第3話 最弱のはじまり
その夜から、レンの奇妙な「研究」が始まった。
倉庫の隅にうずくまり、埃をかぶった工具を手に、レンは錆びついたサバイバルナイフを分解していった。柄を留めるピンを外し、刃と柄の接合部を露わにする。鋼材の断面を、古い解析端末――倉庫の奥に放置されていた、おそらくは廃棄予定の代物――の光にかざしながら、レンは食い入るように観察した。
「刃の角度、片刃で……焼き入れの跡がある。ってことは、この鋼材は熱処理で硬度を変えられるってことか」
誰に語りかけるでもなく、レンはひとりごとを続けた。学校の授業では、こんなふうに何かに没頭したことはなかった。だが今は、他にすることが何もなかった。それに――どこかで、この作業そのものが、レンの中の何かを落ち着かせているようでもあった。
翌朝、寝不足の目をこすりながら、レンは倉庫の資材整理という「仕事」をこなした。単調な作業だったが、それが終わると、また夜を待って分解作業に戻った。
二日目。刃の断面を光にかざしていると、柄の内部に小さな刻印を見つけた。判読できない文字列だったが、レンはそれを丹念にスケッチし、解析端末の辞書機能――かろうじて動いていた――に打ち込んで調べた。
三日目の夜、ようやく刃と柄、そして刻印の意味――かつてこのナイフが軍用規格品として量産されていたこと、鋼材の結晶構造が特定の圧延工程を経ていること――までを、レンは自分なりに理解し尽くしたという実感を得ていた。
「これで、少しは……」
半信半疑のまま、レンは組み直したナイフを両手で包み込み、目を閉じて念じた。
――お前のこと、少しはわかった気がする。
視界の隅に、これまでとは違う文字列が浮かび上がった。
〈対象への理解度:高 強化倍率算出中……〉
心臓が跳ねた。算出中、という文字が、これまでの「測定不能」「極めて低い」といった素っ気ない表示とは、明らかに違う手応えを伴っていた。
数秒後、続きの表示が現れた。
〈強化倍率 ×1120 適用します〉
刃がわずかに、青白い光を帯びた。
「え……」
レンは息を止めて、自分の手の中の変化を見つめた。錆びついていたはずの刃の表面が、みるみるうちに滑らかな鈍色の光沢を取り戻していく。柄に刻まれていた刻印も、心なしかくっきりと浮き上がって見えた。全体の重量はほとんど変わっていないのに、握った瞬間の質感がまるで別物だった。
震える手で、レンは倉庫の外に出た。夜明け前の薄暗い空気の中、廃棄予定として積まれていた装甲板の残骸が、外壁の脇に転がっているのが見えた。旧式の輸送艇か何かから剥がされたものだろう。
レンはその一枚に向き合い、深呼吸をしてから、ナイフの刃を軽く当ててみた。
――ズブリ。
抵抗らしい抵抗もなく、装甲板がまるで薄紙のように両断された。切断面は驚くほど滑らかで、まるで最初からそういう形をしていたかのようだった。
「……嘘だろ」
レンは切り離された装甲板の断片と、自分の手の中の刃を、何度も見比べた。指先が震えていた。恐怖にも似た感情と、それとは違う、もっと熱を持った何かが、同時に胸の中でせめぎ合っていた。
怖くなって、慌ててナイフを倉庫の隅に置き、レンはその場にへたり込んだ。
(なんだ、これ。何が起きたんだ)
しばらくその場から動けなかった。だが、時間が経つにつれて、恐怖よりも別の感情の方が大きくなっていくのを感じた。
(理解すれば……強くなる、のか。あの表示の通りに)
もう一度、鬼灯の鑑定機が示した「測定不能」という言葉を思い出す。あれは間違いでも、ゼロという評価でもなかったのかもしれない。ただ、あの時点でのレンには、まだ何も理解できているものがなかった――それだけのことだったのだ。
倉庫に戻り、置いたままにしていたナイフを、レンはもう一度そっと拾い上げた。
腹の底から、これまで感じたことのない何かがこみ上げてきた。それは自信と呼ぶにはまだあまりにおぼつかなく、期待と呼ぶにはあまりに現実離れしていた。だが、確かにそこにあった。
「俺にも……できることが、あるのか」
つぶやいた声は、誰にも届かない倉庫の暗がりに、静かに吸い込まれていった。
窓の外では、見知らぬ星々が、変わらぬ密度で夜空を埋め尽くしていた。レンはその光を見上げながら、これから自分が理解すべきものが、この基地の中だけでも無数にあることに、ようやく思い至った。
装甲服、鑑定機、通信機、そして――いつか目にすることになるだろう、もっと大きな何か。
その全てを理解し尽くしたとき、自分はどこまで行けるのか。レンにはまだ、その答えを知る由もなかった。
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*(第4話「追放」へ続く)*




