【95】
エルフの里に戻ってきた二人の耳に、何やら言い争うような声が聞こえてくる。
「ですから、メルディナは出掛けております。いつ戻って来るかもわからないのです」
「嘘を吐くな。あの者が帰って来ているのはわかっているのだ。隠しだてするとは、貴様らはいつからそんなに偉くなった?」
声色からして一人はメルスだろうが、もう一人の声には聞き覚えがない。
メルディナを探している口調から警戒し、彼女を後ろに庇う形で歩を進めたヴィルムを視界に捉えたメルスがアイコンタクトで隠れるように訴えるが、少しばかり遅かった。
振り返った彼の顔はエルフ族と同じく整ったものであり、それに加えて額に埋め込まれたエメラルドのような翠石が、彼の種族を物語っている。
「フンッ、やはりいるではないか。一体どういうつもりだ?」
「たった今、散歩から帰ってきた所でね。別にメルスさんが嘘を吐いていた訳じゃねぇよ」
目を細めるハイエルフとメルスの間にヴィルムが割って入り、真っ向から睨み合う。
しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはハイエルフの方だった。
「そうか、貴様が彼女を連れ帰ったという人間族の男だな? 丁度良い。我らの長が御呼びだ。貴様も一緒に来てもらおうか」
「従う義理はねぇな。用があるなら、そっちが来たらどうだ?」
「ぬっ、ぐっ・・・!」
ヴィルムの物言いは、ハイエルフの自尊心を逆撫でするには十分だったのだろう。
歯を食い縛って必死に堪えている様子を見るに、その長とやらからの命を果たす為に怒りを我慢しているといった所か。
「・・・とにかく、来てもらわねば困る。我らは長い間聖樹様の側を離れる事が出来ない身体なのだ」
「あの首飾りがあれば自由に動き回れるだろう? 下っぱ共が持っていて、その長が持っていない訳がないよな?」
ここで、ヴィルムは核心を突く爆弾を投下する。
もし、ハイエルフ族がラーゼン達と繋がりを持っているならば、例え隠そうとした所で綻びが見えるはずだ。
しかしハイエルフの見せた反応は、ヴィルムの予想通りとは言い難いものであった。
「その件についての話だ。あれは奴らが首飾りを手に入れて暴走した、としか言いようがない」
「・・・随分とあっさり認めるんだな」
「不本意ではあるが、な。我らは不干渉を決め込めば良いと思っていたのだが、我らの長がどうしても謝罪したいと言うのであれば従う外ない」
言葉通り、このハイエルフも全てを納得している訳ではないのだろう。
苦々しい、ふてくされたような彼の表情がそれを物語っていた。
その様子を見て、次の一手を考えていたヴィルムの後ろから、庇われていたメルディナがそっと耳打ちする。
「(ヴィル、ここは話に乗っておきましょう)」
「(大丈夫か? 奴の言葉が演技だって可能性もあるぞ?)」
「(だとしても、こっそり潜入するよりも、招かれたふりをして堂々と歩き回れる方が効率が良いと思うの)」
メルディナの提案は確かにメリットが大きいものの、敵陣の真っ只中にメルディナ自身を晒してしまうデメリットも存在するという点がヴィルムの決断を鈍らせていた。
「(ヴィルが私を心配してくれてるのは嬉しいわ。でも多少の危険があるかもってだけで、精霊様達に害となるかもしれない存在を放置するつもり?)」
「(それは・・・)」
「(それに、もし何かがあったとしても、ヴィルが守ってくれるんでしょ?)」
「・・・あぁ、そうだな」
悪戯っ子のように笑うメルディナを見たヴィルムはゆっくりと頷くと、改めてハイエルフを見据える。
「わかった。その招待を受けよう。ただし、俺とメルディナの他にも何人か連れていく」
「いや、流石にそれは・・・いや、わかった。すぐに向かう故、手早く準備をしてくれ」
長から直々に招待された以外の者を聖域に入れたくないのだろう。
ヴィルムの条件を反射的に断ろうとしたハイエルフだったが、まずは長の命令を遂行する事が先決と考えたのか、不承不承ながら聞き入れた。
その後、朝食の準備をしていたクーナリア達に声を掛け、まだ寝室で寝転けていたミゼリオを起こしたヴィルム達は、先程のハイエルフに連れられて彼らの聖域に向かうのだった。
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陽の光をも遮る大樹に囲まれた場所。
そこだけを聞けば暗闇に包まれた森の中といった印象を受けるのだが、その場所は不思議な光によってある程度の明るさを保っていた。
光を辿れば、周りを取り囲む大樹よりも二回り以上巨大な樹がうっすらとした水色の光を放っているのがわかる。
そして、その巨大樹の元には、数人のハイエルフ達が集まっていた。
「ようこそおいで下さいました。我々ハイエルフ一同は精霊獣様とミゼリオ様を歓迎致します」
進み出た一人のハイエルフの男性が、フーミルとミゼリオ以外に対して明確な拒絶の意を含めた言葉と共に頭を下げる。
そのあからさまな態度に、気の短いオーマは頬をピクピクさせているが、隣にいるメルディナとクーナリアが宥めているおかげで何とか飛び掛からずに済んでいるといった所だろうか。
対して、ヴィルムは冷静にハイエルフ達を観察していた。
内包されている魔力や動いた際の一挙手一投足から、ある程度の実力にあたりをつけていく。
殺気に近いものを向けてくる者もいたが、あえて反応を見せずにさらりと受け流す事で、こちらの実力を誤認させるのも忘れない。
「お前達、我が呼んだ客人に対して何たる態度か」
奥から出てきた男の一喝により、周囲にいたハイエルフ達が全て跪く。
暗がりから姿を見せたのは、彼らに比べると少し年若い印象を持つハイエルフだった。
周囲のハイエルフ達と似たような顔立ちや衣装ではあるものの、額に埋め込まれた藍玉のような石が他のハイエルフ達とは違った存在である事を示している。
「久しいな、我が婚約者よ」
「そのお話はお断りしたはずですよ? ハルツァン様」
周囲のハイエルフ達がメルディナを睨み付けているのに対し、ハルツァンと呼ばれたその男性は楽しげな笑みを崩さない。
「くっくっくっ。ハイエルフの次期族長である我を前にしてその態度・・・やはりお前こそ我が妻となるに相応しい」
「お褒め頂きありがとうございます。ですが、私にその気は全くございませんので、どうか諦めて下さいませ」
「お前の意見は聞いておらんよ。我がお前を妻にと言ったのだ。お前は我が妻になる以外の選択肢などありはせんよ」
「はっきり申し上げますと、妻に迎えたい女の意見すらも全く聞き入れないハルツァン様に対してこれっぽっちの愛情もありませんので、全力でお断り致します」
メルディナが拒絶の言葉を口にする度、周囲に控えるハイエルフ達の怒りが高まっていくが、当事者であり族長の息子でもあるハルツァンが笑みを崩さないので動けないようだ。
ヴィルム達も、メルディナが助けを求める素振りがないので口を挟もうとはせず、ハルツァンを見据える程度に留めている。
先に折れたのは、ハルツァンの方だった。
「ふっくっくっくっ。気丈な事よ。まぁ、良い。此度、お前達を呼んだのは他でもない。我らハイエルフ族の一部の者達が暴走し、精霊獣様に多大な御迷惑をお掛けした事について、謝罪がしたい」
「それでしたなら、私などに構っている暇はなかったのではございませんか? 精霊獣様をお待たせして女を口説くなんて、誉められた行為ではありませんよ」
ようやく終わったとばかりに溜め息を吐いたメルディナは、最後に嫌味を投げ掛けると、ハルツァンの視界から外れるように後ろへと下がっていく。
「ふむ、未来の妻の言う事も尤もよな。皆の者、客人達を我が部屋に招く。無礼な振る舞いは控えよ。よいな?」
「「「はっ!!」」」
ハイエルフ達の返事を聞き届けたハルツァンは、ついてこいとばかりに歩みを進めるのであった。




