二十五柱目 著者は魔本
ガルゥが教えてくれたので睡眠を中断し、集ってきた魔物を掃討することにした。
群れを成すは、黒い毛並みに白い尾の、八つ足の狼のような奴だった。
いつかの時のように飛び掛ってくる狼の首を掴んでは鈍器のように振り回し、他の狼が飛び掛ってきたところを迎撃して叩き落す。
あらかた片付いたかと思うと今度はやたら大きなスケルトンが、紫色のボールに羽を付けて眼球の絵を書いたような奴らを引き連れてきた。
「アンデッドなら火が効くのが定石なんだが……リムル?」
おかしい、リムルからのアドバイス、というより茶々が入らない。
まあ試せば分かるか。
「我が心よ魔を湧かせ、我が力よ魔を掴め。以下略、灯せ!」
省略したので最大火力とは行かないが、収束した火炎の柱は拳大の太さを持って巨大なスケルトンの額を融解させ、穴を穿つ。
その明かりの凄まじさは夜が一時的に昼になったかのような光で、崩れてゆく骸骨以外の魔物は慄いて逃げ去ってしまった。
「リムルー、生きてるかー」
「なん、とか……」
「よくも我が黒歴史を穿り返してくれたな」
「あーッ! ごめんなさい! マジで! いやほんとごめんて!」
どうやらリムルはブッキーからの拷問を受けて茶々を入れるどころではなかったらしい。
鎖でぐるぐる巻きにされた挙句吊るされて火炙りにされている。
「相棒これやばい! マジあっついから助けて! 相棒ーっ!」
「まあ勝手に他人の黒歴史公開したらそうなるわなぁ」
まさに自業自得。傲慢のリムルめ、業慢がすぎたな。
「でも、俺もそれは読んでみたい。全知全能なんて今時使わないフレーズだよな」
「ふん……気が向いたら読ませてやる。だが今はリムルがあのザマ。私が続きを話そう」
<サイド:本魔王>
少なくとも魔王を自称する者として、たとえ淫魔王の娘といえども、こちらが敗北するつもりは無かった。
しかし、淫魔王の娘だからこそ気が緩んでいたのかもしれない。
静止した空間の中で、私の喉へと手を伸ばすリムルの姿に目を奪われていた。
「まさか、私にここまで迫るとは」
淫魔とは決して戦闘に長けた形態ではない。
自分と対等、あるいは下位の存在に対しては魅了の魔眼も効くだろうが、私にはそれくらいの対策は次の瞬間には用意できる。
私が女性の形態だからといって、インキュバスに変化したところでなんら問題は無いし、近接戦闘でも魔力操作による身体強化や超常現象で十分対処できるはずだった。
いや、サキュバスという特殊な存在が、あの重力魔法を弾き返すほどの魔力を発揮するなどありえないはずだったのだ。
しかも魔法の詠唱を囮にし、私に慌てて無効化魔法をさせた隙を突いての攻撃なんて、サキュバスにしては戦闘慣れしすぎている。
魔術とは術式があって成り立ち、魔法とは魔力があって成り立つ。
ディスペルが出来るのは術式を。魔法という現象を狂わせて打ち消す。自身の内にある魔力をシンプルに魔力のままに圧縮し爆発させるなど、とても淫魔がする発想ではない。
しかもその隙を突いて繰り出した一撃は、この場所でなければ確実に私の喉を抉っていた。
「悪いが、この魔窟図書館に居る限りお前に勝利はない。私への攻撃が達する瞬間、館内の時空間はその時点で停止、保存される。お前は保存された私を目の前にして、動くこともままなるまい」
そうなれば精神を除いた全てがそのままだ。
肉体は劣化しないが指先一つ動かせず、魔力の操作も出来ず、魔法も扱えず。
「これが封印というやつだよ、小娘。まあ聞こえていないだろうが」
悪魔は死なない。水や火がこの世から消えることがないように、私たちもまたなくなることは無い。
だがそれを封じることはできる。火を起こさないように、水を流さないように。
魔本を収容するためにかけられた魔法、無限に拡がる内部空間と不落の要塞を成す外壁。
そして脅威を停止させ保存する極致の魔術。
この全てをもって、私は本魔王の名乗りを上げることが叶った。
「しかし見事な。何故たかが淫魔がこれほどの戦闘センスを発揮したのか。淫魔王ですらそこまでの戦い方はできまい」
リルムという一匹の淫魔の戦いぶりが、私の関心を抱かせた。
これほどの力と技をもって、なにゆえ転身を望むのか。
恵まれた環境、恵まれた出自にありながら、その優れた才能をリセットし、別の存在にへと組み替える必要性がどこにある。
魔本である私は知識欲の塊でもある。逆に言えば、知識欲こそ私の力の根源である。
知識欲が知識を、知識が智慧を、叡智を積み上げる。
早い話が、小説のネタになると思った。
それもあって、私はこのリルムという淫魔を転身させ、当分の間は図書館に置いておくことにした。
彼女自身も転身してしまった以上、簡単に帰れるはずもない。
まあ事実上匿ってしまっているわけだが、問題あるまい。もはやリルムは淫魔ではないからな。淫魔王も諦めることだろう
「なぁ、次のは?」
「今書いている。ちょっと待て」
「それ一ヶ月前にも聞いた気がするぞ」
本当にただの単細胞バカではないらしい。活字に慣れていないと言っていたリルムは、数百冊にも及ぶ私の本を読破しつつあった。
しかも私の執筆ペースより速い。
「いやぁ面白いかった! 次が楽しみだ!」
「……そうか」
別に嬉しくなんか無い。むしろ私のオリジナリティ溢れる面白さを容易に理解されて悔しいくらいだ。本当に。
「で、次まだ?」
「……うるさい、詰まった」
より正確に言えばネタが切れた。
事象改変や即死系、様々な相手に対してあらゆる手段をもって対抗し、捻じ伏せてきた結果、もはや新しい強力な敵を作れなくなった。
チートも極めすぎると良くない。いや、もうそろそろ終わらせる時期なのだろうか。
とはいえこのままではラスボスが思いつかない。
「強い敵……何かとんでもなく強い敵は」
「いや、いるだろ。強い敵なんていくらでも。魔神とか」
「魔神も魔王もやりつくした。すべての魔神の能力を補って余りある魔本使いとしてな」
「うーん、じゃあもうアレしかないだろ。神」
神。善と悪を分け、私たちを悪魔という概念に追いやった存在。
かつて数多くの神が人を治め、導き、誑かした。
しかし、あるとき最も力を持つ二柱の神がぶつかり合い、パワーバランスが一気に偏ってしまった。
その一時的な力の優劣によって、この世の法理は神のものとなった。
聖と邪、光と闇、天使と悪魔という相対の概念を創り、自分以外の等しい概念を全て悪魔とした。人間界を中心として天界と魔界が生まれた。
それまでは全てが一つの世界に存在していた。
楽園も地獄もそこにあった。生者も亡者もそこにいた。
誰もが活き活きと在り方を謳歌し、混沌なる神代だった。ちなみにその頃は神も死んだりしていた。
それが今となっては、悪魔は増えもせず減りもしない不死身の存在になった。
逆に人間は決定的に神や魔よりも貧弱な生き物になった。昔は心臓潰しても死なない人間が稀に居るくらいだったのに、今では簡単に死ぬ。
しかし神か。神がラスボスか。
悪魔である以上、打倒神は至上の命題である。宿命と言っても良い。
だが散々チート悪魔共を倒した果てに、どういう能力ならばこれまでのチート悪魔を凌駕する神になるのか見当が付かない。
「全知全能の本魔王に相対する神……」
こうして私の黒歴史小説は完成した。
最終的にほとんど共同制作になってしまったが、満足出来る本を創れた。
そんな日々の最中、その事件は起こった。
誰もが知る、悪魔の人間界への侵攻だ。
一人の人間を魔王とし、私達は魔神として使役され、魔物を遣わす。
私とリルムは新たなネタ探しのために人間界へと向かった。
そして私達は垣間見た。脆弱な存在と化した貧弱な人間の内に宿る勇ましき夢と欲を。
理想を掲げ、野望を抱き進む者。圧倒的絶望の現実をひっくり返し、幻想への希望を標に駆ける者達。
妄想を体現する欲望に忠実な者、夢想を掴み、願望を話さず譲らない者、空想に生き、熱望を絶やさない者。
活き活きと輝く人間たちが居たものだが、今となっては才能を持て余している人間が多いようだ。神は何をやっているのやら。
「まあ、リムルとの出会いは大体そんな感じだ。リムルってのは転身後の名前」
ブッキーの話を最後まで聞き終えた。
リムルが最初に当たった仲間がブッキーだったのも、最も親しいからだったようだ。信頼できる仲間が居ることは良いことだ。
「それ名前変えた意味あるのか?」
「相棒ー……だずげでぐれー……」
流石にそろそろ可哀想になってきた。助けてやるか。
「なぁブッキー、そろそろ」
「駄目だ。お前はまだ魔界に生まれて日が浅いから理解してないのだろうが、純粋な悪魔というのはそれは狡賢いものだ。契約内容に嘘をつかないというだけで、それ以外では平気で嘘偽りを吐くし、欺き騙す畜生だぞ」
「うーん、それもそうか」
「納得するなよ相棒ォオオオ!」
「はっはっは。でもそろそろ俺も寝るから」
さすがに悲鳴を聞きながら寝るのは精神衛生的に良くない。
「……ならば仕方ない」
ブッキーが本を閉じると、リムルを縛り上げていた鎖も足元の猛火も消えうせ、地面に落ちたと思うと即座にすり寄ってきた。
「恩にきるぞ相棒! お礼に私をファッ○していいぞ!」
「しねぇって言ってるだろうが!」
「先にレクトにフ○ックさせるのは私よ!」
「お前も引っ込んでろフェチシア!」
喧しい上に鬱陶しい。俺はリステアより先に誰かに手をつけることはないとあれほど言っているのに、隙あらば迫ってくる。アトラとシロがこういうタイプでなくて本当によかった。
レクトは眠りに落ちた。
周囲の警戒は引き続きガルゥが行うから、敵襲に遅れを盗る心配は無い。
私は本魔王ブッキング。書き記し残す者。
大いなる魔の本。魔本となりうる物語を記し、記録する者である。
悪魔に寿命は無く、死ぬことも滅することも無い。
ゆえに娯楽としての本はいくらあっても困らず、むしろ作り続けなければならない。
しかし想像力というのにも限りがある。ゆえにこうして現実にある現象を死霊として、またそれが単体で物語として成立するのなら、それを伝記として残すことになっている。
ただそれだけでは私に得が無いので、特権として私視点で私シリーズの本として出版し、その印税はすべて私に入ってくることにした。
私は彼に期待している。
魔人間レクト。ダクネシアがどうやって<魔人間>という種族を創り出したのかは分からないが、彼がもし神代の時代の人間と同じであるならば、勇者や聖女にも十分対抗しうる。
場合によっては神にさえ届きうるはずだ。
そんな神秘的で奇跡的な存在を、本にしない手は無い。しかもそれを人間界にも広められる機会とくれば。
彼はリステアに夢中で何も知らない。否、知ろうとすらしない。興味すら抱かない。
普通の人間ならば、自らのその特別な存在と運命に高揚し、興奮し、高まる慢心を抑え切れまい。
欲しがったところで、誰もが手に入れることが出来るものではない、特別な出自、特別な自身。有象無象とは圧倒的に異なる質に。
それがどうして、ここまで一途になれるものか。
傲慢も憤怒も、強欲も色欲も、嫉妬も暴食も、怠惰さえも彼にとっては二の次だ。
愛欲のレクト。リステアへの愛だけで、勇者と聖女が闊歩する万里の魔境を踏破せんとする者。
愛。悪魔には最も似つかわしくないモノ。
しかしそれが大罪の一つに数えられるとすれば、それはただ独りの女性のために、いかなる業をも背負おうというタチのものだろう。
それは時に神への背信を意味する。
彼女を喜ばせるためなら富も権力も捧げ、悦ばせるためなら背徳の酒池肉林すら成して、守るための盾となり、敵を討つ剣となり。
一つ不安要素がある。彼が悪魔ではなく人間であることだ。
人間は弱い。神代の人間ですら、その心は時に簡単に崩れ去るものだ。
彼が捧げるリステアへの愛が己の求めて止まない欲望ではなく、愛という名の義務の糸に雁字搦めにされた傀儡にならなければ良いが。
悪魔とて仲間意識はある。親しい間柄の者に悲惨な末路を迎えさせたいとは思わない。
だからあの英雄志望の勇者の時も智慧を貸してやった。
その甲斐あってあの村には無事ダクネシア教徒専用の宿舎が建造され、活躍の場も用意された。
あの老兵勇者も、神を信仰しながらにしてレクトの従僕へと降した。
私の入れ知恵とはいえ、よくぞ成し遂げたものだ。彼が言うとおり、私の目から見ても頭が切れるとか知略謀略をめぐらせる頭脳の持ち主とも思えない。
だが一つだけ不安要素がある。
彼奴は独断であの勇者を生かした。自らの手駒を人質にされて尚、活かそうとした。
これはまずい。元来の優しさがいずれ枷になり始める頃合だ。
私が提案したのは、あの勇者を力ずくで捻じ伏せ、支配するプランだった。
人質にされた時点で明らかな敵対行動なのだから、潰してしまえばよかったのに。
悪魔の契約方法は二種類。
一つはお互いが対等である場合、その実力を認める。召喚された場合も同様、その労力とルールに従った聡明さに敬意を表する。
もう一つの方法が<征服と支配>というもの。血の気の多い悪魔が好む。相手を力で屈服させるもの。
これは神代の時代に流行っていた弱肉強食と盛者必衰に基づいてる。
そもそも人間界なんてリステアを攫ってさっさと立ち去ってしまえばいいのだ。
それをダクネシアが人間との友好などと空想じみたことを考えるから回りくどいことになった。
レクトもよく付き合っているものだが、それにしてもお人よしが過ぎる。
「まーた一人で考え込んでるなぁ?」
魔本の中の最深層、私の心そのものであるこの場所には、私の心が許した存在しか入り込めないはず。
「不快だが、認めざるを得ないというのがまた不快だ。お前の存在が私にとってそれほどのものであるというならば」
「なんのことだ? いや、それよりも」
深く仄暗い群青の底、静寂が響く空間に黒とピンクの騒音が轟く。
「お前はレクトのことを何も分かってないなぁブッキー」
「なんだと?」
「自称・人間嫌い。そんなあいつがこの先、人間とどうやって付き合っていくのか。それこそ記すに値するだろ?」
「何を書き記すかは私が決める。傲慢もほどほどにしておけ」
傲慢は本当に空気を読まず、こちらの心に土足で踏み入れる。
傲慢というのは無自覚なのが最も煩わしい。
「憤怒は本当に空気を読まないなぁ。誰にも心開かないし、憤怒ってのは無自覚なのが一番面倒だよな」
「こいつッ……」
「人の為に私憤もいいけど、少しは信頼してやれよー」
「うるさい消えろッ!」
「ヒヒッ! じゃあな、また明日!」
リムルの姿は水泡となって上へと上がっていく。
光が差す水面へと上がっていくのを見届け、私は水底を見つめて考える。
「人の為の私憤……か」
言われて初めて気付いた。誰かのために憤るなんて。
らしくないとも思ったが、憤怒の理由なんてものは何でも良い。そういう性質なのだから。
「まったく、だからアイツの傲慢は侮れん」
私の気付かないことに鋭く気付き、遠慮なく言ってのける。
私の見込みに狂いは無かったわけだ。
しかし、レクトを信頼しろとはどういう意味だ?
「信頼とは、私が奴に何かを頼ろうとしている?」
分からない。読者を大切にしたいという目的からか、愛読者への好印象か。
それとも、他者への敵愾心に共感でもしてしまったか?
答えは出ぬままに、深い青が私を疑問ごとまどろみのなかに引き込んでいく。
柔らかな水の感触が優しく私を包み込み、浮遊感が手足をほぐし、肩や腹まで弛緩させ、内臓の奥底まで脱力させる。
憤怒が唯一そのストレスから逃れるこの瞬間、睡眠は静かに、安らかに私の意識を溶かした。




