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序章 一筋の希望

 此の儘ここに居て良いのかこんな場所で押し潰されて死ぬなんて嫌だ、地震というよりまるで何かのアトラクションにでも乗ったかのように激しく全身が揺さぶられそれがなかなか終わってくれない中で少し躊躇しながら意を決し結希は一緒に来てた友達と目配せし建物の外へとよろけながら抜け出した。

 上からガラスなんかが降りそそいでくる危険もあり本来褒められた行動でないのは充分に分かってはいる、それでも私達のいたスポーツ用品店はただの倉庫のように軟な造りで吊り下げられた照明器具も狂ったように跳ね踊り天井にぶつかりそうな勢いだったし、盛大なきしみ音までして潰れてしまうのではという恐怖の方が勝ってしまったのだ。

 外に出ると駐車場の地面が波打って所々アスファルトが割れて盛り上がっている、仙塩道路の街灯も団扇のように揺れていて私達も立っているのもままならない。実際には数分の出来事だっただろうがやっと地震も収まり私たちはしばらくの間あまりのことに呆然としていて何度もくる短いが激しい余震で正気にかえると必死に家族の安否を確認しようとスマホを弄っていたが、通話もメールも全く繋がらなかった何とかツイッターに自分は無事である事だけをつぶやいて改めて周りをよく見ると目の前の仙塩道路の信号は消え車がにっちもさっちも行かなくなって立ち往生している。

 渋滞中の車の間を縫うように二人で長い横断歩道を駆け抜け内陸部に急いで避難しようとした、ここから直接海は見えないけど仙台港からほど近い土地柄で津波の心配もある事に遅まきながら気付いたからだ。

 水平線が盛り上がったかのように見えた波が陸地に到達し建物の密集する地域にまで届くと途方もないエネルギーで家や倉庫などの建物を破壊しながらその隙間を縫うように様々な方向から鉄砲水のような勢いで人や車に波が襲いかかってくる。

 逃げてきた方向からは土埃の臭いがし渋滞で動けない車が左右に流され始めていた、海からなるべく遠くに離れるようにと私たちはそれぞれ必死で逃げていたが後方から不意を突かれ現れた黒い波に足元を掬われ上も下も分からないまま息も絶え絶えになっているところを何者かに掬い上げられ奈落の底に吸い込まれる寸前で救われた。

 夢から醒めせわしなく呼吸を繰り返し落ち着いてあたりを見渡すと何時もと変わらぬ自分の部屋の景色が広がっている死の恐怖や痛み苦しみが襲って来ないことで最後は薄々夢ではないかと気付いた。

その状況は違いこそすれ同じように死ぬような目に遭う夢をあれから幾度みてきた事だろう、しかし今朝は何時もと違い最後に力強い庇護の手に包まれ終わった、それは何とも温かくすごく懐かしいようないつまでも抱きかかえられていたいと感じさせる穏やかな優しさがあった。

 気が付くと身体の表面にはうっすらと玉の汗が滲んでいて寒気がした、すぐに綿入れを着て部屋の片隅にある家族の遺影と位牌に手を合わせ茶碗の水を入れ替えカーテンの隙間から外を覗くとまだ青みがかった街の景色が広がっていた。

 ひっそりとしたこの辺りは都内でも神社仏閣の多い地域で天界との繋がりが強く感じられる所でそちらの世界に限りなく近づいた瞬間が私にも三年前に現実にあった、私はその時は生かされたけれどいずれは招かれるだろう私たちはせいぜい七、八十年の間だけこの世に生を受け様々な場所で間借りをし流浪しながら暮らしてゆくだけの存在だ。

 その永遠とも一瞬とも言える時間の相対的な長さを決めているものは幸せであったかどうかなのかも知れない少なくとも私には家族みんなで一緒に過ごせた年月は本当に短くこの三年はとても長く感じられた、これからどれだけの時間をこの世界で一人きりで暮らしていくのだろう。

 新宿に近い場所柄のためいくらお金がかかっているのか分からない豪邸も近くには沢山あるけれど、一方で安い賃貸料で部屋を貸してくれるような大家さんもちゃんといて学費以外に無駄なお金を使えない私にとっては大変有難たかった。

 大学にもほど近く少し歩けばJR四谷駅や地下鉄四ッ谷三丁目の駅もあり、このあたりは賃貸料が月二十万を超すようなマンションばかりなのに私の部屋は四万円台と格安で築五十年以上経っている木造のオンボロアパートだけど立って半畳寝て一畳、定期も買わずに済んでこの家賃と考えればシャワーは付いていないものの風呂とトイレが部屋にあるだけでも充分立派なものと言える。

 早いものでここに住みはじめてもう三年の月日が流れた、あの頃地元では人の死は本当に身近にあり私も大切なものをすべて失ってしまった、日本全国から応援に駆け付けた各都道府県のパトカーや自衛隊の車両が主要な幹線道路を慌ただしく行き交い沿岸部には忌中の案内板が数え切れない程に立ち並んでいた。最早守るべき人をすべて喪った私は変わり果てた瓦礫に埋もれた故郷の街を半ば逃げだすように入試試験に合格し四月から入学予定だった大学に通うために上京しここで生活を始めた。

 当時は安ければ何でも良いという安易で投げやりな気持ちで期待も込めず入居を決めたが、まさに住めば都で部屋の中を様々に工夫しご近所さんにも馴染んできた今となってはかなり住みやすい環境になっている。

 四谷の大学にも近く通学に至便で繁華街が近い割には案外治安も悪くない、バイトを終え帰宅するのが多少遅くなっても比較的安心して帰れる。久しぶりにバイトの予定も無く穏やかな休日の朝のはずだったがリアルな悪夢が全てをぶち壊した、冷え切った身体を風呂でお湯に浸かりゆっくり暖めて部屋に戻るとカーテンの隙間から朝の陽射しは届くものの窓は白く曇っている。

 晴れ渡ってはいても外の風はまだまだ冷たそうだ身も心も芯から温まるものが急に欲しくなり近くの有名なたいやき屋さんに行ってみようと思い立った。すぐに着替えコートを羽織りぼんやり外を歩いてゆくと季節は確実に移り変わり空に浮かぶ雲の輪郭もだんだんとぼやけてきている、あの日のように日差しだけは本当に春らしくなった。

 望む大学に入り勉強しあと一年で卒業となるけど結局私はここから何処に流れついて行くのだろう、ぼんやりと流れる雲を見つめながら歩いていると評判のたいやき屋さんにはすぐに着いた。小麦粉の焦げたニオイが食欲をそそる、薄い皮には少し塩気のありその中に甘い餡を入れ金型に挟みひとつひとつ回転させながら焼くという昔ながらの天然ものということでかなりの人気があって遠方からも買い求めようとする客も列をなして並んでいる。

 この位なら今日は二十分位かかるかなと待ち時間を推察しスマホでニュースや天気予報などを見ていると、ふとテーブル席に腰掛け真剣な表情で一心不乱に本を読みながらたいやきを囓っている女性が視界の片隅に入った。別に覗き見する訳でなくただぼんやりとその人を眺めているとどうやら死生学の本を読んでいるようだった。

 あの方はどうしてそのような本を難しい顔をして読んでいるのだろう重い病いなのかそれとも私のように誰か大切な人を亡くしてしまったのだろうか、見ず知らずの方にぶしつけに声を掛ける訳にもいかずけれど部屋に戻ってからも他人事ながら色々と推測し話しをしてみたかったなと考えている内にせっかくホカホカに暖かかったたいやきが袋の中ですっかり冷めてきてしまっていた。

 安物のオーブントースターで暖め直しをしていると突然携帯が鳴った同級生の杏莉だ。

「ねえ結希ちゃん今履歴書を書いているんだけど持っている資格とか全部書き連ねていいものかな」

と尋ねられた。自分は第一希望の就職先は既に残念な結果に終わったが現実的な路線で又そろそろ動き出さないといけないんだなと改めて思わされながら。

「まさか、私はお習字何級とか趣味の楽器の事までは書かなかったけどでも特技とかで何か仕事にも通ずるものなら触れる程度に書けば人となりを分かってもらえるし良いかもしれない」

と答えながらそれなら私はいったい何か役に立つような資格など持っているだろうかと通話を終えた後に改めて考えた、車の免許だってまだ持っていない就職してお金に余裕が出来たらゆっくり取得を考えるつもりだったから、TOEFLの成績なども大学受験の時に必死で勉強し頑張っていた時に比べれば今ではむしろ実力も落ちているかもしれない。

 就職活動を始めなければいけないのはわかっているけど身寄りも無く一人暮らしの女子なんて大変なマイナスポイントになるだろうなと少し悲観的にも捉えていた。いつだって自分の将来に一番期待しているのは自分自身だとしても大抵は意に反し挫折だったり不運が襲って来るものだと心のどこかで過去の経験から思い知らされてもいる。

 就職が決まったからといって誰も心から一緒に喜んでくれる人もいないけれど、第一希望でなくとも後悔しないよう多少痛い出費であってもせめて礼服ではなく少しは清楚でスマートに見えるリクルートスーツ位は用意し就職活動を再開するために近くの新宿のデパートに服を探しに出掛ける事にした。

 面接では保護者について又訊かれたりするんだろうなと思うと改めて気が重かった、孤独な身の上話などに話しが及んだら家族を亡くした経緯等も話さないといけないだろうか、第一志望の時は簡潔に両親とも病院で亡くなりましたと嘘にならないような答え方をした、母や妹の死を話し同情を買って入社させて貰うなんて家族の死を踏み台に利用している様で絶対に嫌だったからだ。

 折角頑張って勉強をしてきたんだし実力で内定が取れることを願っていた、面接官にはなるべく好印象は持って貰いたいし一生の事だから多少予算オーバーになるのも仕方がないと立ったり座ったりの動作で容易に皺や型崩れの出ない仕立ての良い濃紺のスーツを買った。

 少し大人っぽ過ぎたかも知れない基本お受験の時に付き添いの母親が着るようなブランドらしいから、でも落ち着いて見えるのは悪いことではないだろう。しかし私が小さい頃にまだ家が裕福だった時分に親から買って貰った子供服にも大差のない値札はついていたように記憶している、もうかなり昔の話しなのにやはり私だけでなく一般的に不景気は長く続いていたのだと改めて感じた。

 夕方になりあたりが暗くなってきて新宿の伊勢越から出て交差点を渡ろうとしていると信号が赤になったのに目の前の老婦人がめまいなのか身体を少し揺らしながら信号が青になり発進しかけた車の方によろけて倒れかけたところを結希は慌てて駆けより間一髪で支えた。

 婦人は目を閉じていて具合いが悪そうだった。

「大丈夫ですか、救急車を呼びましょうか? 病院で診てもらった方が良いんじゃないですか」

 そのおばあさんは無理に作り笑いを浮かべ。

「ありがとうでも薬なら持っているのよ」

「そうですか、じゃあちょっとここで座って待っていて下さいすぐ水を持ってきます」

とデパート入口の椅子にいざなって腰掛けてもらっている内に信号を渡ってすぐの薬局で素早くミネラルウォーターを買って急いで戻った。

「本当にありがとう見ず知らずのこんな婆さんに優しくしてくれて」

老婦人は持っていた大きめなバックから数種類の薬を取り出しミネラルウォーターで飲んで少し落ち着いてから。

「私は昔ずっとこの新宿で占いをして生計を立てていたの、あなたはもしかしたらそう遠くない過去に死ぬような酷い目に遭ったんじゃない?」

結希は驚いたように大きな目を更に見開いて。

「そんな事分かるんですか?」

と答えた。

「何となく見えるのよ、希望の進路をたどれ楽しい学生生活を送れている筈なのに何故か全く心が満たされていないって事も」

 結希は心の底から少し恐怖にも似たゾッとするようなざわついた感情が湧き上がってきた、この人は霊能者なのか一体私の事が何処まで分かるんだろう。老婦人は何事もないかのように続けた。

「でもねこれから先そうね、この一年位の間にかな多分あなたのその後の人生を百八十度変えてくれるような素晴らしい人に出会えるんだと思う、それが若い男性とは決まっていないから回りの人には暖かい心で接してあげてね、あなたなら私がことさらに言わなくたって全然大丈夫だとは思うけど」

 結希の怪訝な表情を見てなのか将来への希望を老婦人は優しく語った。結希は驚きよりもむしろその未来の話しに強く引き込まれた。

「もし私がその出会った方が運命の人と気付けなかった場合はどうなるのでしょう?」

と真剣に尋ねた。

「運命であるならそのような事は絶対に無いはずだけど多分それはそれまでの縁という事になってしまうかも、人の縁とは征く先々で交差点で出会う人達の様なもの、一緒に並んで同じ方を向いて歩いてゆくのか一瞬だけすれ違いそれぞれ目指す方へと離れて行くのか」

結希は少し落胆しながらすがるように。

「もう少し何かヒントになるようなものは見えないですか?」

と尋ねた。

「そんな事まで詳しくはっきり未来が見えるならこの辺の路上で雨の日も寒い日も吹きっさらしの中で占い何かしていなかったよ、日曜か月曜日のスポーツ新聞の競馬欄とかロトの的中数字なんかを一生に一回でいいからハッキリ見れたならそれこそとんでもない大金持ちになれてたんだからね」

 老婦人の苦笑いに結希も確かにそれはそうだと思わず吹き出しそうになった。

「そうそうその調子あなたの笑顔は本当に魅力的だね見ている人を幸せな気持ちにさせる、そうしていたなら向こうから幸運がすり寄って来てくるから安心して、私はもう大丈夫だから本当にありがとう」

老婦人は顔に精彩が戻ってきて少し若く見えるようになった。

 別れ際に一応。

「本当に大丈夫ですか病院で診てもらった方が良いんじゃないですか?」

結希が心配そうに婦人の身体を気づかって重ねて言うと。

「めまい位なら今まで何度となく起きているから落ち着けばきっと何も問題ないわよ、気になったらいずれ銀座の私の店に顔を出してみて頂戴生きているかどうかの確認にで良いから」

と薄く自嘲気味に笑みを浮かべながら渡された名刺にはストックの花が浮き出るように刻まれ有栖川未希と書かれていた。

「これストックですよね?」と結希が尋ねた。

「そうよあなたも花が好きなようね、花言葉が見つめる未来だから私には合っていると思って名前に添えているの」

「私も何故かストックはずっと好きだったんです」

「ストックには実はもう一つ意味があるのよ暇だったら後で調べてみて」

「永遠の愛の絆とか求愛ですよね」

結希は即答した。

「あら知っていたのね、そう将来に対する希望が感じられるのよ」

「私の名前にも希望の希が入っているんです」

複雑な表情で結希は呟いた。

「そうあなたの名前を伺っても良いかしら?」

「阿部結希と言います希望を結ぶと書いて」

未希は何かを確信したかのように。

「親御さんはあなたがそういう人生を送れるよう本当に心から願っていたのね、大丈夫きっと素晴らしい未来があなたを待っていると思うわ」

 再会を誓って別れたけれど、暫くして親御さんはのくだりが過去形になっていた事に気づいてしまった、あの人には本当に何処まで私の過去が見えていたのだろうと訝んだ。

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