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悪女には死がお似合い~偽りの聖女に嵌められた令嬢は、獣の黒騎士と愛を結ぶ~  作者: 香月深亜
第二章

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36. 予期せぬ客の正体

 隣国カルダールがゼイン帝国の軍事力を減らすために伝染病を流行らせただなんて。それはつまり、カルダールはこれから戦争を起こそうとしているということになるではないか。


 レイラの鼓動がどくんと跳ねる。


「何か……そう思い至ることがあったんですね?」

「はい。残念ながら」


 レイラはごくりと唾を呑み込んだ。


「……妃殿下。ここでこの件からは、手を引かれますか?」


 アリシアは話を止めて確認した。

 それはきっと、彼女なりの気遣いだ。


 これ以上聞いたら、もう後には引けなくなる。隣国が関わってくるなら、外交問題にもなりかねない話だ。間違いなく、皇子妃であるレイラは関わらない方がいい。


「ここから先は私が、」

「いえ」


 アリシアの気持ちは嬉しい。

 レイラ自身、引いた方が良いことも分かってる。


(でもこれは、私が始めたこと……)


 今度こそギルバートを失わないために。

 そう思ってレイラが始めたこと。


 こんなところで投げ出したくはない。

 自国が攻め入られるかもしれないと知ったら尚更である。


「私なら大丈夫です」


 神妙な面持ちを一変させ、レイラは気丈に笑顔を見せる。


「……分かりました」

「それで、カルダールが仕掛けたとする理由はなんですか?」

「実は、ニギラ村でちょっとした出会いがありまして。その方からカルダールの情報を掴んだのです」

「出会い?」

「はい。造詣が深い方で、獣人にのみ罹る伝染病にも心当たりがあると仰っていました。実のところ、今後はその方の力も借りて研究を進めようと思っています」

「そうなんですね。その方今帝都に?」

「あ。彼は今陛下に謁見中なので、後で紹介します」


 え、とレイラの思考が停止する。


 アリシアはさらりと言ったが「陛下に謁見中」とは聞き捨てならない。


 しかしすぐハッと気付いた。

 先ほどアルフレッドが挨拶に行った予期せぬ客。タイミング的にきっとそうだ。


「……陛下に謁見できるなんて、一体どんなお方なのでしょうか?」


 レイラは恐る恐る尋ねる。


「ふふ。そんなに畏まることはありませんよ。彼はカルダールで貿易関連を仕切っている公爵家の人間です。今回はゼイン帝国(うち)への献上品を持ってきたと言っていましたね。門のところで彼が名乗ったら、兵士の人たちがそれはもう大慌てで各所に連絡しに行きましたよ」

「公爵自身が来ているのですか!?」


 あまりの衝撃に、レイラは思わず立ち上がる。しかしすぐに冷静になり、咳払いをして座り直した。


(そんなの誰だって驚くわ……)


 カルダールの貿易関連と言えば、グランヴィル公爵家のはず。これまでもカルダールとの取引は公爵家を通しているし、カルダールが差し出す献上品についても全て公爵家が準備している。だから、隣国の公爵家とは言え、グランヴィルの名前はゼイン帝国内でも有名なのだ。

 しかし、実際にゼインへの献上品を帝都まで届けにくるのはいつも公爵家が雇った運び屋だったはずなのに。それがまさか……。


「ふふ。はい」


 驚愕のレイラに対し、アリシアはのほほんと笑っている。


「彼はなんというか、自由奔放な方でして。公爵家を空けるのはいつものことだと仰っていましたね」

「そんな馬鹿な……」

「馬鹿なことがあるんですねえ。まあでも、私たちにとっては幸運ですよ。伝染病研究に大いに役立ってくれそうな彼がこの帝都まで来てくれたんですから」


 アリシアの言うことも分からなくはないが、隣国の公爵の力を借りるだなんて、本当に大丈夫なのかとレイラは不安視する。


「でも、カルダールが何かを企んでいるのに、カルダール側の人間に協力を求めて問題ないのですか?」

「そこは大丈夫です。彼は平和主義だそうで、自国が戦争を仕掛けようとしているなら阻止したいと仰っていましたから。……その言葉に嘘は感じませんでした」


(確かアリシアは相手の嘘が分かるって言ってたものね。それでも、出会ったばかりの人をそこまで信用できるものなのかしら……)


「公爵にはどこまで話を?」

「私が伝染病の研究をしていることと、獣人にのみ罹る伝染病がないかを調べているということだけです。妃殿下のことや、後々実際に伝染病が帝国中に広がることなどは話しておりません」

「そう……」

「ただもし妃殿下さえよろしければ、彼にも全てを話したいと思っております」


 そこはさすがのアリシアで、あちらにレイラのことは何一つ明かしていないらしい。

 だが、彼に協力を求めるならばアリシアの言う通り全てを話した方が良い。でもまだレイラにしてみれば、そこまで彼を信じて良いのか分からない。


「……私がこの件に関わっていることは話しても構いません。ですが回帰のことは、少し時間をください。彼を信頼できたときに私から話します」

「分かりました」


 アリシアはレイラの気持ちを汲み、頷いた。


「彼はとても人懐っこいので最初は面食らうかもしれませんが、きっと妃殿下もすぐに打ち解けられるはずです」


 はあ、とレイラは生返事をして、アリシアがいうことをただ受け入れるしかなかった。



────数時間後。


 陛下への謁見を終えたグランヴィル公爵を、アリシアが研究所まで連れてきた。入室するや否や、彼はレイラの目の前まで前進して、礼をした。


「皇子妃殿下にご挨拶いたします。隣国カルダールで公爵の位を賜っております、ネイト・グランヴィルと申します」


 堅い挨拶……かと思いきや、頭を上げたネイトはニコッと無邪気な笑顔を見せる。


 貴族同士で挨拶をするときは口角を上げるだけの笑顔が主なので、白い歯を見せるほどの笑顔を見せられてレイラは少しドキッとした。

 大体の貴族は笑顔の奥に自分の感情を隠すものなのに、こうも無邪気な笑顔ではそんな様子は微塵も感じられない。見たところ何も考えてなさそうである。

 つまりこのネイトは、貴族にはあまりいない種類の人間ということだ。


(……面食らうってこういうこと?)


 アリシアの言う通り、レイラは一瞬固まってしまった。

 しかもそれを横で見ているアリシアはくすくすと笑っている。


「……初めまして、グランヴィル公爵。第一皇子の妃、レイラ・ゼインと申します。公爵のお噂はかねがね、」

「はは。放浪癖のあるやばい公爵とかそんな噂ですか?」

「え……いえ。公爵家の貿易手腕において、右に出る者はいないという噂です。公爵が優秀でいらっしゃるからだと思っておりますわ」

「あーそっちですか。まあうちは代々の伝手とか交渉術とかが受け継がれてるんで出来てるんですよね。俺個人の能力はお褒めいただくほどのものではないんです」

「まあ」


 公爵家であることを鼻にかけず、公爵家の名声が自分のおかげであるだなんて誇示もしない。

 そして何より、言動に裏を感じない。


 彼の笑顔がそうさせるのか、初対面なのにレイラの警戒心はどんどん緩まされていく。

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