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100年の最果てから帰還した勇者は、裏社会のドンと出会う

「――これで、ようやく終わる」


魔王の心臓を聖剣が貫き、世界に光が戻ったその瞬間。

俺、天城カイトの意識は、100年という長きにわたる戦いの果てに限界を迎えていた。

常に全盛期の肉体を保ち、最前線で命を削り続けた100年。その極限のプレッシャーから解放された途端、魂の寿命が尽きたのだろう。

だが、後悔はない。守るべきものは全て守り抜いた。

ゆっくりと薄れゆく意識の中で、俺は確かに天寿を全うしたはずだった。


……しかし。


「……む?」

次に目を開けた時、俺の鼻腔を突いたのは、懐かしくもひどく濁った空気の匂いだった。

排気ガスと、アスファルトの匂い。背中には硬く冷たいコンクリートの感触。

大気を満たしていたはずの豊穣なマナ(魔素)は極限まで薄く、息苦しささえ覚える。


跳ね起き、自分の両手を見下ろす。

そこにあるのは、100年の戦いを経て傷だらけだった分厚い掌ではない。白く、細く、どこにでもいる「15歳の少年」の腕だった。


「嘘だろ……。俺、戻ってきているのか?」

着ているのは、異世界へ転移したあの日と同じ、真新しい高校の学生服。

周囲を見渡せば、そこは薄暗い路地裏。間違いなく、俺がトラックに轢かれそうになって異世界へ飛ばされた、現代日本のあの場所だ。


100年の時を経て、当時の姿のまま帰還した。

その途方もない事実を咀嚼しようとした、その瞬間だった。


――パーンッ!!


鋭い破裂音が、路地裏の淀んだ空気を震わせた。

「なっ……!?」

即座に戦闘態勢をとる。100年染み付いた本能は、肉体が15歳に戻ろうと全く失われていなかった。

音のした奥へ視線を向けると、5人の黒服の男たちが、血まみれになって倒れている一人の初老の男を囲んでいた。


その黒服たちが手にしているものを見て、脳の片隅にある古い記憶が呼び起こされる。

「……銃、か」

異世界には存在しなかった兵器。だが、100年前の俺にとっては、ドラマや映画の中で見たことのある「死の道具」だ。高校生だった当時の俺なら、それを見ただけで足が竦んでいただろう。


「チッ、どっから来やがったこのガキ! 完全に人払いは済ませてあったはずだぞ!」

黒服の一人が、忌々しげに俺を睨みつける。

その横では、腹部を押さえた初老の男――黒田宗一郎が、荒い息を吐きながら絶望の淵に立たされていた。


「親父、悪いが運がなかったな。ガキもろとも、あの世へ行ってもらう」

黒服が冷酷な声で、銃口をこちらへ向けた。


(殺される……!)

普通の高校生ならそう思うだろう。俺自身、100年ぶりに見る実物の「銃」には、本能的な嫌な予感を覚えた。

しかし、俺の身体は思考よりも先に動いていた。

100年間。誰かが傷つくのを黙って見過ごせたことなど、一度たりともなかったのだから。


ドンッ!!という強烈な踏み込みと共に、俺は路地裏のアスファルトを粉砕しながら跳躍した。

音速すら置き去りにする速度で、黒田の盾となるようにその場に割り込む。


「なっ!? 速……っ!?」

引き金が引かれる。マズルブレーキから火が吹き、数発の鉛玉が俺の全身へと殺到した。


ガガガガガッ!!


(しまった、ここで魔法の障壁を張ると跳弾で後ろのおじさんが怪我をする。回避しても後ろに当たる。……全部体で受け止めるしかない!)

周囲への被害を最小限に抑えるための、最も効率的な判断。俺は覚悟を決め、全身に直撃する衝撃に備えた。


……。

…………あれ?


「……あ、全く痛くないな」

思わず声が漏れた。

学生服には無数の穴が開き、火薬の焦げた匂いが鼻を突く。

しかし、その下の皮膚には、赤く跡がつくどころか傷一つ付いていなかった。足元には、俺の極限まで鍛え抜かれた耐久力に弾き返され、ひしゃげた鉛玉がポロポロと転がっている。


「は……? 弾を……弾いただと……?」

黒服たちが、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせた。

どうやら、100年かけて鍛え抜いた全盛期の身体は、現代の兵器よりも遥かに頑丈だったらしい。

魔王の放つ絶技や、地脈を揺るがす魔法攻撃に比べれば、ただの物理弾など素肌に当たる砂粒と大差ないのだ。


「お、おい! 構うな! 撃ち尽くせ! 化け物だこいつは!」

パニックに陥った連中が、ヤケクソになって乱射を始める。

「あ、待って! これ以上服を破かれると、明日からの高校生活に支障が出るんだよ!」


俺は一歩を踏み出した。

彼らにとっては、瞬間移動にしか見えなかっただろう。相手はただの一般人だ。もし俺が異世界基準で少しでも力を出してしまえば、彼らの身体は跡形もなく霧散してしまう。

だから、極限まで自重して、羽毛で撫でるように優しく。


トンッ、トンッ。

俺は黒服たちの首筋を、指先で軽く叩いた。

「がはっ……!?」

たったそれだけで、黒服たちは白目を剥き、数メートル吹き飛んで壁に激突。全員が完全に意識を手放した。


「ふぅ……。力加減は、たぶんこれで合ってるはず……だよな?誰も死んでないよな?」

異世界で散々磨いた『手加減の技術』が、まさか帰還して早々に役に立つとは。一般人として完璧な対応だったと、自分を納得させる。


「な、なんだ……あんたは……。一体、何をした……」

背後から、掠れた声が聞こえた。

振り返ると、腹部から大量の血を流した黒田が、震える瞳で俺を見上げている。

「あ、おじさん! 大丈夫か!?」

急いで駆け寄り、傷口を確認する。深い。放っておけば数分で命に関わるだろう。


すぐに高位の治癒魔法を展開しようとしたが――。

(……ダメだ。マナが薄すぎて魔法式が組めない)

この現代地球には、魔法を形にするエネルギーがほとんど存在しない。俺が異世界で使っていたような、欠損部位さえ繋げる光の癒やしは発動できなかった。


「仕方ない、これなら……『生命活性ライフ・ブースト』!」

俺は黒田の傷口に直接手を当て、自分の体内に残る僅かな魔力を彼に流し込んだ。

魔法で治すのではない。彼自身が持つ「生きようとする力」を、魔力で数万倍にブーストさせる荒業だ。


ジュウウウッという音と共に、黒田の腹部の傷から潰れた弾丸が弾き出され、肉が急速に再生していく。


「ぐおおおおっ!?」

黒田が激痛に身をよじるが、数秒後には傷は完全に塞がり、大量に流れていた血も止まった。


「……信じられん。致命傷だったはずの傷が、跡形もなく……。それに、あの連中を指先一つで……。あんた、一体何者なんだ……?」

黒田は自分の腹をさすりながら、まるで神の如き存在を見るような畏怖の念を込めて俺を見上げた。


「あ、えーと……俺は天城カイト。……その、ついさっきまで異世界で100年くらい魔王と戦ってた……あ」

やってしまった。

100年の戦いの中で、「名を聞かれたら勇者として誠実に答える」という習慣が染み付きすぎていた。

「あ、いや! 今のは忘れてください! ただの独り言です! 俺はただの、これから高校に通う予定の、えーと天涯孤独の……どこにでもいる普通の少年ですから!」

必死に手を振って誤魔化すが、目の前で起きた超常現象を前に、説得力は皆無だった。


黒田は呆然としていたが、やがて何かを覚悟したように深く息を吐いた。

「……事情は、今は聞かん。だが、この黒田宗一郎、命を救われた恩は一生忘れん。……天城くん、と言ったか。君は、これからどうするつもりだ?」


「え? ああ……。俺は、ずっと異世界で戦い詰めだったから……。今度こそ、現代日本で『普通の高校生』として、平和な青春を過ごしたいんです。それだけが、俺の夢なんです」

俺が切実な思いを口にすると、黒田は鋭い眼光を少しだけ和らげた。


「普通の生活、か。……君のような規格外の力を持つ者が、独りでこの社会に混じるのは危うすぎる。ましてや、今の君の姿はどこからどう見ても『事件の当事者』だ」

黒田はボロボロになった俺の学生服を見やり、フッと口角を上げた。


「もし君が望むなら、その『平和な青春』とやらを私が裏から支えよう。戸籍、住居、学校の手続き……。私が君の後見人となり、全力で君の正体を隠蔽してやる。それが、命を救われた私にできる精一杯の礼だ」


「えっ? 後見人……ですか?」

「ああ。君は私の『恩人』だ。……いや、もし君さえ良ければ、親戚の坊っちゃんとして迎え入れてもいい」


思いもよらない提案だった。

確かに、このボロボロの服で警察に見つかれば、事情聴取どころでは済まないだろう。異世界に転生する前から頼れる親戚もいなかった俺にはこのおじさんに頼るのが、「普通の生活」への一番の近道かもしれない。


「……お願いします、黒田さん。俺、本当に普通に生きたいんです」

「ああ、任せておけ。……凛、聞こえるか。すぐに向かいの車を回せ。それと、最高級の着替えと、最高の飯を用意しておけ。……面白い坊っちゃんを拾ったぞ」


黒田が懐から取り出した通信機にそう告げる。

100年の全盛期を抱えた最強の元・勇者。

俺の「普通」を目指す全力の自重と、すれ違いまくる異常な日常は、この薄暗い路地裏から幕を開けた。

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