二十二柱目 魔人間と勇者
「調子はどうだ、シローネン」
「んっ、だいぶ、良くなってきました。すみません。このような……」
「気にするな。ここでお前に脱落されたら俺の面目が立たない。それにお前は今もこうして役目を果たせている」
シローネンの額を撫で、心地よさげな表情を浮かべるシローネンに癒される。
ふと美味そうな匂いがして振り返ると、土鍋を運ぶアトラが居た。
「美味そうだな」
「恐れ入ります。白米の味噌汁煮です」
土鍋から茶碗にとりわけ、味噌の味を堪能する。
やはり味噌はいいな。体に染み渡るというか。
というか前世での食材が異世界でも当たり前のように出てくるんだから驚きだ。
「それでレクト様、これからどうなさるおつもりですか?」
「お前たちはこのまま待機だ。俺はこれから勇者の面接に行って来るから」
「ぶっ……!?」
うわ汚い。危うくこっちにまでかかりそうになったぞ。
「大丈夫かアトラ。もうちょっと落ち着いて食べないと」
「いやそうではなく! 一体ぜんたい何がどうして、勇者の面接って……何するつもりですか?」
「大したことじゃない。リステアの事を聞いて、ついでに力比べして俺の名を広める。世の中ってのは力の無い奴には冷たいものだからな」
「そ、そんなことして私たちが異教徒だってバレたら……」
何を言っているのだアトラは。俺たちがするべきことを考えたら、むしろ逆だ。
「アトラ、俺たちの目的は簡単に言えば、この世界に異教徒を受け入れさせることだ。異教徒が敵ではないと思わせることだ。だから奴らを敵と認識するのは改めろ」
「しかしどうやって……」
「簡単だ。俺が異教徒を代表して、この村の勇者を打倒し、成り代わる」
「成り、変わる?」
そう、成り代わる。
この土地は最も魔境に近く、防波堤の役割をする場所。つまりこの場所が陥落すれば、それは世界が引っくり返りかけてるという事実に直面することになる。
人々は恐慌し、困惑し、混乱し、絶望する。
そんなときに人々が縋る対象は何か?
「アトラ、分かるか?」
「え、えっと……正義の味方?」
「不正解。正解は強者だ」
勇者と聖女、その二つに依存したこのコミュニティは、それがなくなった時のことを全く考えていない。だから慢心してこんな僻地に一般市民が紛れて生活しているんだ。傲慢にして、怠惰なことだな。
「勇者と聖女の威を借る人々、傲慢にして怠惰なる者共。そいつらを危険の只中に放り出し、そして俺たちが保護する」
「そ、そんなことが、出来るんですか?」
「出来なきゃそこでお終いだ。さて、せっかくやるなら楽しまなくちゃな、アトラ?」
不安そうにしているアトラに映る俺の笑みは、きっと悪魔的だったろうと思う。
勇者との面接を希望する者は、思いのほか多かった。
場所は勇者の自宅にある道場で行われるらしく、やたらでかい豪邸の前に人々が集まっていた。
「不釣合いなくらいに豪華な家だな」
「そりゃ当然さ。なんて言ったって勇者の家なんだからな」
呟いたつもりだが、隣のおっさんが話しかけてきた。斧を持ったハゲの大男だ。
「あんたは?」
「見ての通り、ただの斧戦士さ。お前さんは……武術家?」
なんだこいつ。いきなり話しかけてきて見て分かるようなことしか言わないのか。
相手するのも面倒だ。適当に流しておこう。
「まあそんなところだ」
「なぁ、良かったら俺と協力しないか?」
「は?」
「お前、ここらへんの人間じゃないだろ。俺は長い事ここに住んでいるから知ってるんだが、ここの面接は非常に乱暴でな。急に参加者に殺し合いさせるんだよ。お前はどう見ても斧戦士じゃないから、俺とジャンルが被らない。ジャンルが被らなければ生き残った時は両方採用されるから、俺とお前は互いを攻撃する必要が無い」
今回の勇者の仲間募集での要項は、一つのジャンルにつき一人ずつ採用するというものだ。
その条件で乱戦が起こるなら、なるほどジャンルの違う奴とは戦わないほうがいいのだろう。彼らは。
「そうだな」
「よし! それじゃあ俺とお前は戦わない。そういうことで……っと、勇者様が来たぞ」
豪邸の門がギリギリと音を立てながら開かれる。
第一印象は、極道だった。
両脇に付き添う戦士と剣士の風格もさることながら、防具一つ纏わず、竜虎の絵が描かれた一張羅。
服越しからも分かる、大男というほどではないが、それゆえに凝縮された筋肉の起伏。そこから勇者だからという慢心さは、厳つい顔からは見られない。
胡坐をかいて怠惰を貪るタイプの人間ではない。むしろ力で全てを捥ぎ取る強欲の主。
とにかくアレは強い、それもかなり。
「待たせたな諸君。これより我が力と並んで戦う資格のある者を見定めようと思う。まずは会場へと案内しよう」
やたら西洋風の広い庭と邸宅の景色が続いたかと思うと、急に和風の道場が現れる。いっそ清清しいほどのごちゃ混ぜ加減は、強欲ゆえの美的センスだろう。分からなくもない。
彩りが異なることで、異彩を放つ。違和感こそが魅力。
それこそが強欲の証であり、築き上げた金塊の山に等しい。
道場の中、改めて俺たちと彼は向かい合う。
「儂は勇者、剣仙鬼峰。お前たちの力がどれほどのものか、見させてもらうつもりだったが……どうやら私欲を秘め隠している輩が多いようだ」
どうやら見抜かれているらしいな。あの大男の企みは早くも潰えてしまった。
「よって、この儂自らの手で確かめさせてもらう。命の保障はせん。死ぬ気で生き残れ。では、始める」
驚いた。あの老体、この人数を相手にする気か。というか試験方法が一気に変わってしまったな。
などと考えていると、人間が一人吹き飛んできたので半歩ずれて回避する。
吹き飛ばされた人間は壁に叩き付けられる。
「えぇ……あれ死んでないよな」
「さぁ? でもまあ、喰いごたえのありそうな奴が相手で、良かったなぁ相棒」
「傲慢のお前らしい意見だな」
だがまあ、そうだな。血気盛んなのは今回に限って好都合だ。
続けて二、三人の人間砲弾をステップで回避する。
「よく飛ばすなぁ」
「お前も似たようなことやってたろ。ほら、ぶん投げるやつ」
「しかしあれはまた」
銃弾と矢の雨を軽々と剣で叩き落しながら迫り、腹部をえぐるような強打。一瞬の硬直の間に回りこみ、違う飛び道具を持つ者に目掛けて体当たり、諸共に吹き飛ばす。
「ば、化物ォ!」
「誰が化物か。儂ゃ勇者じゃ」
恐慌状態の銃士が乱射する弾丸を正確に回避し、一部を弾く。
反射した弾丸は他の挑戦者に次々と風穴を開ける。
「こんなところで死ぬくらいなら、戦場に出たところで魔物の餌になるだけだ。力なき者に意味は無い」
「まったくその通り」
避ける必要は無く、弾丸は髪を掠める。
それが気に触れたのか、老人勇者の視線がこちらに映った。
「ほう」
「力なき者はただ虐げられ、何かに縋るほか無い。ならば力ある者はどうしてその力を手に出来たか。其は怠惰なる他力の願望、強欲は色濃い欲望、傲慢なる野望と、嫉妬から見上げる羨望、暴食は本能に従い本望、色欲は灼熱の熱望。殺戮の憤怒は失望の果てに」
鋭い老兵の眼光を、真正面から受け止める。
「そして俺の愛欲は、何者をも凌駕する大罪に等しき大望」
「セブンスシンス懐かしいな。最後の愛欲とやらは、お前のオリジナルか?」
「力で支配とは、随分とまあ悪魔的趣向じゃないか。勇者ってのは皆そうなのか?」
力がすべてだなんて悪魔ならともかく、勇者が口にしていい言葉ではないと思うが。
「なんだ小僧、お前も勇者に妙な浪漫を感じた口か」
気迫が一層増すと、ついに攻撃を加えていた彼らの手が止まってしまった。
戦意喪失するのが早過ぎる。まあさすがにあの老人勇者も化物じみていると思うが。
「異教徒弾圧、悪魔絶滅の象徴たる勇者様だ。弱きを助け、強気を挫く正義のヒーローかと思ったんだが、どうやら思い違いだったようだな」
「実戦経験もろくにないアイドル勇者ならそれでいいのだろうが、生憎ここは最前線、お子様みたいな考えで生き残れるほど甘くは無い。否、むしろ正義の味方だからこそ、力がすべてでなければならない」
「へぇ」
勇者ごとに思想が違うのか? 少し詳しく聞いてみるか。
「小僧、儂ら勇者は今もこうして、力によって異教徒を迫害し、魔の者らを殲滅している。なぜか分かるか?」
「さぁ? お前たちが強いからかな」
「半分正解だが、半分は不正解だ。確かに儂は強い。だがそれは儂が正義の名の下に戦っているからこそだ」
正義の力か。正義は必ず勝つという、ありがちな信仰だ。
「力こそが正義なのではない。正義こそが力なのだ。ゆえに、力の無い正義など、正義として価値が無い。正義は正義で在るが故に、強くなければならぬ」
勇者は懐に手を入れ、短刀を取り出す。ますます極道じみてきた。
人間だった頃の俺ならすでに平謝りしてたかもしれないな。
「さすが正義は堅苦しい。やはり俺には合わないな」
「なに……?」
「勇者よ、正義の使者よ。お前の正義だどれほど強かろうと、俺の愛欲には及ばぬだろう。故にお前の正義は潰え、ここに新たな勇者が君臨する」
老体からは予想できぬ、恐るべき殺気の篭った突進。自らを砲弾のように打ち出し、短刀の切っ先を捻り込もうと迫った。
間違いなく俺の体に刺し傷を作り、ついでに吹き飛ばすであろう突進は衝突寸前に止まる。
「……小僧、何者だ」
「俺にとって、俺の愛欲こそが何よりも勝る正義だ。神に仕えず、神の力に仕える者よ、その力を示して見せろ」
短刀の刃を握り、切っ先は腹部の達していない。
「ジィァッ!」
「ぶぐっ……」
退くかと思いきや頭突きを顔面に貰った。かなり痛いが、それでも短刀は放さない。
「小僧、こっちの人間じゃないな。異教徒か、それとも」
「それは重要なことか? 今最も気にすべきは、お前の正義の力が俺に通用するかどうかだろう?」
短刀の刃を握って砕き、破片を投げつける。
しかし勇者はそれを伏せて避け、俺の伸ばした手を掴んで手繰り、その身のこなしによって地面に投げて叩きつける。
「甘く見るなよ小僧。ステゴロくらい最前線の勇者なら出来て当然なんだよ」
「なるほど、これは聖女の加護が無い状態なんだよな。すげぇな」
最前線の勇者と言うだけのことはある。俺が思っていたよりかなり、空想的に強い。
これで聖女からの支援無しというくらいなのだから。
「なら……ぐっ!?」
「次の手を打たせると思ったか、青二才の甘さだ」
首をがっちりと握られ、強引に搾られる。
肉が軋み、呼吸が出来ずもがく以外のことが出来ない。
これは、まずいな。
「ぐっ、が……」
ちょっと甘く見すぎただろうか。流石に殺されるということはないだろうが、ちょっと恰好が悪すぎる。
起きたときにリムルにからかわれるのが目に浮かぶようだ。
「小僧、いい加減にそのタヌキ寝入りをやめたらどうだ」
「んっ、もう皆行ったみたいだな」
起き上がると、目の前にあの老兵が胡坐をかいていた。
周囲にはもはや人はおらず、この道場には俺と彼の二人きりだった。
「さて、聞かせてもらおうか。お前の目的がなんなのかを」
「その前に、どの辺りまで察している? 」
俺はこいつと二人きりになるシチュエーションを作りたかった。そのために気絶したわけだが、もしかしたらそこまで気付かれているかもしれない。
「女二人抱えた男が魔境のある方向から現れたという報せを受けて、まあ警戒はしていたよ。だが聖女の結界が反応しないことからみて、人間であることは間違いない。ならば勇者と聖女に敵うわけもない、と思っていたのだが……」
根元の白髪が目立つ。きっと染めているのだろう。老兵も大変だなぁ。
「儂の勘が告げている。お前は人間だが、同時に化物か何かのような気もする」
「化物とは失礼な。俺は正真正銘……」
人間だと。名乗るのには少し抵抗がある。
何せ人間嫌いだからな、俺は。
「人間、だよ」
「そして勘とは別にこの世の事実として、ただの人間が勇者に勝てるはずが無い。だがお前は儂より遥かに強い。こうして手合いをして、すぐに分かった」
「最前線の勇者様にそこまでの評価を貰えるなんて、俺も捨てたもんじゃないな」
「お前は何者だ。何が目的でここに来た」
さて、どこまで話したものか。
俺はとある魔神から遣わされた魔人間と言う存在で、お前たちと友好を結びに来た。なんて言ったら話がややこしくなるのは確かだ。
とりあえずは本題から入ってみるか。
「俺の目的は二つ。とある聖女を探している。恐らくクリスティア・ミステアという名のはずだが」
「クリスティア・ミステア……さて、聞いたことが無いな」
「どんな小さなことでもいい。何か分かったら教えてくれ」
「う、うむ」
何の手がかりも得られなかった……残念だ。
やはりそう簡単に辿り着けるものではないのか。
「もう一つは……ところで、どうして最前線の実力者が今更人員募集を」
「儂も歳だ、もう少し楽がしたい。それだけでは不十分か?」
怠惰だ。動機が十分に怠惰だ。この老勇者は思いのほかに見所がある。
俺は微笑んで彼の欲し求める物を示して見せよう。
「ちょうどいい。実は俺の友人たちが仕事を探している。一つ雇ってはくれないか?」
「そいつらは異教徒か?」
「ああ。黒の森に住む魔獣たちと渡り合う、戦闘のエキスパートだ」
すると剣仙は白い顎鬚を弄り始める。
「勇者である儂が、悪魔に等しい異教徒との取引に応じるとでも思うたか。小僧、何を企んでいる」
「まあ、そう簡単に頷いてくれるとは思っていなかったが……」
仕方ない。面倒だが交渉をしよう。
「お前たちは異教徒と一括りにしているが、異教徒にも派閥がある。俺たちは生き残るために、そちらと手を結びたい」
「異教徒が神を捨てるというなら、雇ってやらなくも無いがな。寝首をかかれてはたまらん」
「なら、俺がこの場で今すぐにその首を狩りとるとするか」
瞬間、今までの動きを遥かに凌駕した素早さで、俺の両目に人差し指と親指が迫った。
ピタリと寸前で止める。彼の手首には俺の手が握られている。
「ナメてくれるなよ小僧ッ! こちとら腐っても勇者やってんだ、異教徒なんぞの企みに手を貸すわけねぇだろうがッ!」
「そう怒鳴るな。やかましいのは苦手だ」
「お前たち小賢しい異教徒のことだ。雇った翌日にこの村を火の海にされても不思議じゃねぇ」
「異教徒と言うのはずいぶんと嫌われているんだな」
どうやら彼は少し勘違いをしているらしい。訂正が必要だ。
「一つ訂正しよう。俺が紹介したのは異教徒だが、俺は別に異教徒ではない」
「……何を言ってやがる」
「俺が異教徒なら今すぐここでお前を殺している。が、俺は異教徒ではないのでお前を殺さない。だがお前は知りすぎた。今ここでお前を殺せば俺の手柄に出来るし、要求を断られたら殺すしかない」
「んな無茶苦茶な」
「つまり何が言いたいのかというと、お前が取引する相手は異教徒ではなく俺個人と、だということだ」
勇者が異教徒と取引しないタイプの真面目な存在だった場合のことを考えておいてよかった。
「俺はお前に人手を貸す。代わりにクリスティアの情報を俺に回してくれれば良い」
「だが勇者が異教徒を雇うなど出来るわけがなかろう」
「世間体の話なら問題ない。異教徒だってことがバレなきゃいいんだから。とある派遣企業から人手を雇ったとでも言えいいし、俺が口裏を合わせれば済む話だ」
ここまで条件を揃えて首を縦に振らないような堅物とは思えないが。
「……まだ駄目だ。お前たちが裏切らないとも限らない」
「この村が元々魔境に近く、防波堤の役割を担っているなら、ここが陥落すればすぐに知れ渡るだろう。それでもし大事になれば、俺もクリスティアを探しにくくなる」
「それを信用しろと?」
「俺がお前を殺さないで居ることがその証明になるといいんだが」
さて、思いつく限りのことはした。
これで駄目なら本当に強行突破するしかないが。
「お前が異教徒ではないなら、なぜ山の方から来た?」
「素材目当てで山に入ったら遭難した。偶然居合わせた親切な異教徒に命を助けられた」
んー、やはり駄目か。知略謀略は俺向きじゃないな。ここまで全部リムルの考案だけど、交渉も技術だろうし。
一旦退いて、もう少し考えてみるか。
「その異教徒……じゃない。お前の人員を連れて来い。使えそうなら条件を飲んでやる。というか飲ませろ」
「えっ」
思わぬ出来事にビックリした。
いいのか勇者、そんなことで。
「儂も勇者だ。聖女を探すくらい容易い。が、流石に聖都から距離がありすぎるから時間はかかるぞ」
「構わない。あっちから人を呼ぶにもそれなりの日数はかかるだろうから、それまでのんびり待たせてもらう」
他にも彼ら用の宿舎を手配しないといけないし、情報を俺に伝達する方法を考えないといけない。難題が続くな。
何はともあれ、交渉が上手くいってよかった。アトラとシロに吉報が届けられそうだ。




