第 3 章:権力の世界
翌週、リリーはマンハッタン中心部に佇むネイサンの巨大な近代オフィスビル――カーター・エンタープライズ本社を訪れていた。想像をはるかに超える壮観な建物だ。天井まで届く大きなガラス窓、洗練されたミニマルデザインは、富と権力、洗練されたセンスを雄弁に物語っている。ロビーに足を踏み入れた瞬間、この場所の圧倒的な雰囲気に飲み込まれた。ここのすべては、彼女が慣れ親しんだ世界とは桁違いの水準で動いていた。
リリーはこれほど権威ある大企業の内部に入ったことはなかった。これまで取引先のオフィスに行ったことはあっても、カーター・エンタープライズほど威圧感のある空間は一度もない。人工照明に照らされて輝く大理石の床、受付嬢たちは彼女がカウンターに近づいても、ほとんど顔を上げようともしなかった。
「失礼します。リリー・グリーンです。ネイサン・カーター様にお目にかかる約束で参りました」
緊張と期待が入り混じった気持ちが、声に滲んでいた。
受付嬢は眼鏡の縁から彼女をちらりと眺め、淡く頷いた。
「お待ちです。どうぞ、ついてきてください」
リリーは受付の速い足取りについていきながら、長く続く廊下を進んだ。どの通路も前より豪華で、壁には抽象画や、芸術作品のような洗練された家具が飾られている。この建物全体が、あまりの壮麗さに訪れた者を小さく無力に感じさせるために設計されたかのようだった。
やがて立派な観音開きの扉の前に辿り着く。受付嬢は二回ノックをし、扉を押し開けた。
「カーター社長、リリー・グリーン様がいらっしゃいました」
ネイサンは大きなオーク材の机の後ろから立ち上がった。全面ガラスの窓から街並みを見下ろす光が部屋に降り注ぎ、彼の姿を際立たせている。体にぴったりと仕立てられた端正なスーツを着こなし、その存在感だけで部屋の空気まで引き締まる。整えられた黒髪、生まれながらの権威をまとう佇まい。
「リリー」
前回の待ち合わせと同じ、穏やかでありながらどこか距離のある笑みで彼女を迎える。
「来てくれて嬉しい。どうぞ、お入りください」
質素なジャケットとジーンズ姿の自分が、この空間に浮いているように感じた。だがネイサンは気にする様子もなく、机の向かいの椅子を指し示した。
「座りなさい。話し合うことがたくさんある」
リリーはジャケットを整え、落ち着こうと努めながら腰を下ろした。ネイサンは無駄なく行動し、すぐに隣に椅子を引き、大型タブレットを手に取った。画面には数々のチャートやグラフ、企画画像が並んでいる。
「以前話したプロジェクト、ブランディングキャンペーンのことだ」
穏やかながら断固とした口調で話し始める。
「この企画の責任者を君に任せたい。君なら、このプロジェクトを成功に導く勘を持っていると信じている」
リリーは驚いて瞬きした。自分が責任者? 広告業界に入ったばかりで、まだジュニアアカウントマネージャーに過ぎない身だ。ネイサン傘下の企業の大型キャンペーンを率いるなんて、胸躍る反面、恐怖も大きかった。
「本当に私でよろしいのですか?」
か細い声で問いかける。
「まだ未熟で、業界経験も数年しかありません。ここにいる皆さんのような豊富な経験は持っていません」
ネイサンは長い間、表情を読ませず彼女を見つめ続けた。心の中で何かを決めるように、ゆっくりと身を乗り出す。
「君が成長途中なのは分かっている。だからこそ、君に任せたいのだ。君には新鮮な発想がある。古い企業体質の考えに縛られず、既成概念にとらわれない発想ができる。それこそ、今の私たちに必要なものだ」
声を少し落とし、続ける。
「安心していい。業界トップクラスの人材と共に働き、必要なリソースはすべて用意する。だが、現状に挑み変えようとする人間が必要だ。それは君だと確信している」
興奮、不安、自己不信――様々な感情が一気に押し寄せる。一生に一度のチャンスだが、自分に本当に務まるのだろうか。ネイサンという人物に全てを見守られながら、これほど大規模なプロジェクトを運営できるのだろうか。
「全力を尽くします」
内心は混乱していたが、しっかりとした声で答えた。
ネイサンは再び謎めいた笑みを浮かべ、彼女の本心を見透かしているかのようだ。
「それで十分だ。全力を尽くせば、二人でこの企画を成功させよう」
打ち合わせは続き、ネイサンはプロジェクトの詳細を順に説明した。スケジュール、ターゲット層、キャンペーンの構想案などを話し合う。リリーは熱心に耳を傾け、メモを取りながらも、この依頼には仕事だけではない何かが隠されている予感が拭えなかった。彼の言葉の奥には、スキルだけでなく、もっと深い部分を試そうとする思惑が宿っている気がした。
面談が終わる頃、リリーは圧倒されながらも大きな高揚感に包まれていた。キャンペーンの全権を任された重圧が徐々に実感として迫ってくる。絶対に失敗できない、かけがえのないチャンスであることは明白だった。




