら……っ」
恐怖に表情を歪め、エックスはそこで意識を失いました。わたしはその場を立ち上がり、呆然とするいじめっ子連中を見渡してから、大声で叫びました。
「今すぐここから出て行けっ! クズどもっ!」
ティーを含めた一団は、わたしの一喝に、蜘蛛の巣を散らすように逃げ出していきました。「……やべぇよ、あいつ、やべぇ」そんな風にささやきながら、恐れるようにして。
「硝子ちゃん……硝子ちゃんだぁっ」
あちこちなぶられ、うつろな表情になったアイと、わたしは目が合いました。
「やっぱり、助けに来てくれたんだね」
「当たり前じゃないですか」
わたしは言って、アイの傍で微笑みました。
「わたしたち……友達でしょう?」
そう言ったわたしの背後で、一つの足音が、後ろの出口から図書室の外に出て行きました。




