六十六柱目 氷雪のクイーン
凍て付いた山々を越えて、氷で出来た建造物を見て、そこでようやく気付いた。
「こういうのってさ、王様が自ら行くものじゃないんじゃない?」
「まっ、普通は遣いとか寄越すよね」
「テメェ……」
あっけらかんと言うリムルを、飛行していたときに突き落として居ればよかったと心底後悔した。
「にしても悪いなドラグヌス。わざわざ送ってもらって」
「大したことはない。むしろ驚いた。この極寒の中で飛行していながら、本当に死んでいないとは」
「まあな」
俺は改めて眼前に建つ城を見上げる。
氷柱が逆向きを向いたような城は、おそらく魔法で創られたのだろう。
とにかく高い。高層ビルかよと思うくらい高く、横には広くない。
氷の精霊やら妖精やらがちらほらしており、この場所が年がら年中氷雪に閉ざされていることが窺える。
民家は四角い氷をくりぬいて造ったようで、つまり冷凍庫で作った四角い氷を雪の上に並べた。
外観としては大体そんな感じ。周囲は山に囲まれてるし、戦争したらどんな国が勝てるのか分からん。
まあ、それが人間だったとしての話だが。
「我は旧友と会う。あまり時間はかからないが、貴様たちは?」
「そう時間はかけない予定だ。半日で終わるよう頑張ってみる」
「そうか。では翌日、この夕刻に」
「あー、ありがとなー」
さて、改めて状況を確認する。
今回のメンバーは俺とリステア、そしてさっきから興奮しながら上京したての田舎者のごとく周囲を見回すリムル。
あとは大所帯になるのを避けるため、ブッキーは魔本に、クロは羽ペンになって同行している。
リステアの話によれば、シーニー・スヴェトラーナという聖女がこの国の出身で、エリザの話では戦争が終わった後、そうそうに帰国したという。
戦争の時に割と活躍したらしく、青い炎が平原一面を氷漬けにしてこちらの侵攻が阻まれていたらしい。
恐らくこの氷結の城の中にいるだろうから、リステアも会える事なら会いたいだろう。
「しかし、誰も居ないな。住人も、見張りも居ない」
「必要ありませんからね。女王は貴方がたの来訪を歓迎していません」
どこかから声が聞こえてくると思ったら、城の奥から透明なゼリーみたいなのが這いずってきた。
そう、スライムである。
「おっ、アイスライムだ。気をつけろ。触ると凍傷になるぞ」
「地味に嫌だな」
「女王は貴方がたに警告しています。今すぐ立ち去るようにと」
「門前払いとは穏やかじゃないな。俺はこっちの人らと友好的にな関係になりたいと思ってるんだが」
「普通の人間にはこの氷雪の地を越えてここまでこれません。ここに来れるのは総じて人ならざる者。そして我々の利とならぬ者……私たちはここで静かに暮らします。貴方が悪魔を束ねるというなら、私たちは干渉しません」
つまり、友好的な関係になるつもりはなく、しかし敵対関係になるつもりもない。
お互いに関わらないことで、平和を保とうということか。
「そういえば、シーニー・スヴェトラーナとかいう聖女がいるだろう? リステアと友人になってくれたってことで挨拶したいんだが」
「繰り返します。これ以上ここに滞在するというなら、このまま氷像にして良いと言われていますので、どうぞお引取りを」
スライムなのにしっかりしたやつだなぁ。
だが残念だ。噂の氷衣結晶というやつを見てみたかったんだが。
曰く、この地が絶壁たる氷山と雪原で断絶されているのも、その結晶の力によるものだと。
「しょうがない。そういうことなら……」
「いやいや、ここで引き下がるわけには行かないだろ」
「リムル、ちょっとトラブルは……」
「せっかく遠路はるばる自慢の氷雪まで越えてきたんだぜ? 手ぶらでは帰れまい!」
こんのトラブルメーカーのトリックスターが。
だがまあ、仕方ない。さすがに門前払いは無いだろうと若干ムカついてたところだ。
「悪いなスライム。仕事を増やしてしまって悪いが」
「警告はした」
途端に、透明の液体はその軟体を蠢かす。
プルプルと身を震わせると、細かい飛沫がこちらにかかる。
「冷っ!」
「なんか知らないけど冷たすぎると熱いって言っちゃうよな」
「リステア下がれ! 割と痛いぞ!」
「私はフォローに徹します。心置きなく戦ってください」
リステアの神気が一瞬で俺の凍傷を癒す。
「最深、奥底にある闇黒は滾る。地に這う虫の如く灼熱は盛る。器を満たし、我が手より溢れ出ん」
手の平を向ければ、迸る灼熱の溶岩が溢れ出る。
足元の雪が蒸発し、スライムへと迫る。
「お、おお、なんという熱……! 熱い、熱いッ!」
「なるほど氷衣結晶とやらはとてつもないのだろう。だが、俺の炎なら時間さえかければ必ず全て焼き尽くす」
「ぐお、おお……許可が降りた! その火を止めてくれ!」
呆気なく終わった。
ただの人間なら瞬く間に氷漬けにされていたのだろう。さすがに魔人間を阻むほどではなかった。
スライムの這った後の凍結した床を慎重に進むと、大きな広間に出る。
円形の広間から更に九方向に通路が伸びているが、スライムが進むのは正面。
その最奥には大仰な装飾が施された部屋に、その床の中央に大広間で見たような魔法陣が敷かれていた。
共に魔法陣の上に乗ると、予想通り景色が変わった。
どこかしらに転移したのだろう。上か、もしかしたら意表をついて下かもしれない。
だが、既に俺たちは玉座の間に到着しているので、別にどっちでも構わなかった。
「お初にお目にかかる、氷雪の女王」
傷一つない、氷で出来た玉座の間。
逆さ氷柱のデザインが気に入っているのか、両脇のスペースに乱立している。
「かつて脅威の中に在り、その頂にあった竜族を乗りこなす実力、そしてこの極寒を物ともせぬ魔力。なるほど神を降し、悪魔を従えたという魔人間の噂、偽りはないようだな」
冷たさを感じさせる白い肌と、冬の空を敷いたような瞳。
表情からは感情が読み取れない。リステア以上に無感情な印象を受ける。
「だが、我々は我々だけで何も問題はない。関わってくれるな」
「冷めてるなぁ。人間と悪魔が友好を築いたんだぜ? 一緒にどんちゃん騒ぎしようぜ?」
「我々は昔からこうやって身を守ってきた。極寒のベールで何者をも寄せ付けず、氷雪のドレスでこの地を守ってきた。この地の民は、永い時をかけて氷精の信頼を勝ち取ってきた。その証こそが氷衣結晶」
ベール、ドレス、つまりこの地を覆う氷原と雪山のことだ。
この地の民は、氷精の信頼を勝ち取ってこの地に住まうことを許され、その加護で氷衣結晶を授かったと。
「精霊は人間を嫌う。それは魔が混じろうと変わりない」
「他の人間と一緒くたにされるのか、俺は」
「人間は無礼だ。己の都合で山に穴を穿ち、健やかな木々の者共さえ刈り取り、鳥獣を食い尽くす。自然に人の法を持ち込もうとするその様は、紛う事なき侵略者」
「つまり、俺たち余所者はどうせクズだから、受け入れたらこの地が穢される。その上、氷精からの信頼も失い、得することは何一つないと」
「いかにも。だからたとえお前が魔の混じる聖人君子だったとしても、我々はお前達を受け入れることはない。例えお前達と戦うことになろうとも、我々はここに氷精霊へと身も心も捧げる」
思った以上に意思は硬いらしい。
それに、人間がクズだというのも否定は出来ない。自然を破壊するのも、人の法を持ち込む身勝手さもその通りとしか答えようが無い。
「ゆえに、すぐに立ち去りたまえ、魔の混じる聖人君子よ。その優しさに経緯を評しながら、我々はお前達を生かして帰そう」
「……一つ聞きたい。どうしてあんたは俺を聖人君子と呼ぶ? エリザベスならともかく」
聖女として名高いエリザなら、聖女シーニーから聞かされるだろう。
リステアがそう簡単に俺の名前を出すとは思えないし。
「氷精霊がお前だけ心を許しているがゆえに」
「氷精霊……」
「お前がこの地に至る事、この城に踏み入れ、我が前に姿を現すことを許した。我はそれに従ったまで」
「なるほど……分かった。それが互いにとって最も利となるなら、それで構わない。俺たちは不可侵、そして不干渉だ」
「氷精霊の言うとおり、雑多な侵略者とは違うようだ」
これで一つ目の用事は済んだ。もう一つの用事に移ろう。
「でも帰る前に一つ、シーニー・スヴェトラーナに会わせてくれ。リステアの友人になってくれた礼をしたい」
「……分かった。ならしばらく待て」
案外、あっさり許しを得られた。
氷精霊とやらが気を許してしまっているから、逆らえないのだろう。
しばらくして、シーニーは現れた。
きめ細やかな白い肌に、水色の長い髪。切れ長で座った瞳は、リステアよりも鋭い。
氷で出来た刃を思わせる乙女だった。
「久しぶり、クリスティア」
「お久しぶりです」
「正教を大胆に裏切ったという噂を聞いたけど……そっちの人があなたの想い人?」
「レクトです。今は魔人間ですが、あいも変わらず私の婿様です」
「どうも、レクトだ。魔境の管理をやってる」
シーニーは印象の割に柔らかく微笑む。
雪国だから冷たい性格、というわけではないらしい。
まさに氷雪のドレスといった城と青の服装。腹部にスリットが入っていてヘソが見えている。
腹を壊しそうで心配になったが、思えば不思議なことにこの氷の城、寒くない。
「ここは閉鎖的だから、私としては来客は歓迎したいところなのだけれど、排他的なところでもあるからあまり引き止められない」
「ああ、そう長居はしない。でもまあいずれは開国してくれると嬉しいな。エリザのところもホーリー・リードになってこっちとは同盟を組んだし」
「なるほどね、お土産は世間話で良いみたい。色々聞かせて」
結果的に、この北国にとっての貴重な外部情報を提供することになった。
正教の国がホーリー・リードになり、エリザが女王となったこと。
正教の残党がテロ活動していたが、もう壊滅したこと。
魔境では日夜面白さを求めて、各人、各悪魔がイベントを考え、美女コンや狐狩りが行われたこと。
「中々楽しそう。この国は外が寒いから基本的に誰も彼も引き篭もってる」
「引き篭もり……いいな、俺も引き篭もりしたい」
「こっちに引っ越す? ここは仲間になれば友好的」
「それは魔境でも同じ……じゃないこともあるな。リステアはどう?」
「私はレクトと一緒ならどこでも構わないのですが……あまり引き篭もってると運動不足になってしまわないか心配です」
「運動ならする。特に男女二人で引き篭もってたら……」
ふと、その冷たい瞳に陰鬱な影が差す。
「シーニー?」
「クリスティア……きっと私たちはもう会えないだろうけれど、私はあなたの友人であったことを誇りに思う」
「シーニー、それはどういう……」
するとシーニーは女王を見て、視線で何かを訴えていた。
「構わぬ。ひとまずは友好の証として、仮にも世界を救ったものの一人。手土産の一つも差し出さねば、な」
「クリスティア、私はもう二度とこの地から離れることはない。私は氷精霊から与えられた氷衣結晶を維持し続けなければならない」
「氷衣結晶の維持……それは、あなたでなければならないんですか」
「私のゴルボーイ・プラーミャでなければ、氷衣結晶に青い炎を纏わせられない。この力は代々受け継がれ、この地と共に一生を終える運命を背負っている……」
まるで囚われの姫だな。
地方の田舎にありがちというか、辺境らしいというか。
「そうですか……でも、私たちならまたここに来ることも可能ですよ」
「それは出来ない。私はいずれ母を継ぎ、この国を統べる女王となる。外界と接触を遮断する責務がある」
「そう、ですか……」
「まあ、私たちはエリザを介して知り合った、いわば友達の友達。そう惜しまれないと思うけど」
「悲しいことを言わないでください」
「冗談」
そこそこ会話をした後、リステアは別れを告げて俺の方に戻ってくる。
「もういいのか?」
「はい」
俺たちは再びスライムに案内され、出口へと向かう。
「レクト、シーニーは……」
「すまないリステア。俺にはあいつをどうにかしてやることは出来ない」
「っ……なぜですか?」
リステアは俺の妄想だ。
だからどんな辛いことや苦しいことからも救い出せるし、助け出してみせることができる。
だがシーニーはそうじゃない。俺とアレは、ただの他人なのだ。
「本当にすまない。しないのではなく、出来ないのだ。シーニーはもう自分で選んでしまった」
「選んだ、というのは?」
「自らの行く末を」
シーニー・スヴェトラーナ。彼女はもう自分が氷衣結晶に青い火をくべる者として生きることを定めてしまった。
自らの運命や愚母に抗おうなどという意志は微塵も無い。
「俺たち悪魔が出来るのは、逆らい、抗わんとする者の望みに応じた力を貸してやることだ。花園凜や、雅義の時のようなのならともかく、アレはもう……」
悪魔の力を得るに値のは魂、というよりは人の意志。
悪魔は、人が自らの命と魂をかける意志と行動から享楽と愉悦を得ようとする。
悪魔が力を授けるのは、いわば先行投資。
「だが、あいつはたとえ悪魔の助力があってもこの地から逃れようとはしない。アイツの意志は、既にここに向けられている」
「そんな……」
「でもそう気に病むことは無い。本人が選択したのなら、それは本人の望み。望まぬ不幸や苦境にさらされるわけではないから。ただ、せめてな……」
せめて一緒に連れて行って欲しいと。そう思えてさえいれば……。
俺はかぶりを振って、憐憫の感情を振り払う。
「傲慢なら、強引に連れ去るって事も出来たんだろうが、生憎と俺は怠惰だ。怠惰な魔王、仕事が増えるのも、敵が増えるのも面倒だ」
余計な誰かのことなんて背負わない。
誰かの悲劇は誰かのもの。俺の幸福は俺だけのもの。
俺はリステアさえいればいいと、他人の不幸に背を向ける。
良心など、既に使い果たされた。俺は魔人間。
人間嫌いの魔人間。すべての人間に失望し、新たにして真なる妄想人類の主人こそが俺だ。




