六十五柱目 本魔王の創作活動
久方ぶりに、本魔王の部屋に足を運んだ。
特に理由はない。やることがなく暇だったから、虱潰しに徘徊していただけに過ぎない。
本魔王は執筆の邪魔をしなければ良いと言うので、とりあえず暇つぶしに魔本に手をつけていた。
「なぁブッキー、そっちの具合はどうだよ」
「どうもしない。私は本を書いて、同好の士と分かち合う」
「ほう、じゃあ一応やりたいことは不足なくやれてるってわけだ」
「……実のところ、芳しくない。お前をベースにして創っておいて難だが、私の文章を理解できる人間が少なすぎる」
「魔本のノリで書いてるから説明が多いんだよな。世界観の説明で一冊使うな。そういうのはファンブックに収録しろ。あと表現がな……キャラクターは名前か簡単な表現で呼べ。夜の斧とか黒の太陽とか遍く全てを統べる者とか、どっかの邪神並に呼び名のバリエーションが多すぎる」
「なんだと、このかっこよさが分からないのか」
「いきなり呼び方変わると混乱するから……」
だが、面白くないわけではない。
本魔王の膨大な知識量から繰り出される描写とストーリーは慣れるとかなりツボになる。
登場人物も俺やそのほかがベースとなっているとは思えないほどにクールだ。
少なくとも、俺が生前趣味にしていた妄想小説よりは遥かに面白いし読み応えがある。嫉妬の炎が燃え盛りそう。
「芳しくないとは言ってたけど、献上してくれる額はかなりのものだ。ぶっちゃけどの程度だ?」
「まあ、ランキングには乗れる。乗れるんだがトップには立てない。そんなところだ」
「十分じゃねえか」
「この本魔王が、長年夢見た人間との文化的交流、その上でこのざまだとなると……ぬぅ」
ブッキーの頭に血が上っているらしい。とはいえ憤怒の力でどうにかなるような問題ではない。
「結局は好みの問題だからな。人の感性を刺激するだけじゃトップは無理だ。その上で何かが必要なんだろうな。俺は知らないけど」
そしてたぶん、俺はそれが好きじゃない。
好きじゃないから、はなからそんなところに手を伸ばさない。
妄想はただ自分のために。創るのは自分、楽しむのも自分。
限り無く純粋だからこそ、俺は妄想を愛しているわけだ。
「それで、まだ続けるのか」
「言うまでもない」
そう言ってブッキーは白紙の本と向き合う。
俺からしたら物好きにしか見えないが、好きなら仕方ない。
「さて、俺はそろそろ出る」
「もう少しゆっくりしていけ」
「いや、邪魔したら悪いし」
「誰も邪魔とは言ってない」
まあ、別にやることもないからいいのだが……そうなると、やることが無いことが問題になってくる。
「ブッキー、暇だ。やることが無い」
そう言うと、ブッキーは傍らに置いてある本を無造作に投げつけてきた。
空中から手にとって、表紙を見るとそれはごく普通の市販のノートだった。
「新作だ。感想を聞かせてくれ。あとそこらへんに転がっている野歯人間が書いた参考資料だ」
「なるほど」
俺はとりあえず手渡された新作とやらに手を付けることにした。
やはり本魔王なだけあって、魔法主体のファンタジーもの。
一冊の魔本が青年に拾われ、日常の中に隠れていた非日常の世界に脚を引きずり込まれる物語。中々面白い。
その辺に転がっているという本……といっても、本魔王が本を粗末に扱うはずもなく。
長机の上にブックスタンドできちんと並べられている。
最初の一冊目は、とある若者が転生し、いsケア意で自分の理想を叶える者が足り。
次の本はさっきの物語と同じ世界で、さっきと異なる少女が理想を叶える為に友達を作る物語。
その次は異世界に転移した男が前世の悪夢に終われる話。
あとはロボットと天使の錬内の話。
人類が滅んだあとの神と悪魔の話。
夢を見た子供が異世界から帰る話。
「……ふぅ」
とりあえず、机の上においてあった本は読破した。
どれくらいの時間が経ったのかは分からない。ここには窓が無い上、この空間にはリステアですら入ることは出来ない。
そんな場所を好き勝手出入りしそうな奴といえば、一人心当たりがあるけれど。
「どうだった」
「ああ、全部面白かった」
「そんなことは分かっている。私が聞きたいのは、私のと比べて何が異なるのかだ」
「何って……あー」
なるほど、それはいけない。とても危ない考え方をしている。
「ブッキー、お前もしかして競おうとしているのか?」
「そんなつもりはない。自分では自分の特徴に気付きにくいから、お前に炙りだしてもらおうと思ったに過ぎない」
「そうか。まあ、ぶっちゃけ俺にはどれも同じように見えたが、そうだな。趣旨がそれぞれ違ったな」
「趣旨……」
「物語のメッセージ性というか、何を表現したいのか。願いというか、祈りというか。理想的なものへの憧憬を感じた」
「理想への憧憬……なるほど」
こうしたい、こうなりたい、こうでありたいという願望。いわゆる妄想。
「まるで俺が妄想嫁との出会いを願った時のような、素敵な想いが綴られていた」
「なるほど、お前はそこを重視するのか」
「結局、妄想と創作なんてそれがすべてだからな。自分の中にある欲望や羨望、希望や願望をあらん限り詰め込んだ宝箱が妄想だ。それをどう彩り飾るかはオプションで、それが綴られる空想や語られる幻想になる」
「参考にさせてもらう。ところで、実際のところ、私の新作は何番目くらいに面白かった?」
「そうだなぁ……やっぱりお前の新作が、俺には一番しっくり来たな」
「……そうか」
そして俺は再び手持ち無沙汰になる。
喉が渇いたので魔法で水を出しては飲み、コーヒーのような味付けをして飲んだり。
「あの、いつまでここにいれば?」
「お前はリムルと違って静かで落ち着くんだ。……レクト」
唐突にブッキーの筆が止まる。真剣な眼差しでこちらを見られても困る。
「ありがとう。お前には心の底から礼を言わなければならない」
「ど、どういう風の吹き回しだ……?」
「私が、私たちがここまで来るとは、夢にも思わなかったんだよ、レクト」
ブッキーの言葉は、随分と真剣みを帯びていた。
なにこれ、真面目な話するの? 今そういうムードになってたの?
「恐らく、お前に与した魔の誰もが、夢のような話だと思っていただろう。リムルはともかく」
「ああ、リムルはともかくな」
ブッキーはくすくすと笑う。
「すまないが、私もどこかで頓挫すると思っていた。前の魔王の件もあるしな」
「前の魔王かぁ」
前の魔王は俺のように転生したわけではない。
この世界に居るから人間の一人。悪魔の加護を受けただけの生身の人間。勇者でもなく、聖女でもない。
「あの頃の悲劇がチラついて、誰もが心の中で怖気ていた。それでもお前はやり遂げて見せた。私との契約すら果たしてみせた」
「そりゃ当然だろ、悪魔は契約は守るものだ」
「であってもだ。見事やり遂げたその偉なる業、私は本魔王として敬服せざるを得ない」
どうやらブッキーは俺のことを高く評価しているらしい。
「っても、なんで今更そんなことを?」
「……今まで、こうしてきちんと礼を言うことがなかった。ずっと図書館の奥底で眠っているだけだと思っていた私が、こうして日の光の下にいるなんて思いもしない。契約は果たされるべきだが、私にこんな契約を持ち込んできてくれた事に対する、感謝だ」
「なぁるほどぉ? でも日の光の下と言う割には結局こんなところで引き篭もってるんだな」
「本当に、初めて会ったときと様変わったものだ。あの時は悪逆は知っても悪徳は知らず、悪辣を吐き違えて冷徹だったな?」
憤怒がメラメラと燃え出しているのを感じる。
ブッキーはクールに見えて煽り耐性がまるでないからな。
「ふぅ……それに、リムルのこともある。よく最後までアイツの相棒でいてくれた」
「まあ、色々世話してもらったし……」
なんだかんだあいつは親身に考えてくれるという、悪魔のくせにいい奴だ。
もちろんことあるごとにイタズラするわ悪ふざけするわで、ブッキーを怒らせ俺を怒らせするが、こっちが困っているときは頼んでも居ないのに首を突っ込んでは、大胆さと奇抜さで足踏みする俺を引っ張ろうとする。
「アイツの数少ないいいところが凄まじいよな」
「分かる。行動力がずば抜けてるっていうか、怖いもの無しなんだよな」
あんなに頼り甲斐のある奴、そうは居ない。
俺はそれを人間が好きだから媚びてるのかと思っていたのだが、それがそうでもなかった。
「アイツは仲間は大切にする奴だ。傲慢ゆえか余裕もあり、その在り方がゆえに人に左右されない強固さをもつ。まったくさすがは一つ目の罪業といったところだ」
「まぁ、これからもよろしくやっていくさ。もちろんお前ともな」
「……こちらこそ、よろしく」
「そういうところはリムルがからかうだけあって本当に可愛いな」
「うなっ……く、縊られたいかッ!」
「はは、怒るな怒るな。今は目の前の原稿を感性させることに集中したほうがいいだろう?」
渋々、ブッキーは怒気を引っ込めて目の前の課題に意識を移した。
本魔王とはこれからも仲良く出来そうだ。
俺は気まぐれにコーヒーでも淹れてやったりして、もうしばらく居心地のいいこの空間に入り浸ることにした。
どれだけの時間が経ったか、ふと部屋が僅かに揺れた。
「ッチ、来たな」
「舌打ちなんてひどいぜブッキー。私たちは親友だろー?」
ギシリと部屋が軋む音。
重い扉が開かれるような音と共に、部屋の一角に魔法陣が現れる。
それが光を放つと、リムルの姿が幻影のように浮かび上がった。
「勝手に入ってくるなと何度言えば分かる」
「まあまあ、いーじゃんか別に。それとも本の貸し出しを再開してくれるのか?」
「オマエには二度と貸し出しはしない。読むならここで読め」
どうやらリムルには貸し出し禁止が言い渡されているらしい。
もっと者を大切に扱えないのかこいつは。
ブッキーの対応も妥当と言うか、仕方ないな。
「あっ、なんだレクト、こんなところに居たのか。お前のワイフが探してたぞ。客が来てるって」
「どうせまたレクスだろう? 毎日ほんと飽きずに来るよなぁ」
「楽しそうでいいじゃん。それに、もう少ししたら暫くは会えない」
「うん? どういうことだ?」
「で、こっからは私の用事だ。レクト、ちょっと旅に出てみないか?」
お似合いの企むような笑みを顔に貼り付けて、裏で何考えてのか分からないことを言い出す。
俺はブッキーと顔を見合わせ、意図せずして同時に息を洩らした。
「で、どこに行くって?」
「北方にある氷雪の国、東方にある妖幻の国、後は西の方にある機械仕掛けの国も行ってみたいな?」
「つまり、旅行がしたいのか」
「冒険だっての! 胸躍る大冒険! 私の相棒は人間! お前の相棒は悪魔! 最高にわくわくするだろ? えぇ!?」
「お、おう……」
「それにな、そっちらへんの国は同盟国じゃないだろ? ここらへんって打倒悪魔で正教が束ねてたらしいから、そろそろ不安定になるかもってクリスティアが言ってた」
なるほど、さすがに一国だけで悪魔と争うというわけではなかったのか。
その辺りの詳しい話はリステアから聞くとしよう。
「ちょっと牽制しに行くだけでも、な? リステアとハネムーンもまだだろ?」
「ハネムーンにそんな友好的かどうかも知らない他国に行けるかッ……まあ、一理ある」
ハネムーンはともかくとして、せっかく手に入れた悪魔との友好、そのせいで攻めいれられては台無しになりかねない。
お隣さんってことで挨拶する気分で行くしかない。
「分かったよリムル。お前の口車に乗ってやる」
「そうこなくっちゃな!」
「ただし、何はともあれリステアを守れよ。傷の一筋もつけない勢いで」
「勝手に転ばれたらどうしようもないけどな!」
まあ、ただでは済むまい。なんとなくそんな気がする。
とはいえどうにかならないこともないだろう。死ぬほど面倒だが、ここまでの労力が無駄になるのは今この瞬間の怠惰より惜しい。
「はぁ……面倒だなまったく」
「楽しめよレクト。ここはドキドキワクワクするところだぜ?」
「肩透かしにならないことを祈るとしよう」
さしあたって、防寒着の用意から始めようか。




