第95話 〈共鳴・双閃〉
紫の灯りが、じっとこちらを見据えたまま揺れていた。
次の瞬間――瘴印王が、低く笑った。
喉の奥で鳴る音ではない。骨の隙間から漏れた空気が、広間そのものを震わせるような笑いだ。柱の影が僅かに濃くなり、円の外周に溜まっていた瘴気が、ざらりと形を持ちはじめた。
嫌な予感が、皮膚の裏側を撫でる。
すると──周囲で、骨が立ち上がった。
剣を握る兵の形。骨兵だ。
数は多くなく、十にも満たなかった。強くもないだろう。
だが、問題はそこではない。あれが雑音としてそこにいるだけで、ロイドの足場はどんどん少なくなってしまうのだ。
さらに、骨兵の肩口から滲むように呪霧が漂い、床を這っている。霧の中に、槍の輪郭がちらついて、そちらにも意識を持っていかれてしまった。さっきの瘴気槍とは別の〝嫌がらせ〟だ。こちらのリズムを徹底的に壊し、集中力を削いでくる。そこで集中を欠けば、おそらくあの瘴気の槍に身体を貫かれていることだろう。
(……いい性格してやがるぜ、ほんと)
ロイドは心の中で吐き捨て、視線だけで骨兵の動きを読む。
骨兵たちは王の臣下のように整列しているわけではなかった。むしろ、動きとしては雑だ。だが、その雑さが厄介で、予測が一拍ズレる。
ロイドは意を決して、踏み込んだ。
骨兵が、ぎしりと軋む音を立てて剣を振り上げた。
速くはない。強さも、外にいた魔物と大差なかった。問題なく斬れる。
ロイドは迷わず魔剣〝ルクード〟を振った。
黒刃が一閃。骨兵の胴が斜めに裂け、砕けて散る。手応えはない。最初から空を斬ったような軽さだ。
だが、切り捨てた瞬間に、瘴気がまとわりついてくる。
黒い糸が、ルクードの刃から腕へ這い上がってきた。冷たい痺れが、関節の奥に残る。さっきの槍と同じ類だ。神経を鈍らせる、粘り気のある毒。
踏み込みのテンポが、そこで一拍またズレた。
「……鬱陶しいことばっかしやがるな」
ほんの僅かな遅れで、決して致命的なものではない。だが、相手がそれを待っているのは明らかだ。
骨兵の影からもう一本、呪霧の槍が空間を裂くように伸びてくる。避けるには避けられるが、避けるために角度を変えた瞬間、瘴印王への距離がさらに遠のく。
その遅れを、白が塞いだ。
ルーシャだ。
彼女は敢えて大技を打たないようにしてるようだった。瘴気が絡んだ箇所だけを〝洗う〟ように、浄化を薄く通す。魔力を温存しながら、確実にロイドの身体から毒を削り落としていった。
それでも、瘴印王の圧が強い。
立っているだけで、足元の空気が沈んでいく。呼吸は浅くなるし、視界が微かに暗くなった。
ただそこにいるだけで、戦場の規則がねじ曲がる。ロイドが踏み込むはずだった場所が、踏み込みにくいものとなっていた。斬るべき角度が、微妙に狂う。そんな感覚が続く。
その結果として、ロイドが近づく速度だけが落ちる。
背後で、フランの声が漏れた。
「このままじゃロイドが削られちゃうよ……!」
「ええ。ルーシャも上手くサポートしてるけど、このままじゃジリ貧ね」
エレナの言葉は冷静だったが、歯噛みする音が混ざった。自分の無力さを噛み締めるような悔しさが混じっていた。
そこで彼女は大きく息を吐いて、フランに言った。
「……フラン、行くわよ。観戦するために、ここまで来たわけじゃないでしょ?」
それは、覚悟を決めた声だった。
フランは一瞬だけ肩を強張らせた。怖いのは当然だ。相手は、自分よりも遥かに格上の魔物。今さら足が竦んでも、誰も責めない。
だが、彼女は鉄槌を握り直し、唇を引き結んで頷いた。
「だね。あたしもそろそろ、何とかしなくちゃって思ってたところ」
ふたりが並び、呼吸を揃える。
魔力が高まっていき、空気の層が薄く震えて床の砂塵が逆立った。
次の瞬間、ふたりの周囲で光が弾けるように走る。
「「──〈共鳴・双閃〉!」」
ふたりの声が響くとともに、空気が震えた。
ルーシャの白い光とは違う。祈りの温度ではなく、戦いのために研がれた輝きだ。
鋭い気配が背を撫で、ロイドの身体の芯まで、すっと風が通る。
(〈共鳴スキル〉か。ちょうどそろそろ手を借りようと思ってたところだよ)
肉体強化と魔力を上昇させる魔法を共鳴スキルで組み合わせたのだろう。フランとエレナの戦闘力と魔力が膨張しているのがよくわかる。
〈共鳴スキル〉を発動するや否や、フランが走った。
速度強化のまま、ロイドの斜め前へ。前衛ではないはずの彼女が、風みたいに動いた。
「うりゃああああッ!」
気合の声とともに鉄槌が唸り、骨兵を弾き飛ばした。呪霧の槍を叩き落とし、瘴気の糸ごと断ち切っている。
ロイドの足を削る障害物を、見事に排除してくれた。
フランが拳を差し出し、にやりと笑った。
「ロイド、雑魚はあたしに任せて! その代わり、瘴印王はちゃんと倒してね?」
「……あいよ。任せたぞ」
ロイドはフランの肩口へ寄り、軽く拳を合わせる。
彼女は頷き、そのまま骸骨兵との戦闘に戻った。
(任せた、か)
すんなり出てきた言葉に、自分でも驚く。
こんな風に誰かに任せるなんて、これまでにはなかった。ルーシャと過ごすようになってから変わった自分を、改めて実感した気がする。
(さて、雑魚どもはフランが何とかしてくれるとして、問題は──)
瘴印王の前にある、あの見えない壁をどうしてくれようか。ちょうどそう思った時だった。
エレナの詠唱が、背後から響いた。
「万象の根源、遍く力──〈干渉破断〉!」
彼女の声は短かった。詠唱というより、合図に近い。
だが次の瞬間、空気が一度だけ鳴った。
瘴印王の前の壁が、ひび割れるように揺らいだ。実際に壊れたわけではないが、表面を滑っていた瘴気の膜が、瞬きの間だけ濁って嚙み合わなくなっている。
(……乱してるのか)
ロイドは唇の端を上げた。
どうやら、相手の防御魔法そのものに干渉する術式のようだ。
この瘴気の結界は、ただ固いだけの壁ではなかった。膜の内側で瘴気が循環し、刃が触れた瞬間に滑らせるか絡め取るかを選び、攻撃を無力化している。
だから斬っても手応えがないし、押し込めば逆に呪いが喰いついてくる。
その仕組みを見抜き、エレナはひっくり返そうとしているのだ。壁を完全に無効化しているわけではないが、刃が一度だけ入るくらいの隙を生んでくれている。攻撃魔法が吸収されるリスクがある以上、最善のサポートだ。
エレナがロイドに向かって叫んだ。
「あんまり長くは続けられないから、頼んだわよ!」
「ああ。十分だ」
ロイドはエレナに頷いてみせてから、踏み込んだ。
この一拍を逃せば、次はどんな攻撃を仕掛けてくるかわかったものではない。それに、ロイドが攻撃を続けている以上、瘴印王の攻撃の矛先がルーシャたちに向かうこともない。その隙を逃すわけにはいかなかった。
今度こそ、接近に成功する。黒刃が、瘴印王の法衣の裾に届く距離まで入った。腐った布の匂いが鼻を刺し、紫の灯りが眼窩の奥で揺れるのが見える。
「よう。久しぶりだな」
ロイドは軽口を叩いてから、黒刃を振り下ろした。
だが、瘴印王は一歩も動かない。
代わりに──床が鳴った。まるで、ここまで誘ったように。
円の紋様がさらに深く脈打ち、空間が噛み合わなくなる感触がした。
「やった!」
エレナが歓喜の声を上げた。
確かに斬ったと思う。刃も通った。だが、何故か斬れていない。手応えもなかった。
(これは……)
空間ごと、ズラされていた。
骨の核まで、刃が届かない。肝心なところで滑っていた。当たっているのに、当たっていないという状況だ。
「……届くと思ったか?」
瘴印王が低く笑った。
「クソが。戦う気ねーのかよ、お前は」
ロイドは悪態を吐き、睨みつける。
悔しさより先に、苛立ちが沸いた。戦いの土俵ごと、いじられている。
黒刃を引き、一歩だけ退いた。
(やばいな。どうする?)
息を浅く切りながら、次の一手を組み立てる。
こちらが一手を講じれば、その先にまた一手を組み込まれる。
突破口が、見つからなかった。




