七柱目 魅惑のビーチは血の海
魔界の海は赤い。血の海という言葉通りに赤い。
よって海水浴も当然、赤くなる。
「いやぁ、血の海は全悪魔の夢というか、浪漫だからなぁ!」
「とても人間と友好を築こうという悪魔の言とは思えないが」
「ふふん、そんなこといって実は私達の魅力に魅了されて、男の子の部分に血が溜まっちゃってるんじゃないか?」
よく言う。まあリムルも悪くは無いが、とはいえ俺たちのメンバーにグラマーな美女枠は存在しない。
一人は小悪魔の名に相応しく、犯罪的なロリ体型をスポーティな赤と黒の水着で包んでいる。
未発達の胸と不釣合いなほど色気のある腰のライン。悪魔の悪戯にしては意匠が凝り過ぎてる。
「私達の魅力、って言うけど。一人は幼女、一人は雄、一人は骨じゃないか」
「まぁなー」
Tボーンとドラキュリーヌは日射にやられて早々にダウンしたため、今は読書中のブッキーと共にパラソルの下にいる。
猛暑の中で水遊びに興じているのは俺とリムルとガルゥ、そしてあともう一人。
「この私を忘れてもらっては困りますよ!」
唯一のまともな女体といったところか。
大胆な黒ビキニで攻め、強引に作った谷間を見せ付けている。
ばしゃばしゃと黒い翼で水面を打つ様は、まさに鴉の行水。
「ハーピィは男を翻弄するんす!」
「それセイレーンだろ」
「似たようなもんすよ!」
興奮したクロが羽で水飛沫を飛ばす。
俺はそれをより大きな水飛沫で掻き消しながら、リムルの問いを考えていた。
「仲睦まじい男女、黄泉の王、肉欲、強き男、堕ちた女……」
ここで遊んでいる暇など俺にあるのか。何よりもリステアを優先し、彼女と会うべきではないのか。
しかし、それでは駄目だとリムルは言った。それは彼女の示した物語が示している。
なら、俺がここで成すべきことはなんだ?
この魔界ビーチで、俺がリステアのために出来る。リステアがという女を奪われないための方法。
「ケケケ! 悩んでいるようだな人間?」
俺の体に細い手を這わせ、後ろから抱きついてきたのはリムルだった。
獲物を捕縛する蛸のように足を絡ませ、未発達な胸を押し付けてくる。
「ほれほれ、柔かろう? 堪らなかろう?」
「リムル、俺は元人間だ。今は魔人間だろ」
「種族としては魔人間だけど、お前の魂は人間じゃないか。ガルゥもその匂いに釣られて暴走したんだぞ」
「魂が人間なのに、種族は魔人間……」
なんかこう、納得いかないんだよな。腑に落ちない。
「違う違う、体が悪魔で、魂が人間だから種族が魔人間」
「それじゃあ、俺は人間なんじゃないか?」
「まあそんな難しい話は今はどうでもいいのさ。それよりも重要な役目をお前は負っているんだ」
それもそうだ。俺が悪魔であるか人間であるかなんて、大した問題ではない。
「というわけでジュース買ってこい」
「こいつ……」
「悪魔である私の体を堪能したんだ。ジュースの十本や百本どころか七本でいいなんて破格にもほどがあんぞ!」
「はいはい分かりましたよ。全員分な」
俺は小悪魔スマイルを浮かべてバイバイするリルムを背に、海の家へと向かう。
「私コーラのLなぁ!」
「私も同じのおなしゃーす」
「僕はオレンジジュースで」
「他はともかくクロは一緒に来るべきだろ。なんで番長パシってんの」
俺の心の中での問いも虚しく、海から上がってブッキーたちの注文も受ける。
海の家へと砂浜を歩いていると、なるほど魂が人間であることを実感することとなった。
「視線が刺さる……」
様々な悪魔が海水浴に来ている。
悪魔と一括りにしてはいるものの、実際にはその種類は多様だ。
陸地から避暑地を求めて訪れた悪魔と妖魔をはじめ、普段から海を住処としている海魔、水辺に生息する水魔に、ナンパ目的の淫魔や艶魔の類。
そのどれもが、少なからず一度は俺の方を見る。たまに暫くの距離まで熱い視線を送ってくれたり、いらぬウィンクをプレゼントしてくれる奴まで。
まるで狼の群れに兎が迷い込んだかのようだ。
などと思っているうちに海の家の前に来た。
「あら、中々美味しそ……可愛いお客さんね」
「どうも」
際どい水着……というかほとんど紐だ。
爆弾みたいな胸を揺らしながら、媚びるような上目遣いで接客する、背に黒い羽を生やした女悪魔。
サキュバスだろうか。
「このあとどう? 私フリーなんだけど」
「……ふむ」
どこぞの小悪魔とは比べるべくも無いスタイルの良さ。
目のやり場に困ることは無い。むしろ安心して見ろと言わんばかりに視線を誘導してくれる居心地の良さ。
うっすらと汗ばんでいるためか、体の出っ張った部分が光を反射して輝いている。
「ど、どう?」
「お誘いは嬉しい。しかし連れのロリっ娘が怒るからやめて置く」
「そう……じゃあこれ、私の名刺。ご指名よろしくね」
手渡された黒い名刺には洒落た英字と彼女の名前が載っている。
キャバクラか?
名刺を受け取って注文を済ませると、テキパキと仕事をこなす。
こなしながら、世間話を始めた。
「あなた本当に良い匂いがするわねぇ。本当に悪魔?」
「人間だったらどうする?」
「そりゃあサキュバスだもの。犯るに決まってるじゃない?」
なるほど、と相槌を打ちながら品物を受け取る。
「じゃあね、素敵な紳士さん。再会を楽しみにしているわ」
「ああ、どうも」
「あっ、私が食べるまで食べられないでねー」
「?」
食べるだの食べられないだのと物騒な言葉が聞こえる。
いや、この場合の<食べる>が意味するものといえば……
「そこのおにーさん、ちょっと遊んでいかなーい?」
「私達退屈してるの。そこの岩場まで散歩しない?」
「あー、そういうことかー」
続々と立ちはだかるのは、グラマラスな悪魔美女。
下半身が蛸のような触手の女性、先ほどのサキュバスほどではないが、わざとらしく胸を揺らしたり見せ付ける積極的なサキュバス。
蛸は海の家のサキュバスより豊かな胸を持ち、隣のサキュバスは全体的にスリムだ。
「ほう、良い匂いがすると思ったらこれは」
「おうおう、随分と可愛らしい坊主が来てるじゃねえか!」
なぜか暴走族が着る様なジャケットを羽織る、サラシを巻いた女性。どことなくシャチのような印象を受ける。
競うように隣に立つのは鋭い歯を眼光をこちらに向ける。こっちはサメって感じか、あばら骨が浮き出ているが、出るところは出ている。歯が怖い。
なるほど、肉食系女子が多すぎる。食べられないでねーとはまた気軽に言ったな。
この私、偉大なる小悪魔王、リリルカ・リリコル・リクル・リムルには夢……ではなく野望がある。
叶えるべき夢ではなく、果たすべき野望がある。
それは人間の相棒を持って、大いなる偉業を成し遂げることだ。
そのためには欲望を肯定する人間が望ましい。
神より課せられたあらゆる制約の鎖を断ち切り背徳の翼で飛翔し、人々に真の幸福を与え、そして勝ち取るために。
「クク、予定通り予定通り……」
「リムルよ。本当にお前はあの男に期待しているというのか」
「ああそうだよ。だからこうやって怠惰な私がこうやって性に合わない謀をやってみせてるんじゃないか」
悪魔なんて大概はそんなものだ。とはいえその中でも私の怠惰さは魔王に勝るとも劣らない。
その私がただ一人の人間のためにここまでするのだから、これくらいのことは乗り越えてもらわないと割りに合わない。
「ブッキー、これ解像度低いぞ。もっと高性能な映像に出来ないのか?」
「出来ないことはないが、そこまでする義理も無い」
「ケチ臭いなぁ」
「お前が言うか」
ブッキーの開かれた本から投影される映像には、砂浜を埋め尽くす女性悪魔。
「さて、力だけで乗り切れるかな? 紳士くん」
「あ、暑いぞ……」
「熱いです……」
「本が湿気る。そろそろ閉じるぞ」
砂の下から迫り来る触手から跳んで逃れ、空から襲い来るセイレーンの手を弾いて凌ぐ。
「なんだこいつらガチすぎるだろ! たかが肉欲……ぬおっ!?」
これまでにない力で手首を掴まれ、体が宙に浮いて景色が逆転する。
衝撃が全身に響き渡る。目を覆うの紫色の空ではなく、それよりも濃い紫色の髪の女性。
「へぇ、悪魔なのに妙なことを言うのね。でももっと妙なのは、人間ですらたかが肉欲だなんて言うはず無いのだけど」
「あんたは、海の家の」
「覚えていてくれて嬉しいわ、しかもちゃんと約束を守ってくれてたなんて……貴方のために早上がりした甲斐があったわ」
素肌をなぞる彼女の指。触れた場所が性感帯にでもなったかのように敏感になる。
「これがサキュバスの力か」
「そうよ坊や。あなたの力がどれほどのものであっても、性欲の快楽には抗えない……」
快楽に抗えない。デジャヴのような感覚が俺の中で燻る。
力では快楽に抗えない。俺はそれを今実感している。
頬に添えられた手は滑る様に鎖骨へと移動し、胸部にまで下りる。
先端に触れるか触れないかのところをうろうろと行ったり来たりさせる。
「ねぇ、分かるでしょ? 貴方自身の心が」
「俺自身の心……違う、俺はリステアを……」
「リステ……? 貴方の彼女? でも残念ね、貴方はもう溺れるしかないの。性欲の海に、情欲の波に飲まれ、色欲の海流、肉欲の渦、淫欲の底で、檻の中で獣欲を貪りあうの。永久にね」
ああ、それは、それは素晴らしい。
それこそ生命の謳歌。生欲すに足る理由。
「私が連れて行ってあげるわ、無間の快楽へ。貴方は何も心配しないで、私に貴方の全てをぶつけて、注いでくれればいいの。素敵でしょ?」
ああ、素敵だ。最高だ。
指先が腹筋の線に沿って、ヘソを軽く弄び、更に下へと、下へ、もっと下へ、もっと、もっと、もっと、違う。太腿に、焦らされる。焦らされて、膨れ上がる。
感じる。自身の昂ぶり、相手の高まりが、体と共に重なり合う。
「くっ、あっ……」
「可哀想に……安心して、すぐに解放してあげる」
解放してくれる。このはち切れる寸前の、俺の醜い欲を受け入れてくれる。
色欲と、情欲と、肉欲と、獣欲と、淫欲と、性欲……。
「……どうして拒むの?」
最後の一線、俺は彼女の手を止める。
「足りない」
「えっ?」
「それだけじゃ足りない」
ああ、どうやら俺は欲深だ。これだけ与えられて、許されて、まだ足りないと思ってしまう。
そうだ、俺は前世の頃からそれを満たしていたじゃないか。
彼女は俺の身に余るほどの贅沢さを与えてくれるらしいが、致命的なものが一つ足りない。
「愛、愛が欲しい」
「あ、愛? 悪魔なのに、愛が欲しいの?」
「愛している実感が欲しい。愛されている実感が欲しい」
「な、何よ、この子。愛を欲しがるなんて……」
悪魔は知らないのか? 愛されることの幸福感を、愛することの至福感を。愛し合うことの万能感を。
「愛し合う実感が欲しい。俺が最も求めるのは、愛欲だ」
「この欲深さは悪魔のなせる業。でも欲しているものが愛だなんて……なにが、どういう……」
「俺はリステアを愛している。だから……」
見つけた、俺がやるべきこと。
この手を伸ばし、黄泉の王から愛しい人を取り戻す。その術を掴み取る。
「ちょ、待っあんっ!?」
「俺はリステアを愛す」
俺の手の平で、豊かな肉が踊る。それが今は堪らなく愛しい。
海岸の岩場に腰を下ろし、私たちはレクトが繰り広げる淫蕩舞踏を見物する。
色情淫魔を陥落させたあと、次々に襲いかかる肉欲の獣を鎧袖一触で落としていく。
「いやぁ! やっぱり生がいいよね! ナーマっ!」
「妙な言い方をするな」
せっかくの一大事、まさかゴミみたいな解像度で鑑賞するなんて勿体無いことこの上ない。
それにしてもさすがダクネシア様が見込んだ私の相棒だ。見事に答えへ辿り着いた。
「ふふ、やっぱり堪らないなぁ、人間が限界を乗り越える様は!」
「変わった趣味だ。お前も、お前の好む物語の作者らも」
「そうか? お前の趣味も大概だぞ。さて」
これで魔人間レクトが持つ可能性、伸び代が見えた。
悪魔は基本的に愛を知らないし、必要としない存在だ。
しかし人間は愛を欲する。それは悪魔にはない、人間が唯一持つ欲だ。
誰よりも愛に執着した人間と悪魔が融合した時、一体どんな悪魔が誕生するのか。そして悪魔が愛を知り、人間に与えることが出来るようになったならば、それこそが悪魔と人間を結ぶ鍵となる。
魔人間レクト。八つ目の大罪、愛欲を司る新たな悪魔。
愛とは時に押し付けられるものであり、また欲し求められるものだと、レクトの妄想嫁への依存がそれを示した。
「ブッキーだって知りたいだろ? 愛がどういうものなのか。底知れぬ知識欲、ブッキング・ブッカーブックス様よ」
「知らん。それで、これからどうする」
「どうもこうも、全てが予定通り。全てはアイツ次第さ」
楽しいなぁ。楽しい。憧れていた物語になる。私達が物語を創り上げる。
それがこれほど胸を高鳴らすものだったとは、私の期待以上だ。
頼むよレクト。お前が真に人間であるならば、その欲深さを見せてくれ。
居合いの如き手刀が胸を弾き、鋭い牙の並ぶ大口から嬌声が響く。
「逝かされ、ちゃ……」
「……あれ」
気付けば、走馬灯のような景色と人々の入れ替わりは止み、動くのは砂浜の上で快楽の余韻に震える者達が屍のように積み重なっている。
「とりあえず、貞操は守りきれたか」
純潔は愛しき者のために。俺の貞操はリステアのために。
そこらのビッチに寄越すほど軽い腰はしていないのだ。
「それにしても、なるほどそういうことか」
相手を愛するということは、相手の欲を満たすということ。
なら相手の欲を満たす技巧を身につければ良い。黄泉の王が与える手淫よりも心地よき愛撫で。
「いやぁ、さすがは魔人間だなぁ!」
「……最初っからこういう企みだったわけか」
岩場から飛び出してきたのは、やはりというか。
「答えは見つかったかな? 魔人間」
「これが答えだ」
砂浜一面を埋め尽くす魔の数々。
本場のサキュバスを始め、男を誘惑するセイレーン、神話で有力そうなスキュラやマーメイドの海魔。
たまに筋骨隆々な男色の気がありそうな悪魔も混じっていたので怖ろしかったが。
「確かに見事な絶技だよなー。ひと撫で、ひと触れで雌を昇天させるなんて……童貞とは思えない」
「やかましい。もう疲れたから帰るぞ俺は」
「そうだなー。ブッキー頼んだ」
「まったく……なぜ私が転送屋の真似事などしなければならないのか……」
ブッキーが本を取り出し掲げると、勝手にパラパラと開いて光を放つ。
それに連動してブッキーとリムル、そして俺の足元に魔法陣が浮かび上がる。
「ちょ、ちょっと待って! お兄さん!」
あまり力が篭っていないが、必死そうな声が俺を呼び止めた。
「ブッキー、ちょっと」
「……さっさと済ませるように」
振り返ると、最初に倒したサキュバスの女性が這いずっていた。
思えば、あのサキュバスは俺の技を若干耐えた。触れや撫でるだけでなく、揉まなければならなかった。
「貴方、一体何者なの? サキュバスを手だけであしらうなんて」
「なんのことはない。ただの魔人間だ」
「魔人間? 聞いたこと無い……ねぇ、貴方に興味が湧いたの。もし良ければ、私を抱えない?」
「抱える?」
リムルに意味を問おうと思ったが、すぐに思い出した。
大学のルールと、クロの時と同じだ。相手を負かし、己の軍門へと加える。
このサキュバスの行いこそが、まさにそれだ。
「えっと……なんて名前だったか」
「え? 名刺渡したわよね?」
「あー、ちょっと字体が洒落すぎて読めなかった」
「あ、そう……まあいいけど」
サキュバスは立ち上がり、艶かしい動きで体の凹凸を撫で、強調して見せ付けるように身をくねらせる。
「私はフェチシア・エロリエル・シュヴァルツヴァルト。フェチでもエロりんでも、好きなように呼んでもらって構わないわ。それでどう?」
「ふむ、俺としては別に構わないが……リムル。問題あるか?」
「んー、ちょっと不安要素はあるけど。基本的にお前の自由にすればいいさ。というか妾の一人や二人抱えるくらいで私に聞かれても」
「そうじゃねえよ」
とはいえ、いちいちリムルにお伺いを立てる必要もないか。注意するべき点は分かりきっている。
「ちょっと込み入った事情があるが、それでもいいなら歓迎する」
「別にいいわよ。私は貴方にしか興味ないもの」
「えっ?」
「ふふ、今後ともよろしくね。あと夜道と寝床に気をつけることね」
寝床ってなんだ。夜這いでもしかけるつもりか。
どうやらとんでもなく面倒なのを引き入れてしまったらしい。番犬を部屋に置くことにしよう。
「こちらこそよろしく」
「もう済んだか。本が潮風で傷むからさっさと移動させてもらう」
光る魔法陣がフェチシアの足元にも現れ、転移の魔法が発動する。
「あれ、なんか忘れてるような……」
俺が思い出す前に、景色はビーチから自室の寮に変わってしまった。
「まあいいか」




