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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【01】連合から来た男
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19 初給料もらいました

「イルホンくーん。明日、やっと給料日だよー」


 執務室に戻ったドレイクは、自分の端末に表示されているカレンダーを見て、喜びを抑えきれないように言った。


「長かった。本当に、本当に、長かった!」

「そうですね。大佐には長かったですね」

「例のとこには、明日すぐに入居できるの?」

「はい。でも、大佐も物好きですね。あそこに入居してるのは、ほとんど〝(ヒラ)〟ですよ」

「安くてここから近くていいじゃん。俺、朝弱いからさー、一分一秒でも長く寝ていたいのよ。できたら、ここか〈ワイバーン〉に住みこみたいくらい」

「いくら何でも、それは無理です」


 呆れてイルホンが突っこんだとき、ドレイクの端末でメールの着信音がした。


「え。……俺だけ?」


 ドレイクの顔から急速に笑みが消えていく。


「イルホンくんのところには……」

「申し訳ありません。何も届いていません」


 ドレイクが何を考えているのか見当がついて、イルホンはつい目をそらせた。


「み……見たくない……」

「気持ちはわかりますが、見ないとさらにまずいことに……」

「確かにそうだな……」


 ドレイクは嫌々端末を操作し、そして固まった。


「……イルホンくん」

「はい」

「君、覚えてるかなあ。殿下が俺の初給料、『満額で現金で朝一で払う』って言ってたの」

「はい。……覚えてます」

「俺、てっきりさ、イルホンくんの古巣の総務部あたりでもらえるのかなって思ってたんだ」

「そうですね。通常は、確かにそうです」

「ところで、『朝一』って、イルホンくんは何時だと思う?」

「ええと……大佐の場合でしたら、何もなければ九時ですかね」

「そうだよね……」


 そう呟いて、ドレイクはうなだれた。


「ど……どうしたんですか?」

「悪魔が……人が油断している隙をついて、悪魔が……」


 ああ、やっぱりと思うと同時に、メールの文面も漠然と想像がついた。


「よりにもよって朝の七時に、自分の執務室に給料取りにこいって……」

「ええ!」


 〝朝の七時〟は予想外だった。ドレイクには(こく)すぎる時刻だ。


「しかも、一分一秒でも遅刻したら、給料渡さないって……」

「……本当に悪魔ですね……」

「ねえ、これって罰? 罰なの?」

「悪魔……いや、殿下は大佐が朝弱いことをご存じないんでしょう」

「でも、七時はないでしょ。あの人、そんなに朝早くから仕事してんの?」

「正確な時間はわかりませんが、朝が早いことは確かです。典型的仕事人間」

「それは殿下の勝手だけど、何でわざわざ執務室に来させるの? 総務に任せりゃ済む話じゃない? 〈ワイバーン〉くれた代償がこれ?」


 ドレイクが愚痴るのも無理はない。なぜ司令官が直接給料を手渡す必要があるのか。それも朝の七時に。あのときはそれほど怒っているようには見えなかったが、心のうちではドレイクに報復することを誓っていたのか。


「殿下のお考えはわかりませんが、行かなければ本当にくれなさそうですから、明日は頑張って早起きしてください。〈ワイバーン〉をいただいたお礼をしにいくと思って」

「うう……確かに〈ワイバーン〉くれたことには感謝してるけどさ……朝の七時はやめてよ、七時は……」

「……俺、起こしにいきましょうか?」

「いいよ……ただでさえ借金してるのに、これ以上イルホンくんに迷惑はかけられないよ……大丈夫、金のためだと思えば何とか起きられる……」


 しかし、それから終業時間を過ぎても、ドレイクはずっと落ちこみつづけていた。


 * * *


(ああ、既視感だ……)


 そう思いながら、ヴォルフは自分のソファから、執務机にいるアーウィンを眺めていた。


(何だろうなあ……ここに呼びつけたときだけ、なぜか落ち着きなくすんだよなあ……)


 しかも、前回以上に落ち着きがない。

 アーウィンにとって〝朝一〟は〝朝七時〟である。早すぎるだろうとヴォルフは内心思っていたが、それ以上遅くしては、アーウィンのほうが待ちきれないのかもしれない。


『おはようございます……』


 インターホンから流れてきたこの声も、前回以上に沈みきっていた。ヴォルフは一瞬、本当に〝幽霊〟かと思って大きな体を震わせた。


『ドレイクです……給料もらいにきました……』


 約束の七時まで、まだ十分ほど余裕があった。金のためなら、十分前行動も可能らしい。これほど早く来るとは思っていなかったようで、アーウィンは前回よりもいつもの自分を取り戻すのに時間がかかった。


「……入れ」

「失礼します……」


 ――こっちも既視感だ……

 入室してきたドレイクは、いったい何があったのかと訊ねたくなるほど生気がない。彼はこの部屋のもう一つの執務机に目をやって、訝しげな顔をした。


「あれ、キャルちゃん。……ここ、〈フラガラック〉?」

「おはようございます。ドレイク様」


 今朝は在室していたキャルは、わざわざ立ち上がってドレイクに挨拶する。


(何でこの男には〝様〟をつけるんだ?)


 ヴォルフとアーウィンの間では、それはキャルに関する新たな謎となっていた。


「あー、おはようさん。……あんたもね、ヴォルくん」


 ドレイクはヴォルフに目を向けると、ついでのようにおざなりに言った。


「〝ヴォルくん〟言うな!」

「えー。じゃあ、何て呼べばいいの? 〝ヴォルフ様〟?」


 真顔でドレイクは首をかしげる。


(この男、絶対馬鹿にしている!)


 ヴォルフが巨大な拳を固めたとき、意外な人物がドレイクに答えた。


「〝ヴォルフ〟でいいです」

「え?」


 キャルだった。すでに着席していた彼は、淡々と言葉を続ける。


「〝ヴォルフ〟と呼べばいいです。私もそう呼んでいます」

「おい、キャル! おまえ勝手に!」

「ああ、そう。じゃあ、キャルちゃんがそう言ってるから、これからは〝ヴォルフ〟って呼ぶね」


 キャルからヴォルフに視線を戻したドレイクはにっこり笑った。


「どういう理屈だ」

「だって、ここで殿下の次に偉いの、キャルちゃんだもん。そのキャルちゃんが言ってるんだから、従うしかないでしょ」

「そりゃ屁理屈だ」

「上に〝屁〟がくっついてても、理屈は理屈」


 そう言い捨てて、ドレイクはようやくアーウィンの前に進み出た。


「殿下……一つ、お断りしておきたいことが……」

「な、何だ?」

「俺ね……ものすごーく、朝が苦手なんです……頭がまともに動きはじめるのが、十時くらいからなんです……だから今の俺、いつも以上に言動が変だと思いますが、どうか気にしないでください……」


 ――ああ……眠かったのか。

 頭はすでに充分回転しているように思えるが、生気がない理由はわかった。


「そうか……早く支払ったほうがいいかと思ったのだが」


 そう言い訳してから、アーウィンは机上に用意してあった封筒をドレイクに差し出した。


「まず、給料」

「ありがとうございます」


 ドレイクは頭を下げて、うやうやしくそれを受けとった。

 ――確かに寝ぼけているかもしれない。ほろ酔い状態の酔っぱらいにも似ている。


「すみませんが、中身、確認させてもらってもいいですか?」

「あ、ああ……」


 ドレイクは封筒の封を切ると、まず明細を確認し、それから銀行員並みの手さばきで紙幣を数えはじめた。


(こいつ……過去に金で相当苦労したんだろうな……)


 鬼気迫るものを感じて、ヴォルフは少しだけドレイクに同情した。


「……はい。確かに」


 金を封筒にしまって、その封筒をさらに大事そうに懐にしまいこみながら、さりげなくドレイクは言った。


「ところで殿下。これって皇帝軍護衛艦隊司令官がする仕事ですか?」


 ――あ、気づかれた。

 ヴォルフは苦笑いし、アーウィンは……あせっていた。


「これは……他におまえに渡すものがあったから、ついでだ」

「渡すもの?」

「戸籍関係、保険関係、免許・資格関係」


 アーウィンは一気に言うと、給料の封筒と一緒に置いてあった大きめの封筒をドレイクに押しつけた。


「おまえは『連合』の軍人の亡命者だからな。面倒なので私が処理した」

「戸籍……」


 その封筒の中身を覗いた瞬間、ドレイクが複雑な笑みを漏らす。


「うわあ……ほんとに作っちゃってる……本人の関知してないところで」

「おまえの所持品から作成したから、間違いはないはずだぞ」

「まあ、それはそうですけどね……あ、免許はありがたい」


 そう呟いてから、思い出したように顔を上げた。


「ああ、そうだ。殿下、〈ワイバーン〉、ありがとうございました。まだちゃんとお礼言ってなかったですね」

「不具合はないか?」

「今のところ順調です。しかし、殿下も酔狂だ。外装だけでもここであれを造らせるなんて」

「その分、しっかり働け」

「言われるまでもなく。……給料その他、ありがとうございました。それでは失礼いたします」


 深々と頭を下げた後――やはり、いつもよりおかしい――ドレイクは執務室から退室しかけたが、ふと足を止めて、アーウィンを振り返った。


「殿下、ちょっと訊いてもいいですか?」

「何だ?」

「殿下は『1』から『9』までの数字の中で、どれがいちばんお好きですか?」


 アーウィンは不可解そうな顔をしたが、ドレイクの問いには答えた。


「『5』だが、それがどうかしたか?」

「いえ、別に。それじゃお邪魔しました。キャルちゃん、バイバーイ」

「お疲れ様でした」

「俺は無視か」


 ドレイクが自動ドアの向こうに消える。それを見届けてから、アーウィンは独りごちた。


「あれでまだ四十二なのか。……もっと上かと思っていた」


 一方、自動ドアの外の通路では、ドレイクが封筒を片手にふらふらと歩きながら独り言を呟いていた。


「……やっぱり『5』」

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