六十七柱目 日の出づる中津国・上
中津国。それは東にある国が持つ本来の名。
かつて天津より降り立ちし神々と、国津に住まいし神々の永い争いの果てに結ばれた友好を証明する名。
傲慢にして好奇心旺盛なリムルは、その地に足を踏み入れる。
「すげぇ! 砂ばっかだぞ!? 砂漠かここは?」
「ただのクソでかい砂丘って可能性もあるぞ」
「とりあえずひとッ飛びして見てくるっすよ。お三方はそこで待ってらしてくださいっす」
「ああ、頼んだ」
今回の面子は俺とリステアとリムルに加え、クロが参加した。
クロは最近宝石集めに嵌まっていて、この国では勾玉という上質でレアな宝石があるらしい。
移動方法は船。魔境で新しく創られた港町と船舶を使ってこの国へと漕ぎ出してきた。
「まあ、ゆっくり行こう。リステア、船旅はどうだった?」
「はい、海の青さが深くて、空の青さが鮮やかで、とても心地よかったです」
「それはよかった」
雪国での一件からどうにも元気が無さそうだったリステアを、なんとか元気付けてやりたかった。
良かった。どうやら成功のようだ。
「ここは聖女シェンファの地元ですね。彼女はまだホーリー・リードに居ます」
シェンファはシーニーと異なり、王族ではないがとある神社の一人娘らしく、巫女として活躍していたらしい。
この国では妖精はおらず、主に妖怪や亡霊の類がいるらしい。
巫女というのは、そういった人間に害なす人外を対峙するための職業の一つであると。
「番長ぉー!! ここやべーっすぅ!」
「うわ、なんだ?」
砂丘の向こうからクロが飛んでくる。
妙に慌てているようだが……と、そういうことか。
鴉みたいなクロが、より鴉っぽい存在の群れに追い立てられている。
まさに、縄張りを侵して追い立てられている様だ。
「あれは、ハーピィ……いや、両腕があるから天狗か。鴉天狗」
「助けてくださいっす!」
クロは即座に俺の背後へと回る。
眼前に降り立つのは10羽を越える鴉天狗。修験者みたいな服装に、金の輪がジャラジャラと鳴る杖を手に持つ。
人型だが顔面は鴉そのもので、黒光りする嘴は黒曜石で作った矛のように鋭利だ。
「手厚い歓迎どうも」
「何者だ、貴様等」
鳥目のくせにやたら鋭い眼光だ。敵意を完全にむき出しにしてきている。
「俺は魔境の王レクト。こっちは嫁のクリスティア、そして鳥と少女は悪魔だ」
「悪魔……なるほど、お前達が」
「俺たちに敵対する意思はない。友好か、断絶か好きなほうを選んで……」
「歓迎しよう、魔境の使者よ。我らは妖化生。この地に蔓延り、人を喰らう者」
そうやって連れてこられたのは、山岳の頂にそびえる和の城だった。
三角形の瓦屋根、高い石垣、水で満たされた堀に囲まれた、見事な城。その頂上に案内された。
前世ぶりに見た畳の上に座って、やたら大きな図体の天狗と相対している。
「なるほど、友好か、断絶か。それをもって互いの平和を乱さず、それぞれにとっての不朽の理想郷を築くと」
「その通りだ。今や悪魔は人類の敵というわけではなくなった。人も魔も求める欲望のために集う。敵は欲望に至るまでの障害として統一され、俺たちは欲望のために戦う。お前達が俺たちを認めるならば、俺たちはお前達を認めよう」
ここで結ばれる友好の意味は二つ。
一つは悪魔という存在の許容。
即ち、望む者の欲望に呼応し、力を授けることへの許容。
一つは魔境という存在の認定。
魔境は他の国と比べて極めて特殊だ。
どこからの難民も受け入れ、また移民することを引き止めない。
正教のように縛ることはなく、法も支配する者によって180度変わったりする。
そんな魔境と敵対せず、自国の民を厄介払いのため島流しするのも良し、用件を依頼するも良し、悪魔を利用するも良し……。とかく、敵対しなければ問題なく、共存が出来ればなおのこと良い。
「その答えを示す前に、まずこちらの質問に答えてもらわねばならない」
「質問……どうぞ、なんなりと?」
「貴様等は妖怪を受け入れられるのか?」
「具体的には?」
「妖怪は人を食らう、獣も喰らう。そこに道理はなく、容赦もない。不条理にして理不尽なる存在こそ儂らの本質。貴様等に、道を外れる儂らの在り方を許容できるか?」
思わぬ問いに面食らった。
そうか、こいつらはそういう認識か。これはひどい。
「ああ、ひどいナメられかたをしてる」
「なに?」
傾げる天狗に目を据えて、その傲慢に張り合う。
口元は牙をむく笑みで、今にも噛み付きそうな狂暴さを秘めて。
「不条理、理不尽? 妖怪の専売特許だと思ったか。むしろそれはこちらの、人間の本懐だぜ。人間の尽きぬ欲望と、果て無き願望のための道が魔境。そっちが外道なら、こちらは魔道だ」
悪魔と妖怪、維持の張り合い。傲慢の鍔迫り合い。
悪魔率いる魔人間、俺は妖怪の長と対峙している。天狗の長、つまり天魔王。
「傲慢、憤怒、強欲、暴食、怠惰、色欲、嫉妬。そして愛欲でさえも、欲望を満たすためなら他者を害することさえ厭わない、人でなしのろくでなし共だ。そも人の道なんてのはクソの道。人の時間と労力を供物にして敷いてる、正道なんてねぇさ。人間を甘く見るなよ」
「く、グフ、グファッ、ファッファ! 人間風情が地を這う犬のようによう吼えおる。良いぞ人間。その意気に免じて、お前たち魔境の者共を認めようではないか。人間に与し儂らと対峙するも良し、儂らと共に人間を貪り食うも良し。その存在、十全に利用させてもらおうか! のう!?」
決まった。
とりあえず、この国の空を制する妖怪の長とは協力関係を築ける。
「妖怪ってのは、やっぱり他にもあるのか?」
「無論。天衣黒縄たる儂ら天狗のほか、雑種を除き派閥はあと三つ」
三つもあるのか、レディファーストの時と同じくらい手間がかかりそうだな。
まあ、怠惰とはいえ暇人の俺にはちょうどいいか、リムルも楽しそうだし。
「大山崩哮の鬼神、獣謳無人の化獣、竜巻蛇蟲の毒蟲。最も蔓延り、多様な者共よ」
「きしん、ばけもの、どくむし……」
「加え、異質なのが変性化生の妖人」
「ようじん? 妖怪人間?」
「この地では妖怪と相対するため、あるいは我欲のため荒ぶる神の力を借り受ける人間が存在する。人間にとってそれは禁忌であり、迫害の対象となる」
つまり、こちらの商売敵と手を組んだ元人間たち、ってところか。
「他の妖怪とは異なり、人型であるということの他に一切似ない。全身に百の目が出来たとか、心を読めるようになったとか、様々だ。時に鬼神すら殺しうる」
「つまり俺の先輩か。混じり物としても、国づくりとしても。上等だな」
「ここより東方は鬼神の縄張り、更に向こうが人の領域。南方は蛇、北方に獣。妖人の里も同じ」
「妖人と獣は協力関係にあるのか」
「頭の切れが良い女狐が居る。妖人の里を作り、統率している」
ちょっと勢力が多すぎる。結構大事になりかねないな、これは。
「リムル、一旦帰ろう。とりあえず天狗と組めただけで収穫として十分だろう」
「えーっ! 冗談きついぜ相棒、こっからが面白いところだろ? 鬼と力比べしてみたいし、獣も手懐けてみたいし! 蟲だってきっとゲテモノばっかでヤベェに決まってる! あと妖人が一番気になるじゃん?」
「そうは言うけどな……リステア、どう思う?」
「せっかくです。私としてはリムルと同意見です」
「まじか……それなら仕方ない」
誰も異論は無いというなら、それは仕方ない。
そう、誰も。
「じゃあ行くか。地獄めぐりじみた妖怪巣窟を」
水面を叩き付けたかのように迸るのは大地の飛沫。
魔法で形作った岩盤すら打ち砕くは、石の飛礫。
あんまりな暴力。底知れぬ膂力。
森の中に跋扈するは鬼神。迫り来るその迫力は巨象の猛進。
人間ならたちまち肉片と成り果てるが定め。
「だが、所詮は人間相手の脅威。魔人間を仕留めるには、僅かに足りないな」
鬼から放たれた拳を、魔力で強化した俺の拳で迎え撃つ。
その衝撃は大地や木々、あらゆる存在を震わせるほど凄まじい
魔法は条理を覆す。鬼の怪力といえど、その巨拳は自ら引っ込む。
「ぐっ、おっ……新手の妖人かッ!」
「いいや、魔人だ。どっちかというとな」
渾身の一撃の後には、必ず大きな隙が出来る。
自らより小柄な者より繰り出される思わぬ威力、拳に響かせられた痛み。怯んだ戦意。
それが、押し勝つということッ!
「ジッ……」
がら空きの、並々と筋肉の並ぶ胴まで、一気に踏み込む。
刹那の間、一寸の間合い、新たな障害物が発生する前に、奥先へと体を捻じ込む。
全身を捻り、筋肉を軋ませる。
退かせぬ物なら砕くまで、退かぬ鬼なら破るまで。
我が拳、一切合財、此処に在り……。
「矢ァッ!!」
唯之一撃・億千万理。
それは魔人間の頑強さと放つ魔力、加えてリステアの加護が織り成す最大威力のシンプルな殴打。
鬼の体は撃ち出された砲弾のように空を裂いて、木々をなぎ倒しながら後退していく。
感触からして、椎まで届いた。おそらくもう起き上がれまい。
皮膚は裂け、筋肉は千切れ、骨は砕けた。
「これで無事なら鬼というよりは吸血鬼の類だが、さて」
その音があまりに異質だったからか、周囲で戦っていた音が完全に止んでいた。
首魁の取り薪を相手にしていたリムルやクロは、襲ってこなくなった鬼たちから目を離さない。
俺もまた、押し飛ばした鬼の集会に目をやる。
遥か遠く、倒れている体はあるがピクリともしない。
仕方ない。様子を見に行くか。
山中、新しく出来た道を辿り、鬼の倒れ伏す場所まで辿り着く。
「鬼神というから何かと思えば、単純に怪力が自慢の種族だったわけか」
「グルル……」
「鬼術も人間相手には通用するだろうが、魔法の域ではない……なぁ御山の大将」
「オオッ……」
「んー……魔よ」
回復魔法と一言で言っても、原理は多様。今回は本人の治癒能力を促進させ、魔力をエネルギーに回す。
とはいえさすがに腹部に空いた風穴が塞がるのにどれだけかかるものか。
「……どういうつもりだ人間」
「マジか、もう喋れるのかよ。頑丈だな鬼は」
「何者だ、その異質な力。この地の者ではないな」
「もちろん。ここから西、海を越えた陸地に魔境を構えている。魔人間のレクト。こっちは聖女と悪魔」
「組み合わせが凄まじい……そうか、お前が噂の魔人間」
噂の、と鬼神は言う。
俺のことはこの地でも有名なのだろうか。
「天狗の縄張りから来たが故に何事かと思えば、なるほどそういうことか。しかし、何をしに?」
「何を、っていうとそうだな。……観、光?」
「観光……観光ついでに鬼に喧嘩を売ったのか」
「いや、それはリムルが勝手に」
リムルが鬼の縄張りでやたらはしゃぎ、やたら鬼と比較して舐め腐った言動をかますので、ついに鬼が切れた。
「山を穿ちて地を抉る俺の拳を真っ向から受け、押し勝つその膂力。認めざるを得ない。今日よりお前がこの地の首魁」
「そうか! そういうことなら寝床をくれ! 上等な家がいい!」
「生憎そういうのを鬼に求められても困る。人里に下りて、なんかこう上手くやれ」
恐らく戦力としては使えるだろう黒鬼が率いる鬼神の群れだが、あまりに融通が利かない奴等だった。
腕っ節で従えるようになってしまったから契約もくそもない。
鬼の隠れ家を後にし、人里のある東へと向かうことにする。
山道の途中、クロが進路変更を提案した。
妖人の住んでいる人里に下りようというのだ。
その理由は金が無いから。
俺たちはこの隔絶されたに等しい土地に来てから、この土地の金を一銭も得ていない。
天狗は人とは関わらないし、鬼に金など必要ない。
実はすぐ帰ると思っていたので、換金するための元金も無い。
そこで、クロは人間から追い出された妖人の方と先に接触しようと提案してきた。
俺はその提案を了承、進路を北方へと変える。
日没は近く、空は焼けるような橙色から薄ら寒い紫色の宵闇に呑まれ始めている。
山の気温はみるみる下がり、人間には少し辛い。
「リステア、大丈夫か?」
「はい。ですが、やはり少し冷えますね……」
「クロ、距離はあとどの程度だ?」
「もうそろそろ神社が見えてくるはずっす。なんか結界が張ってあるっすけど、まあ問題ないレベルっすね」
「神社ってことは神がいんのかな。今から楽しみだな相棒!」
リムルは外見年齢に相応なレベルで浮ついていた。
小悪魔というか完全に子供だこれ。
そうして歩いていると、気付けば周囲は木々から竹林に変わっていた。
ようやく開けた場所に出たかと思えば、眼前には大きな鉄門。
「神社?」
「この先にやたら長い階段があって、上に鳥居があったっすよ。その反対側はなぜか寺っぽい感じでした」
神仏ごった煮か、まあいい。
もう時間が無い。リステアが風邪をひく前に寝床を確保しないと。
「結界だかなんだか知らないが、とりあえずノックぐらいさせてもらうか」
肩をぐるりと回し、大きく振りかぶる。
「ッ、ラアッ!」
渾身の力で繰り出す拳が扉を凄まじい音と共に開く。
触れる瞬間、電流が流れるような感触があったが、結界の作用は魔力で遮断した。
「魔力、随分上手く使いこなせるようになったっすね」
「最近はもう魔法としてではなく、手足のように使っている気がする」
「そういうもんっすよ。悪魔が魔法を使うんじゃなくて、魔力を自分の想い通りに操った結果が魔法ってことっすからね。人間の言う魔法ってのは要するにただの真似なんす」
門を潜ると、その先は長い階段が続いていた。随分上まで続いている。
「リステア」
「レクト?」
「ほら」
「ですが……」
「いいから」
俺はリステアを背負う。
背中で形を変える膨らみと、両手で支える太腿の柔らかな感触が俺に力を与えてくれる。
「リムル、クロ、遅れるな」
「ハッ、こっちのセリフだぜ相棒」
「番長、さすがに舐めすぎっす!」
示し合わせたわけでもなく、ほぼ同時に俺たちは動き出した。
砕ける石畳を省みず、しかしリステアに負荷がかかり過ぎないように加速しながら昇っていく。
対してリムルはお構い無しに爆走状態、クロも力強く羽ばたいてリムルの頭上を飛ぶ。
そして、再び門にぶち当たる。
ただ、そこには門番が一人立っていた。
「結界に皹が入ったから何事かと思ったら、異邦の民がお越しになられたのね」
それは一匹の黒猫だった。
しかし、でかい。異様にでかい。
虎ではない。ジャガーでもない、黒豹というわけでもない。確かに猫。ただでかすぎる黒い猫。
「猫……猫?」
「異邦の民は阿呆なのでしょうか? この二又の尾がご覧になれない? それとも異邦の地には猫又がおられない?」
「なるほど口が悪い」
だが話が通じないというわけではない。
どうにか寝床を提供してもらおう。
「宿泊できる場所を探しているんだが」
「この辺りに宿泊施設はありません」
「だろうな。ということでその立派な屋敷に泊めてほしい」
「お断りします。とっととお帰りなさいませ」
「厳しい」
取り付く島も無い。さて、どうしたものか。
「まあ、そう言うな。俺の名は……」
「レクト、リステア、リムル、クロ。魔境の者たち。魔人と悪魔と聖女の一行」
「知ってたのか」
猫又は沈黙する。情報は駄々漏れというわけだ。
そういうことなら話は早い。
「なら選ぶがいい怠惰なる猫よ。これよりお前の思慮は、その後ろにあるすべてのものを賭けることになる」
「……脅迫のつもりか」
「良かれと思っての忠告さ。仮にも異国の使者を無下にするってんなら、相応の覚悟はしてもらわないとな」
猫は尚も沈黙する。
仕方ない。時間も無いし、まずは一匹……。
「許可は下りました。どうぞ中へ」
猫の背後、門は甲高い音を上げながら開く。
「長が待っています。さっさと行って下さい」
「どうも」
分からない。妖怪の類は妖術でテレパシーみたいなことができるのだろうか。
夜空の星の瞬きを見ながら、骨身に沁みる湯船に浸かる。
もくもくと立ち上る湯気のなかで、少女の柔肌に囲まれるのはまさに肉林。この世の極楽といって差し支えないだろう。
「旅館かよここは。風呂が広すぎる」
「寺の中に露天風呂があるのも、確かに妙な話ですね。ですがこれで体は温まりました」
隣でリステアも熱めの湯船を堪能している。
しかし、なんだ。
「どうかしましたか、レクト」
「いや、なんていうか、浮くんだなと思って」
「いまさら遠慮なさらなくてもいいでしょう。気になるならどうぞ」
「お、おう」
「それ以上はえっちすぎるんじゃないか?」
と、すいーっと仰向けに浮くリムルが言ってくる。
「ところで私の超絶セクシーな膨らみかけおっぱいも浮いてるぞ。ほらほら!」
「北極から欠けた流氷……」
「ほっきょく?」
猫の門を通ったあと、出迎えてくれたのはこの屋敷の主。
そいつは白面金毛の女狐……とはいうが、それはなんというか白人金髪の撫子といった風だった。
猫の無礼のお詫びにと、一宿一飯を提供してくれるということになった。
「おやおや、仲良く混浴だなんて、魔境とはとても自由で奔放で素晴らしいところなのじゃろうなぁ」
「お、おう?」
ふと振り返ると、浴場の入り口には白人金髪の乙女が立っていた。
あられもない姿を白い布一枚で隠す、妖艶な笑みを浮かべる女狐。
全てを見透かされているような瞳を向けられると、なぜか羞恥心を掻き立てられる。サクブスとかが使う魅了眼の一種だろうか。
「おや? 魔と人のハーフとはいえ所詮人間、と思っていたのだがねぇ……これでは色仕掛けは通用しないのう」
「そうでもないさ。魔境、魔界、そこまで見事な肉体美を持つ女は稀……悪魔に雌雄は無いけど」
「お褒めに預かり光栄じゃの」
すると狐は極めて自然な振る舞いで湯船に入り、リステアとは逆の方に身を寄り添わせる。
色白の浮き袋をさりげなく腕に密着させる。
「さすがこんなところまで足を伸ばすお兄さんは、体も逞しいのぅ?」
「鬼ほどじゃあない」
「うふふ、あんな筋肉達磨じゃあダメじゃよ。細身で実の詰まった肉体美の持ち主こそ、女性の扱い方も心得ているものじゃ」
「そういうもんかね」
「そういうもんじゃ」
身を預け、薄ら笑みを浮かべて上目で見てくる妖狐。
まあ、やろうとしていることは分かっている。問題は、それに対して俺がどうするか。
「本当に惚れ惚れする体じゃ。ここまで見事な男を目にするなど何時ぶりか。腹の底が疼いてしまうではないか」
「えっと……いや、それよりなんで入ってきてるんですかね」
「妾が妾の風呂に入るのに何か問題が? っていうのは冗談じゃ。なに、これから同盟を結ぶ者との裸の付き合いというやつじゃ」
切れ長の瞳、シミ一つ無い肌の美しさはなるほど、フェチシア主催の美女コンでもトップを狙えそうなポテンシャルだ。
「俺だってお前ほどの美女は見たこと無い」
もちろんリステアを除いてだが。
「そんなことを言ったら、お嫁さんが嫉妬してしまうんじゃないかのう?」
「うちのリステアは理解ある嫁だ。あっちのちっこいのでも認めてくれるくらいに」
「だーれがちっこいのだ、おいこら」
「ふふっ、なるほど……ところで、レクトは妾や他の者たちと友好を築くために来たのじゃよな?」
「ああ。友好を築けるというならな。築けないなら、今後一切関わらないよう同意を求める。ダメならしょうがない」
「鬼とは?」
「鬼は……もう終わった」
天狗と友好を結び、鬼を屈服させ、狐とは和解。
順調と言えば順調。残る勢力は妖人と蟲。と人間だが。
「すまない、そろそろ上がる。リステアは?」
「私も上がります」
「よし、それじゃあ」
俺は少し強引に狐を腕から引きはがし、湯から上がってリステアの手を取る。
<サイド:リムル>
残された狐は顔を洗っていた。
「むぅ……」
「ハハッ、頑張るなぁ子狐!」
「こ、子狐……? 童の分際で……」
「ヒュゥ! 悪魔を童呼ばわりする奴を見るのも初めてだし、呼ばれるのも初めてだ! これだから人の世は愉快なんだなぁ」
「悪魔……あ、悪魔?」
「いやいや、別に邪魔するつもりはないんだ。好きにやったらいい。私は見物させてもらうから」
「……お前は、レクトのなんなのじゃ?」
「なんてことはない。ただの相棒さ」
狐は訝しげに私の方を見ている。非常に愉快だ。
たぶん、こいつは今レクトを篭絡してこの地の支配を手にしたいんだろうな。
わざわざ嫁と一緒に入浴しているところに邪魔して割り込むくらい必死なんだろう。
だが残念、レクトにはまったく意味が無い。
愛欲のレクトはサキュバスの誘惑や、エロゲみたいなハーレムを前にしても屈服しなかった心の持ち主。
それがちょっと傾国の女狐に遭遇したくらいでブレる軸はしてない。
そして今、危険なのはこの女狐の方なのだが、それに気付いていない滑稽さがまた面白い。
「せいぜい頑張ってくれ、応援してるぜ」
さて、レクトがいないのにぬるま湯に浸かってる意味も無い。さっさと上がっちまうか。




