祝祭の森と屋台の薔薇
ふぉんと、空気が唸る。
二人が降り立ったのは、ノインが高位の人外者らしい無造作さで選んだその街の高台であった。
高台からは雪化粧した豊かな森に囲まれたきらきらと輝く美しい町が一望出来て、ディアは現れた景色の美しさに目を丸くする。
「ふぁ………」
どこか、ファーシタルに似た町だった。
同じように森に囲まれていて、けれどもあまりにも違う。
雪を積もらせた木々は、ディアが見たことのない不思議な煌めきを灯していて、町は宝石のような色とりどりの瓦屋根に雪が積もり、見間違いでなければ一際大きな劇場のような建物の屋根の上には緑色の竜がいた。
人々が歩いている賑やかな通りの向こうにはすらりと伸びた尖塔を備えた教会があり、そこまでの道には祝祭の夜らしく屋台が並んでいるようだ。
どこからともなく聞こえてくるオーケストラの優雅なワルツに、町角で踊る妖精達がいる。
規模だけでいえば、ファーシタルの王都の方が大きいだろう。
だが、決して大きくないこの町は、目を瞠るほどに美しい。
町の中央にある大きな教会の前の広場には、物語の中に出てくるような壮麗な祝祭飾りの木が立っていた。
飾り木の天辺に飾られた大きな星型の石が、ぺかぺかと光り、その周囲には飛び交う妖精達が見える。
震える吐息を吐き出し、ディアは、今の自分が見ているものをまずは心の中で噛み締めた。
それでも興奮は覚めやらず、体が小さく震えてしまう。
「よ、よ………妖精さんがいます!」
「ああ。ここはお前が憧れていた妖精刺繍の盛んな国の中にある、小さな渓流と森のある町だ。アンシュライド領の中心地に連れて行ってやるには準備が足りないからな。その領内の小さな町だが、それでも美しいだろう」
(……………アンシュライド!!)
それは、ディアがずっと憧れていた、人ならざるもの達の息付くおとぎ話の土地だ。
話に聞いていた美しい領主館のある中央統括地ではないにせよ、ここはそのアンシュライドであるらしい。
ずっと、ずっと、ディアが来てみたかった場所だ。
そして今夜はまだ、亡霊になってからでは見る事の出来なかったリベルフィリアなのである。
「………ここに居るだけでもう、お腹がいっぱいです」
「……………胸じゃないのか」
「む、胸です!!」
ディアは、美しい美しいその町にすぐ夢中になった。
ファーシタルよりも降雪が多いようだが歩道の雪は丁寧に除雪されており、目に留まった公園の噴水では、見たことのないような妖精の乙女達が、この雪空の下でもきゃあきゃあと歓声を上げて水浴びをしていた。
「……………ノイン、あの赤い看板のあるお店の前の歩道に、おかしなものがいます!」
「ああ、三つ編みパン魔物だな」
「三つ編みパンの魔物…………」
雪の歩道をもそもそと歩いている長方形の生き物は、どこから見ても三つ編み状の塊パンだが、魔物なだけでなく、よりにもよって路地裏に住んでいる生き物なのだとか。
劇場の屋根の上にいるのは、森竜の一種で、あの劇場から漏れ聞こえる音楽を聴く為に屋根の上に住み着いてしまったらしい。
良い音楽を聴くと森の祝福を建物に落とすので、支配人はその共存を歓迎しているのだそうだ。
ノインは、この土地に仕入れに来るものがあるらしく、色々な事を教えてくれた。
教会からは鐘の音が聞こえてきて、開いた扉から出てきた人々は、その表情までは見えないもののとても幸せそうだ。
それを恨めしく思わないのは、今夜ばかりはディアもそちら側に加わる贅沢さを享受しているからだった。
「………ずっとここにいられたら、どんなに幸せなのでしょう」
「ほお、屋台はいいのか?」
「……………や、屋台も見られるのですか?」
(屋台!!)
屋台と聞いたディアは、ノインの腕の中でびょいんと弾んだ。
それは、家族がまだ生きていた頃に、父と兄がよく話していたものだろうか。
庶民的だがとびきりのご馳走があり、おまけにその美味しいものが安価で振る舞われる素敵な施設だと聞いている。
ディアが十歳になったら連れて行って貰える筈だったのだが、その約束は果たされる事はなかった。
今夜は祝祭の晩餐もいただいたし、ケーキは二切れも食べたばかりだ。
それでも、町からの風で届いた美味しそうな匂いに、ディアのお腹はぐぅと鳴ってしまう。
「…………まさか、何も食べていないのか?」
「全部美味しくいただきました…………」
「やれやれだな。明日のドレスが破れない程度にしておけよ」
「ド、ドレスは破きません!!」
(夢だった、屋台のご馳走が食べられるかもしれない!)
あまりの興奮にはぁはぁしてしまい、ディアは、まだ何の戦闘も行われていないのに、額の汗を手の甲で拭う。
そこでふと、夜風にふわりと揺れたドレスの裾に、ノインが用意してくれたドレスが目に入った。
こっくりとした青色は手触りの素晴らしい天鵞絨に艶消しの銀色に見える白灰色の繊細なレースがあしらわれたものだ。
羽織っているコートはあまりの滑らかさに抱きしめて眠りたいくらいの毛皮が使われており、ノイン曰く、これは霧を守る竜の毛皮を妖精の染料で染めたものなのだとか。
着ているだけで少しも寒くなくて、竜の毛皮のコートを着ているのだと思えば、わくわくするあまりに唇の端がどうしても持ち上がってしまう。
(……………あ、)
雪まじりの風に、ノインの髪を一本に縛った幅広の黒いリボンが揺れた。
まだ時間はあるなと呟いたその横顔は、どきりとする程に艶やかで美しい。
そうか、今夜は祝祭の夜なのだと思えば、やはり彼は美貌の夜なのだった。
人間には触れるのも怖いくらいに美しく、その断絶には微かな絶望ですら滲む程に。
けれども、ディアはいつだって、この怖くて優しい夜の国の王様が大好きなのだった。
「ノインは、なぜいつも髪を纏めているのですか?」
「俺の司るものを扱うのに邪魔だからだ」
「……………むむ、何を司っているのでしょう?………と、訊ねない方がいいのでしょうね」
そう呟き淡く微笑んだディアは、その直後にびしりとおでこを指で弾かれ、ぐるると唸る。
祝祭の夜におでこを赤くされるなど、何という邪悪な仕打ちだろう。
「いつか教えてやる。資質を教えた事で、お前の注意力が散漫になっても困るからな」
「……………ム、ムクモゴリス?」
「やめろ。そんな訳あるか」
「で、では、………ディルヴィエさんが飼っているということは、夜雲雀の王様的な………」
「よし、少しの間黙っていろ」
こつこつと床石を踏む靴跡に、ディアはノインの腕の中から周囲を見回した。
今いるのは、この町を見下ろす高台にある整備された展望台のようなところで、かつてこの土地が一つの国の軍事的な要所でもあった頃には、森に囲まれた町の見張り台だったのだと教えて貰う。
石壁にはひび割れからぽわりと光る毛玉のような花をつけた不思議な植物が葉を伸ばしていて、階段を降りてゆっくりと近付く森は、あちこちがきらきらぺかりと光っていて、不思議な程に賑やかだ。
(そうだ。…………とても賑やかなのだわ)
ファーシタルの森は、獣の気配もない時にはしんと静まり返る。
ディアはそんな森の静けさも好きだったが、この森は誰もいなくても沢山の者達が暮らしているのだと気付いてしまうくらいに賑やかで、ディアが生まれて初めて見るような鮮やかな夜の光の中にあった。
雪を重たく乗せた木々は夜空を縁取る天蓋のようで、そこには指先程の大きさの真っ赤な林檎のようなぼうっと光る実がなっている。
星屑のようなものを枝に糸でぐるぐる巻きにして得意げにしている栗鼠の背中には妖精の羽があるし、ぽわぽわと飛んでいるのは鉛筆のような謎めいた生き物。
森には雪の中でも花開く冬の系譜の美しい花々が咲き乱れ、祝福を宿した花蜜が結晶化したり、リベルフィリアの祝福の潤沢さに花そのものが結晶化してしまい、宝石の花のようになっていたりする。
なんて美しく彩り豊かで、そして恐ろしく奇妙な世界なのだろう。
ディアはやっと、ディルヴィエの言葉の意味が分かった。
光らない宝石と光る宝石では、こんなにも色そのものの持つ力が違うのだ。
ファーシタルの森と、この町を取り巻く森とはこんなにも違う。
「私は、どうして今迄、こんなに美しいものを知らなかったのでしょう。………お腹………胸がいっぱいになるくらい、幸せな気持ちです!」
「美しいものばかりではないし、美しくとも悍しく悪辣なものも多い。少しずつ見慣れてゆけよ。今はまだ、自分の足で歩かせる訳にはいかないからな」
「……………ええ」
その言葉にこれからを感じて、ディアの胸がほこほこと温かくなった。
しかし、その喜びも期待も不安も今は初めて見る不思議な世界の彩りに圧倒されてしまい、上手く噛み砕けずにいた。
ただ、ぎゅっと抱き締めて持ち上げてくれているノインの腕の温度を感じる。
あちこちを見回してそわそわわくわくしているディアを時折見つめる眼差しは、ディア自身の希望を差し引いてもとても優しくはないだろうか。
「……………ノイン、おかしなやつが現れました」
「森編みの妖精の亜種だな。獰猛だから手を出すなよ」
「編みかけの手袋にしか見えないのに、妖精なのですね。妖精とは………」
(ノインは平らな床を踏むように歩いているけれど、ここは雪深い森の中の筈なのだ………)
さくさくと軽い足音を立て、真夜中の精霊は軽々とディアを抱いて歩いていた。
人外者達の腕力は人間とはまるで違うらしく、そろそろ腕が痺れてくるなどと言うことにはならないらしい。
このくらいの重さであれば一晩でも抱えていられると知って驚いていれば、すらりとした長身のしなやかで男性的な美貌を持つノインばかりではなく、長身の美女かなというくらいに華奢に見えるディルヴィエでもそれが可能なのだそうだ。
「………薪割りが早そうです」
「言っておくが、基本的に人間以外のものは暖炉を嫌う。あれは、余分なものを招き入れる魔術的な扉になるからな」
「まぁ、そうなのですね。ちっとも知りませんでした。ノインも暖炉は嫌いですか?」
「お前の部屋の暖炉を、何度塞ぎたいと思ったか分からないな」
「なぬ。魔術でふわっと温かく出来ない人間は、凍死してしまうのでやめていただきたい」
「許可するのは、明日までだ」
(では、明日の向こうがあるのだろうか)
でもディアの復讐には、やはりディアの死が必要不可欠なものなので、その向こう側は亡霊になってから堪能出来るものなのかもしれない。
このようにしてリベルフィリアに一緒に過ごす事はもう出来ないかもしれないが、この様子を見れば、死者の日にはまた会ってくれて、またどこかに連れて行ってくれるだろうか。
そう考えると嬉しくなってしまい、ディアはどうしてもむずむずしてしまう口元を片手でそっと押さえた。
ふっと耳元で微笑むような気配がしたが、むむっと顔を上げればノインは澄ました顔をしていた。
「でも、グラタンは暖炉で焼くのではないのですか?」
「焼かないな。オーブンがあるだろうが」
「……………グラタンは、暖炉で焼かない?」
「そのふざけた情報は、どこから仕入れてきたんだ」
「……………グラタンにおいて、私を謀ろうとしたのです。やはり殺して然るべきですね」
「……………ほお」
ノインの瞳がすっと細められたところで、二人は森を抜けた。
ぱっと周囲が明るくなり、夜はまた色相を変える。
そうして開けた町の景色に、ディアは目を丸くした。
思わず、ノインの肩をぎゅっと掴んでしまい、爪先を静かに三回ぱたぱたさせる。
「……………町です」
そこにあったのは、おとぎ話の町だった。
リベルフィリアだからだろうか。
町は魔術の火を灯した祝祭飾りの木や、ちかちかと光る不思議な石で煌々と明るく、雪を掻いた歩道には花びらが振りまかれている。
商店の窓辺には小さなかやの木が置かれていて、その窓にへばりついて木を見ているのは妖精達だ。
まだ開いている店は飲食店が多いようだが、リベルフィリアの最後まで売り切らんとする祝祭の品物を売る店も多い。
ゆったりと歩くノインの腕の中にいるまま町に入ると、どぉんとどこかで打ち上げられた花火が夜空を覆った。
「……………花火が」
「ここの町は、リベルフィリアが最も長く続く町だ。夜のミサの後の焚き上げの儀式の後からは、厳密にはリベルフィリアではなくなるから、ミサそのものの開始が遅い」
「どうしてこの町は、リベルフィリアが最も長いのですか?」
「儲かるからだろうな。主要な都市よりも、祝祭が二刻以上長く続くというだけで、流れてくる奴等も多い。どう見ても、町の規模に見合わない商店の数だろう?」
「………そのお陰で、私はここでリベルフィリアを楽しめるのですね」
町の中は賑やかだった。
あまり大きくない町の中ではそこかしこで祝祭の挨拶が交わされており、町中にどこか不思議な高揚感がある。
一本の歩道に渡りどこかに向かう人々の流れに加わると、さっそく一つの屋台の主人がこちらに気付いて声をかけてきた。
屋台は初めてのディアは作法が分からずにすっかり固まってしまったが、ノインは慣れた様子で振り返っている。
「おやおや、精霊さんかい。腕の中のお嬢さんは恋人さんかい?」
「こっ……………?!」
「所有値が低くてな。祝祭を楽しませてやりたいが、自分の足では歩かせられん」
「そりゃ難儀な事だなぁ。とは言え、そこまで大事にされてりゃ、いずれ解決するだろうよ。はは、うちもかみさんが精霊だからなぁ。さて、祝祭の焼き菓子はどうだい?うちの屋台なら、子供用の刺激の少ないものもあるよ」
「星蜜は入れていないものか?」
「ああ。砂糖花と霧蜜で代用しているから、所有値が二十程度しかなくても大丈夫だ」
その言葉に頷き、ノインが買ってくれたのは火の気配などもないのに魔術で焼き立てのほこほこに保たれた焼き菓子だ。
大きく楕円形に焼いたものを大きなケーキ用のナイフでさっくり薄く切り出してくれると、表面がつるりとした紙の袋に入れ、そのまま齧れるようにしてくれる。
ノインにお礼を言ってからはふりと一口齧れば、たっぷりと乾燥させた果物が入っていて、シナモンやナツメグなどの香辛料の香りが堪らない。
ほろりとした甘さなので、幾らでも食べられそうだ。
その次に現れたのは、串焼き肉のお店で、ディアは違う方向を見ているノインにさりげなく知らせようと、慌ててくいくいとその服を引っ張る。
「ノインの大好きな串焼き肉がありますよ?」
「好物だと言った事は一度もないからな」
「む?」
「ったく……」
ディアはここで、四角豚という謎の生き物の串焼きを買って貰い、さっぱりとしているが物足りなさのない最高の香草塩だれの串焼きをご機嫌で食べる。
お肉も初めての美味しさに感動してしまうほどの味わいで、ディアに人生で初のお気に入りの肉種が出来た。
「ぎゃ!私の串焼きが取られました!!」
「全部食べるつもりなら、次の屋台はいいんだな?」
「…………で、では、少しだけですよ?」
途中で悪い精霊に横からぱくりと齧られてしまい、ディアは慌てて抗議したが、確かに少しずつ食べ進めて行った方が、他にも色々なものを食べられるかもしれない。
渋々、片腕でディアを抱えているノインが食べやすいように、串の角度を変えてやる。
紙コップに注がれた香辛料入りの温かな葡萄酒に、一口大の丸い新鮮なチーズの中に蜂蜜の入ったお菓子。
ふかふかの蒸しパンのようなお菓子に、苺とチョコレートのクッキーも勿論外せない。
くるくると魔術で回る紙人形に、王妃の首飾りよりも美しく思えたリベルフィリアのオーナメント。
きらきらと。
きらきらと。
(……………あ、あの人は竜なのだわ)
すれ違った男性も、ノインのように同伴者を軽々と抱き抱えている。
見ればくるりと巻いた角を持っており、周囲の人々より頭一つ分背が高いので、教えて貰った竜種の特徴に一致する。
店先のリースを盗もうとしていた小鳥姿の妖精が叱られていたり、至近距離で見るとますます謎生物な三つ編みパンの魔物がいたり。
はらはらと雪が降り、この町の中央にある広場に向かう通りの最奥には不思議な灯りに照らされた教会が見えた。
教会の前には、大きな祝祭飾りの木があるので、ノインが見せてくれようとしたのは、あの木なのだろうか。
だがディアは、その大きな木に辿り着く前の、町のそこかしこに置かれている小さな祝祭飾りの木を見ただけでもう、大満足の溜め息を吐いてしまった。
ちりりと、風に屋台の軒先に吊るされたものが音を立てる。
そちらを見たディアは、町の灯りを映してきらきらと輝く硝子細工のお店に目を奪われた。
小鳥やリース、リボンや小枝などの形を模した様々な硝子細工が売られている。
その全てがきらきらと光る美しさに、ディアも目をきらきらさせた。
「…………ふぁ、」
「ああ、オーナメントだな」
「こんなに綺麗なものを、沢山吊してあるのですね」
それは、不思議なオーナメントだった。
一つずつの色合いが微妙に違い、同じような色合いのものでも、散らばる光の色は違ったりする。
その中でもディアの目を引いたのは、小指くらいの大きさの薔薇の小枝を模したオーナメントだった。
(まるで、薔薇の小枝をそのまま結晶化してしまったみたい…………)
「これを一つだ。他にはいいのか?」
「ノイン?!」
「お前の好きそうなものもあるぞ。こっちにするか?」
「………それは骨付きチキンのオーナメントなので、私は薔薇の小枝がいいです」
さらりとそのオーナメントを買ってくれようとしたノインに慌てたディアだったが、骨付き肉との二択にされた事で思わず薔薇の小枝の方を選んでしまった。
骨付き肉のオーナメントがあるのも驚きだったが、水色のふくふくとした厚手の布の袋に入れて貰い、きゅっとリボンで袋の口を結んだオーナメントが渡されると、ディアはどうしたらいいのか分からずに目を瞬いてしまう。
「……………買ってくれるのです?」
「お前な。食べ物には何の反応も示さないくせに、今更妙な反応をするな」
「……………むぐ」
(でも、これは特別なのだ…………)
精霊には分からないかもしれないが、これは贈り物ではないか。
そして、思いがけない贈り物に心が揺さぶられてしまいすっかり無防備になったディアは、その後もあれこれと可愛いものを買い与えられてしまった。
可愛らしいかやの木の置物は、陶器で出来ていて祝福石が使われている。
窓辺に置いておけば、夜や夜明けにきらきら光るらしい。
また、小鳥の絵柄を彫りつけた銀のペーパーナイフは、刃の部分が硝子細工のようになっていて、この氷鉱石のナイフは封筒を開ける際にふわりと冬の日の夜の香りがするのだそうだ。
魔術の仕掛けのあるカードに、リベルフィリアの夜だけに売られる特別な葡萄酒。
こちらでは屋台で売られているようなものばかりとは言え、ファーシタルではどこにも売られていない特別なものなのだ。
その沢山の買い物は、魔術付与で作られた小型金庫という不思議な道具の中にしまわれ、ディアは、最初のオーナメントだけは自分で持ちたいと言ってしっかりと握り締めていた。
魔術の祝福を宿した結晶石から削り出されたそのオーナメントは、落としたり踏んづけたりするくらいでは傷付かないと聞いたので、安心して持っていられる。
お腹の中にあたたかい葡萄酒が溜まり、ノインの腕の中でやっと辿り着いた教会の前の祝祭飾りの木を見上げる。
枝を広げた大きな木は、葉先がしゃりしゃりとした青緑色の結晶になっていて、たっぷり飾られたオーナメントは綺麗な薄紅色で統一されていた。
淡い金色の結晶石を糸に通したものが巻き付けられていて、その石の全てがちかちかと光っている。
オーナメントと共に飾られた赤い実を盗もうとしているのは、兎のような姿の小さな妖精だ。
ぐいぐい引っ張っているが力が足りず、ぜいぜいと息を吐いて座り込んでいた。
「……………綺麗ですね」
「ここは小さな町だが、幾つかの特産品の評判も良く土地そのものの魔術の質がいい。妖精の手助けで織られる毛織物と、渓流で獲れる星鱒や森で育つ祝福の結晶石。後は、酒造りも盛んだな」
「この町に住む方は幸せでしょうね。こうして、祝祭の夜に訪れただけの私にも、そんな事が分かってしまうほどに安らかで美しい所ではありませんか」
教会の扉は開いていて、奥には黄金の装飾の祭壇とその両脇に置かれた小さな飾り木が見えた。
聞こえてくるパイプオルガンはディアが聴いたことのない複雑で艶やかな音色を奏で、きっと、見間違えでなければ雪の色すら違う。
その美しさと穏やかさに洗われ、ディアの胸の中にこびりついていた最後の涙も、剥がれ落ちていった。
「ノイン、今夜は私をこんな素敵な場所に連れて来てくれて、有難うございました」
「…………戻ってくるのが遅れたからな。晩餐も作り置きのものになった。それに、リベルフィリアが好きなんだろう?」
「はい。一年で一番大好きな祝祭なのです。………ノイン、………買っていただいたものは、大事にしますね。その、…………私はこのような立場の人間ですし、明日の事もあります。管理の仕方は、指導していただいてもいいですか?」
死の国にも持っていきたい宝物が出来たのだ。
そう伝えてきゅっとオーナメントの入った袋を握れば、ディアを膝の上に乗せたまま、教会の向かいにある店のベンチに座っていたノインが小さく微笑んだ。
二人が頼んだのは、小さな白磁のカップに淹れられた濃い紅茶にたっぷりとクリームを載せ、この土地の名産品でもある果実のお酒を垂らしたものである。
もう随分と沢山食べたし、沢山の初めましてな飲み物も飲んだ。
それでもたっぷりクリームの紅茶を美味しく飲めてしまうのは、この夜が楽しくて楽しくて仕方がないからだろう。
もう隠しようもないくらいに綻んでしまっている唇の端を持ち上げ、ディアはノインを見上げた。
リベルフィリアの夜の明かりを映したノインの瞳は美しく、その澄明さがあまりにも優しいので、ディアの胸の奥がおかしな音を立てる。
ディアの視線に気付いたものか、おやっと眉を持ち上げたノインが、ゆっくりと微笑みを深くして優雅なけだもののように笑う。
頬に触れた指先は、手袋などをしていなくても冷たくはなかった。
ただ、そうして触れられた感触に胸が騒めき、ディアは言葉をなくして息を詰めるばかり。
吐息の温度が触れ、そして、そっと唇が触れた。
(……………っ?!)
心の中はびゃんと飛び跳ねているのに、体が動かないのはなぜだろう。
唇に触れた温度の甘さにくらりとし、なぜだか、声を上げてわあっと子供のように泣きたくなった。
そうして強張る瞳の奥の熱が動くと、そこは、今夜はもう沢山働いたので店仕舞いだと頑なに首を振る。
ディアは、自分がつい先程まで一人で泣いていたことを思い出し、目を瞬いた。
「……………むぐ」
「せっかくの祝祭だ。日付が変わる前の、真夜中が最も大きな力を持つ瞬間に、祝福を与えておいてやる」
「…………このような場合は、激辛香辛料酒をかけるべきか、もじもじするべきかが分からないのですが、世の中のご婦人はどうするのが一般的なのですか?」
「……………そうか。お前の感性はまだそこ止まりなんだな。こういう場合は、大人しく恥じらっておけ」
「はい…………」
それが正解でいいのだと知り、ディアは堪らずにぼふんとノインの胸に顔を埋めてしまった。
祝福という事は、物語本の中に出てくる口づけとは違うのかもしれないが、ディアにとっては初めての好きな人との口づけだったのだ。
胸元に顔を埋めてふるふるしているディアに、ノインはなぜか固まったまま無言でいたようだ。
もしかして嫌だったかなとそろりと顔を上げると、なぜか恨めしげにこちらを見た美しい精霊に、鼻を摘まれてしまう。
「ふが!乙女の鼻を解放して下さい!!」
「……………節操のない奴め」
「なぜに貶されたのか、さっぱりです………」
しかし、こちらを見たノインの目元が微かに赤く染まっていたので、ディアは、こんなに特等の人外者も照れるのだろうかと考えて溜飲を下げた。
全く別の理由かもしれないのだけれど、そう考える事が、とても幸せな事だったからである。




