雛菊の正体
(……これがカヤードの『中』?)
カヤードの中へ入ったウイングは、いつもの白いナイトコート姿を精神世界の中で形作ると、両手で銀製の刀を握りながら、ゆっくりと暗い『道』を進んで行く。
ウイングはカヤードの精神世界の中にいた。カヤードの中の龍は彼の精神の一番奥深くで暴れ、蠢いているのだ。
薄暗い洞窟の中をひたすら進んで行くと、ウイングの目の前に突然大きな鉄の扉が現れる。
(この扉の中にいると言うのか?)
ゆっくりとその扉を開けようと、ドアノブを握ったその時!
(そこを開けちゃダメよ!)
ウイングの耳に幼い頃聞き慣れた女の声が聞こえて来たのだ。
(この声は………)
ウイングは背後に立つその女の事を良く知っていた。
(お久しぶりね、『ツバサ』いや、今はもうウイングだったわね?)
(ルゥ……何故お前がここにいる!?)
カヤードによって連れ去られた筈のルゥが、カヤードの中にいる……ウイングは驚きながらも刀を八相に構え、ルゥの様子を窺う。
(ルゥ、懐かしい響きね……私の本当の名はエリザベート・グリム。かつて『ゴルゴダの魔女』と蔑まれた女よ……)
ルゥ、もとい、エリザベートはウイングが見慣れた幻影館での胴着姿から、一緒で少し大人びたゴシック・ロリータファッションの姿に変貌する。
(……その姿は?)
思わずその変貌ぶりに驚きの表情を浮かべるウイング。今思い返しても彼の知るルゥとは口調も大分違う。
(これが今の私。さっきのは幻ですわ。)
エリザベートは少しおどけて見せると、ウイングに向けて左目で軽めのウインクを送る。
(変わったな、ルゥ……)
(あら、残念でした? アナタの知ってる純粋無垢な可愛い妹は所詮、仮の姿でしたのよ♪ そう、カヤードを手中に落とす為の『小芝居』)
(小芝居だと!? カヤードを落とすって、どういう意味だ!)
八相から繰り出された一閃がエリザベートの頭に載っていた赤のボンネットを吹き飛ばす!
(フフ……相変わらずカヤードの事になると感情を抑えられないみたいね♪いいわ、アナタになら話てあげましょう、仮初めと言えども兄妹だったのですからね……)
エリザベートは地面に落とされたボンネットを拾い上げ、それを軽く手で叩くと再び頭の上に載せる。そして、睫毛が見事にカールした両目を閉じると、やや芝居がかった口調で話始めた……。
(……昔々、あるところにそれはそれは美しい少女がいました。少女の名はエリザベート。彼女は生まれ付き決して尽きる事のない、『無尽蔵のカルマニクス』を持つ特異体質でした。少女の美貌とその特異体質に目を付けた教会は、彼女を『ラピスの巫女』として祭り上げました。教会は彼女にラピスを召喚させて数々の奇跡で、世界中の民衆をラピスリア教徒にしようと企んでいたのです。ところが、ラピスを召喚する儀式に備え、3日間隔離されていた少女の下に、どこからともなく『ゴルゴダの槍』と言う槍が出現したのでした。槍は『人の闇を増幅する力』を持っていた為、少女はその槍に心を浸食されてしまい、あろうことか儀式で少女は、ラピスでは無く『ブラック・ラピス』と言う名のヒドゥンの王を生み出してしまったのでした……)
(ブラック・ラピス!?)
ウイングはその名に聞き覚えがあった。
かつて二代目教皇の時代に現れ、世界を揺るがした史上最強のヒドゥン……。
(ブラック・ラピスはたった1日で東ヨーロッパを蹂躙し、世界を破滅へ導こうとしました。ですが当時の教皇と、嵯峨の活躍によってブラック・ラピスは封じられてしまい、首謀者であるエリザベートは魔女と蔑まれ、処刑されたのでした……)
エリザベートは少し哀しげに表情を落とす。
(ですが、少女は生きていたのです。これもゴルゴダの槍の力でした。槍は少女の精神と同化すると、今までとは比較にならない程の力を手にしたのです。ですが少女が覚醒する寸前、教皇は『龍』の姿だった槍を封印した為、少女も槍の中で長い眠りに着いてしまいました。ですが時は流れ、封印が弱まったある日、少女は覚醒したのです!カヤード・ワインズマンによって!!)
エリザベートは両目を開け、満面の笑みを浮かべると、ウイングに向かってゆっくりと歩み寄って来る。
(……その後はアナタもご存知の通り、ルゥ・クーロンとして生き……今に至るのよ♪)
エリザベートは右手に黒光りした儀礼用の槍を出現させると、その先をウイングへと向ける。
(……なるほどな、お前の生い立ちはよく分かった。記憶喪失も猿芝居だった訳か)
ウイングはエリザベートの行為に何の反応も示さず、言葉を続ける。
(だが、何故こんな回りくどいやり方をする? ブラック・ラピスを召喚すればお前の復讐は達成出来たんじゃないのか?何故カヤードを操るような真似をした!?)
(……『その程度では』私の復讐は終わりませんわ! より酷く、より深く、教会を陥れ、苦しめなければ意味がないのよ!! そして、私の復讐成就にはカヤードは打ってつけだったのよ、教会始まって以来の天才! 嵯峨をも上回る天剣! 人格にも優れ、みんなの憧れだったあのカヤードが! まさか師匠や仲間たちを斬る背信者に豹変してしまった!アナタ以外にも多くの人々が心に影を落としたでしょう? 教会も面子が丸つぶれ!エリザベート・グリム以来の大失態!! カヤードはよく立ち回ってくれたわ!)
エリザベートは高笑いを浮かべその瞳に狂気の色を宿す。
(貴様っ! よくもカヤードを!! おかしいとずっと思ってたんだ、みんな疑ったままだったが、俺の知っているカヤードが『あんな事』をする訳ないと!!)
ウイングは今までに無い高速の一閃で、エリザベートの握っていたゴルゴダの槍を弾き飛ばす!
(っ!……本当にカヤードの事が大好きなのね♪ でも『俺だけは信じてた!』みたいな事言ってるけどアナタ、カヤードが教会を破壊した時は随分怒ってなかった?……まぁいいですわ! カヤードもアナタもここで一緒に死ぬのだから♪ 最後は仲良く逝きなさい!)
槍を弾き飛ばされた事で伝う手の痺れに、数回手首を振ると、エリザベートはドス黒いオーラを漂い始める。
――ウイングがカヤードの精神世界に入った直後、セシリアはヒドゥンが侵攻している西門へ向かっていた。
ウイング(ヴェルフェルム)にラスプーチンのサポートを指示されたからである。マスターの指示は絶対だ、カヤードと対峙したままのウイングが気掛かりだったが、ヒドゥンたちを放っておく訳にはいかない。
各部損傷しているが、まだまだ戦える!
セシリアはヒドゥンの群れへと飛び込んで行った!
「ホワタァー!!」
既にヒドゥンと単身交戦中のラスプーチンのサウザント・ワン『カマエル』は、打ち込めば打ち込むほど『重い重力を付加させていく』トンファーである。
数多のヒドゥンは彼の無数の連打から繰り出される超重力によって、次々と粉砕されていく!
そして教会本部の残骸を必死に掘り起こしていた雛菊……。
突然、彼女の手が止まる。
自分を造ってくれた、この世に生み出してくれた人の一人、レイチェルの亡骸を発見したのだ。
「レイチェルさん! レイチェルさぁーん!!……いつまで寝てるんスか!? 早く……早く、起きてみんなの整備してくださいよ………」
それ以上は『涙』で何も言えなかった。レイチェルの遺体は少し煤が付いていたが顔は綺麗なままで、雛菊には寝てるようにしか見えなかったのだ。
機械であるホムンクルスが『涙』を流す……そもそも雛菊は他のホムンクルスとは一線を画する存在だった。『ヒトモドキ』と呼ばれるサンジェルマンの開発したシステムによって豊富な感情表現を有し、時には人間であるクルセイダー達を励まし、支えていた。
【本当に自分は機械なのか?】
そんな疑問が彼女の脳裏をよぎった……。
【本当は『もっと別の存在』だったのではなかったのか?】
一度よぎった思いは止めどなく溢れ出す。
雛菊の脳裏に無数の『ワード』が縦横無尽に駆け巡る。
【閉ざされた記憶】
【生み出された理由】
【切り札】
【複写体】
【マルローネ・シュピーゲル】
【フィスタニア・サンジェルマン】
生みの親であるサンジェルマンの名が頭を駆け巡ると同時に、ワードは『ビジョン』へと変わって行く。
ひび割れた石造りの天井に、古びたランプの照明が影を揺らす……。
ランプが照らしている影の本体が誰なのかわからない。雛菊は仰向けのまま作業台に乗せられているからだ。
体は全く動かないが、両目以外にも、僅かに聞こえて来るネジを回す音と、しきりに部屋の中を動き回る人物の足音が確認出来た。両耳も機能しているようだ。
「……お前はこれから『俺の切り札』に生まれ変わる! この『ヒトモドキ』に大分時間を取られたが、『俺には時間などあって無い物』……他の科学者では三代掛けても完成出来ない『究極の複写体』を、遂に俺は完成させたのだ!」
天井に映る影が大きく両手を広げ、耳からは興奮した男の声が聞こえて来る。
「『俺を殺した』マルローネ! あの女さえいなければ、今でも『俺は教皇でいられた』のになっ!…………だが、あの女もとっくに死んだ!『兄さん』も!! 『マリア』も!!『ヴェルフェルム』も!!………………ファワハハハハッ!!!! 結局は『聖柩』を手にした俺だけが『生き残る運命』だったんだ♪……『次』は絶対に失敗しない!! マルローネの『複写体』が出来た今、俺に死角は無い!!」
男は半狂乱になりながら絶叫する。
「よし、『お前』には暫く通常のホムンクルスとして動いてもらう事にしよう!! 時が来るまではお前も『教会側』にいるんだ♪ それまでは『お前の使命』はブラックボックス化しておく、『指示があったら、全ての人間を消せ』!」
――そこでビジョンは終了した。




