最終話 豊滅の刃 無援拙者編
まさかの一方的なまでの大勝利の報はただちに王都アポロニアや、既に王都を脱出した王にも伝わった。
最初は誰もが余りにも派手な大勝にそれが誤報ではないかと疑い、やがてそれが紛れもない真実であることを理解すると、飛び上がって喜んだ。
街中は万歳万歳と叫ぶ歓喜の声で溢れ、貴族も平民もなく抱き合い、そして戦の功労者たちを称える。
戦勲第一位は言うまでもなく家康だ。
そもそも家康が啖呵をきらなければ、この戦いそのものがなかったのだから当然だろう。
そして戦勲第二位に女騎士部隊を率いての奇襲を成功させたアルベルタ。彼女の奇襲でオーク勢を削った上で、オークと人間の間に不和の種を植え付けた。また奇襲部隊に参加したエヴェリナが裏切り者のテオドリックを討ち取ることに成功している。これも異論は出なかった。
戦勲第三位はシルヴィアである。彼女は主戦場で戦いはしなかったが、別働隊一万を率い、見事ハマザーニー城塞を陥落させた。一部の心のない者は、王女ゆえの贔屓であると陰口を叩いたが、家康含む心ある人間は彼女の功績を疑わなかった。
もしも万が一ハマザーニー城塞の攻略に失敗していれば、オーク王が城塞にオーク兵を送り、完全に城塞はオーク側のものとなっていたのかもしれないのだ。そうなればたとえゴグリッブグを討ち取っていたとしても、戦略的にミハイル王国は詰んだままである。それを打開してみせたシルヴィアは、戦勲第三位としてなんら不足はない。
特に表彰されたのはこの三人だが、戦に参加した全ての者も等しく恩賞と栄誉を受けることになった。
宣言通り徴兵された罪人たちも、手続きが終わり次第、全ての罪を免じ釈放される予定である。
ちゃっかりしていたのはスカーレットで、結局は本人の『敵に降伏したふりをして寝首をかく機会を伺っていた』という主張が全面的に受け入れられ、罪を許されるどころか恩賞を授かり中央へ栄転までした。
「ある意味スカーレットこそ、一連の戦いで最も見事であったかもしれん」
この結果に家康は呆れ半分感心半分でそう漏らしたという。
スカーレットとは逆に悲惨だったのはテオドリックとその一族縁者である。まずテオドリックは既に戦死していたため、死体は骨も残さず焼き払われた後、海に捨てられた。
そしてその一族は、一人の例外もなく生き埋め刑に処された。
残酷なようだがこれも敗者の倣いである。
「なんだ宰相。二人きりで話したいこととは」
深夜。ミハイル王国国王レオナルドは、宰相パトリックの求めで私室にて密会していた。
パトリックは最低限の挨拶を済ませると、ちょっとの時間も惜しいとばかりに本題を切り出す。
「無論、家康のことでございます。陛下は徳川家康をどのように思っておいでですか?」
「今回の大功労者だろう。性格も温厚で律儀であるし、ゆくゆくはシルヴィアを嫁にやって、余の一族として遇したい」
「私はそうは思いませぬ」
「なぜだ? 奴は召喚されてからずっと余に対して誠実であり続けたではないか?」
「誠実過ぎるのです。まったく右も左も分からぬ異世界に呼び出され、会う人間全てに『律義者』と評されるなど異常です。腹のうちでなにを企てているものか」
「考えすぎだ。心のうちで腹黒いことを考えつつ、善人として振舞うなど誰でもすることだろう」
「……私の考えすぎであればそれでよいのです。私も家康がそれなりに優秀という程度であれば何も言いはしません。ですが徳川家康は極まって優れています。これに王の娘婿という地位まで与えてしまい、もしもその野心が最悪のものであれば――――ミハイル王国は千年の歴史に幕を閉じることになるやもしれません」
「無礼だぞ宰相! よりにもよって我が国が滅びるなど! これが公式の場であれば、死にも値するぞ!!」
「死を覚悟して進言しているのです、陛下。どうか家康に対して警戒を解かれませぬよう」
「…………分かった。他ならぬお前の言うことだ。記憶には留めて置こう」
王の返答に一先ずパトリックは満足すると、王宮を後にした。
だがパトリックにとっての最も長い夜は、寧ろここからが始まりであった。王都にある自分の屋敷に戻ったパトリックは、使用人から来客を告げられた。
(こんな時間に来客?)
と、訝しんだパトリックに使用人は来客者の名前を告げる。
それは徳川家康といった。
「こんな時刻に訊ねたりしてすまなかったのう。寝ているかもとは思ったが、よもや留守とは。一国の宰相ともなると多忙なものなのですなぁ」
「貴方達と違い、戦が終わっても仕事はちっとも減らないもので」
「おうおうそりゃ偏見じゃよ。そりゃ末端の兵卒は戦が終われば一番つらい仕事は終わりじゃが、わしらのような将となると事後処理だなんだと文官並みに忙しい」
「ではそのお忙しい家康殿が当家になんの御用で?」
「今後のことを宰相と話したくてのう。公式の場でこれから何度でも話す機会はあるじゃろうが、その前に二人っきりで腹を割っておきたかったのだ」
徳川家康は今回の功績で爵位を授けられ、王女シルヴィアとの婚姻が進められている。
ゆくゆくは空席となっている大将軍の地位につくであろうというのが大方の見方で、それは正しかった。つまり文官のトップであるパトリックに並び立つ地位につくということである。
「国土は大陸の二割、城塞の中に引き籠って、定期的に生贄を差し出して偽りの安寧を享受する。パトリック殿はこの現状をどう思われる?」
「例え偽りであろうと、滅びるよりはマシでしょう」
「くっくっくっ。わしは腹を割って話そうと言っておるのですぞ、宰相殿」
「……失礼。酒を入れさせよう。素面では話せるものではない」
使用人に命じてグラスに酒を注がせる。
血のように赤いワインが、グラスの中で星明りを反射しながらゆらゆらと揺れている。家康は思いっきりそれを一気飲みすると遠慮なく二杯目を注いだ。パトリックはグラスに口をつけるだけで飲むことはなかった。
「秦檜の策は、一時の安寧を得るためのものではない」
酒を飲みながら家康が言う。
「寧ろ攻勢のための準備なのだ」
「攻勢とは?」
「とぼけるのが上手だのう。偽りの安寧を得てから二十年余り。人間は強くなった。オークと戦うための戦術を考え、武器を考案し、兵站を整えた。今でこそオーク一体を倒すのに兵士三人で事足りるが、オークが発生した頃は一体のオークを殺すために二十人の兵が犠牲になったという」
「よく勉強されていますな」
「教師がいいのじゃ」
家康が茶目っ気を出すようにウィンクした。
「対して……オークはどうなったか? それは――――」
「弱くなった」
このまま家康に喋らせ続けるのもしゃくだったのでパトリックが先を続ける。
「これまで奪い貪るだけだったオークが、貢ぎ物という形で戦わず得る術を知った。捕虜にした人間から我々の文化を得て、中には家畜であるはずの女に情愛を抱く個体まで現れた。
その証拠にオーク王が要求する貢ぎ物のリストに、料理や歌や娯楽に精通した囚人が加わった。聞くところによればオーク王は、元死刑囚の料理人を側近として寵愛しているという。
ああ、そうだ。多少ロマンチックな言い方となるが――――彼らは愛を知った」
だからこそ、
「滅ぼすことが出来る。戦いしか知らぬ怪物には勝てぬが、愛を知った生き物ならばわしら人間は殺し尽くすことができる」
恐らくゴグリッブグはその未来を予期していたのだろう。
だからこそ独断専行という一か八かの手段に出て、人間とオークとの戦いに完全な決着をつけようとした。失敗してしまったわけだが。
「とはいえ今すぐにというのは厳しかろう。もっとオークには人の文化と愛を知って、堕落してもらわんとのう。宰相はどれくらいかかると思う?」
「……オークの寿命は二十年程度。既に秦檜の時代を知るオークは殆ど死に絶えた。しかし念には念を入れて……もう十年は欲しい。それでオークから戦争を知る世代は死滅する」
満足そうに頷いた家康はゆっくり立ち上がった。
背丈は意外にも小さい。パトリックと比べれば頭二つ分は背が低かった。それでも何故かパトリックには彼がオークを上回る巨人に思えた。
「今日は有意義な話ができた。ではわしはこのへんでお暇しようかの」
「……一つ聞きたい」
「答えられるものなら」
「お前の望みはなんだ?」
「天下泰平の世じゃよ」
「誰の下での泰平だ?」
「答えるまでもなかろう」
「……ああ、そうだな。その通りだ。答えるまでもない」
この瞬間、パトリックはいずれ徳川家康と決戦することになるであろうことを確信した。
自分と家康は目指す地平は同じだが、天に立つ唯一人が誰かで決定的に相容れない。
神歴1392年。
ミハイル王国はオーク側に使者を送り、正式に講和条約を結んだ。
これは人間とオークの間で交わされた最初で最後の条約となる。
オークへ恨みを持つ者は皆が王政府を批判したが、レオナルド王が決定を覆すことはなかった。
王国の真意が明らかとなるのは、その十年後のことであった。