第二十五話「堀田正睦という人」
一
師走の京は、底冷えがする。
御所の方角から吹いてくる風は、昼でも刃のように冷たかった。
糸子は帳面を抱えて縁側に出た。冬の光が、庭を白く照らしていた。
三冊目の帳面——知らせの帳面——を開いた。
新しい項目には、実光からの伝言が書いてあった。
「堀田正睦様が京に来られます。今月の末になりましょう。上洛の目的は御所への参内ですが、その前後に時間が取れると、広橋権中納言様を通じてお伝えいただきました。近衛家との対話の用意がある、とのことにございます。」
今月の末。
思ったより早かった。
老中首座が、自ら江戸を空けて京へ上る。尋常のことではない。それほどまでに、下田のハリスは、ご公儀の喉元に迫っているのだ。
糸子は少し考えた後、帳面を閉じた。
堀田正睦。
阿部正弘から老中首座を譲られたこの人物は、幕末史の中でも特異な位置を持つ。
西洋に目を開いていながら、現実も見ている。
通商の約定を結ばねばならぬことを分かりながら、御門様の勅許を得ることの重さも分かっている。
その堀田が、今月の末に京に来る。
糸子には、これがどれほど大きな機会かが分かっていた。
一年あまり後に来る談判の前に、ご公儀の開明の方々と近衛家の立場を揃えておく必要がある。
その最初の接点として、堀田との対話は決定的な意味を持つ。
しかし、問題がある。
島津斉彬の時と同じく、五摂家の姫君としての礼法を守りながら、中身のある話をしなければならない。
しかも堀田は、ご公儀の老中首座だ。
老中が五摂家の姫君と直に言葉を交わすという前例は、形の上では相当に異例だ。
二
実光が翌日、近衛家に来た。
「父から詳しい話をお聞き致しました」
実光の顔には、いつもより張りつめた色があった。
「堀田様が近衛家を訪ねられることは、表向きは近衛家への儀礼の挨拶という形になりまする。上洛の折に五摂家へ挨拶に参るのは、ご公儀の要人にとって珍しくないことでございます。その枠組みの中で話をする、という形になりましょう」
「問題は、その中身でございますね」
「はい。儀礼の挨拶の形を取りながら、実のところは政の話をいたす。双方にとって都合のよい建前でございますが、その分、言葉には慎重さが要りましょう」
「御簾越しでの対話は?」
「姫君様がご同席になる以上、御簾越しになりまする。五摂家の礼法として正式な形ですので、障りはございません」
「堀田様は、そのような形での話を分かってくださるとお思いですか」
実光が少し考えた後、答えた。
「父の見立てでは、堀田様は形を重んじながら、形の内で中身を最大限に引き出せる方だとのこと。実のある話のできる方だと思いまする」
「実光様は、どう思われましょうや」
「わたくしは、堀田様に直にお会いしたことはございませぬ。なれど父から聞く限りでは——」
実光が続けた。
「堀田様は、御門様の勅許のことを、ご公儀の要人の中でも最も重く受け止めておられる方の一人でございましょう。勅許なしの約定は、ご公儀の御威光を傷つけるとお分かりだとのこと。だからこそ、朝廷とのことを正面から考えようとしておられるのでございましょう」
「その点では、近衛家の立場と重なりまする」
「はい。なれど、やり方については、堀田様とはいくつか違いがあると思いまする」
「どのような違いがございましょうや」
「堀田様はご公儀の立場として、通商の約定を結ぶことは避けられぬと見ておられまする。問題は、どのような条件で結ぶか、そして勅許をどのように得るか、という二点に絞られましょう。なれど姫君様は、さらに一歩踏み込んでおられまする」
「約定の中身にまで、関わりたいと思うております」
「それは、堀田様のお考えより、一歩も二歩も踏み込んだものになりましょう」
糸子は頷いた。
「その点を、話の中でどう伝えるか。そこが、今回の核心になりましょうや」
「そのように思いまする」
三
堀田正睦が近衛家を訪れたのは、師走も押し詰まった、冷えた朝だった。
空は澄んでいた。御所の方角の空に、うっすらと雲が流れていた。
堀田は供を数人連れてきたが、島津斉彬の時と同じく、邸内には一人で入った。
実光が設えた座敷に通された。
忠房が表で迎えた。
糸子は御簾の内に座った。
堀田の足音が、廊下を来た。
重い足音だった。急いでいない。しかし一歩一歩に確かさがある。
座敷に入ってきた堀田の声を聞いた瞬間、糸子は少し驚いた。
声が穏やかだった。
老中首座という立場の人の声を想像すると、もう少し威圧するような何かを予期してしまうものだが、堀田の声は穏やかで、しかし明確だった。
「近衛様、このたびは時間を取っていただき、忝う存じます」
「遠路お越しくださり、恐悦に存じます。どうぞ、お楽に」
忠房の声も、いつもより少し力があった。
茶が運ばれた。
しばらく、当たり障りのない話が続いた。
京の冬の寒さ。道中の様子。御所の近況。
それらを聞きながら、糸子は堀田の話し方を見ていた。
言葉を選んでいる。しかし選び方が自然だ。計算して選んでいるのに、計算を感じさせない。
これは、相当に場数を踏んだ人の話し方だ。
四
当たり障りのない話が一段落した後、堀田が少し声の調子を変えた。
「近衛様、失礼ながら一つ確かめさせてください」
「はい」
「御簾の内に、姫君様がいらっしゃいますか」
「はい。御簾越しではありますが、娘が同席しておりまする」
「天朝物産会所を動かしておられるとお聞きしました」
糸子は御簾の内から答えた。
「近衛家の糸子でございます。御簾越しではありますが、よしなに願い申します」
「お声を聞かせていただいて、光栄です」
堀田が続けた。
「姫君様、率直に申し上げることをお許しください」
「どうぞ」
「近衛家の動きについて、いくつかの道から話が入っております。天朝物産会所の商い、御所御用達の称号、御門様とのお関わり、そして守護の体制。これらは、近衛家という枠を超えた何かを目指しているようにお見受け致します」
「どのようなものに見えましょうや」
「正直に申せば——」
堀田が少し間を置いた。
「初めは、朝廷の御威光を借りて、ご公儀に圧をかけようとしているのかと思いました。しかし調べるほどに、そのような意図ではないと感じております」
「では、どのようにお感じか」
「この国を異国から守ろうとしている、と感じております。ただし、ご公儀のやり方ではなく、朝廷のやり方で。その二つは本来ぶつかるものではないはずですが、今の世では軋みが生じております」
糸子は静かに聞いていた。
「堀田様、一つお聞きしてよろしいでしょうか」
「何でしょう」
「通商の談判が、遠からず始まると思われましょうや」
堀田が少し沈黙した。
「……はい。ハリス殿から書状を重ねて受け取る中で、避けられぬと判じております」
「その談判において、勅許を得ることをお考えか」
「それが、最も大きな課題の一つです。勅許なしに約定を結べば、ご公儀の御威光を傷つけます。しかし主上様は、異国との交わりを強くお嫌いだと聞いております」
「だから難しいと?」
「はい」
「堀田様」
糸子は言った。
「わたくしは、この問題には解く道があると思うておりまする」
座敷の空気が変わった。
「解く道がある、とは」
「この国を守りたいというお気持ちが、異国嫌いの根にあるとすれば——そのお気持ちを、『拒む』ではなく『条件』として形にできれば、事は変わりましょう」
「条件として?」
「はい。勅許をお考えになる時、条件となり得るもの——それを、わたくしはこの一年あまりで整理して参りました。わたくしの見立てでございます。談判が始まる時、その条件を談判の場に持ち込めれば、勅許への道が開けましょう」
堀田がしばらく黙っていた。
「……朝廷のお考えを、条件として談判の場に持ち込むのですか」
「はい。ご公儀が異国と談判し、朝廷はただ認めるか拒むか、という形ではなく、朝廷のお考えが条件として談判に映される形にするのでございます」
「それは——」
堀田の声が、わずかに変わった。
「それは、朝廷が実のところ、談判に加わるということでは」
「形の上では、ご公儀が談判なさいまする。なれど、朝廷のお考えを条件として場に持ち込む者がいれば、朝廷のお考えは実のところ映されましょう」
「その者が、姫君様ということでしょうか」
「そうありたいと、願うておりまする」
五
座敷に沈黙が流れた。
長い沈黙だった。
糸子は待った。
堀田が考えている。これは拒否の沈黙ではない。受け止めて、整理している沈黙だ。
「……姫君様、一つ確かめさせてください」
「はい」
「姫君様が談判に関わることで、勅許を得られる見込みが高まると——そのようにお考えですか」
「高まると思うておりまする。確かとは申せませぬ。なれど今のままでは、勅許が下りぬ見込みの方が高うございます。わたくしが関わることで、拒むことから、条件を付けての御許しへ変えられるやもしれませぬ」
「条件を付けての御許し、というのは?」
「具体的な条件を示し、その条件が満たされれば勅許を下す、という形でございます。今のようにただ拒むより、談判の余地が生まれましょう」
「その条件とは」
「わたくしの見立てでは、大きく三点でございます。異人を、異人の領事だけが裁く——その定めを、こちらにだけ押しつけさせぬこと。関税を、この国が自ら定めること。金銀の引き替えの比率を、正しく定めること」
堀田が少し動いた気配がした。
「……それは、和親の約定で、この国が損をした点そのものではありませぬか」
「はい。和親の約定の轍を、通商の約定では踏まぬための条件でございます」
「和親の約定の、英文と和文の食い違いについても、ご存じか」
「はい。第十一条、領事を置く定めの食い違いでございます。英文では『いずれかの政府が要ると見なせば』となっていたものが、和文では『両国の政府の合意をもって』という、まるで違う意味になっておりました」
堀田がわずかに息を吸った音がした。
「……姫君様は、どこでそれを?」
「書物と、異国の言葉を学ぶ中で確かめました。英文を、自ら読んでおりまする」
また沈黙があった。
今度の沈黙は、少し違う種類だった。
堀田が、何かを決めようとしている沈黙だ。
「姫君様」
「はい」
「わたくしは、老中の立場として、朝廷が直に談判へ加わることを認めるのは難しい」
「はい。そうだと思うておりました」
「しかし…」
堀田が続けた。
「朝廷のお考えを、談判の前に正しく知ることは、ご公儀にとっても要ることです。御門様が何を条件となさるかを前もって知ることができれば、談判の向きを定める上で、大きな助けになる」
「その知らせは、わたくしがお届けできましょう。御所の内のことは、お許しの範囲で、でございますが」
「談判の前に、わたくしに伝えていただける、ということですか」
「はい」
「その知らせがあれば——」
堀田が少し考えた後、言った。
「談判において、御門様が受け入れられる条件を組み込める。勅許を得るための地ならしが、前もってできる」
「その通りでございます」
「……なるほど」
堀田が静かに言った。
「姫君様は、ご公儀と朝廷の間に立っているわけではないのですね」
「どういう意味でございますか」
「仲立ちではなく、両方が望む結果に向けて、互いの利を生む仕組みを作ろうとしておられる。ご公儀が望む約定の締結と、御門様が望むこの国の独り立ち、この二つを同時に満たす形を作ろうとしている」
「……はい。そういうことでございます」
六
茶が再び運ばれた。
話の気配が、少し変わった。
対話というより、協議に近い何かになっていた。
「堀田様、もう一つお聞きしてよろしいでしょうか」
「何でしょう」
「ハリス殿との談判で、一番難しいところはどこだとお感じでございますか」
堀田が少し考えた後、率直に答えた。
「時です。ハリス殿は急いでいる。本国から急かされているのでしょう。できるだけ早く約定を結びたいと思っている。その急ぎ方が、この国に不利な条件を呑ませる圧になります」
「急いでいる相手との談判の対処は、お考えですか」
「時を稼ぐことが一つです。しかし、いつまでも引き延ばすことはできない。いずれ結ばねばならぬ時が来る」
「引き延ばすより、条件を固める方が効くと思いまする」
「固めるとは?」
「相手が急いでいる時、こちらが明らかな条件を示せば、談判が一点に絞られまする。『この条件なら今すぐ結べる』という形にいたせば、相手の急ぐ気持ちを、逆に使えましょう」
堀田がしばらく考えた。
「……なるほど。相手の時の圧を、条件を固めることに使うのか」
「はい。条件が曖昧なまま時をかけるより、条件を明らかにして早く決着させる方が、最後にこの国に有利な条件で結べるやもしれませぬ」
「しかし、その条件を御門様がお認めになるかどうか…」
「だからこそ、前もって御所のお考えを知っておく必要がございましょう」
堀田が頷いた。
「分かりました。その知らせの道を、近衛家との間で作ることはできましょうか」
「はい。ただし御所の内のことは、お許しを得た上で、かつ扱いに慎重を期していただく必要がございます」
「当然です。朝廷のお考えが外に漏れることは、双方にとって不利になります」
「では——」
糸子は言った。
「知らせの道について、実光様と広橋権中納言様を通じた形を作ることをご提案致しまする。広橋家は、朝廷とご公儀の双方と関わりを持っておりまする。その道であれば、自然な形で知らせが流れましょう」
「広橋権中納言殿を通じる、ということですね」
「はい。実光様は、すでにわたくしと手を携えております。その形を少し広げる形でございます」
七
話が深まっていく中で、堀田が少し話の向きを変えた。
「姫君様、一つ、私的なことをお聞きしてよろしいですか」
「何でございましょう」
「この夏、蘭人の軍医が京へ上ったでしょう。付き添いに付けた松本良順が、江戸へ戻って申しておりました。御簾の内から、異人と英語で渡り合う姫君がおられた、と」
糸子は、御簾の内で静かに息を整えた。
やはり、松本殿は語っていた。
「松本殿は、正直なお方でございますね」
「正直すぎる、と言う者もおります」
堀田の声に、わずかに笑みが混じった。
「英語は、いつから」
「昨年から、本腰を入れて始めました。今は村田蔵六殿に教わっておりまする」
「村田殿というのは」
「伊予宇和島の伊達様にお仕えする蘭学者で、長崎で蘭人の軍医に英語を勧められた方でございます。その軍医が、この夏に京へ来られたお方でございます」
「何のために、英語を」
「約定の文を、自ら読むためでございます。英文と和文に食い違いがあった時、この国の側が自ら確かめられなければ、損を致しましょう。先ほどの第十一条も、その軍医殿に読み方を確かめました」
「何と言いました」
「英吉利人なら誰でも、『どちらか一方』と読む。そしてメリケン人も、必ずそう読んでくる、と」
堀田が、しばらく黙った。
下田で、ハリスがまさにそう読んで押してきていることを、この人は誰よりよく知っているはずだ。
「……談判の場で、そのような者がこの国の側にいるということは——ご公儀にとっても、非常に有益なことです」
堀田が静かに言った。
「お役に立てれば、光栄でございます」
八
夕刻が近づいた頃、堀田が立ち上がる気配がした。
「近衛様、今日は有益な時をいただきました」
「こちらこそ」
「姫君様」
「はい」
「一つ申し上げます」
堀田が続けた。
「わたくしはご公儀の立場として、朝廷が直に関わることを正式に認めるのは難しい。しかし、わたくし一人の者として、今日の話を通じて、姫君様のお考えに共感するところがあります」
「誠に痛み入ります」
「談判が始まった時に、主上様のお考えを前もって知る道があることは——ご公儀にとって、勅許を得る上で大きな助けになります。その道を、近衛家として担っていただけるのであれば」
「担わせていただきまする」
「それだけで十分です。今は」
堀田が続けた。
「談判が実際に始まった時、事は変わるかもしれません。その時に、改めて話し合う機会を持てれば、と思います」
「はい。その機会を作りましょう」
「では」
堀田が立ち上がった。
「今日は近衛様、姫君様、恐悦至極に存じ上げます」
九
堀田が帰った後、忠房と糸子と実光の三人が座敷に残った。
「どうだった」
忠房が糸子に聞いた。
「思うていたより、良い運びでございました」
「良い、とは?」
「堀田様は、勅許の問題を本気で解こうとしておられます。そのための知らせとして、近衛家が御所のお考えを前もって伝える道を持つことを、実のところ認めてくださいました」
「正式ではないが」
「正式でなくてもよいのでございます。正式にしてしまえば、ご公儀の中で揉めましょう。内々の形で働くことの方が、今は大切でございます」
実光が言った。
「広橋家を通じた知らせの道という話は、父も喜ぶと思います。家の役目として、自然な形になりましょう」
「実光様のお父上が動いてくださらなければ、この形はできませんでした。御礼の言葉もございませぬ」
「はい」
忠房が静かに言った。
「糸子、堀田殿は信用できると思うか」
「すべてを預けるのは、まだでございます。なれど今日の話を通じて、この件については同じ向きを見ていると感じました。利の重なるところがある。その範囲での信は、十分だと思いまする」
「利の重なるところ?」
「堀田様は、通商の約定を結ぶ必要があると思っておられます。そのためには勅許が要ると思っておられる。わたくしは、御所のお考えを条件として談判に映したいと思うております。この三つが重なっているのでございます」
「ならば」
「ならば、今は手を携えられましょう。いつか利が重ならなくなる時が来るかもしれません。その時は、また考えまする」
忠房が少し間を置いてから、言った。
「糸子。天朝物産会所の看板は、どうする」
「掲げまする。年を越すまでもございませぬ」
糸子は迷わずに答えた。
「老中首座が近衛家の門をくぐられた。そのことは、明日には京の商家の耳に入りましょう。ご公儀が近衛家の商いを咎めておらぬ、何よりの証でございます。この時を外せば、次はございませぬ」
「書付も、組織の形も、すでに整えてございます。人も帳場も、春からいつでも動けるようにしてありまする」
実光が言った。
忠房が頷いた。
「ならば、掲げなさい」
十
実光が帰った後、糸子は帳面を開いた。
今日の対話を書き留めた。
堀田との話の中身。得られたもの。残った課題。
最後に書いた。
「堀田様との対話により、次の道が生まれた。御所のお考えを前もって知る→近衛家→広橋家→堀田様。この道を通じて、通商の談判の前に、御所の条件をご公儀に伝えられる見込みが生まれた。」
「残る課題:御門様へのご報告と、条件のお確かめ。英語の習熟を続けること。村田殿の談判への加わり方を定めること。それから……」
帳面を閉じた。
縁側まで、試衛館の稽古の音が届いていた。
冬の空気の中、木刀の打ち合う音が、鮮やかに響いた。
近藤が今日も稽古をしている。
旭狼衛が今日も動いている。
糸子は縁側に出て、冷たい空気を吸った。
堀田との対話は、一つの扉を開いた。
しかし扉が開いただけで、部屋の中にはまだ入っていない。
入るためには、御門様へのご報告が要る。
わたくしの見立ての三つを、御門様ご自身のものとしていただけるかどうか。もう一度、御前に参る必要がある。
十一
翌日の朝、さとから文が届いた。
「御門様が、姫君様にお会いになりたいとの思し召しでございます。年内に、お時間をいただけましょうか」
糸子は少し驚いた。
こちらから参内を願い出る前に、御門様の方から話があった。
御門様も、何か動きを感じていらっしゃるのだろうか。
糸子はすぐに返書を書いた。
「はい。年内に参内いたしまする。来週の中頃はいかがでございましょうか。」
十二
その夜、近藤が縁側に来た。
「姫様、今日はお疲れのご様子ですか」
「少し疲れました。でも、良い疲れです」
「良い疲れ?」
「動いた末の疲れは、良い疲れです。動かずに不安なままでいる時の疲れとは、違いまする」
近藤が頷いた。
「先日、老中の堀田様とお会いになったとお聞きしました」
「はい」
「どのような方でしたか?」
「信の置ける方だと思います。すべてではありませんが、今の段では十分に…」
「この国のことを考えている方ですか?」
「はい。ご公儀の立場からではありますが、この国をどうするかという問いを、本気で考えていらっしゃる方です」
「それは、島津様と似ておりましょうか」
糸子は少し考えた。
「似ているところと、違うところがあると思いまする。斉彬様は藩の主として、力を持って変化を起こそうとしておられます。堀田様はご公儀の要人として、仕組みの中で変化を起こそうとしておられます。どちらもこの国を変えようとしておりますが、立つ場所が違いましょう」
「姫様の立つ場所は…」
「どこにも属さない場所でございます」
「それは、孤独ではないんですか」
糸子は少し間を置いた後、答えた。
「孤独ではありません。近藤殿たちがいます。村岡も、善次郎も、実光様も、さとも。お梅も、父上も。それだけの人がいる孤独は、孤独とは言いませぬ」
近藤が静かに頷いた。
「俺たちがいます。どこへ行くにも、お供致しましょう」
「恐悦に存じます」
冬の夜が、静かに深まっていった。
一年あまり後に来る談判に向けて、すべての備えが少しずつ、しかし確実に積み重なっていた。
近衛糸子は帳面を閉じて、明日の段取りを考え始めた。
第二十五話 了
【人物解説】堀田正睦という、開国の矢面に立った男
幕末という時代を書くと、どうしても華やかな人物に目が行きます。
坂本龍馬。
西郷隆盛。
勝海舟。
あるいは、井伊直弼。
ところが、日本が実際に外国と向き合い、国を開くための難しい交渉をしていた時期、幕府の中心にいた人物となると、意外なほど名前が知られていません。
堀田正睦。
下総佐倉藩十一万石の藩主であり、幕府の老中首座を務めた人物です。
本作にも登場するこの人を理解するには、「開国派」という一言だけでは少し足りません。
正睦は、単に外国が好きだった人ではありません。
むしろ、外国を知らないことの方が怖い、と考えた人でした。
その感覚は、黒船が浦賀に現れてから突然芽生えたものではありません。
正睦は文化七年(一八一〇)に生まれ、十六歳で佐倉藩主となりました。
彼が治めた佐倉は、江戸の東にあります。
長崎から見れば、ずっと遠い。
ところが幕末の佐倉は、蘭学の盛んな土地として知られるようになります。
正睦自身が、西洋の学問を積極的に取り入れたからです。
藩校を拡充して成徳書院とし、蘭学を奨励する。
西洋式の兵制を取り入れる。
そして天保十四年(一八四三)、蘭方医の佐藤泰然が佐倉へ移り、医学塾兼診療所「順天堂」を開きました。
のちの順天堂につながる医学教育の源流です。
ここで大切なのは、「西洋は進んでいるから何でも真似しよう」という単純な西洋崇拝ではなかったことでしょう。
病を治す技術があるなら学ぶ。
優れた軍事技術があるなら調べる。
知らないものなら、まず知る。
役に立つものなら取り入れる。
その姿勢が、正睦にはかなり早い時期からありました。
そのため「蘭癖」とも呼ばれました。
当時の「蘭癖」には、いささか揶揄する響きもあります。
西洋かぶれ。
外国好き。
そんな意味合いです。
けれど二十年ほど後、日本中が西洋の軍艦や大砲を必死になって学び始めることを考えれば、正睦は少し早く始めすぎただけだった、と見ることもできます。
そして嘉永六年(一八五三)。
ペリーが来航します。
ここから、日本そのものが正睦の考えていた方向へ、否応なく動き始めます。
外国と付き合うのか。追い払うのか。戦うのか。条約を結ぶのか。開国するのか。
幕府だけで決めるのか。朝廷にも意見を求めるのか。
私たちは結末を知っています。
しかし当時の人間には、正解など分かりません。
アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことは、日本にも伝わっていました。
西洋列強の軍事力が強大であることも分かり始めている。
だからといって、外国の要求をすべて受け入れてよいはずもない。
一歩間違えれば戦争になる。
譲りすぎれば国益を損なう。
強硬に出すぎれば、本当に艦隊がやってくるかもしれない。
その判断を迫られたのが、幕府でした。
安政二年(一八五五)、正睦は老中に再任されます。
やがて阿部正弘が亡くなると、老中首座として幕政の前面に立つことになります。
そこへ現れたのが、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスでした。
ハリスは、日本との本格的な通商条約を求めます。
ここから正睦の政治人生で、もっとも重要な仕事が始まります。
日米修好通商条約です。
ただし、正睦が一人でハリスと向かい合い、条約の一字一句を決めたわけではありません。
実際の交渉では、井上清直、岩瀬忠震ら幕府の有能な実務官僚が大きな役割を果たしました。
正睦は彼らを使い、幕府側の責任者として交渉を進めました。
ここは、幕末外交を見るうえで面白いところです。
当時の幕府を「何も知らない古い政府」とだけ考えてしまうと、この時代の実像を見誤ります。
幕府の中にも世界情勢を調べ、外国人と交渉し、条文を読み、少しでも日本に有利な条件を引き出そうとする人間たちがいました。
岩瀬忠震などは、その代表でしょう。
正睦は、そうした人材を働かせる立場にいました。
そして交渉の末、条約の内容はほぼまとまります。
ところが、ここから正睦の運命が狂います。
相手はアメリカではありません。
日本国内でした。
幕府には、外国と条約を結ぶことに強い反発がありました。
大名たちの意見も割れている。
そして何より、朝廷がある。
正睦は考えました。
この重大な条約を結ぶなら、天皇の許しを得た方がよい。
幕府だけで決めるのではなく、勅許を得ておけば、国内の反対を抑えることができる。
政治判断としては理解できます。
そこで安政五年(一八五八)、正睦は自ら京都へ向かいました。
老中首座本人の上洛です。
彼は朝廷を説得し、条約締結の勅許を得ようとしました。
しかし、ここで正睦は大きな壁にぶつかります。
孝明天皇です。
孝明天皇は外国との通商に強い警戒心を持っていました。
そして京都では、公家や諸藩の政治工作も激しくなっていました。
正睦が江戸で相手にしてきた幕府政治とは、違う論理が動いていたのです。
説明すれば分かってもらえる。
世界情勢を示せば納得してもらえる。
そう簡単にはいきませんでした。
勅許は下りません。
正睦は、失意のうちに江戸へ戻ることになります。
この上洛は、結果から見れば失敗でした。
しかも失ったのは、勅許だけではありません。
正睦が京都にいるあいだにも、江戸では政治が動いていました。
将軍徳川家定の後継者を誰にするのか。
紀州藩主の徳川慶福――のちの家茂か。
それとも一橋慶喜か。
いわゆる将軍継嗣問題です。
正睦は一橋慶喜を推す側に傾いていました。
そこへ、井伊直弼が大老として登場します。
幕末政治の主役が、入れ替わる瞬間でした。
井伊は紀州慶福を推し、やがて慶福が十四代将軍家茂となります。
そして条約問題でも、井伊は決断します。
勅許を待たず、日米修好通商条約を調印する。
安政五年六月十九日。
条約は結ばれました。
歴史の教科書では、この場面に井伊直弼の名前が大きく出てきます。
「勅許を得ずに日米修好通商条約を締結した大老・井伊直弼」
たしかに、それは間違いではありません。
しかし、その前があります。
ハリスとの交渉を進めた政権があった。
井上清直や岩瀬忠震たちが条約内容を詰めた。
その責任者として正睦がいた。
京都まで行って、何とか国内の合意を取りつけようとした。
そして失敗した。
井伊直弼が調印した条約は、堀田正睦の時代にほとんど形が作られていたのです。
皮肉なものです。
条約を作るところまで進めた人間が失脚し、最後に判を押した人間の名前が歴史に残った。
その直後、正睦は老中を罷免されます。
まだ四十八歳でした。
翌年には家督を譲って隠居します。
そして文久二年(一八六二)、幕府から蟄居を命じられました。
二年後の元治元年(一八六四)。
正睦は佐倉城内の松山御殿で亡くなります。
五十五歳でした。
明治維新を見ることはありませんでした。
彼が推し進めた「開国」の先に生まれた、新しい日本を見ることもありませんでした。
けれど、正睦の死からわずか四年後、江戸幕府はなくなります。
さらにその数年後には、明治政府自身が西洋の制度や技術を猛烈な勢いで取り入れ始めます。
軍制。
医学。
学校。
科学。
産業。
外交。
かつて「蘭癖」と呼ばれた男が佐倉で進めていたことを、日本という国全体が始めることになります。
だからといって、「堀田正睦だけが未来を正しく見抜いていた」とまで言うつもりはありません。
歴史はそれほど単純ではありません。
正睦にも読み違いがありました。
とりわけ、朝廷から勅許を得ることで条約反対を収められると考えたことは、結果として幕府と朝廷の関係をさらに複雑にしました。
幕府が朝廷に判断を仰いだことで、それまで幕府が握っていた外交問題に、朝廷が大きく関与する道も開かれていきます。
これは後の幕末政治を考えると、非常に重い意味を持ちます。
正睦は外国を見ていました。
しかし同時に、日本国内の政治という、もう一つの難物とも戦わなければならなかった。
そして彼が敗れたのは、外国との外交交渉そのものではありません。
国内の合意を作ることに失敗したのです。
私は、ここに堀田正睦という人物の面白さがあると思っています。英雄ではありません。革命家でもありません。剣を振るって時代を変えた人でもない。外国船を撃ち払ったわけでもない。新政府の大臣になったわけでもない。
幕府という古い組織の中にいて、その組織を壊すのではなく、何とか現実に合わせようとした政治家です。
世界が変わった。
ならば、日本も変わらなければならない。けれど、日本には日本の事情がある。
大名がいる。
朝廷がある。
天皇がいる。
幕府がある。
攘夷を叫ぶ者がいる。
開国を求める者がいる。
将軍の後継者争いまである。
そのすべてを抱えたまま、外国とも交渉しなければならない。
それが正睦の仕事でした。
そして政治というものは、未来が見えているだけでは成功しません。
正しいと思う政策があっても、それを実行するためには人を動かさなければならない。
反対する者を説得しなければならない。
時には妥協しなければならない。
そして最後には、決断しなければならない。
正睦は、そのもっとも難しいところで躓きました。
だからこそ、私は彼を「時代の先を行きすぎた悲劇の開国派」とだけ呼ぶのも、少し違う気がします。
もっと人間臭い。能力もある。知識もある。優秀な部下も使える。外国が怖いからと目を閉じることもしない。
それでも政治には勝てないことがある。
京都から勅許を持ち帰ることのできなかった正睦が江戸へ戻ったとき、おそらく彼自身にも、自分の政治生命が急速に傾いていることは分かっていたでしょう。
そして彼が苦労してまとめた条約を、ほどなく井伊直弼が勅許なしで締結する。
正睦にとって、何とも複雑な結末だったに違いありません。
けれど歴史を百年以上先から眺める私たちは、その続きを知っています。
正睦が育てた佐倉の洋学は消えませんでした。
佐倉順天堂には各地から人が集まり、そこで学んだ医師たちは近代医学へつながっていきます。
成徳書院で育った人材も、明治という新しい時代へ出ていきました。
そして日本は、国を開きました。
正睦の思い描いた形そのままではありません。
むしろ幕府そのものがなくなりました。
それでも日本は外国と付き合い、西洋の学問を学び、医学を学び、軍事を学び、世界へ出ていった。
そう考えると、堀田正睦という人は不思議な場所に立っています。
江戸時代の人でありながら、やろうとしたことの一部は明治につながっている。
幕府を守ろうとした人でありながら、その政策は結果として「幕府だけでは政治を決められない時代」を早めることにもなった。
開国を進めた人でありながら、自分ではその開国後の日本を見ることができなかった。
成功した人なのか。
失敗した人なのか。
簡単には決められません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
ペリーが来てから、日本人が突然、世界の存在に気づいたわけではありません。
黒船が見えるより前から、「このままではいけない」と考え、西洋を学び、人を育て、来るべき時代に備えようとしていた人間たちがいました。
堀田正睦は、その一人です。
そして黒船が本当に現れたとき、彼は逃げずにその問題の正面へ立ちました。
結果として政治には敗れました。
歴史の主役の座も、井伊直弼へ渡りました。
それでも、彼がその前に積み上げた仕事まで消えたわけではありません。
幕末という時代は、勝者だけでできているのではない。
名前を大きく残した者の陰には、途中まで道をつくり、その先を見ることなく舞台から降りた人間がいる。
堀田正睦とは、まさにそういう人物だったのだと思います。




