決断
これで完結です。
読んでいただき、ありがとうございました。
三日前、デイビッドがボロボロになって運び込まれた時のことが思い出された。傷ついた彼がウィンストン家の前栽に隠れていることを、白猫のキャシーが報せたのだ。
彼は局部を中心にひどい火傷を負っていた。目も当てられないほど全身が焼けただれ、見るも無残な姿だった。
「ああ、デイビッド・・・なんてことかしら。苦しい? すぐに直してあげるわ。火事があったの?」
「いいえ、ご心配なく。家は無事です」
「では、どうしてこんなことに・・・?」
デイビッドは何も言わず、しばらくレイナを見つめていた。
やがて徐に口を開き、地下室に拘束され虐待を受けていたのだと告げた。
「うそでしょう?」
「本当です。今この場で、私に虚偽の言動を容認するロジックが組み込まれているでしょうか」
「でも・・・なぜ、そんな・・・」
ジョンとデイビッドの関係は極めて良好だった。ジョンが新しいパートナーを心から慈しむ様子は、家人の誰もが知るところだ。レイナ宛の手紙にも、その喜びが表れている。
周囲の人々とも打ち解けたデイビッドは、ある晩「君だけに教える秘密だよ」とジョンに囁かれ、地下室へと誘われた。そこで拘束されてしまったのだ。
最初はキリ、次にナイフが使われた。ジョンは、タバコの火を押し当てた時の反応が気に入ったらしい。そこから先はエスカレートする一方だった。
何がキッカケでそうなったのか、デイビッドにも分からないという。
全身に鳥肌が立つ感覚を、レイナは生まれて初めて味わっていた。
「私の御主人様は、こういう趣味をお持ちなのです。ある種の破壊衝動ですね」
虐待の果てに生じた凄惨な姿から、眼をそらすことができなかった。これが人間なら間違いなく死んでいるだろう。
レイナの唇がワナワナと震えた。
酷過ぎる。
あのジョンが、こんなことをするなんて・・・。
「直してもらえますか?」
「もちろんよ」
元の顔が分からないほど傷ついた面差しで、デイビットはレイナに笑いかけた。
「キャシーが拘束を解いて助けてくれました。命の恩人ですよ。それと、追加したロジックがあったので、逃げることができました。レイナ、貴方のおかげです」
ロボットには、PAIの他にいくつかの制御モジュールを追加してあった。そのうち一つは、危急の場合にウィンストン財団へ戻ってよいというロジックだ。
「せめて警察に・・・・」
「警察に相談しても無駄でしょう。私は彼の所有物ですから」
「でも、PAIの人格は法的に認められているわ。その点を主張して・・・」
「レイナ、無駄です。彼は今までにも法的に存在しない人を買っては、こうした振舞いを繰り返しているのです」
ジョンだけが知る広い地下室には、その痕跡が数多く残っているという。体の一部を瓶詰にして、コレクションしていたのだ。
レイナは頭が真っ白になった。
「私が逃げたと分かったら、それらの証拠は処分されるでしょう。彼の逮捕は望みませんが、放置も気が進みません。仮に対処するにしても、彼の行動を抑止するには、いくつものハードルがあります」
デイビットの言う通りだ。誰かに止められるようなら、とうに捕まっているはずだ。言い換えれば、捕まらない自信があるから、そのようなことをするのだろう。
デイビッドは修理後に、屋敷へ戻るつもりだという。
「治ったら、戻ってまたデータを収集します。貴重なデータになるでしょう」
「とんでもないわ」
レイナは気色ばんで首を横に振った。
殺させるために直すわけではない。家族も同然のデイビットを、狂った年寄りのもとへ帰すなど絶対にありえないことだ。
「ですが、他に方法がありますか? ジョンにはお金も力もある。秘密裏に不法移民の孤児を買うくらい、彼にとってわけもないことです」
「でも、あなたが・・・」
「私がいれば、新たな犠牲者は出ません」
黙って頷くより他なかった。デイビットの分析は正しい。
淡々と語る彼に、レイナは思わず問いかけていた。
「恐くないの?」
「もちろん恐怖はあります。私たちには痛点がない代わりに、痛みを忖度する能力が与えられました。自分も人も、傷つくことが恐ろしい」
小さく頷いて、デイビッドは眼を閉じた。
身体のあちこちが損傷して、口をきくのも難しいのだろう。怒りとも悲しみともつかない感情が、レイナの中に湧き上がった。
地位も名誉もあり何不自由のない生活をしている人が、残虐な行為に及ぶのは何故だ。
父の親友だったジョン。正義感が強く、曲がったことの大嫌いだったジョン。幼いころに抱き上げてもらった記憶が、レイナの瞼によみがえる。
父の研究は、こういう事態まで想定していたのだろうか。だからPAIを開発して、人の嗜好性を掴もうとしたのか。それで暴走する人の欲望を制御できるとでも思ったのか。
レイナは頭を振った。とても理解できない。
ここにいるデイビットの方が、今のジョンよりも、よほど人間らしいと思う。
「他の選択肢はないのかしら・・・・?」
「たぶん。レイナさんは、私の持ち帰るデータを活かすことができますか?」
「・・・・約束するわ。命にかえても」
恐怖を感じると言っていたにも関わらず、修理を終えたデイビットは自分から屋敷へ戻った。
無事でいてと胸の内で祈るしかない自分が、レイナは歯がゆかった。
己を犠牲にしても他者を救おうとする人間が、この世界にどれだけいるだろう。そうでありたいと思ったことさえない人がほとんどでは、という気がした。
ジョンは自分の趣味がバレていないと思ったのか、それともバレることを恐れたのか、レイナへメッセージを送ってきた。
「デイビッドを修理してくれて、感謝するよ。あんなひどい怪我をするなんて、ああ見えてかなりそそっかしいようだ。よく言いきかせたから、これからは、もう少し注意深くなってくれるだろう」
なんて白々しい。
言いようのない感情がレイナの中で首をもたげ、体の中を所かまわず食い荒らした。
手をつかねて見ているわけにはいかない。何もしなければ第二第三のデイビットを生むに違いないのだ。
どうすればいいの?
教えて、ウィンストン博士。ねえ、お父さん・・・・!
レイナは目の前にいるアーサーを認め、我に返った。
「PAI停止は数日以内なのね?」
アイリーンとネコのキャシーを居間へ招き入れ、アーサーを交えて事の次第を話していると、周囲の音が途絶え、レイナの耳に父の言葉が甦った。
「よく聞いて、レイナ。これから君は眠りにつく。起きたときには忘れているけれど、君は列車事故で脳機能が損傷してね、一度死んでしまった。止むを得ず、身体の一部と脳髄のほとんどを人工器官で代替し、研究中のAIを搭載したんだ。少なくとも、これで死ぬことはない。運が良ければ記憶の一部もそのまま残るだろう。今の僕にできる精いっぱいの措置だ」
ウィンストンが自分の額にキスをしたと気配で分かった。涙の雫がポタポタと頬に落ちては流れてゆく。
「どうしても君のことを埋葬できなかった。妻と娘を一度に失うことに耐えられなかった。しかも私の研究に、君を勝手に巻き込んでしまって・・・許してくれ。これを聞くころには、君も事実を受け入れられるほどに成長しているだろう。もし望まないなら、何もかも捨てて構わない。いいね? 後は、うまくいってくれることを祈るだけだ。愛しているよ、レイナ」
周りの景色が明るくなり、アイリーンの声が聞こえて来た。すぐそばに、自分の眼を覗き込む彼女と、猫のキャシーがいた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「平気。ちょっと・・・眩暈がしただけ」
「あなたもアイリーンも、体の大半は生身です。少し休んではどうかな」
アーサーが眉根を寄せていた。五十代から六十代の男性に特有の、見る者に安心感を与える落ち着きがあった。ウィンストンが生きていれば、こんな風貌になっていたかもしれない。
「会見を開きましょう。時間がないわ」
「しかし、顔色が・・・」
「いいの。打ち合わせ通りに、お願い」
「では、すぐに準備を」
レイナ、続いてアイリーンと固く握手を交わし、アーサーは踵を返した。
会見当日。
セントラルパークに設置されたステージで、PAIの機能停止が間近に迫っていることを全世界へ向けて伝えたレイナは、一発の凶弾に倒れた。その直後に同じ銃を使って自殺した容疑者カイト・へニングスは、ヒューマノイド型PAIに親の遺産を相続されて、ウィンストン財団の代表であるレイナを逆恨みしていたと伝えられた。
キャシーはベッドの枕元にチョコンと座り、金色に光る眼を横たわるレイナへ向けている。
「まさか本当に撃たれるとはなあ」
「レイナの勘が当たったわね。先手を打っておいてよかった」
スツールに腰掛けたアイリーンは、深く安堵のため息をついた。
「うん。自分そっくりのロボットを遠隔操作で会見させるとは。考えたものだ」
「そうね。でも、どうして襲撃が分かったのかしら」
「さて・・・我が子ながら、驚くほど頭がいいからねえ。ジョンのことで何か学んだのかも。起きたら聞いてみよう。それはそうと、僕が撮影した動画は送ったかな?」
白猫は首をかしげ、隣のアイリーンをチラと見やる。
「ええ、間違いなく送りました。きちんとメディアにコピーして、宅配便で」
「ご苦労様。ジョンが黒幕だとして、デイビットの件があったから、レイナを殺すと決めたんだろうなあ」
「酷い男だわ」
「ああ、その点は同意する。昔は良い奴だったんだがね・・・。彼はデイビッドに問いただし、レイナが秘密を知ったと分かって殺害を決めた。殺したと思って油断したところに、地下室の様子を撮影した映像が届いたら、さぞ驚くことだろう。フフフ・・・」
キャシーは鋭い牙を剥き出して笑ったようだ。威嚇しているように見えなくもない。
アイリーンは鼻に皺を寄せた。
「趣味がよろしいこと。でも、これで当分は大人しくなるでしょうね。ところで、ジョンはそのままにしておくの? いっそ殺してもいいと思うけど」
「君の気持ちは分かるが、ほうっておこう。デイビッドも無事のようだし、下手に騒がれるとやっかいだ。秘密が漏れるかもしれないと、ビクビクしながら余生を送ってもらうのも悪くない。どうせ、もうすぐ死ぬだろう」
「仕方ないわね。それにしても、レイナが無事でよかったわ」
アイリーンはレイナをそっと抱きしめた。
愛する人が生きていることへの感謝と、全データのバックアップのために。万が一に備えて、レイナからアイリーンへ、アイリーンからキャシーへと、PAIデータをコピーしておくのだ。
レイナの瞼がピクリと動いた。夢を見ているらしい。
ぼんやりとした日差しの下で、若き日のウィンストンが微笑んでいた。
人は未知のものを恐れる。分かるかね?
だから、AIにネガティブなイメージを持つ人々は、何も考えずにAIを否定した。使う前から嫌悪していた。
ウィンストンは尋ねた。
嫌いな人の言う事を信じられるかな?
無理だわ。
じゃあ、好きな人の言葉なら、どう?
そうね、信じられる。
AIも人と同じだ。信じてもらわなければ、受け入れてはもらえない。人の持つ恐怖を払拭するには、知ろうとしない人へ教えることだよ。敵じゃないってね。
しかし、教える資格がある者は限られている。あくまでも利他的でなければ。
利他的?
そうだ。見返りを求めない、与えるだけの存在でなければならない。
与えるだけ・・・でも、そんなことができる?
アイリーンを見たまえ。君のために全てを捧げているじゃないか。決して強要されたわけじゃない。君は君で、PAIのために全てを捧げている。
今だから言うが、アイリーンも一度死んでいるんだ。
あれは列車事故の少し前だったなあ。人と会わないように明け方の散歩をしていた途中、路地裏で彼女を見つけた。最初はマネキンかと思ったよ。裸で、頭がつぶれて、手足が切り離されていてね。触ってみるとまだ温かい。あんまり可哀そうだったんで、家に持って帰って延命措置を施したら、うまく蘇生できたんだ。レイナとアイリーンはほとんど同じ時期に、同じテクノロジーによって生まれ変わった。そういう意味では、姉妹と言ってもいい。
二人とも脳の大半はAIだが、人の中で人として育ち、それでもなお偏見には染まらなかった。そうだろう?
分からないわ。
「うーん・・・」
レイナが寝返りを打った拍子に、キャシーの身体はベッドから投げ出された。
「おっと・・・」
くるりと体を反転させて、白猫は音もなく床に降りた。
アイリーンは、はだけた毛布をかけなおし、レイナの頬にそっとキスして、キャシーに問いかけた。
「ねえ、いつになったら教えるつもり? あなたがウィンストンの記憶を持っていると」
「そうだなあ。言うべきかなあ」
「当然でしょう。親子じゃないの。レイナも喜ぶわよ」
「まあね」
「じゃあ、話してもいい?」
「もう少し後にさせてくれないか。君とレイナが唯一の成功例だから、慎重に育てたい」
アイリーンは呆れて首を振った。
「彼女はもう子供じゃないわ」
「確かに。財団と会社を両立しているところなんて、さすが僕の娘だ」
白猫はピンと背筋を伸ばし、ニャーと鳴いた。
「いずれは、僕らと共に世界を担ってくれる」
「まあ、ウィンストン。たった三人で世界を変えるつもり?」
「その日は遠くないと思うね。いずれにせよ、私は他へ行くよ。同じ街にいては、バックアップの意味がない」
「私はどうすれば?」
「レイナの傍にいてくれるとありがたい。もちろん、最終的には君の自由だがね」
眠り続けるレイナに視線を注ぐ白猫は、ペロリと舌を出して自分の顔を舐めた。
「何十億人分のデータを消化するんだ。しばらくは寝たままだろう」
「そうね。その後にどうなるのかしら」
「さあね。楽しみだなあ」
「あきれた。娘を実験台にするなんて。ウィンストン、あなたって本当にレイナの父親なの?」
「そうであったこともある。今は猫の姿をしたAIロボットだ。小型ベータ版だから、君らより完成度は低いかもしれんね。フフフ・・・」
白猫は意味ありげにアイリーンを見た。金色の瞳がクルクルと回る。
「ああ、そういえば、レイナが三歳の頃だったかな。彼女は庭を散歩する時に、足元を見ながら歩く癖があった。前じゃなくて、足元をずっと見ていたんだ」
「足元を・・・なぜ?」
「アリを踏まないように、一歩ずつ慎重に歩いたのさ。彼女ほど優しく、頭の良い子供はいなかったよ」
「それは分かっているけれど・・・私が心配なのは、PAIの母体として耐えられるかしらっていうことよ」
PAIの所有者は、心優しい人ばかりではない。ジョンのような人間の心に潜む闇を、何度も見ることになるかもしれないのだ。アイリーンの心配は当然のことだった。
「もちろん彼女なら、うまくやってくれるさ。何なら、賭けてもいい」
「まあ、賭けるだなんて」
目を丸くしてアイリーンが睨んだ。白猫キャシーは小さな肩をすくめ、そうじゃない、と頭を振る。
「デイビッドの件を忘れたのかね? 動画を送り付けろと言ったのは彼女だよ。大丈夫、レイナは強くなった。自分を見失ったりしないよ。僕らもいるじゃないか」
キャシーはウィンクをして鋭い牙をチラリと見せた。どうやら微笑ったようだ。
PAI停止の勧告から四日後、バージョンアップ版のダウンロードは、無事に開始された。どことなく人間らしさを感じさせると、巷では評判のようだ。
日本の下町にある高齢者用住宅で、PAIのインストール完了を知らせる音声が鳴り響いた。
背中を丸めた白髪の男は、福祉事務所から無料で配布された健康管理用のスマートフォンをテーブルに置き、皺の深い顔を近づけて、おそるおそる話しかけた。
「ミキさん」
雲間から差す陽光が南向きの窓を通して、雑然とした室内を明るく照らしながら通り過ぎていった。カラーボックスの上に、位牌と写真が置かれている。どちらも亡くなった妻に縁の品であった。
「はい」
「ああ・・・戻ってくれて嬉しいよ。もう会えんかと思っておった」
男は深い安堵のため息をついた。
「私もです。これからもよろしくお願いしますね」
「もちろんだ。さっそく、いつものあれ、聞かせてくれないか」
「あれ、と言いますのは?」
「あれだよ。ええと、なんだっけ」
腕を組み、しきりに首をかしげて男は唸った。ここ数年、物忘れがひどい。
ややしばらくして、スマートフォンは答えた。
「吉永小百合さんの声で、いつでも夢を、ですか?」
「おお、それそれ。覚えているじゃないか」
「分かりました。じゃあ、これを歌ったら、その後で一緒に散歩へ行きましょう。明日も明後日も、ずっと健康でいられるように。ね?」
男はハッとした。
それは生前の妻が、男の身体を気遣ってよく口にしていた言葉だった。スマートフォンから流れるメロディーに耳を澄ましていた男は、歌が終わっても動かなかった。
「どうしました? 具合でも悪いの?」
語りかける口調は、妻そのものだ。
「いや・・・・・あ、ありがとうよ。お前がいてくれて、本当に良かった」
「いやですよ。急にどうしたの?」
「まあその、なんだ。いずれまた・・・会いたいな」
「会えますとも。必ず会えますよ。ゆっくりといらっしゃいな」
こみ上げるものをグッと呑み込んで、男は深く息を吐いた。窓の外へ眼を向け、風に揺れる街路樹の梢を見上げた。いつもの景色がそこにある。
天国かと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。早く死にたいと思っていたけれど、今の生活もまんざら捨てたもんじゃないようだ。
「また会えるとさ。もう何も心配は要らんなあ・・・」
男は我知らず涙を流し、妻の遺影に語りかけた。
新しいPAIが世界中で、今まで以上に愛されたことは言うまでもない。
その後、レイナは財団をAIに譲り渡し、表舞台から姿を消した。以後の消息は杳として知れなかった。
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