【96】
ハルツァンの住居へと向かう道中、ヴィルムは怪しまれない程度に周辺を観察していた。
エルフの里と同じく木材を中心に建てられた住居が所々に点在しているが、あちらに比べると活気というものが感じられない。
しかし、大気中に含まれる魔力はかなりのもので、魔霧の森のそれには及ばないものの、外界としては相当な濃度である。
(今の所、妙な気配はない、か。少なくとも、こいつの態度に何かを隠そうとしている様子は見られないが・・・)
自陣の奥に誘い込んでの襲撃や証拠の隠蔽を警戒していたヴィルムだが、ハイエルフ達にそれらしい動きはない。
(気になるのは、ハイエルフ達の襲撃を知っていた事。ハイエルフ特有の、遠見の魔法や何らかの手段がある可能性も否めないが、どうにも引っ掛かる)
思考しつつ、疑念の眼差しで先導するハルツァンを見るが、彼はわざとらしい程に気付かない。
(とにかく、今はこいつの話を聞くべきだな)
ハルツァンの部屋は殺風景という言葉がぴったりであった。
しかし質素という訳ではなく、人として生活していく上で必要となるであろう数少ない家具の品質はかなり高いものばかりである。
自然の恵みを頂戴して生きている自分達に、過度な装飾や調度品は必要ないという事らしい。
「精霊獣様。ミゼリオ様。此度の我が同胞の犯した所業、奴らに代わり、我が謝罪致します」
全員が床に座った所で、ハルツァンが頭を下げた。
崇拝する精霊に向けてのものとはいえ、プライドが高い種族であるハイエルフの族長が他種族の前で頭を下げる姿は珍しいという言葉では表現しきれないだろう。
『謝るならワタシじゃなくてメルにでしょー! いくらメルが可愛いからって誘拐しようとするなんてー!』
『ん。それに、ハイシェラも傷付けた。ちゃんと謝らないと、許さない』
しかし、この二人にとってはそんな事よりも自分の大事な家族が傷付けられた事の方が重要であるようだ。
「・・・我が妻メルディナと、ハイシェラと言ったか。すまなかったな」
再び、今度はメルディナとヴィルムの懐から顔を出すハイシェラに向けて頭を下げるハルツァン。
「一応、謝罪は受け取ります。ですが、妻になるつもりはありません」
『メルが許すなラ、ハイシェラも許ス』
若干の躊躇いはあったものの、彼が謝罪する姿を見て僅かに場の空気が弛緩する。
そんな中、ヴィルムはハルツァンに対する警戒を更に強めていた。
(「フー、反応せずに聞いてくれ」)
(『ヴィー兄様? わかった』)
フーミルが動揺しないように心の準備をさせる為、一呼吸置いてから念話を送る。
(「こいつは、何故ハイシェラを知っている?」)
メルディナとミゼリオを除き、ヴィルム達とハルツァンは初対面である。
移動の時間が短かったか、はたまた単に興味がなかったのか、少なくとも自分達の名前をハルツァンに教えた記憶はない。
(『ん。確かにおかしい。フーの事は、精霊獣様って、呼んでたのに・・・聞いてみる?』)
(「問い詰めるのも手か・・・いや、そうなると手に入る情報が少なくなるかもしれない。まずは、こいつの話を聞いておく方が良い、か」)
(『わかった。じゃあ、フーが話を、聞く』)
(「あぁ、頼むよ」)
彼らにとっての信仰対象である、精霊獣が話の主導権を握った方が情報を引き出しやすいという事だろう。
『ハルツァン。貴方に、聞きたい事がある』
「我にわかる事であれば、何なりと」
『今回の事、知ってる事は、全部教えて』
フーミルからの問い掛けは予測出来ていたらしく、ハルツァンは特に慌てる様子もなく話し始めた。
「わかりました。まずは我が妻を拐おうとしたハイエルフ達・・・あの者達は同胞に間違いありませぬ。以前より我が求婚を断り続ける妻に苛立ちを抑えようともしていなかった者達故、無理矢理にでも我が元に連れてくるつもりだったのでしょう」
「妻になる気はないと何度言えば・・・」
何度断られても頑として呼び方を変えないハルツァンに、うんざりしながらも訂正を入れるメルディナ。
「あの者達が所持していた首飾りですが、あまり詳しい事はわかっておりませぬ。我らが調べてわかったのは、あの首飾りを付ければ聖樹様から離れても長期間活動出来るという事。そして、あの者達に接触していた外部の者がいたという事、くらいですな」
「その接触していたという人物だが、一体どうやってここまで入り込んで来たんだ?」
ハルツァンの言葉端から、これ以上自分から情報を吐くつもりがないと判断したヴィルムが揺さぶりを掛ける。
「俺達がエルフの里に入った事はわかっていたんだ。あんた達には、森への侵入者を察知する何らかの手段があるはず。全く気付かなかったって事はないんじゃないか?」
「鋭いな。お前の推測通り、我々ハイエルフ族には聖樹様を通じて森の様子を把握する能力がある」
言葉の上では驚いているものの、彼の表情に変化はない。
「だが、この外部の者については本当にわからんのだ。何もなかった場所に突如として現れ、次の瞬間にはその姿を消す・・・考えられる手段は空間魔法だが、いかんせん使える者が極端に少ない魔法であるが故、断定は出来ぬといった所だ」
ヴィルムの隣に座っていたフーミルの耳が、ピクリと動く。
(空間、魔法?)
彼女の脳裏を過ったのは、自分よりも幼い精霊獣の姿。
彼女との戦闘中、絶対に回避不能だったはずの攻撃から逃れた事や、去り際に出現した空間の裂け目。
それらは間違いなく空間魔法によるものだと断定出来るが、フーミルは頭を振ってその可能性を否定する。
(でも、あの子は、フー達の住んでる場所を、知ってるみたいだった。もし、あの子が敵だったら、直接里を襲ったり、ヴィー兄様達の背後を突いたり、出来たはず。それに━━━)
彼女を庇った、敬愛する兄と同じ、特殊な容姿を持つ青年。
少なくともフーミルには、あの幼い精霊獣が懐いていた彼が精霊達を狩ろうとする者達に加担しているなど考えられなかった。
彼女が頭を悩ませていると、大体の方針を決めたらしいヴィルムが提案を口にする。
「あんたの言い分はわかった。だが、それを丸々信じ切れる証拠がない以上、この“聖域”とやらを調べさせてもらいたいんだが?」
「断る、と言いたい所だが、精霊獣様とミゼリオ様に信用して頂く為だ。許可しよう。ただし、我らもお前達を信用出来んのは一緒だ。監視として二名程、つけさせてもらうぞ」
お互いがお互いを信用出来ない今の状況では妥当な落とし所と言えるだろう。
「それと、ただ待っているのも退屈だ。お前達が調べている間、我が妻との茶会を希望する」
しかし、その後に続くハルツァンの言葉を聞いたヴィルムは、露骨に顔を歪ませた。
「ことわ━━━」
「わかりました。少しの間だけ、お付き合いします」
感情のまま、拒否しようと口を開き掛けた時、他ならぬメルディナが了承してしまう。
反射的にメルディナの顔を見るヴィルムに対して、ハルツァンの表情には明らかに喜色が表れていた。
「ほう、これは僥倖。ついに我が妻になる決心がついたか?」
「なりません。念の為、ヴィル達がここを調べている間、私がハルツァン様の監視役になるだけです。ミオが一緒なら、ハルツァン様も迂闊な真似は出来ないでしょう?」
「くっくっくっ。ミゼリオ様まで交えての茶会か。これは我自ら準備をせねばなるまい。そちらの監視につける者にも声をかける故、しばし待っているがよい」
最早決定事項とばかりに立ち上がったハルツァンは、余裕を見せつけるようにして部屋を出て行った。
足音が聞こえなくなってから少し間を置いた後、ヴィルム達がメルディナに詰め寄る。
「メル、一体何を考えている!?」
「そうだぜ! あいつらはメル姉を狙ってるかもしれないってのに!」
「メルちゃん・・・」
苛立っているヴィルムとオーマ、そして心配そうな顔のクーナリアに囲まれたメルディナは焦りつつもその意図を話し始めた。
「さっきも言ったけど、ハルツァン様の監視と行動の制限が目的よ。ヴィル達が調べている間、妙な真似をさせない為にね。尤も、あの様子じゃ本当にただのお茶会になっちゃいそうだけど」
現状、ハルツァンの様子からは、ヴィルム達を痛めつけようとしたり騙そうとする害意は感じられない。
プライドの高さから来る他種族を見下したような感覚はあるものの、それだけと言ってしまえば終わりである。
「確かに、あのハルツァンって奴はメル姉にゾッコンって感じだったけどよぉ。それはそれで危ないんじゃねーか? 男と女が二人きりって・・・」
『ちょっとオーマ! アンタ、ワタシがいるって事を忘れてんじゃないでしょーね!? メルに何かしようってんなら、ワタシがとっちめてやるんだから!』
「おわっ!? ちょっ! やめろって!」
「とまぁ、もし何かあってもミオがいるし、何とかなるわよ」
オーマの持った懸念にはミゼリオが怒りの形相で反論し、彼を仮想ハルツァンに見立てて襲い掛かった。
二人のじゃれあいを見てクスリと笑いながら続けるメルディナ。
「少なくとも、本当にハルツァン様が黒幕だったとしても殺される事はまずないわ。私を殺すのが目的だとしたら、わざわざ誘拐する必要がないもの。それに━━━」
微笑んだまま、何かを言おうとしているヴィルムに近付いた彼女は━━━、
「もし最悪の場合になっても、ヴィルが助けてくれるでしょ? 」
その口元に、人差し指をあてて言葉を封じ込めた。




