第40話 『ジュードの危機』
ジュードはアリアドの東地区を移動し続けていた。
道を塞ぐ瓦礫を乗り越え、炎を避ける。
被害の大きい東地区はすでに多くの人が避難したようで、人の姿がほとんどなかった。
時折、崩れた瓦礫の下に潰されている人の亡骸を見かけることはある。
あるいはそれはまだ息があるのかもしれないが、ジュードにはその一つ一つを確かめている余裕はなかった。
罪悪感を振り切るように彼は街中を駆け抜けていく。
（今は……俺自身が逃げ切ることだけを考えるんだ）
やがてジュードの前方に高さ７メートルほどの市壁が見えてきた。
街の端に到着するのだ。
そしてその手前にはジュードの目当てである教会が見えた。
その聖堂は屋根に上れば市壁よりも高い。
聖堂の扉は開きっ放しであり、おそらくすでに聖職者たちも避難しているであろうことが窺える。
ジュードはこれ幸いとその聖堂に駆け込もうとした。
その瞬間だった。
ヒュンという鋭い風切り音が聞こえ、ジュードは反射的に滑り込むようにしてしゃがむ。
すると彼のすぐ頭上を一本の矢が通り過ぎて、聖堂の扉に突き立った。
驚愕に目を見開くジュードの耳に女の声が聞こえてきた。
「ごきげんよう。この辺りに黒髪術者さんがいるらしいんだけど、あなた知らない？」
その言葉にハッとしてジュードが振り返ると、そこには一騎の馬がいる。
その馬上で弓を持っているのは白く長い髪を持つ若い女だった。
そして彼女の後ろには黒い髪の女が同乗している。
白い髪の女は弓を手にしたままニヤリと目を細めてジュードを見た。
「その頭に巻いている布。暑くないのぉ？ 脱いじゃいなさいよ」
「いや……頭に傷があるもんでね。人に見られたくないんだよ」
そう言うジュードだが、その瞬間、白い女は弓を放り捨てた。
そして彼女が自分の太もも辺りに手を触れたかと思うと、その手が閃く。
その途端、パンッという破裂音が響き、ジュードは顔の左側に衝撃を受けて倒れ込んだ。
「ぐっ！」
強い衝撃と強烈な音が耳に痛みを与え、焼けるような麻痺した感覚が左のこめかみに走る。
何が起きたのか分からなかった。
気付くとジュードの頭に巻かれた布が吹き飛ばされ、その美しい黒髪が露わになっている。
「あらあら？ 黒髪術者さん見～つけた」
白髪の女はそう言うと、右手で何やら金属の武器をクルクルと弄ぶ。
その武器の筒状になった先端から白煙が立ち上っていた。
ジュードは見たことの無いその武器に戦慄を覚える。
（な、何だ？ あの武器は……）
風の噂では聞いていた。
王国軍が奇妙な新型武器を用いて目覚ましい戦果を上げていると。
それを実際に目にするのは初めてだが、何かの物体を高速で飛ばす武器のようだと分かる。
しかし弓矢とは桁違いの速度であり、飛んでくる物体を視認することはとても出来ない。
麻痺していた左のこめかみが徐々に痛み始めた。
どうやら今しがたその武器から放たれた物体が側頭部に掠ったようだ。
そして聴力が一時的に低下しているようで、周りの物音が聞き取りにくくなっている。
そんな状態ではあるが白髪の女が朗々たる声を上げたため、その声はハッキリと聞こえてきた。
「私は王国軍、チェルシー将軍直属部隊のオニユリ。あなたを我が軍の黒帯隊に勧誘するわ」
その話を聞き、ジュードは白髪の女よりもその背後にいる黒髮の女を見た。
（……知らない顔だな。まだ若い。俺が出て行った後に黒帯隊に入った子か。俺の顔も知られていないなら幸いだ）
ジュードは徐々に強くなりつつあるこめかみの痛みを堪えて両手を上げた。
「随分と過激な勧誘だね。美しいご婦人方。そう言う乱暴なやり方じゃ、人は靡かないと思うけど」
そう言って苦い笑みを浮かべるジュードだが、オニユリはケラケラと小馬鹿にしたように笑う。
「乱暴？ どこがぁ？ 私、あなたの両足を撃って動けなくしてから無理やり連れて行くことも出来るけど、そうしなかった。優しいでしょ？」
その顔は笑っているが、その目には冷たい光が宿ったままだ。
ジュードは直感的に感じ取った。
この女は笑いながら他人に危害を加えることの出来る人種なのだと。
世の中にはそういう人間がいることをジュードはよく知っている。
「あなた。公国所属の黒髪術者？ 王国以外にも黒髪術者を養成する機関があるってこと？」
「いいや。俺は根なし草の流れ者さ。たまたまこの街にいたところを運悪くあんたらの襲撃に巻き込まれたんだ」
「ふ～ん。ま、どうでもいいわ。私と一緒に来なさい。なかなかの待遇で暮らせるわよ」
「……その光栄な勧誘を断ると俺はその不思議な武器で頭に穴を開けられるのかな？」
そう言うジュードにオニユリは面白そうに目を細め、手に持つ武器を誇示して見せた。
「これは拳銃っていうのよ。鉛の玉を高速で撃ち出して人間を一撃で殺すことが出来るわ。この大陸の人たちは知識も技術も遅れている。これを持つ相手に剣や弓矢なんて無意味だわ。こういう技術を持つ私たちココノエの一族が王国に与した以上、王国の軍事的発展は他国の追随を許さない。近く王国は公国や共和国を抜いて大陸随一の強国になる。あなたも勝ち馬に乗りたければ私の勧誘を受けるべきだわ」
その話にジュードはオニユリの白く美しい髪を見つめる。
噂には聞いていた。
王国に移住してきた西方の民であるココノエの一族は老若男女、皆一様に真っ白な髪を持つという。
（ココノエ……。大陸の外からやってきて最近、王国に属したばかりの西方の民。本当に真っ白な髪なんだな）
ジュードは静かに黒髪術者としての力を開放する。
こうして敵に見つかってしまった以上、力を閉ざすのはもう無意味だ。
何とかこの状況から抜け出さなければならない。
ジュードはオニユリの後ろに乗る黒い女に強い思念を送った。
それに驚いた黒髪の女は思わず口を開く。
「……あなた。その力はどこで訓練を？」
「我流だよ。誰かに訓練されたわけじゃない」
「嘘を言いなさい」
まさかかつて自分も黒帯隊に所属したなどと口が裂けても言うわけにはいかない。
組織から逃げ出したジュードはその後、二度と王国の土を踏むことなく放浪の旅を続けてきたのだ。
そんなことを考えているとオニユリが不機嫌そうな表情を見せ、黒い髪の女の頬を平手でピシャリと張った。
「なに勝手に喋っているのよ。私が彼と喋っているところでしょ？ 出しゃばりな女は嫌いよ」
「も、申し訳ございません」
黒髪の女は怯えながら謝罪する。
その瞬間、ジュードは反射的に動いていた。
地面に転がるようにして聖堂の中へ飛び込んでいく。
オニユリの意識がほんのわずかに自分から逸れた瞬間を狙ったのだ。
だがオニユリの反応は速かった。
「勝手に動かないでよ！」
オニユリが手を翻したかと思うと再び破裂音がした。
その瞬間、ジュードは爪先にわずかな衝撃を受けた。
聖堂の内側に飛び込んだジュードは、転がるようにして聖堂内に立ち並ぶ長椅子の間に身を隠す。
（やられた……いや）
彼は自分の左の爪先を見る。
靴の先が削れ、焦げたように黒ずんでいた。
どうやら掠めただけに済んだらしいと悟ったが、ジュードはゾッとした。
（少しでもずれていたら、足の指を失っていたかもしれない）
とんでもない武器だと思った。
撃たれたらとても避けることは出来ない。
そしてオニユリの言っていた通り、当たりどころが悪ければ一撃で命を奪われてしまうだろう。
「そんな中に逃げ込んでも無駄よ〜。すぐに見つけ出すから」
外から近付いてくるオニユリの足音と声が聖堂の中に響き渡る中、ジュードは息を潜めて再び黒髪術者としての感覚を閉じるのだった。
