三十九柱目 狂信者
「テメェに教えることはねえ。帰れ」
「そこをなんとか! 今のところ一番狂信者に狙われそうなのはアルスさんしか居ない」
俺はアルスの部屋を訪れていた。
勇者にしてはやけに粗雑な部屋で、やたら物に溢れていた。
二つのベッドのうち一つは四人くらいの女性があられもない姿で休憩を取っているが、まあそこは俺には関係ない。
彼も半裸だが、俺には彼の性事情なんて興味は無い。
俺が彼を訪ねたのは、件の狂信者とやらが今もっとも警戒し、天罰を与えて来そうな存在がアルス・ティラノレックスだと思ったから、知ってるかどうかを確認したかったからだ。
「そもそも、お前は勇者になったらどうするつもりなんだ?」
「なんでそれをお前に話さなきゃならねえんだよ。つーかさっさと出てけ」
「釣れないなぁ」
さっきからずっとこの調子だ。
部屋の外まで盛んな音声が聞こえてくるからわざわざ終えるまで待っていたというのに。
「そもそもテメェはどうなんだよ。俺を倒す実力ってことは、現役勇者より余程強いってことだ。それほどの力があってどうして好き勝手しねぇんだ?」
「あー、してないわけではないんだけどな」
魔王に生み出されて異教や商人を味方につけた一人の邪教徒が勇者やってる時点で好き勝手やってるよな。
「それとも、お前もアダマスみたいに人や正義とやらに使われるのが好きなタチか?」
「とんでもない。俺は善悪に関わらずやりたいことはやるし、やりたくないことはやらない。人間嫌いの勇者さ」
まあそれは全部リステア絡みなんだけどな。
「ふーん、そうかい」
アルスは不意に俺から視線を外す。
何を見ているのかと思ったら、思わぬことを聞いてきた。
「あの女の中で、どれが一番好みだ?」
「あっ?」
視線の先にはベッドで休む四人の女。
娼婦なのか、レクトが抱えた聖女の一部なのかは分からない。そういえば邪教の嫁の四人は元気にしているだろうか。
「ふむ……」
年齢はどれも同じくらいだろう。
左のピンク髪と二番目の黒髪ロングは特に胸が大きい。
ピンクの方は呑気に寝息を立てているし、黒髪ロングは怯えた瞳でこちらを見ている。
その右は鋭い眼光を向ける金髪の少女。右端は緑のショートヘア、きょとんとした顔をしている。
「さあ選べ、どれが好みだ?」
アルスが見ているのは四人の女ではなく、俺だ。
ホモでもない限り、これは俺の選択によって何かを見定めようとしているのだろう。
なんだか知らないが、下手に誤魔化しても意味はないだろう。ならここは正直に。
「……全部だ。乳房、いや極上の女体に優劣など無い。それぞれの魅力をそれぞれに愛でる。美の形を搾るなど勿体無いことするなんて愚行もいいところだ」
リステアと会う前ならこんな答えは出せなかった。
だが、俺はもうリステアに出会い、全てを許された。
リステアに愛されている以上、俺がリステアを愛している限り、何も問題はない。
さて、アルスの反応は……。
「どうやら俺はテメェを、アンタを勘違いしてたようだな。糞つまらない正教の奴等とは違うらしい」
「そりゃ俺は……あー異教だったからな」
「ハッ、どっちにしろ神の使いっぱしりには違いないわけだ」
人聞きの悪いことを、俺は別に服従を誓ったりしているわけじゃない。
「神はただの雇い主だ。俺は俺のためにやってるだけ」
「どうでもいいが、異境にも色々あんだな。まあ俺は無神論者だから関係ねぇけど」
「なんで勇者になったんだよ……」
すると、急にアルスの眼が据わる。
まずい、機嫌を損ねたか?
「なぜ? なぜかって? そんなの決まってるだろうが。この正教を俺のモノにするためだ」
「な、なんて?」
正教を自分のモノにするとは、随分と話がでかすぎる。
一体何を考えてるんだこの破天荒。
「この世に蔓延るカス、力はあるのに下らないクズ、口だけは達者なザコ。そういう気に食わない奴全員、俺様が地面に捻じ伏せる。そのための正教だ。正教はそのためのツールなんだよ」
「うわぁ、不敬極まりない」
思わず口に出してしまったが、しかし思わず笑みが浮かんでしまう。
「でも悪くない。とても異教向きな考えだ」
ダクネシアの、<黒の太陽>はもともとそういうのを大事にする宗教だ。
力ある者、力を求める者、強くある者、強くあろうとする者を尊び、そういう輩にこそ価値を見出す。
そして最も強き者には神の如き待遇が与えられる。とはいえそれも一年の間だけで、その心臓は神に捧げられる。栄枯と盛衰が必定であるがゆえの、神の定めた宿命だ。
「だから狂信者なんぞ返り討ちにすればいい。そうでなければ意味が無い」
芯まで筋が通っていていっそ清清しいほど。
だが、そうなるとこっちが差し出せるメリットが無い。
向こうは独力至上主義なのだから、援助そのものが障害だ。
「だが、アンタには負けちまった。ムカつくが、それは事実だ」
「ふむ」
「だからこそお前には俺を従える権利がある。俺がアンタより弱いうちは従ってやる」
ああ、そうか。そうなるのか。
力を信仰しているが故に、自分より強い存在には従わなければ嘘になってしまう。
「だが、アンタが俺に負けた時は、俺に従ってもらう。この盟約を違えない限りはアンタの手伝いくらいはしてやる」
思わぬ形で交渉が成立してしまった。
そうか、まったく実力主義も大変だな。とはいえ相応の実力をもっているからそっちのほうがマシなんだろう。
「んじゃあ早速アンタの腕を試させてもらう」
「えっ、どういうことだ?」
「言ったろうが。アンタが俺より強ければ従ってやるってな。逆にアンタも従えれば便利そうだ」
間違いない。こいつは完全に魔界向きだ。
まあ理解してもらおうという気も無いのが、実力主義のはた迷惑なところだが。
ということで、アルスとの二度目の戦闘。
「それじゃあ覚悟はいいか?」
「良くない良くない。待って待って」
「んだぁ? 俺を一度でも打倒した男なら、もっとドンと構えろやッ!」
「いやだっておかしいだろ! なんでそっちの聖女四人なんだよ」
「は?」
いや、は? ではなくて。流石に五対一は卑怯にも程がある。
驚くべきことに、俺に品定めさせた四人の女性、全員がアルスの抱えた聖女だった。
それぞれ確かに神通力を有し、聖女の加護を与えることが出来る。
つまり俺にとって言えば天敵の群れであり、ダメージ効率は二倍×四人で八倍だ。
これは一撃死も仕方ない。
「そもそも聖女は勇者一人につき一人のはず……」
「正教のルールなんざ知るかよ。こいつらは全員、俺様が選んだ聖女だ」
あーもう実力主義者。だがなるほど戦略としては非常に良い。
そりゃ一人の聖女で数人にバフかけるよりは、数人の聖女で一人にバフかけたほうが火力馬鹿には合っている。
基本的にセンス頼りの脳みそ縛りには丁度よかろう。俺も人のことは言えない。
「よろしくお願いしま……ふわぁ~」
「よろしくでーす」
「しゃっす」
「見てなさい! コッペパンにしてやるわ!」
しかしこいつら全体的にやる気が見られないけど大丈夫なのだろうか。
そういえばアダマスには人の才を見抜く力があるそうだが、アルスにそんな力があるなんて話は聞いたことが無い。
「大丈夫ですレクト。私がついています」
まあリステアもいるし大丈夫か。
リステアはなぜか俺への加護だけすごいからな。
銀髪の聖女の評判は、実際確かに優秀だった。
人の神通力は真似できるし、持っている聖なる力もトップクラス。
ただ欠点として、聖女の加護といういわゆる勇者へのバフがどうしてもショボく、オリジナルの神通力を持たないというのがあった。
神通力は杖の技量ということで誤魔化していたようだが、さすがに勇者にまともな加護を与えられないというのは聖女として致命的だった。
そういうこともあって、俺はリステアにとって唯一無二ののパートナーと呼ばれるまでに至った。
アルスやアダマスを倒したという実績もあるし。
「それにしても五対二って……」
「つべこべ言ってないで、さっさと構えろ。でなきゃ勝手に始めんぞ」
「分かった分かった……リステア、よろしく」
「はい、レクト。貴方に加護と祝福がありますように」
ふわりと飛び込んできたリステア。
こちらに身を差し出し、柔らかな唇が触れる。
寄せ合う体の温もりと感触をたっぷり五秒ほど味わって、加護は完了する。
「……うん、いい感じ」
「では、行きましょう」
離れると、リステアは腰にある杖を抜く。
俺も剣を抜くが、これは俺が生み出した剣だ。
モリオンオブジソード。これを一般的な剣に擬態させたものだ。
正教史上初、勇者と共に前衛に立つ聖女。しかも得物は棒杖。
対する敵は天災級の勇者に加えて聖女四人。
「準備はいいなッ!?」
血気盛んに叫ぶアルスは、白く輝く聖女の加護を纏い、一気に飛び出る。
俺もリステアを庇うために前に出て構え、迎撃の一打をあてがう。
「ッラ!」
「ぐぬっ」
一見すると無造作なアルスの一撃を黒水晶の剣で受ける。
その一打の重さは、もはや人外の域に達していた。受けた俺の足が地面にめり込む。
これが聖女の加護を受けた勇者の一撃か。なるほど、これなら悪魔にも対抗し得る。
だが、それよりも驚くべきはリステアの加護か。
確かに一撃は重いが、それでも軽い。聖女四人分の加護をリステアが補っているとでも言うのか。
「ハァッ!」
狂戦士じみたアルスの笑み。
そして繰り出されるのは目で追いきれないほどの体運び。
気が付けば左側面に回りこんでいて、一撃を受け止めたかと思えば既に右側面に移動を終えている。
一人を相手にしているはずなのにも関わらず、数人同時に相手しているような気分になる。
「オラオラどうしたッ! まさかマグレで俺様を倒したなんて言わねぇよなぁ!?」
「それはもちろん」
だが、それは追いつけないというほどのものでもない。
「オッ……」
一歩下がり、踏み込んできた所に渾身の斬撃を見舞うと、アルスの体は軽々と吹き飛んだ。
魔人間の膂力とリステアの加護を合わせた過剰な馬力から繰り出される一撃、さすがのアルスも抑え切れないようだ。
「膂力はこちらの方が上だ」
「ハッ、馬鹿力め」
その表情は、心底から楽しんでいるのが分かる笑みに満ちていた。
奇妙だ。不気味だ。何かしら企んでいるのか、少なくとも向こうに勝算があるのだろう。
長引かせると不味いか。
「安心しろよ。すぐに終わらせてやる……真正面からだ」
「な、なんて男らしい……」
「レクト、どうかお気をつけて」
分かっている。俺が怪力なら、あれは瞬発力。
距離を取ったのは、それを活かすためだろう。
さて、どれほどのものか。
それは獣の前傾姿勢。左手の指三つを地に着け、頭は低く、足は地面をしっかりと掴み、右手の剣は尾のごとく揺らめいている。
「……カッ!」
地雷と化したアルスの足が、地面を弾き土を散らす。
人間大の弾丸が超高速、しかも二歩目で更に加速、三歩目で剣の動きが定まる。
刹那。
「死、ねェッ!」
一足で詰められた間合い、ド直球な一言と一撃が、俺の振るう剣とぶつかり合う。
だが俺も無策で受けてはいない。
「ぐぬッ……」
魔人間の馬力、聖女の加護だけでは、さすがにこの一撃は受け止めきれない。
だが俺にはもう一つ、自らの力を底上げする術がある。
「魔力出力・最大ッ!」
剣に通した魔力は、純粋な威力へと変換される。
それは切れ味であり、破壊力であり、魔力が起こす魔法という現象そのものでもある。
奇跡が理不尽ならば、魔法は不条理だ。この世の条理を捻じ曲げる作用を持つ。
ならば、四人分の奇跡を帯びた一太刀に敵うとすれば、それは人ならざる者の魔法だ。
聖女の奇跡を守護り、もたらされる一閃撃は究極の魔法。
奇跡と魔法、そして技巧を束ね昇華を成した、其は魔技。
「魔技・黒き守護<マギ・モリオン・カンゴーム>」
見惚れるほどに深い黒の奥に、紫色の光が煌く。
聖女の加護である光を全て飲み込み、モリオンの剣はその闇を湛える。
勢いを完全に削がれ、加護すら失ったアルスは、しかし一歩も引かなかった。
「俺の技を……<フルバースト>の威力を完全に殺しやがったな……魔技だと?」
アルスが振り返ると、四人の聖女は一人が気を失い、一人が倒れ、一人も跪き、もう一人も立っているのもやっとというところ。
「クソッ、なんだ今の技は。加護を引っぺがす技なんて聞いたことがねぇ」
「俺もだ」
正直な話、やろうと思ってやったわけではない。
ただ偶然、そうなった。
俺がやろうとしていたのは、ただアルスの一撃に匹敵する威力の技を繰り出すこと。
加護を与える聖女を昏倒させるような技をイメージしたつもりはない。
「クソが。もしかしてお前も俺と同じ天才か?」
「お前はどっちかというと天災の方では?」
「ちげぇねぇや」
自覚はあるのか……。
まあ兎も角、アルスの聖女は昏倒状態で戦闘続行は不可能。無事に俺は勝利をおさめたわけで、これでアルスと共闘関係になったわけだ。
いやぁ、良かった良かった。
なのに、よほど負けたのが悔しかったのか、アルスの表情は不機嫌そうだ。
「おい、テメェッ!」
「うおっ!?」
不意にアルスが弾けた様にこちらに手を伸ばすので、思わず後ろに後ずさってしまった。
そこまでキレることないだろうに。そう思った瞬間、背中にサクリと何かが差し込まれた感覚を覚える。
「なっ……」
「馬鹿がッ!」
アルスに胸ぐらを掴まれ、強引に引き戻される。
差し込まれた何かが抜けたのか、異物感は消えたものの激しい痛みが続く。
「レクトッ!」
「っ……」
リステアの声が聞こえる。
返事をしようと思ったが、なぜか声が出ない。体に力が入らない。息が苦しい……。
「おい、しっかりしろッ!」
なんだ、何が起きている?
俺は今、何をされた? アルスは何をしている? リステアはどうして俺の名を叫んだ?
疑問が溢れ出る中、初めて聞く声が耳朶を叩く。
「ここに神罰は下った。我はJ、生ける神罰が一人」
薄れゆく意識の中で、黒いボロ布を纏う少女の姿と、その声に、ふと思った。
子供でも、狂信者になれるのか。
<サイド:リステア>
飛び掛ってしまいそうな衝動を抑えるので精一杯でした。
まだレクトは生きている。それがなんとか私を押し留める理由でした。
加護はまだ続いています。私の加護は、彼を決して死なせることはない。
ですが……。
「貴方が白銀の聖女様ですね。お初にお目にかかります」
黒い外套で身を覆うその声は、幼い少女のものでした。
右手から伸びる刃物は大型のサバイバルナイフ。彼の血が、レクトの血が滴っている。
「私は狂信者のJ。名前はジャガー・ジャックです。よろしくお願いします」
「ジャック……」
「急なことで驚かせてしまってごめんなさい……でも、この人たちは不穏分子だったから……」
「不穏分子?」
「はん、はん……」
「叛逆者と言いてぇのか?」
横一閃の斬撃が、ジャックの居た虚空を裂いた。
軽やかに舞う黒のジャックはアルスの背後に着地した。
「過激派風情が、この俺とレクトに何の用だ?」
「えっと……私の任務は、銀の聖女の保護、不穏分子の排除、だよ」
「まあ、そうなるだろうな」
不穏分子。その言葉を聞けば、誰もが納得するでしょう。
アルスといえば実力だけで勇者になった、いわば乱暴者。
現役勇者を軽々と凌駕するその腕を前にすれば、教師でさえも制御が出来ず、その実力が貴重であるがゆえに手放すことも出来なかった。
でもそれもここまで、他の勢力に渡らせたくないからと、本格的に消しに来たのでしょう。
「なら、レクトはアルスと関わったというだけで殺されたというのですか」
「うん。でも仕方ないよ。これも天罰だから。神様はいつだって正しい」
「そうですか……なら」
「ちょっとテメェ黙ってろ。こっちは俺がやっつけとくから、さっさと相方を癒してやれ」
アルスは振り返り、自分より頭二つ分低い黒外套と向かいあう。
剣はどこから取り出したのか、もう一本の剣を手に二刀流。
「畜生の匂いだ……テメェからはよく匂う。薄汚いドブネズミと血の匂い」
黒い外套の影、黒髪の隙間から覗く金色の瞳。
血が通っているのか疑わしくなるほどの白い手と、白銀のナイフ。
「えっと、貴方は神から賜りし多くの聖女を独占しました。神を敬わず、犯し、殺し、盗み……」
「小難しい言い方してんじゃねえ。つまり何が気に食わねぇって?」
「えと、十戒を破って悪いことをたくさんしたから、殺します」
「最初からそう言えばいいじゃねえか……後悔すんなよ」
アルスは決して細くない剣を、まるで木の枝でも扱うかのように振るい、ジャックに向けます。
どうにか二人が自分達の世界に入り込んでいる間に、私はなんとかレクトの元へと辿り着きました。
「レクト、しっかりしてくださいレクト!」
出血は……ない。その代わりに呼吸も無い。しかし鼓動はある。
しかし外傷は確かに首と背中にあります。なにがどうなって……。
いえ、とにかく手当てです。聖女の加護なら治癒力を高めることも出来ます。
パックリと開いた傷口に手を当て、柔らかな緑色の光を放ちます。
どう考えても致命傷。それでも生きているならば、絶対に死なせはしません。
渾身の奇跡を込めて、私はレクトの傷を癒します。
「お願いですレクト。流石にこんなところで心中はしたくありません」




