絶望の大量召喚と、偽りの原罪
その日、秋晴れの穏やかな空が広がっていた東京のど真ん中――新宿の空が、文字通り『割れた』。
『――緊急報道特番です! たった今、新宿副都心の上空に、巨大なブラックホールのような時空の歪みが出現! な、中から……怪物が! 無数の怪物が溢れ出していますッ!!』
テレビのニュースキャスターが、恐怖で声を裏返らせながら絶叫する。
画面に映し出された光景は、映画のワンシーンなど生ぬるい、完全なる地獄だった。
ガラスが砕け散るような悍ましい轟音と共に開かれた巨大なゲートから、現代兵器など一切通用しない『異世界の魔獣』たちが、滝のように街へとなだれ込んでいたのだ。
ビルを粉砕しながら進む、数十メートル級の岩の巨人。
空を覆い尽くし、自動車を次々と連れ去っていく巨大な翼竜。
そして、アスファルトを溶かしながら這い回る毒の粘体。
「いやぁぁぁっ! なんなのよあれ!!」
「逃げろ! 食われるぞ!!」
「お母さーんっ! どこっ、お母さんっ!!」
休日の賑わいを見せていた新宿の街は、一瞬にして阿鼻叫喚のパニックへと陥った。
悲鳴、怒号、車のクラクション、崩れ落ちる瓦礫の音。
人々はパニックを起こして逃げ惑い、将棋倒しになりながらも必死に地下鉄の入り口へ殺到していく。だが、魔獣の進行速度は、人間の足などとうに置き去りにしていた。
三階建てのビルほどもある双頭の狼が、逃げ遅れた親子の頭上へと、その巨大な顎を開いて飛びかかった、その瞬間。
「――『天蓋・絶対防壁』ッ!!」
天空から降り注ぐような凛とした声と共に、新宿の街全体を覆う、超広範囲の純白の結界が展開された。
魔獣の牙は、親子の頭上わずか数メートルの空中に現れた光の壁に激突し、凄まじい衝撃波と共に弾き飛ばされる。
「……狐様だ!! 幻影の狐様が来てくれたぞ!!」
漆黒の和装に身を包み、狐の半面をつけた俺(天城カイト)が、新宿の高層ビル群を見下ろす空中に降り立った。
群衆からは安堵の歓声が上がるが、狐面の奥で、俺はこれまでにないほどの冷や汗を流していた。
(くっ……! 数が多すぎる。しかも、どいつもこいつも魔大陸の深層レベルの魔獣じゃないか!)
俺の展開した結界が、雨あられと降り注ぐ魔獣たちの猛攻によって、ゴリゴリと削られていく。
100年のサバイバルで極めた俺の魔法をもってすれば、この程度の魔獣の群れ、広範囲の殲滅魔法で街ごと更地にすることは造作もない。だが、俺の足元には逃げ遅れた何万人もの民間人がいるのだ。
結界の維持に莫大な魔力を注ぎ込まなければならず、反撃の魔法を練る余裕が一秒たりともない。一瞬でも防壁の出力を落とせば、その隙間から漏れ出した魔獣の攻撃が、無力な人々の命を容易く刈り取ってしまう。
「グオォォォォッ!!」
防戦一方の俺を嘲笑うかのように、ゲートからはさらに新たな魔獣が吐き出されてくる。
これほどまでの魔獣を、現代のテロ組織が自力で召喚できるはずがない。明らかに、ゲートの向こう側――異世界から、誰かが強力な意思と莫大な力で空間をこじ開けている。
俺が歯を食いしばって防衛戦を続けていた、その時だった。
『――アハハハッ! 惨めだなァ、カイト! いや、こっちの世界じゃ「幻影の狐」サマか?』
新宿の上空に開いた最も巨大なゲート。
そこから、耳障りな高笑いが響き渡った。
結界を叩き続けていた魔獣たちが、まるで主の到来を恐れるように一斉に動きを止め、道を空ける。
その奥からゆっくりと降りてきたのは、まばゆい光を放つ伝説級の黄金の鎧に身を包んだ、一人の青年だった。
その傲慢な顔立ちを見た瞬間、俺の心臓がドクンと冷たく跳ねた。
「……お前、は……。異世界の、勇者候補……『レオン』!?」
「久しぶりだな、俺の人生を根本からぶち壊した『英雄』サマ」
レオンと呼ばれた青年は、憎悪と歓喜が入り混じった歪な笑みを浮かべ、俺を見下ろした。
間違いない。俺が100年を過ごしたあの魔大陸がある世界で、国から『魔王を倒す運命にある勇者』として神託を受け、莫大な支援を受けていた男だ。
「なんで……お前がこっちの世界にいるんだ! 帰還の魔法は、俺の命と引き換えでやっと発動したはずだろ!?」
「ああ、そうさ! お前が全部終わらせて、勝手に元の世界に帰りやがった後、俺の人生は文字通りどん底だったよ!」
レオンは、親の仇を見るような目で俺を睨みつけた。
「俺は国から勇者として選ばれ、最高の武具を与えられ、国中の期待を背負っていた! それなのに……どこの馬の骨とも知れない、ただの村人Aだった貴様が! 俺が魔王城に辿り着く前に、たった一人で魔王の首を獲って、そのまま誰にも称賛されることなく消え失せただと!?」
彼の絶叫が、新宿の空にこだまする。
俺にとって、魔王討伐は100年に及ぶ孤独なサバイバルの終着点に過ぎなかった。だが、その結果として……。
「おかげで俺は、戦う前から『魔王を倒す』という唯一の存在意義を失った! 偉業を横取りされ、国中から『戦いもしなかった税金泥棒』『無能な偽勇者』と石を投げられるハメになったんだよ!! お前が身勝手に魔王を倒したせいでな!!」
彼にとっては、魔王が倒され世界が平和になったことよりも、自分の「勇者としての栄光」が奪われたことの方が重要だったのだ。
レオンが黄金の剣を天に掲げると、背後のゲートがさらに大きく広がり、絶望的な魔素の嵐が東京に吹き荒れた。
「だから俺は、お前を追ってこの世界をメチャクチャにしてやるために……禁忌の魔術に手を出したのさ!!」
「待て、レオン! やめろ! この世界に魔素が漏れ出たのは、俺が無理やり帰還した時の反動だろ!? 俺の責任は俺が取る! だから、お前の恨みとは関係ないこの世界の人々を巻き込むな!!」
俺が血を吐くような思いで叫ぶと、レオンは信じられないものを聞いたという顔をして、腹を抱えて爆笑し始めた。
「アッハハハハ!! ヒィーッ、傑作だ!! お前、本気でそう思ってたのか!? 自分が魔素を漏らしたって、一人で罪悪感抱えてたのかよ!!」
「……どういう、ことだ」
レオンは嗤いながら、その剣先を真っ直ぐに俺へと向けた。
「お前の帰還魔法なんて、寸分の狂いもない完璧なものだったよ。世界に歪みなんて一つも残しちゃいなかった。……この世界に魔素を流し込み、テロ組織に知恵と力を与え、魔科学なんていうおもちゃを作らせたのは……全部、俺がやったことだ!!」
「なっ……!?」
「お前が手に入れた『平和な日常』とやらを、根本から叩き潰してやるために俺がこじ開けた大穴だ!! 自分のせいだと勘違いして、一生懸命後始末に走り回るお前の顔、最高に滑稽だったぜ!!」
衝撃の事実。
俺が背負い、凛さんたちと共に必死に拭ってきた『原罪』。この世界を脅かす魔素の被害は、俺の帰還の代償などではなかった。すべては、この狂気に憑りつかれた男が仕組んだ、俺への復讐のための陰謀だったのだ。
――プツン。
俺の心の中で、ずっと自分を縛り付けていた重たい鎖が、音を立てて弾け飛んだ。
「……お前が、全部……俺の日常を、みんなの平和を……」
「そうだ! そして今日、この魔獣の群れと俺の力でお前を削り殺し、俺がこの世界で『魔王を倒した英雄』を討ち取った、本物の勇者になってやる!!」
足元では、逃げ惑う人々が怯え、泣き叫んでいる。
絶望的な数の魔獣。防戦一方で疲弊した体。
そして、圧倒的な伝説級の武具を装備し、狂気に満ちた笑いを上げるかつての「勇者候補」。
かつてない最大の危機。しかし、明かされた真実の前で。
俺の内にあった「申し訳なさ」や「罪悪感」は完全に消え失せ、代わりに、冷たく研ぎ澄まされた純粋な『怒り』が満ちていくのを感じていた。
「……そうか。俺のせいじゃ、なかったんだな」
狐の半面の奥で、俺の瞳が、100年のサバイバルを生き抜いた『魔獣狩り』のそれへと変わる。
この男は、俺の日常を壊そうとした。俺の大切な人たちが生きる世界を、理不尽に踏みにじった。
……ならば、もう遠慮する必要はない。
絶望の空の下、幻影の狐の反撃の狼煙が、今まさに上がろうとしていた――。




