第71話 『順調な道のり』
プリシラ一行の山越えの道のりは順調だった。
麓から山に足を踏み入れて3時間。
傾斜は多少あるものの、道も踏み固められていて比較的歩きやすい。
そうして昼過ぎにはこの山の中で最も標高の高い場所に到達していた。
見晴らしの良い広場のようなその場所で、4人は休憩と昼食を取ることにする。
「ここが山頂なの?」
「山頂というか……こういう場所がいくつかある。ここからは下ったり上ったりだな」
プリシラの問いにジュードはそう答えると、日差しを避けられる木陰の地面に敷物を敷き、昼食の準備をする。
ジュードの手際の良さを見ながらプリシラはエミルと共に彼を手伝いつつ、チラリとジャスティーナに目を向けた。
油断なく周囲を見張るジャスティーナの腰には2匹の死んだ野兎が縄で縛られ吊り下げられている。
ここに来る途中でジャスティーナは2匹ほど野兎を弓矢で狩り捕っていた。
今夜は山中で一泊することになるので、夕飯用にするつもりだ。
(すごかったなぁ)
弓矢で野兎を狩ること自体は、プリシラも慣れているため驚きはしなかった。
しかしジャスティーナはプリシラよりも先に野兎の存在に気付き、藪の中に素早く矢を放ち一撃で仕留めたのだ。
恐らく彼女はこれまでの放浪生活で、こうした山越えを幾度も経験し、獣の動きを知り尽くしているのだろう。
「季節が冬じゃなくて良かったな。この辺りも冬は雪深くなるから、そうなったら山越えは数倍大変だっただろう」
そう言うとジャスティーナは敷物に腰を下ろし、ジュードが広げてくれた食べ物に手をつけ始める。
その多くは今朝、セグ村で出された朝食の残りだった。
皆が食事を摂る様子を見ながらジュードは自身も食事を口にする。
そうして一息つくと彼はプリシラとエミルに目を向けた。
「プリシラ、エミル。ビバルデには誰か待っていてくれるのか?」
「おそらく……母様は公務があるからダニアに戻っているでしょうけれど、誰か人を残してくれているはずだと思うわ」
「そうか。ビバルデに到着したら出来るだけ早めにダニアに戻ったほうがいい」
「え?」
ジュードは懸念をその顔に表しながら話を続ける。
「アリアドがああして王国軍に占領されてしまったってことは、国境にほど近いビバルデでも共和国軍が厳戒態勢を敷いているだろう。もしかしたら王国軍が国境を突破して、ビバルデにも攻撃を仕掛けてくるかもしれない」
「王国はそんな無茶をするかしら……。そうすると王国は公国のみならず共和国まで敵に回すことになるわ」
「可能性は否定できない。ジャイルズ王は領土的野心のある人物だ。そして王国は今、公国の各都市を短時間で落とせるほど力をつけている。何より王国軍の先頭を進むのは、あのチェルシーだ」
「チェルシー……」
その名を聞き、プリシラの顔に影が差した。
クローディアの異父妹であるチェルシーは現在、王国の将軍職に就いている。
「知っていると思うけれど、チェルシーはあのクローディアの妹だ。君たちはチェルシーのことはクローディアから聞いているのかい?」
その問いにプリシラとエミルは顔を見合わせた。
2人の脳裏にクローディアの優しい笑顔が浮かぶ。
「ええ。直接面識はないけれど、その名前は昔から聞かされているわ。アタシもエミルもクローディアには昔からお世話になっているから」
プリシラはクローディア本人からチェルシーという妹がいると聞かされた時のことをよく覚えている。
妹の話をする時、クローディアはいつも少しだけ辛そうな表情を垣間見せるのだ。
妹とは離れ離れになっている。
自分のせいで妹には寂しい思いをさせているのだとクローディアは話していた。
彼女は共和国大統領のイライアスの妻となり、2人の子供に恵まれた。
優しく理解のある夫と支え合い、母親として我が子を慈しむ。
他人から見れば羨やましがられるような幸せな人生だろう。
だが彼女の人生には常に妹のことが暗い影を落としていたのだ。
プリシラも姉の立場だから分かる。
幼い兄弟姉妹と生き別れることは辛く寂しいものだと。
ましてやチェルシーはクローディアと最初で最後の出会いを果たした時、まだわずか1歳という幼さだったのだ。
そしてチェルシーは姉と離れた後、ほどなくして最愛の母・先代クローディアを亡くす。
さらには母に次いで父である前国王を亡くしたのだ。
妹がそのような境遇にあると知ったクローディアの心痛は想像するだけで辛くなる。
「クローディアはずっとチェルシーを自分の元に呼び寄せて面倒を見たいと言って、王国のジャイルズ王へその旨を親書で送り続けていたの。夫のイライアス大統領も公国側へその打診を続けていたのよ。だけど結局それは果たされなかった」
プリシラの言葉にジュードは痛ましい表情で頷いた。
王国のジャイルズ王にとって異母妹であるチェルシーには利用価値がある。
ダニアの女王の血を引いているのだから。
それをみすみす手放すことはしないだろう。
「……俺がチェルシーに最後に会ったのは10年ほど前のことだ。まだ彼女が6歳くらいの時だな」
その話にプリシラとエミルは驚いて顔を見合わせる。
「ジュード。チェルシーに会ったことあるの?」
「ああ。俺は13歳まで、王国の先代クローディアの下で暮らしていたからな」
その話にプリシラもエミルも目を見張った。
「そうだったのね……ねえジュード。チェルシーはどんな感じだったの? クローディアは嘆いていたわ。毎月必ず手紙を送っていたのだけれど、返事が無いので届いているのか分からないって」
「毎月必ず?」
「ええ……今もよ。クローディアはずっと今も毎月必ずチェルシーに手紙を送っているわ。ずっと返事をもらえないのに」
「そんな……そうだったのか。チェルシーも……何度もクローディアに宛てて手紙を書いていた。だがある時から返事は来なくなったんだ。そのことで幼い彼女はかなり傷付いていたようだった」
昔を思い返しながらそう言うジュードにプリシラは憤然とした表情を浮かべる。
「クローディアも同じことを言っていたわ。最初のうちはチェルシーが描いてくれたクローディアの似顔絵が幼い字と共に送られてきていたけど、しばらくすると返事が来なくなったって」
その話にジュードは合点がいった。
「そうか……そういうことだったのか。クローディアの手紙もチェルシーの手紙も、どちらもおそらくジャイルズ王が事前に握りつぶしていたんだ」
「ど、どうして……」
そう憤るプリシラだが、すぐにその答えは理解できた。
「クローディアとチェルシーを引き裂こうとしたの?」
「だろうな。王国を裏切った格好のクローディアに引っ張られるようにチェルシーが王国を出て行くことを恐れたんだろう。その可能性はある。もちろん俺は真実を知らないから憶測に過ぎないが……」
そこまで言うとジュードは水袋から水を飲み、一息ついた。
そして溜息と共に話を続ける。
「そうか。クローディアは手紙を送り続けていたのか。チェルシーの辛そうな様子を見ていて、俺はずっと思っていたんだ。クローディアは冷たい姉なのだと。だけど……それは俺の勝手な思い違いだった。プリシラ。教えてくれてありがとう」
そう言うとジュードはホッと安堵の笑みを浮かべながら、いつかもしチェルシーに再会することがあれば、そのことを教えてあげたいという気持ちになった。
同時にそれは叶わないのだと思い至り、ジュードは再び暗い気持ちになる。
自分がチェルシーに会えば、王国を裏切った脱走兵として捕らえられ、拷問の末に処刑されるだろう、
だが、もしそうなった時にはそれでもチェルシーに真実を伝えようとジュードは思うのだった。