PART53 悪姫窮闘アルカディウス(前編)
瞳を開く。
「あら、お目覚めですか?」
最初に目に飛び込んできたのは、宝石を嵌め込んだような、真紅の瞳。
「…………」
「終わらせておきましたわよ」
ゆっくりと周囲を見渡す。
そこはもう、混沌なんて言葉はふさわしくない、静かに凪いだ海辺だった。
嗚呼──全部終わったのだ。
彼女が幕を引いてみせたのだ。
「……最後の最後。アナタ、わたくしに手を貸したでしょう。何故です。アナタの望みを砕くために戦っていた女ですわよ」
何故なんだろう、とぼんやりした頭で考えた。
最後の瞬間。
私は確かに『禍浪』を起動させ、最後の力を振り絞って彼女に──マリアンヌに力添えした。
「…………」
掠れた息がこぼれる。
ため息ともつかないそれに、彼女は少し目を伏せた。
違うと言おうとした。貴女にそんな顔をさせたいわけではない。貴女の輝きを曇らせたいわけではない。
ただそうであってほしい。貴女は、私にはできないことができるのだから、そのまま眩しい存在でいてほしい。心の底からそう思った時、気づけば手助けしていた。
そうだ──私にはできない。私には、到底できない。
闇夜を切り裂くことなんてできない。
一筋の光となって駆けることなんてできない。
できなかった。できたことなんてなかった。そしてこれからもきっと、できない。
明かりのささない夜の闇であっても、たとえ星々のきらめく夜空であっても。
水面はそれを、ただ映すことしかできない。
この力は、手ですくえばこぼれてしまう、泡沫の鏡でしかない。
決定的に彼女とは違った。
空を切り裂き、雲を吹き払い、青空を作った彼女とは、何もかもが違った。
やっと理解できた、気がする。
この人は、日の光が似合う人なんだ。
ねえマリアンヌ。
私、本当に貴女のこと、ずっと知ってたの。
貴女が大会を総なめにして……色んな人に慕われて……皇国の若手にも憧れてる人がいた。
貴女が羨ましかった。
そんな貴女に魔法なんて人殺しの技術だと言ってもらえて……安心した。
自分は間違っていなかったんだって。
まだ、完全に狂ってしまったわけではないんだって。
皇帝陛下は、私を切り捨てるだろう。本当に裏切りの皇女として、全世界から忌み嫌われるだろう。
ああ本当だ。笑ってしまう。
犠牲に意味なんてなかった。違う。意味を、自分で損なってしまったのだ。
本当に……私が捨てたもの、全部を持ち続けられている人なんだ。
捨てた自分の道が間違っていたのだ。
それを認めた瞬間に、息が楽になった。
深く息を吸う。潮の香りがした。海辺にずっといたのに、初めて香りを感じた。
きっとそれが、慣れない香りだったから。
視界がにじんで、洟をすするのも仕方ないのだ。
「……カサンドラさん」
慈しむような声色で、彼女はそっと頭を撫でてくれた。
その心地にじんわりと胸の底が温かくなって、また涙がこぼれだした。
いや~~~~号泣する美少女に膝枕できるなんて異世界転生した甲斐があったってもんだなこれ!
膝の上でえぐえぐと泣きじゃくるカサンドラさんの頭を撫でながら、わたくしは悦に入っていた。
【途中で完全に仲間外れにされたときは死ぬほど頭にきましたが、結果としては大満足といったところですわね。
最終的にあのよく分からんのをぼこぼこにできたのが気持ちよかったですわ!】
〇苦行むり 神域権能保持者をボコボコにした感想が「気持ちよかった」??
〇101日目のワニ コワ~……いや、本気で怖い……
〇外から来ました 結果として丸くは収まったけど途中で俺の権能ズタズタにしたのマジで覚えてろよ
【知りませんわよ! 勝手に向こうが突っかかってきただけですわ!】
〇木の根 どう考えてもお前が突っかかってただろ
〇太郎 完全に言いがかりで殺しに行ってたぞ
〇red moon 豊臣家滅ぼした時の家康かよ
【……そ、それはともかくとして】
〇第三の性別 こいつ明らかに撤退の見極め上手くなってるな……
〇宇宙の起源 成長性EXの女
【どうでした? 最高にキマっていたでしょう?】
〇みろっく 何が? 頭?
〇日本代表 お前はいつもキマってるよ
【そうではなくて!
悪役魔法少女令嬢まりあんぬ★メテオのことですわ!】
〇鷲アンチ いや普通に機動戦士マリアンヌだった
〇TSに一家言 完全に紅き流星MTOメテオラーだった
〇無敵 キマってるっていうかキメたときに見る夢だった
こいつら……! 揃いも揃ってコケにしやがって……!
不敬罪に値する無礼、どうしてくれようかと考えているとき。
膝の上で、カサンドラさんが動きを止めた。息を吸ってから、のそりと起き上がる。
「あ、カサンドラさん──」
まだ動かないほうが、と言葉をかけようとして。
立ち上がった彼女が背中越しに口を開いた。
「ねえ、私、どこで間違えたと思う?」
……ッ。
それは。その言葉は、良くない。
間違えてしまった後の言葉だ。
もう取り返しがつかないのだと、諦めてしまった人の言葉だ。
「いろんなものを、捨てて……もう拾っていくこともできないところまで来て。けれど最後に失敗した」
彼女の言葉を受けて、安堵と脱力から弛緩していた思考回路が立ち上がる。
そうだ。彼女は皇国から追われたふりをしてこちらの国へ侵入、ファフニールの召喚と王国の侵略を目的としていた。
しかし実際にはファフニールをさらなる召喚のコストとして使用し、混沌を呼び出して──最後には、敗北した。
「全部なげうってでも、と思ったのに。そう思ってから、貴女と出会ってしまった」
今のカサンドラさんの立場は非常に危うい。危ういなんてもんじゃない。母国に帰ることもできないし、恐らくこのまま、本当に独自行動で王国に攻め込んできた悪逆令嬢として処分されることになる。
味方はいない。
ファフニールをどう使おうとしたかなんて、結果としては関係ない。問題は作戦は失敗したこと。そして失敗した場合には、彼女は切り捨てられるだろうということ。
「────カサンドラさん。王国に投降して、全てを話してください……そうすれば」
「うまくいかないって思ってるのにそれを言うなんて、残酷ねマリアンヌ」
「ッ……」
「私の言葉を信じるかどうかが、戦争になるかどうかの引き金よ。そんなの考えるまでもないわ……それともアナタが進言してくれるのかしら? 『カサンドラさんを助けるために軍を動かして、ゼールと正面から戦争しましょう!』と」
何も言い返せない。
そんなことできるわけがないのだ。
「……マリアンヌ嬢。彼女の意識が覚醒したか」
背後から声をかけられた。緩慢な動作で振り向けば、そこに未だ甲冑姿のジークフリートさんがいた。
彼の後ろにはユイさんやロイたちもいて、緊張した様子でこちらをうかがっている。
「ずっと生まれてきた意味を探していたわ。ずっと、ずっと。あの時手を伸ばせなかった私でも、いつか誰かに手を伸ばせるはずだと思って。それがこんな結果になったのよ」
気づけばわたくしの背後には、ジークフリート中隊と友人らの面々が。
カサンドラさんの向こう側には皇国憲兵団『ラオコーン』の面々が。
武器を手に持つこともなく、ただ静かにわたくしたちを見つめていた。
「カサンドラさん……アナタ、どうするつもりですか」
「さあ? どうしましょうか」
そこに意思はない。
わたくしが惹かれた、迷いなく自分の選択を貫こうとする気高さは、もうどこにもない。
あるわけねえよわたくしが打ち砕いたんだ。
今さら──今さら何を感傷に浸ってやがる!
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
パァンと自分の頬を両手で叩いた。
背後の味方やカサンドラさんがギョッとする。構うかよ。
ズンズンと近づいて、わたくしは彼女に顔を寄せた。鼻と鼻がこすれるような距離まで詰めて、彼女の胸ぐらをつかみ上げた。
「わたくしの好敵手が、生きることを勝手に諦めるんじゃありませんわッ!」
「……な、ァッ……!?」
後ろでジークフリートさんが驚愕の声を上げている。
そうだよな。敵なのに何言ってんだろうなこいつってなるよな。
だけどなあ!
「生きること。生きて、明日へとつなぐこと! それこそが最も困難で、そして誰もが身を置く戦いにほかなりません! その戦場から逃げ出すなんて、恥ずかしくないのですか!?」
「……そんなの。恥ずかしいに決まってる。だけど……」
「恥ずかしいというのは! 死ぬよりもつらいことですわ! 誇りを失うくらいなら死んだ方がマシです!」
「…………ッ」
乱暴に彼女を突き飛ばす。
たたらを踏んだその身体を、咄嗟にラオコーンの隊長が前に出て受け止めた。
「アナタ方も黙って見ているんじゃありませんわ! どうするのです? 彼女の首を手土産に帰還すれば、死罪は避けられるかもしれませんが?」
嘲笑を浮かべて問う。
憲兵団の隊長はそっとカサンドラさんを立たせてあげると、居住まいを正し、それから腰元の剣に手を伸ばした。
「あら、やっと使います? 敵対者の至近距離でも抜かないので、てっきり飾りかと思ってましたわ」
「……我々『ラオコーン』は、カサンドラ皇女様と共にあります」
音もなく隣まで踏み込んできたジークフリートさんとロイが、瞬時に剣の柄を握った。
だがラオコーンの隊長は剣を抜くと、それを地面に捨てる。
それから地面に膝をつけ、額を土にこすり付け、平服した。
「────!」
次の展開はもう予測できていた。
わたくしは無言のまま、彼の頭頂部を見つめる。
「マリアンヌ・ピースラウンドさん。貴女がたが我々を攻撃するのなら……もうこちらに……抵抗する余力はありません」
「……ええ、そうでしょうね」
「ですがどうか、カサンドラ様の命だけは……!」
真っすぐな。
ただ、カサンドラさんの命だけを守れたらいいという、純粋な命乞いだった。
「…………」
初めてだ。
情けない悪あがきとしての言葉なら、御前試合で山ほど聞いてきた。
だけどこんなにも、他人のために自分の身を投げ出すような。
美しさすらある嘆願は、初めてだ。
「あ、貴方何を……!」
「我々の命は、あなた様をお守りするためにあります! それは御父上のころからずっと、変わりありません……!」
ああなるほど。失敗した時にまとめて処分できるよう、身内で固めさせていたのか。
ハッ。向こうの皇帝様はよっぽどカサンドラさんたちが邪魔だったんだな。効率的だ。
わたくしは鼻を鳴らすと、最後の力を振り絞って、魔力を身体に循環させる。
「星を纏い、天を焦がし、地に満ちよ」
三節詠唱完了。
指先に魔力が充填され、魔法陣を展開。射撃体勢構築。
一発撃つだけで、正直もう限界だ。全部出し尽くした後だからな。
でも、これでやっと終わりに出来る。
わたくしは全ての準備を終えて、それから右腕をさっと上へ伸ばした。
いつも通りの、天を指さすポーズ。
「カサンドラさん」
「……何、よ」
「わたくしたちは、同じ禁呪保有者にして、原初の禁呪と最後の禁呪を持つ者。ならばお互いの生きざまは、反証的な道標ともなりましょう」
「……何が言いたいのか、分からないわ」
「フッ」
笑みを浮かべて、魔力を放つ。
天へと上る竜のように、真っすぐに、砲撃が伸びていき。
最後には天空で弾け、一輪の光の華として咲き誇った。
「わたくしは生きましょう。最後の結末の時までは、胸を張って、全身全霊で駆け抜けましょう。アナタはどうです?」
「……私は……」
眉を下げて、困ったような表情で彼女は考え込む。
「アナタが言ったことです。犠牲を積み上げてきたと、今負ければそれらが無意味になると」
「…………」
「勘違いも甚だしい! その犠牲たちが本当に無意味になるのは、アナタが諦めた瞬間ですわ! 犠牲たちを、今! アナタが無意味にしようとしているのです!」
腹の底から叫んだ。
ハッとカサンドラさんがわたくしを見る。
数秒見つめ合って、わたくしは息を吐いてから、まだ伏せているラオコーン隊長に目をやった。
「……今、撃ちました、ええ……撃ちました。ですが、アナタたちは逃げおおせた……それが結果です」
「……感謝します」
これでいい。
撃てなかったから、じゃない。
わたくしがこうしたいと思った。だからこうした。
そっと横に視線を送る。ジークフリートさんは王国騎士だ。ここで剣を抜き、彼らを切り捨てるのは義務ですらある。
「分かった。君の決断を尊重する」
だというのに優しく微笑んで、彼は頷いでくれた。
しかしその直後、表情を真剣なものに切り替えて、ゆっくりと顔を上げたラオコーン隊長に語りかける。
「だが……どこへ行くんだ。もうこの世界に、君たちの行き場はないぞ」
「ええ、そうですね。仮に投降したところで……皇国に引き渡されるでしょう。そうすればギロチンは免れない。だから、逃げ続けるしかない。皇国が地の果てまで追いかけてくるなら、我々はその向こう側まで逃げましょう」
そう言ってから。
立ち上がったラオコーンの隊長は、海辺を見た。
寄せては返す波の音。だがそこに、微かに異質な音が混ざりこんでいる。
「────ッ! 嘘、これって……!」
最初に反応したのはリンディだった。遅れてユイさんやロイもハッと息をのむ。
なんだ? 耳を澄ませて聞くと、確かにおかしな音が紛れ込んでいるのだ。何だこれは。
海の中を静かに滑る物体がある。は? 海の中? おいちょっと待てここはファンタジー世界だぞ待て待て待て!
〇みろっく えっ、科学チート展開!?
〇ロングランヒットおめでとう 原作にあっちゃうんだなぁこれが!
ザバァァッ! と海面の割れる音と同時に、それが浮上した。
さすがに言葉が出ない。他の面々も絶句している。
ラオコーン隊長は少し誇らしげに胸を張って、それを手で指し示した。
「あれがゼール皇国から、我々が極秘に奪取した潜水艦……『アーテナ』だ」
言葉と同時、潜水艦のハッチが空気の抜ける音と共に開かれる。
そこから顔を出した人々は、カサンドラさんの姿を見ると、笑顔で手を振ってきた。
「では、我々はここで失礼します」
「……急いだほうがいい」
ジークフリートさんに言われ、急いで憲兵たちが潜水艦へ移動する。
その中には消沈した様子の、脚本家の少年の姿もあった。
「アナタ!」
「ひっ」
肩をつかんで呼び止めると、彼はおびえた様子でわたくしを見上げた。
「な、なんだよ……こっちの負けだよ! カサンドラが最後に手を貸したのだって……分かる。分かるよ。僕がもう少しうまく事を運べたら、そうじゃなかったかもだけど……僕のシナリオより、お前の見せた未来の方が上だったんだろ……?」
「ええ、そうですわね」
頷きながらも、拍子抜けだった。
想像の数百倍素直だなこいつ。
「ですが、そんなものです。最初は誰だって台本形式で書いたりあとがきに作者を登場させたりしますわ」
「何の話??」
「大事なのは継続ですわよ。次はもっと面白い作品を期待します」
「……もしかして、お前、励ましてるのか?」
頷く。
「お前、頭おかしいよ……」
「言われ慣れましたわ」
「慣れたらだめだろ」
少年は悔しそうな顔で、わたくしの手を振り払った。
それから数歩進んで、こちらに顔だけ向ける。
「次こそ、頑張る。この世界をぶっ壊すために、もっといいシナリオを書いてみせる」
「期待していますわ。その脚本をぶち壊すのが楽しみです」
「性格わッッる」
最後のセリフを吐き捨てて、今度こそ少年は船へと歩いていく。
息を吐いてから、わたくしは最後に残った隊長と、その隣に佇むカサンドラさんを見た。
「カサンドラさん」
「……貴女は不思議な人ね、マリアンヌ……敵だというのに、励ましの言葉まで送って……」
俯いている彼女のもとへ歩み寄って。
わたくしはカサンドラさんの手を取った。びくんと肩を震わせて、彼女はゆっくり顔を上げる。
「カサンドラさん」
「……マリアンヌ。私……わたし、は。まだ、諦めなくてもいいの?」
「ええ、ええ! アナタが決めることです。諦めない限り、旅に終わりはありません」
目を覗き込んで、笑みを浮かべた。
碧眼に映しこまれたわたくしは、自分でも驚くほどに穏やかな笑顔だった。
「アナタの旅路には多くの苦難があるでしょうが……それでも。アナタが窮地にあっても闘い続けるのなら、必ず未来は開けるはずです」
「……祝福、かしら」
「そのつもりはありません。ともすれば呪いなのかもしれません。ただわたくしのこれは、わたくしにとっては……ただの祈りですわ」
祈り。
自然と出てきた言葉だったけど、自分ですごく納得がいった。
「カサンドラさん。いつか決着をつけましょう。それまでどうか負けないでください。アナタを倒すのはこのわたくしです。その大役は、運命や世界なんかには到底譲れませんわ」
「…………そう。そうね。わたくしも……世界なんかには、負けたくないわ」
そこでやっと。
彼女は顔を上げて微笑んだ。
ああそうだ。その笑顔を、キレイだと思って、見惚れたのだ。
「また会う日まで、さようならマリアンヌ。わたしは戦うわ。いつか貴女に勝利するまで……戦ってみせるわ」
それを聞けて。
やっと安心できた。
わたくしは、わたくしの大切な友達を──許すことができたのだ、と思えた。
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